2019年5月31日

リベリア(Ganta) → ギニア(Diecke) 国境越え

リベリア側
イミグレーションで出国スタンプをもらった後、2部屋ほど連れて行かれてまた無意味なノート記入。

両替
どうせまた群がってくるのだろうと思っていたら、意外に両替屋は少なく、こちらから声をかけたほどだった。
そしてまたしても、大々的にちょろまかされかけた。
ギニアフランも数字が大きく計算に戸惑うが、指摘すれば相手はとぼけながらも正当な額を払う。

橋を渡ってギニア側へ。

ギニア側
まずはミリタリーでパスポートチェック。
見られるだけで何もされない。
少し進んでポリス。
ここで入国スタンプをもらう。
そしてここでイエローブックレットも提示。
さらに進んでイミグレーションでパスポートチェック。
いやほんとに、一括でまとめられないものかね。

所要トータル45分。

ギニア側に両替屋が多数いたので、両替はここでもよかった。

ちょっと進んだところでランチ。


ギニアは舗装率低いな。




最初に現れた街ディエク。


最初のギニア訪問時よりも、子供たちの興奮度がすごい。
阿呆のようにギャーギャー騒ぎ立てる。
言葉も変わって、もう「ボテボテ」とは言われない。





サラダ付きの食事なんて久しぶり。
イモみたいに見えるのは、バナナのフライ。


宿を3軒あたってみたが、どこも扇風機なし。
仕方なく、一番まともそうでオーナーが英語を話せる宿に。
5万フラン(600円)。
午前中の雨のおかげか、意外に暑くなかった。

その先もずっと未舗装。


イヤ~!



ヒマそうにしている連中いくらでもいるんだから、ひどい箇所だけでも埋めてならすとかすればいいのに。
国はそういうことにお金を出さないのかな、雇用拡大で経済も発展しそうなものだけど。
でも、本格的な雨季が到来したらどうにもならないぐらいドロドロになるのかもしれない。



車はあまり通らないが、バイクの交通量が多い。
クラクションガイジについては言うまでもないが、せっかくの森林地帯でバイクのエンジン音が常に耳に入ってくるというのもなかなかのストレス。
最初から電気自動車を開発できていたら、世界はもっと静かだったろうに。



ヌゼレコーレという大きな街に到着。

またミッション系の宿に。


ここを管理しているのはベルギー人夫婦。
こんなところで白人に出会うとちょっとびっくりするが、会話がはずんだ。

1泊10万フラン(1200円)。
電気は夜間のみ、水道は勢いよく出る。

そして、セネガルで出会いギニアビサウで再会したエストニア人ライダーがやってきた。
連絡とってたわけでもないのに、また偶然の再会。
なんでバイクで旅してるのに僕とペースが同じなんだよ。



ヌゼレコーレからコートジボワールへ向かう。
最初の40kmは舗装されているが、その先は工事中。
道路建設しているのは、やはり中国。

本線は工事中で通行止め、悪路の側道を進む。


まだ未完成だがほぼ舗装されて通行可能な箇所も多く、そこは本線を強行突破してしまう。



Man, Côte d'Ivoire

22147km



2019年5月30日

リベリア 2

どうしてどうして、リベリアも海沿いに道をつくってくれればそのまま次のコートジボワールに行けるというのに、道がない。
いったん内陸に入り、ギニアに再入国しなければならない。
リベリアからコートジボワールに入国できるルートもいくつかあるのだが、時々国境が閉鎖されるようなので、遠回りでもより確実なギニア経由ルートで行く。
ギニアのマルチビザを取得したのはこのためだ。

首都中心から20kmほど進んだところで、マーケットエリアに突入。
幹線道路がマーケットのカオスによって行く手を阻まれている。
そのまま進めない状況だったので、迂回することになった。



迂回ルートでマーケット内に入り込むと、そこは最悪最醜のはきだめだった。
路面はドロドロのグチャグチャでヘドロのようになり、ゴミの山をすり抜け、その両側で野菜や果物などが売られている。

まもなく渋滞。
前方の様子をうかがうと、ケンカしている。
そのケンカと野次馬のせいで、車もバイクも身動きできず膠着状態。
当事者たちはそんなことなどお構いなしに怒鳴りあっている。
いくら待ってもおさまらないようなので、狭い歩道に移って強引に進んだ。

