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2019年6月12日

アビジャン → アンカレッジ フライト

ドバイ、シアトル経由。
トータル37時間。
チケット13万4660円。

アビジャンの空港でチェックインする際、モメた。
僕はアメリカビザを持っているのでESTAは必要ないのだが、エミレーツのチェックインシステムにESTAの番号を入力する必要があるという。
そんなバカなはずはない。
今までここに来たアメリカ行きの便に乗る人でビザを持っている人は僕が初めてだとでも?
係員の対応はまた緩慢で、自分たちのせいじゃない、こういうシステムなんだ、むしろESTAを持っていない僕が悪いかのような態度すら見せ始めた。
それから帰りのチケットは持っているかとか、目的地の滞在先住所だとか、まったく無関係な尋問を始めて、イライラさせられた。
上司に電話してなんだかんだ長時間待たされた結果、ようやくチェックインができた。
チェックインできないわけがない、こいつらがやり方を知らなかっただけだろう。
エミレーツの職員ともあろう者が、幼稚でプロ意識のかけらもない。

それから、エミレーツは荷物の重量が寛容で、1個23kgまで無料。
ふつうは20kg制限でいつも苦労するのだが、3kgの差はでかい、今回は楽。
しかし自転車は重量にかかわらず有料、料金を聞いたらなんと14万5000CFA(27107円)。
自転車であるというだけでこんなとられたことはない、いつもだいたい5000円程度。
おかしい、またこいつらのミスなんじゃないか。

その後のイミグレーション係員の態度など、何もかもがクソだった。
空港でさえ、あのはきだめマーケットと重なって見えた。

少しはアフリカに対して名残り惜しさでも感じてみたかった。
「とっととこんなところ終わらせてしまいたい」という思いだけが押し寄せてくる。

最初の経由地ドバイは何も問題なかった。
次の搭乗券をもらってなかったのでここで発券してもらったら、ESTAの番号など何もゴチャゴチャ言われることなく、スムーズに発券された。
これが標準だ。

次のフライトは14時間。
14時間乗りっぱなしというのはきついものだ。

次の経由地シアトルでアメリカ入国審査。
前のフライト客が詰まっていたのか、1時間以上待たされた。
機械がたくさん並んでおり、各自機械でチェックインする。
ビザページをスキャンし、顔写真と指紋を撮影すると、レシートが出てきて、それを持ってイミグレーションへ行く。
簡単な質問だけされて、入国スタンプが押された。
6ヶ月の滞在許可。

アンカレッジ空港に到着したのは深夜0時。
空港泊。

朝、自転車の組み立てにとりかかる。

まず、輪行バッグのチャックに付けていたロックが破壊されていた。


こんなことされたのは初めて。
中に何が入っているかなんて機械に通せばだいたいわかるだろうに。

そして、リアディレーラーも破壊されていた。


バネがまったく効かなくなっており、チェーンにテンションがかからない。
これでは走行不能。

あまりにひどい。
人の物を何だと思っているのか。
次回からは輪行バッグの使用をやめて、面倒でもダンボールを探すべきかもしれない。


Anchorage, Alaska, USA

22394km



2019年6月6日

アビジャン

バスターミナルからすぐ近くの宿、8000CFA(1482円)。
荷物を持って階段を登ることもできず、全部手伝ってもらった。

ベッドに倒れ込むと、もうしばらく動けない。

状態は全然良くなっていない。
体温を計ってみると、38.5℃。
解熱剤、全然効いてねー。
何が1日3回飲めだ。

小一時間休んで動けるようになると、薬局へ行き、コアルテムを買った。


6錠入り3765CFA(698円)。

コアルテムは、2011年にアフリカを旅した時に中村さんに教えてもらったマラリア治療薬。
すぐに病院に行けないような状況で発症した時でもこれを飲めば治るという、広く知られた特攻薬。

なぜ今回はこれを買っておかなかったのか?
油断していたからです。

それから、病院でケツに注射されたのと同じのを今度は自分でする。
4セットもらい、1日1回。
自分で注射なんて初めてだが、たいていのことはYouTubeでやり方が紹介されている(でもほとんど腕か腹だった)。
幸い、日本で買ったマキロンがあったので、ケツにマキロンをぶっかけて、注入。
やればできる。

