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2018年7月16日

タジキスタン → キルギス 国境越え

国境が見えてきた。


越境者は第三国の旅行者がほとんどで、この時は僕以外誰もいなかった。

今まで書いてこなかったが、タジキスタンの路上には軍のチェックポイントがちょくちょくあり、パスポートとビザの提示を求められる。
ビザは電子化されてスマホの画面を見せるだけでいいが、チェックポイントの軍人は古めかしいノートに手書きで情報を書き込むアナログスタイル。
この国境に最後のチェックポイントがある。

そのすぐ先にイミグレーションがある。
これまたお粗末なプレハブで、窓に手書きで「PASSPORT CONTROL」と張り紙されている。
パスポートを見せると、ここでも軍人はまた古めかしいノートに記帳する。

「カレア(韓国人)?」

僕が何も答えずにいると、「オイ! カレア!? オーイ!」と大声で吠え始めた。
僕は無言のままパスポートを取り上げ、「JAPAN」の文字を指でさしてみせた。
文字も読めねえやつが国境で仕事してんじゃねえよ。





イミグレーションが峠だと思っていたが、そこからさらに1kmほど登ったところが峠だった。
標高4336m。


中央アジアの国境には2kmほどの緩衝地帯がよくあるが、ここの緩衝地帯はなんと20kmもある。
理由はわからないが、キルギスのイミグレーションまで20kmも進まなければならない。
下りだから楽だけど。

もし、ここで通りすがりの旅人を殺したら僕は誰に裁かれるのだろう?



No Man's Land。
どこの国でもない、誰の土地でもない、空白地帯。

でも民家が現れちゃったよ。


ふつうに一家族、何なんだろこの人たち。


あら。


血の乾き具合から見て、死後まだ数時間。
腹はボヨンボヨンだから、背中から切り裂いてみるか。



内蔵ドババババ。
こいつほとんど内蔵だな。
小動物とは思えない大きな心臓、肝臓、腸がドバドバ出てくる。
肉なんかどこにあるんだ?
手脚も短いし、首まわりの肉を強引に削いだ。

コンソメスープでグツグツ。




いただきマーモット。


うまい!
いけるじゃん!
今まで食べたことのない初めての味。
次はもっと段取り良く捌いて、上手に肉を取れるようにしよう。

周囲のマーモットたち、いつも以上に大声でざわついていた気がする。
同族が食べらているの感づいていたのかな。



タジキスタンソモニ。




標高3400mまで下って、ようやくキルギスのイミグレーションが現れた。
パスポートを見せると、笑顔で日本語で「コンニチハ」と言われた。
こちらのイミグレーションも小屋みたいなもんで、眼紋だけ撮られて、質疑もなし、いとも簡単にスタンプが押されて入国完了。
60日以内の滞在ならビザ不要。

両国側ともに両替屋はいない。
キルギス側では最初の街サリタシュで両替可。
タジキスタン側ではどこで両替できるのか未確認。
ムルガブにはATMなし、ホログにはあるがまともに使えるのか怪しい。


Sary Tash, Kyrgyz



パミールハイウェイ 3











カラクル湖(標高3923m)。








すさまじい蚊の猛襲を受けて湖畔には近づけず。
サングラスの中まで入ってきて、顔も手足もボコボコに刺された。

湖畔の村がタジキスタン最後の村。
宿は何軒かあったが売店は閉まっていて何も買えなかった。
井戸で水は汲めた。





午後から向かい風が強まってきたので、早めにストップしてキャンプ。
この先キルギスとの国境まではスーパーウィンディ、との情報。
いつものパターンだと風が吹くのは昼から夕方にかけてなので、風のない早朝に出発して午前中には越境してしまう作戦。

朝、気温0℃。


気温0℃でこの川を渡れ、と。


靴の中を浸水させたくないので、爪先立ちでチョイチョイっと難なく渡れた。


作戦通り、無風の中を調子よく進む。







Sary Tash, Kyrgyz



2018年7月15日

パミールハイウェイ 2

ムルガブから北上。





北風。
緩やかな舗装道路を少しずつ登っていく。



ここから峠に向かって急勾配、そして未舗装化。


標高4300mを超えたが、こんなところにも人が住んでいる。


また強い商売っ気を感じたが、休みたかったし腹も減っていたので、お誘いに乗っかった。

やはりキルギス族。






後ろを振り返ると、5年前に新疆で見たムスターグアタ山(7546m)がここからも見えるという話を聞いたが、まったく見えない。


↓これ。


峠はあれか。


標高4655m。


一応、パミールハイウェイの最高地点なんだけど。
パミールの峠はなんとも殺風景、旅人の達成感など一笑に付される。
この点、チベット圏ではタルチョで盛大に飾り付けてあって気分も盛り上がったんだけどな。



とりあえず避暑。




しばらく下り、未舗装、向かい風。



標高4100m。
この風じゃキャンプは厳しいかなと思っていた夕刻、キルギスの遊牧民家が現れた。
中からお姉さんが出てきて、当たり前のように僕を中に入れてくれた。



モンゴルではゲルと呼ばれていたこの移動式住居、ここではユルトと呼ばれる。
つくりはまったく同じように見える。





マンティ、ヤクのヨーグルト、ヤクのバター。












僕はまだキルギスに行かないうちに、中国とタジキスタンですでにキルギス族にお世話になった。
自給自足しながら移動する遊牧民にとって、国家あるいは国境はどんな意味を持つのか。
キルギス族の独立運動なんて聞いたことない、我々と似た顔をしていてもその人生は想像を超える。
でもかれらは、タジク人でもなく中国人でもなくキッパリ「キルギス人だ」、と明確なアイデンティティを持っている。
(発音は「クルグス」、「ル」は軽く巻き舌っぽく聞こえる。)



翌朝出発しようとしたら、こんな看板があったのね。



Sary Tash, Kyrgyz