メインロードに戻るため路地を曲がると、ちょっとした登り坂になっており、上方からドブが流れてくる。
坂の途中でハイエースがスタックし、数人がドブ川の中で必死に押している。
横の壁の向こうで誰かが汚水を捨てたのか、壁の穴から緑色の液体が吹き出す。

このはきだめを記録におさめたかったが、ここでカメラを構えたら僕は袋叩きにされていただろう。
そんな空気を感じた。
四方から「チャイニーマン!」「チンチョン!」という声が飛び交う。
ずっと監視されている。
それに、この状況を切り抜けるのに精一杯で、カメラを構える余裕もなかった。

もう少しでメインロードというところで、ひとりの男が満面の笑顔で僕に近づき、「醜いだろ? これがアフリカだ! ハハハ!」と高らかに笑った。
僕はこの言葉に救われた気がした。
美しい醜い、正しい悪い、それよりも大事なのは強いハートだ。
これぐらいは笑って吹き飛ばすぐらいでないとな。



はきだめマーケットを抜ければ、道路舗装は完璧。


真新しく、損傷はほとんどない。
でもメンテナンスはしないだろうから、朽ち果てるのも早いだろうな。

リベリア人の子供も、遠方から囃し立てるだけで近づいてこない。
ここでは僕は「チャイニーマン」と呼ばれる。
今まで一貫して「白人」がメインだったのに、ここに来て「中国人」か。

リベリアではアジア人はほとんど見ていないが、この道路をつくったのが中国人で、人々は工事の指揮をとる中国人を見てそう呼ぶようになったのかな。
そして中国人にとっても、あのはきだめマーケットだけはアンタッチャブルだったのかな。

「チャイニーマン!」
「チャイニーマン!」

チェーンリング、やっぱ崩壊した。


これから山道が続くというのに、インナーが使えなくなった。

崩壊したチェーンリングの取り外し作業をしている間も、子供たちが湧いてきて無言で見つめる。
だから君たちは来なくていいんだよ。
家で宿題でもやってろ。







小さな村の宿で1泊。
US$25。
ここはソーラーで発電しているようで、時間制限なく電気が使える。
近くに店もないが、庭に井戸があるので水をたっぷりいただき、「食事はいる?」と聞かれ無料で食事を出してくれた。



ありがたや。

息子たちが勝手に部屋に入ってきて遊ぶ。


スマホのメモ帳の落書き機能に夢中になっていた。


翌日は午前中から雨。
レインウエアを着ずに濡れたまま走り続けたが、小一時間で冷えた。
いくら熱帯でも雨に打たれっぱなしはよくない。
そんなことは今まで何度も経験してわかっているはずなのに、またやってしまう。

ちょうどいい小屋があったので、着替えて身体を拭き、コーヒーをわかした。


リベリアドル。


右上の2枚は旧紙幣。
すごいヴィンテージ感。




Danane, Côte d'Ivoire



2019年5月29日

モンロビア

首都モンロビアに近づくと、またゴミ市場。


このすぐそばで、野菜や果物など食材が売られている。
ここにゴミを捨てる人は、これっぽっちも疑問に思うことはないのだろうか?

首都に近づくにつれて路面状況も悪化していく。


大渋滞、クラクション、排気ガス、ゴミ、ヘドロ、悪臭。
やっぱ都市部はろくなもんじゃない。
僕の旅程では、ギニア~シエラレオネ~リベリアが経済的最底辺だろうか。
ここを辛抱すれば他の国はいくらか先進的に見えるような気がする。







リベリアにも高いビルがあるんだな、と思ったらスッカスカの廃墟。
内戦でやられた跡だろうか。



首都中心に到着。

まずは現金調達。
Tubman通りの高級ホテルが並んでいるエリアに銀行が多数ある。
しかし、International BankとかGlobal Bankといった名の銀行でも、引き出せなかった。
僕が突き止めた唯一引き出し可能な銀行は、Eco Bank。
ここでUSドルもリベリアドルも引き出せる。
リベリアドルはもはやどうでもいいが、USドルが底を尽きそうだったので、ここで引き出せて一安心。
引き出せたのはここだけで、他の場所のEco BankのATMはまともに機能していなかった。