翌朝。
気分爽快、スッキリ。
体温は37.2℃、平熱。
さすがコアルテム、効果抜群。

熱が下がるとどうなるか、腹が減るのだ。
2日間ほぼまったく何も食べていない。
昼、トルコ系(?)ファーストフード店に行き、ハンバーガーとサラダとかいろいろ盛り合わせのセットを平らげた。

午後、医療関係で働く旅友のなおみさんから電話があり、いろいろ教えてもらった。
こっちの医者とは言葉の壁があるのでもらえる情報があまりに少なかったが、なおみさんと話して推測してもらい、大いにヒントになった。
医者からもらった解熱剤の写真を送ったら、これはその辺の風邪薬レベルのものと判明。

それで気になって、ケツ注射の薬の成分を見てみたら、コアルテムと同じものだった。
わざわざケツに注射するぐらいだったら、コアルテム飲んだ方がいい。
しかも注射って、3cmぐらい針を入れなきゃならないらしい。
前日の自己注射は、たぶん1cmぐらいしか入れてない。

結論としては、マラリアはコアルテムさえ飲めば一件落着?
僕も今回発熱した時が薬局が開いている時間帯だったらまず薬局へ行ってコアルテムを買っていた、というのは今さらの言い訳。

夕方、また食事へ。
宿周辺はまたドロドログチャグチャした狭い路地、でもマーケットカオスではなく生活空間。
本当にアフリカは子供が多く、そこらじゅうで子供が遊んでいる。
女性たちは、これからパーティですかってぐらいオシャレだ。



コートジボワールで入ったレストランは、モーリタニア、中国、トルコ。
地元民はレストランというものをつくらないのか。

屋台ではBBQをやっているが、米とかパンとかはなく、肉とか魚だけ焼いている。


ここはチキンと野菜を混ぜて炒めておいしそうだったので、持ち帰って宿で米を炊くことにした。



うまい、と思ったら、カッラ!
なんでもかんでも辛くしなきゃ気がすまないのか、西アフリカ人は。

翌日。
できるだけ空港に近い宿に移動。









しかし、しばらく走って、空港へ至るどのルートも高速道路になっており、断念。
やむをえず引き返し、ちょっと高いが別の宿へ。
ここでパッキングをすませ、フライト当日はタクシーで行くしかない。

最後なのでマンゴーパーティ。




翌日、英語を話すひとりの男がタクシーを呼んでくれたり、あれこれ手伝ってくれた。



ジュドニ。




日本にいた時85kgあった体重が、現在66kg。
医者がマラリアの薬よりも大量のビタミン剤を僕に与えたのは、どうやら栄養失調だったからのようだ。

セーファフラン。




アフリカ走行。


完全陸路縦断または一周が困難とはいえ、いずれも尻切れトンボに終わってしまっているのは僕のアフリカに対する思いの中途半端さの表れかもしれない。


22351km, Abidjan



2019年6月4日

コートジボワール

ダナネの先は、一応舗装道路だが損傷が多く、走りやすくはない。
そのうちシノワがきれいにしてくれることだろう。
勾配はきつくはないがフラットはほとんどなく、ひたすらアップダウンの繰り返し。
変わり映えのない風景、面白味のない風景、似たような農村。

まだ体が重く、ダルい。

コートジボワールの子供も、至近距離までは近づいてこない。
ちょっと僕を慕って追いかけてきたこの子たちも、僕の方から近づこうとして距離が3mほどになると表情がこわばる。



どんだけ怖がりなんだよ。

マンという街。


首都でもない地方都市なのに信号がある。


街を歩いていると、「シノワ! シノワ!」とうるさい。



「シノワ! シノワ!  ・・・ジャポネ!」
切り替えてんじゃねえよ。
たしかにジャポネだが、ふつうにハローとかボンジュールとかいうあいさつできないのかね。



セネガルでよく飲んだ紫色のジュース、ビサップがここでも売られている。


揚げ物屋さんで「写真撮らせて」とカメラを向けたら、「キャー!」と逃げていく。


しばらくキャーキャー笑っていたが、落ち着いて改めてもう1枚。


7500CFA(1389円)の宿で1泊。
コートジボワールではどこの街でも電気水道が24時間使えるようだ。
Wi-Fiはない。





この日も変わり映えのない風景、アップダウン、クラクション。
そしてまだダルい、パワーが出ない。

ドゥエクエという街で1泊。
生活水準は上がったが、食は逆に乏しくなった。
まともにちゃんと食べたい。
自炊しようにも、食材もろくに手に入らない。

街をさまよっていたら、ファーストフード店を発見。


2000CFA(379円)。
久々に人間らしい、いや失礼、まともな一食。
これも別に特徴のないチキンとポテトとサラダだが、モロッコや西サハラでよく食べた定番メニュー。
店主はアラブ人っぽく見えたので出身を聞いたらモーリタニア人だった。

今は胃袋が縮小しているので、この量でも満足。
この世に生を受けて以来、こんなにも低燃費な体質になったのは初めてだ。
でも元の自分に戻りたい。

翌日。
依然、体力回復せず。
アップダウン、何の感銘も受けない風景。

田舎道でも人の往来が絶えず、どこにいても常に見られ続ける。
休憩場所を見つけるのも一苦労。
5分、いや3分だけでいい、誰からも見られず木陰で座って休ませてほしい。

なんでそんなに見る?

いかん、イライラしてるな。
落ち着け。
ストレスをためすぎたら、それは自分に原因がある。

ダロアという街。
適当に入ってみたレストランがなんと中華だった。


オーナーは中国人だが料理をつくるのはコートジボワール人。

ショボっ。


これで6000CFA(1112円)とは、ずいぶんだね。
現在胃袋縮小中の僕でも、これはお子様サイズにしか見えなかった。

この日の深夜、発熱。
苦しくてなかなか眠れず。
風邪の症状はない。
頭痛もない。
腹も異常ない。
ただ発熱。
熱帯で発熱となると、まさかマラリア?

朝、とりあえず薬局に行うと思ったら、よりによって今日は日曜日。
病院も薬局も閉まってる。
仕方ない、ここにもう1泊して、明日薬局に行くか。

しかしその後、ベッドで横たわっていたら、症状はさらに悪化。
苦しい。
これはふつうじゃない、治療を必要とする病気だ。
病院はたくさんある、1軒ぐらい日曜日もやってるところがあるはずだと思って調べたら、あった。
フラフラの状態でレセプションまで言って事情を説明し、病院まで送ってもらった。

病院に着くと、僕は急患扱いですぐに診察してもらった。
熱を計ると、39℃。
こんな高熱初めてだ。
というか熱を出すこと自体、最後に熱を出したのが何十年前なのか記憶にないぐらいだ。

診断は、マラリア。

点滴を受けて数時間安静。


少し楽になった。

念のため、マラリアについて。
ハマダラカという蚊に寄生するマラリア原虫が人間の血液に侵入し、赤血球を破壊することで起きる病気。
他の病気と併発すると致死率が高まるので、発症したら24時間以内に治療を始める必要がある。
日曜だから病院やってない、じゃすまされない。
ワクチンはないので予防接種はできない。

医者も英語を話せないのでよくわからないが、なんとか理解を試みる。
まず体内のマラリア原虫を殺す注射を4セットもらった。
そして解熱剤、体温計ももらえた。
それから「君は疲れている」とビタミン剤をたくさんくれた。
たしかに、疲れてた。
たいした診察しなかったのによくわかったね。

総治療費は、3万2000CFA(5937円)。

点滴で少し楽になったとはいえ、まだキツイ。
宿に戻ってベッドに横たわると、もう起き上がれない。
震えるほどの寒気。
そうかと思うとその後熱くなって汗でぐっしょり濡れる。
その後また寒気。

一度ぐらいは風土病になってみたいものだとかバカなこと言ってた時もあったけど、やっぱろくなもんじゃないな。
西アフリカには蚊帳のある宿が多かったけど、日々蚊に刺されまくってた。
潜伏期間もあるし、どこでやられたかなんてわかりゃしない。

さて、問題は、出アフリカのフライトチケットをすでに買ってしまっていることだ。
それまでの短期間でこいつをなんとか治さなければならない。
ここダロアから首都アビジャンまで370km、バスで行く。