銀行のガラス扉で、久々に自分の全身像を見た。
驚くほどゲッソリ痩せこけ、現地人よりもみすぼらしく見えた。
このすさんだ食生活で1日100km以上走り続けたら、そうなるわな。
辛い食文化のおかげか、食べる喜びも見いだせず、空腹感すらない。

次にSIM。
リベリアも短期滞在だが、やはり情報収集できないのは不便。
立派な店構えのOrangeショップがあったのでSIM購入。
その場でアクティベートしてもらいすぐネットできるようになった。
2GBでUS$11。
これは過去最高値かもしれない。

Orangeはヨーロッパでもよく見かけた大手通信会社。
西アフリカでも最大手で、どの国にもある。
ヨーロッパみたいに統一してくれたら楽なんだけど、無理なんだろうな。

喉が乾いたので道端の店でジュースを買ってガブ飲みした。
とたんに人が集まって僕を凝視する。
話しかけてくれる人もいたが、ただ黙って僕を見つめる人たちは何なの?
仮にも一国の首都で、外国人がジュースを飲んだだけで見物人ができるなんて。

カメラを向けると、とたんに退散していく。


見られたくない外国人 vs 撮られたくないアフリカ人



モンロビアは、アメリカ第5大統領ジェームズ・モンローにちなんでいる。







メシは相変わらず、ひとつの料理の中に肉と魚が同居しており、そして辛い。


ヨーロッパ資本のスーパーはやはり激高。
一握りの上流階級だけが来客。

アイスの相場はUS$7~10。
この日はどうしてもアイスが食べたくて、我慢できず最安US$4.95のショボいアイスを買ってしまった。

しかしアフリカのアイスは、必ずどこかで一度溶けている。
封を開けてみたら、こんな哀れな姿だった。


4本入りで4本ともこの形状になっていた。
US$4.95も払ってこれかい。

中東系のスーパーもあり、価格はリーズナブル。
インスタントヌードルがUS$0.30。

宿はまたミッション系。


St.Teresa Convent。
キリスト教の学校に、宿泊施設が備わっている。

リベリアでこんな立派できれいな建物はなかなかない。


さすが、宗教の財力。

1泊US$20。
これでも十分高いが、US$30のボロ宿の後だと、安いと感じてしまう。
電気は24時間。
部屋は風通し良くないが、扇風機が常時使えるので生存可能。
トイレ・シャワー共同、水道はチョロチョロと弱々しいが一応出る。
Wi-Fiなし。
昼間は学生が大勢いるのであまり部屋の外をウロチョロできない。


Danane, Côte d'Ivoire



リベリア 1

リベリア。


1820年、アメリカで解放された奴隷88人がニューヨーク港から船で西アフリカへ帰還し、国を築いた。
憲法や政治形態はアメリカに倣い、国名は「自由」を意味する「liberty」から「リベリア」となった。
1847年独立。
アフリカではエチオピアに次いで二番目に早く独立した歴史ある国、の割に知名度低い。
アメリカからの多大な援助があったにもかかわらず、腐敗政治、クーデター、内戦などによって経済は悪化の一途をたどった。
隣国のシエラレオネはイギリスによって、そしてリベリアはアメリカによって、奴隷制度を終焉させて自立へと導かれたわけだが、両国ともにアフリカでも特に貧しい、最貧国のひとつ。

公用語は英語。
コンセントはマルチタイプで、日本の電化製品もそのまま使える。

通貨はリベリアドルだが、USドルも流通している。
ホテルやスーパーではUSドルで料金表示される。

国境の街で1泊。




村を歩いている時も、この写真を撮っている時も、遠方から「チンチョーン!」と聞こえてくる。







宿は現地の人にしかわからないような場所にあり、人に聞いて案内してもらった。


電気は夜間のみ、水道はなくバケツ水。
料金を聞いてみたら、
「US$30」
冗談だよね?
大マジらしい。
もちろんWi-Fiなし、エアコンなし、冷蔵庫なし、朝食なし。
典型的なアフリカの不便な宿で、US$30!?
値引き交渉してみたが、電気を起こすジェネレーターの燃料をシエラレオネ側から取り寄せており、その燃料代がバカ高いので値引きはできない、リベリアではUS$30は決して高くはない、ときっぱり言われた。
この国もメチャクチャだな。
シエラレオネの宿代は西アフリカでは比較的リーズナブルだったので油断していた、ここに来て強烈なパンチを食らった。