翌朝。
熱は38.5℃。
解熱剤が効いていてこの熱なのか、まったく効いていないのか。
平熱が37℃台の僕にとってこれは高熱といえるのか。
いずれにせよ、まだとてもしんどい。
自転車こぐどころか、荷物を運ぶことすらできない。
宿の人にお願いして、タクシーでバスターミナルまで送ってもらった。

UTBという大手バス会社で、アビジャン行きバスがある。
チケット1万6100CFA(2985円)、自転車2100CFA(389円)。

アフリカでよく見るぎゅうぎゅう詰めのハイエースなんて死んでも乗りたくないが、これは中国製の大型バス。
椅子は傾けることができず、足を伸ばすこともできず、快適とは言いがたいが、アフリカではこれが最上級。

9時出発。

僕は3連シートの通路側の席を確保した。
しかしよりによって、「男男男」。
他のシートを見ると「男子供女」とか「男女女」とバランスが取れているのに。
案の定、僕の隣の男も、その隣の男も、荷物をどっさり持ち込んで腕と足を広げ、僕の領土をグイグイ侵犯し、通路に押しやろうとする。
僕は必死に押し戻して自分の領土を奪還する。
男は身を引くが、しばらくすると僕の腕に自分の腕を乗っけてくる。
「ねえごめん、熱があって身体が痛いんだ、腕乗せるのやめてくれる?」
健常な時でも許されざる行為だ。
だから公共の乗り物って嫌だわ。
そしてたいていこういうヤツは車内で電話する。

車内にはテレビがあり、アホかと思うほど爆音でドコドコ系ミュージックビデオを流す。
健常時でも嫌なものだが、重病時はさらにこたえる。
運転手も他の乗客たちもマラリア患者が乗っていることを知っているが、いや他に赤ちゃんや老人も乗っているが、尋常でないノイズ耐性を持つアフリカ人は何ら気にもとめないのだろう。

そういえば、西アフリカでは音楽にも感銘を受けなかったな。
アフリカ東部や南部では、通りすがりの人の歌声を聞いただけでも、鳥肌が立つほど比類ない才能を感じたものだが。
西アフリカでは特に印象に残るものもなく、録音もしていない。

路面はやはり損傷が多く、スピードが上がらない。

憲性上の首都ヤムスクロ(事実上の首都はアビジャン)に着くと、隣の男が降りてくれて、ようやくゆったりできた。
ここからアビジャンまでは高速道路で、調子良く進む。

15時すぎぐらいにアビジャンに入ったが、中心地はやはり大渋滞で、終着ターミナルに着いたのは16時だった。
ターミナルから一番近い宿に投宿。
いやー、しんどかった。
が、なんとか乗り切った。

瀕死状態だったので後半まったく写真を撮ってません。
今日はだいぶ回復してブログ更新できるぐらいにはなりました。


Abidjan, Côte d'Ivoire



2019年6月1日

ギニア → コートジボワール 国境越え

ギニア側
手作り掘っ立て小屋のポリスで出国スタンプをもらう。
「どこから来た?」
「ヌゼレコーレ。」
「あーん?」
「・・・」
「どこから来た?」
「ヌゼレコーレ。」
「あーん?」
その「あーん?」って言うのやめてくれないかね野蛮人。
はっきり明確に答えてるんだから一度で聞き取れよ。
そもそも手前の大きな街はヌゼレコーレ以外ないじゃないか。
警官は僕のパスポートを隅から隅まで見ながら、また無意味なノート記入。
スタンプするまで10分もかかった。
1kmほど進んだところでミリタリーチェック、パスポートを見せるだけで何もされない。

コートジボワール側
ギニアと違ってイミグレーションの建物は新築で真新しく、周囲の風景に溶け込んでいない。
窓口でまたノート記入。
職業、滞在先、日本の住所、日本の電話番号、あれこれ聞かれてスマホで顔写真まで撮られた。
えらい時間をかけてノート記入が終わったと思ったら、「コートジボワールのビザはどこだ?」
僕はイラッとしてパスポートを取り上げてビザのページを指さし、「遅いよ、とっとと終わらせろ。」

それから建物の反対側にある窓口に行けと言われた。
何このムダな手順。
反対側の窓口に行くと、「座れよ。」
「座れよじゃない、とっとと終わらせろ。」
僕は立ったまま睨みつけ、早くスタンプするよう促した。
信じがたいことに、またノート記入を始めた。
「職業は?」
「いいかげんにしろ。さっき同じこと聞かれたよ。」