この日も風がなく、庭で座って電気がつくのをじっと待つ。
電気は18時からと言われたが、アフリカ人の言うことを真に受けてはいけない。
宿のオーナーの息子がジェネレーターを発動させるのに手間取っているようだ。
父権的というのだろうか、オーナーは何をするにもいちいち大声で息子を呼びつけてやらせ、小間使いのように従えている。

とにかく暑くて暑くて、何もする気になれず、庭でオーナーと話をした。
リベリア人の英語も相当なクセがある。
最低限のやり取りはできるのでフランス語よりは楽だが。
特にここのオーナーの英語は、日本語でたとえるなら津軽弁並みで、今まで聞いたことのない独特のアクセント。
発音だけでなく単語のチョイスや言い回しも奇妙で、ついていけない。
しかし彼は自分の英語が相手に伝わっているはずだと思いこんで疑わず、かまわずしゃべり続ける。
逆に、僕の英語は彼に全然伝わらない。
彼にとっては僕の英語が津軽弁なのかもしれない。
僕が何か言うたびに彼は「あ?」と聞き返す。
中国や東南アジアでも日々「あ?」と言われたっけ。
僕は相手の言うことが聞き取れなくても絶対「あ?」なんて言わない。

19時半、ようやく電気がついた。
速攻で部屋に行き、扇風機を全開フルパワー。
水浴びをして、ベッドに横たわり、ようやくリラックス。
やっぱこういう時間は必要だな。
前日は悪夢の一夜だったこともあり、目を閉じるとそのまま深い眠りに落ちた。

翌朝、6時に電気が止まった。
扇風機が止まると同時に耐え難い暑さとなり、すみやかに荷物をまとめて出発した。



道路はきれいに舗装されている。
アップダウンも緩い。
国境から首都モンロビアまで130kmあるが、これならいける。

交通量は少ないが、時々通過する車やバイクがもれなくきっちりクラクションを鳴らしてくる。
いつまでも成長しない痴呆どもめ。

所々に休憩所があるのはありがたい。

所々に検問があるのはありがたくない。
「どこから来た? どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこだ? ホテル名は? ホテルの住所は?」
だからさ、いいかげんノートに記入っていうのを卒業してさ、ちょっとは頭使って効率化簡略化してくれないかな。
偉そうに尋問してくるけど、この不毛な質疑にウンザリしているこっちの気持ちを考えたことがあるだろうか。

「What's your purpose?」(おまえの目的は何だ?)
「What's your mission?」(おまえの任務は何だ?)
「What are you doing here?」(おまえはここで何をしている?)
検問だけでなくその辺の人からもよくされる質問。
初対面でこういった不躾な質問をしてくるのもアフリカならでは。
僕なんかどこからどう見たって旅行者なんだけど、かれらには旅行という概念が希薄のようだ。
アフリカの人は、旅行したいという願望もないのだろうか。
明確な用事や職務でもなければよその場所へ行ったりしないのだろうか。
かつて人類はアフリカから別大陸へ移動したことから人種の多様化が始まった。
しかし現在、大先輩であるアフリカ人は移動をやめてひとつの場所にとどまり、よそからやってきた後輩を不思議そうな目で見つめる。

「以前は日本人のボランティアをよく見たけど最近はすっかりいなくなった、なぜだ?」
という質問もされた。
さあ、撤退したんじゃないすかね。



日の丸が描かれた看板もよく見るが、それよりも圧倒的に「USAID」と書かれた看板が多い。
今はアメリカも撤退したっぽいけど。



いろいろ不便は多いけど、やはり英語が通じるというのはいい。
田舎街で買い物するにもやり取りに困らないし、会話もできる。



シエラレオネ以来、毎日雨が降る。
こう暑いと、いっそずぶ濡れになって身体を冷やしたいし、自転車にこびりついた泥も流したいところだ。




Danane, Côte d'Ivoire

22071km