何のためにビザを取ったと思ってるんだ。
高い金払って2日も待たされてビザを取ったんだぞ。
その時点で入国許可は出てるんだ、ここでやるべきことはビザページを確認してスタンプするだけ、10秒で終わる。

と言ってやりたかったが英語通じなさそうだったし、こんな末端の係員に文句言ったところでどうにもならない、とにかく急がせた。
「Time is moneyって知ってる? これ以上時間かけたらこっちから賄賂要求するぞこのウスノロ。」
イライラ全開の僕に苦笑する係員もいたが、ノート記入してるヤツにはもう質問させず、ちょっとでも動きが止まったら「早くしろバカ」と急かして、ようやくスタンプをもらえた。

所要トータル50分。

両替屋は確認しなかった。
コートジボワールの通貨はセネガルやギニアビサウと同じCFA。
余るほど持っていたので両替の必要はなかった。



カタカナで「コートジボワール」と言われても何のことやらわからないが、フランス語の「Côte d'Ivoire」を英語にすると「Coast of Ivory」、つまり「象牙海岸」。
英語では通常「Ivory Coast」と呼ばれる。

15世紀にオランダ、ポルトガル、イギリスなどがここで象牙と奴隷の貿易をおこなったことから「象牙海岸」と呼ばれるようになった。
ちなみにガーナは「黄金海岸」、ベナンやトーゴなどは「奴隷海岸」など、オブラートに包まないストレートなネーミングがなされ、コートジボワールだけが当時の名称をそのまま国名とした。

19世紀からフランスの植民地となり、1960年独立。
初代大統領の功績で経済は好調に成長し、西アフリカでは優等生国家。
しかし初代大統領の死後、クーデターや内戦が1999年から2011年まで続き、政情は不安定であった。

ひどい道。


街までまだ50kmもあるというのに。
国境越えでいつも以上にイライラしてしまったのはこのせいもある。
日没までに街にたどり着けるか、時間をムダにせず進みたかったからだ。

しかしまもなく舗装復活。


できたてホヤホヤのニューロード。
これなら日没前に街に着ける。
サンキュー、シノワ!



ここでは、「バブーバブー」と呼ばれる。
もはやギャグのようだが、子供たち、時に大人も、僕を見て「バブーバブー」と声を上げる。

また、「トゥリスト」とも呼ばれるようになった。
旅行者に対して「旅行者!」と呼びつけるのも奇妙だが、間違いではない呼び方をされたのは初めてだ。
「バブー」はどうせ「白」だろうよ。

アフリカでは人を呼ぶ時に「スッ」と歯の間から息を出す、と以前書いたが、いつしか「スッ」ではなく「チュ~」と吸い付くような音を発するのが主流になった。

「チュ~、チュ~」
「バブーバブー! バブーバブー!」
「チュ~、チュ~」
「トゥリスト! トゥリスト!」

僕は日没までに街へたどり着こうと必死なんだから、あまり笑わせないでくれ。

無事ダナネに到着。


思ってた以上に舗装箇所が多かったおかげだが、悪路とアップダウンと国境越えありでよくぞ130km走った!

Hotel Graceで2泊。
1泊5000CFA(923円)。
良心的じゃないか。

そしてありがたいことに、電気が24時間使える。
首都でもない地方都市なのに。
確実に今までよりレベルアップした感触。
経済が正常になれば物価も正常になる。
あくまで比較だけど。



サンドウィッチ、なぜかタダでくれた。


主食は米じゃないらしい、何だろうこのおからみたいなの。


またOrangeでSIM購入。
12GBで1万CFA(1846円)。
ただし午前6GB、午後6GBで打ち止め、という午前と午後で別々に制限を設けている変わったプラン。
僕なんかは圧倒的に夜ネットすることが多いから、朝も使うようにしてバランスをとる必要がある。
ショップの人は英語が話せた。

ドッと疲れが出た。
酷暑、未舗装、山道、栄養失調。
でもこの先のルートは楽勝と思われ、安心したら緊張がほぐれて、体が重くダルくなった。


Duekoue, Côte d'Ivoire

22235km