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2018年6月12日

ウズベキスタン → タジキスタン 国境越え

サマルカンドから東へ40kmほどの国境。
両国側ともに国境の街がないので、ここの地名は不明。

両替
ゲートの手前で両替屋が群がってきたので、余ったスムをタジキスタンソモニに両替。
レートが良いのはこちらがドルを渡す時だけで、現地通貨を消化する両替はいつもレート悪い。
両替屋たちも「なんだ、ドルじゃないのか」とテンション低。

1ソモニ=12円

久々に、計算しやすい健全なレート。

ウズベキスタン側
イミグレーションではまずアンケートがある。
かなりの数の質問をされ、これが一番時間かかった。
質問の内容は、ウズベキスタン旅行で何をしたか、どうだったか5段階で評価せよ、など。
観光国ウズベキスタンの今後の参考にするのだろう。
やる気満々なのはいいが、国境越えでアンケートでこんなに時間を取らせるのか。

アンケートが終わったら、パスポートコントロールで出国スタンプをもらう。

滞在登録(レギストラーツィア)について。
ビザフリー化でオープンにはなったが、滞在登録は依然として義務付けられている。
すべての宿泊先で小さな紙切れに記録してもらって、それを保存しておくだけでいい。
6年前の経験から言わせてもらうと、野宿や民泊などで滞在登録に空白ができると、次の宿泊先で宿泊拒否される可能性がある。
1日ぐらいの空白だったら見逃してもらえるが、2日以上の空白があると宿泊拒否あるいは通報されそうになり、なんとか事情を説明して見逃してもらったこともあった。
今回は全日程ホテルに宿泊したので滞在登録に空白はなし。
出国の際、6年前は空路での出国だったが、滞在登録は一切チェックされなかった。
今回は陸路だったが、パスポートコントロールで滞在登録の提示を求められた。
細かいチェックはされなかったが、やはり一応保存しておくべきではある。

ちなみにここの国境では、日本人がビザ免除になったことは全然周知されておらず、パスポートを見せるたびに「ビザはどこだ?」と聞かれた。

タジキスタン側
パスポートコントロールでスマホでビザを見せて、入国スタンプをもらう。
完了。

越境者は少なく、待つことなくスムーズにこなせた。

タジキスタン側には両替屋らしき者はいなかった。


Penjakent, Tajikistan

4214km



2018年6月11日

サマルカンド

レギスタン広場。


どっしりとした風格、それでいて緻密で、均整のとれた美しさ。
二度目でも、立ち止まってしばし見とれてしまう。

相変わらずロープが張られている。
広場のくせに自由に出入りさせず、外国人だけ入場料を取ってやろうというその根性、やっぱり気に入らん。
意地でも入ってあげないんだから。





サマルカンド・ブルー。







ペルシャの顔料と中国の陶磁器が融合して生み出されたこの青は、まさに文明の十字路を象徴している。





6年前は雪とのコントラストでまぶしかった。


今は花々で彩られて、やっぱりまぶしい。




BC10世紀からソグド人のオアシス都市として発展し、数世紀にわたって繁栄を続けた。
13世紀にモンゴルによって徹底的に破壊され、人口の4分の3が殺された。
14世紀にティムール帝国の都となってから復興が始まり、モスクや神学校、天文台、墓廟などが建設され、再び栄華を迎えた。









かき氷!


3000スム(41円)。


プロフ、2万スム(275円)。


プロフ、2万スム(275円)。


ラグマン、1万スム(137円)。


決して意図したわけではない、気付いたら6年前と同じ店で同じ品を注文していた。
写真を撮る場所もアングルも当時と変わってないし、成長してないんだな。











2013年の新年はここで迎えた。





通りはとてもにぎやかだ。
こんな人の多いところで、自転車やらセグウェイまがいの乗り物やらを乗り回している。
クレーム大国日本だったら即規制だろうな。



6年前と同じ宿に泊まってみたが、最低の宿に成り下がっていた。
1泊だけして翌日すぐに別の宿に移動。



屋上からはレギスタン広場も見える。




この宿で出会った日本人夫婦から味噌汁をいただいた。
4ヶ月ぶりの和。
おいしくておいしくて、一杯の味噌汁に顔がにやける。

ここはやけに落ち着く、居心地いい。
もう少しいたいけど、タジキスタン入国日は明日。


Samarqand, Uzbekistan



2018年6月8日

農村地帯

ようやく風が弱まった。



6年前の記憶、そんなに失ってはいないと思うのだが、ウズベキスタンってこんな感じだったっけ。
あの時は雪と氷に覆われていたので風景が違うのは当然なのだけど、一度通った道とは思えない。
家や店はこんなこぎれいだったかな。
すれ違う車にクラクションを鳴らされるのは少なくなった。
窓を開けて手を出してあいさつしてくれる。
自転車に乗った少年に追跡されることもない。
イヌに追われることもない。
6年で一体何があったのか、ずいぶんソフィスティケートされたもんだ。

時折現れるバス停の日陰で休憩。

どこからともなく人が集まってきて質問攻めされる。



こんな農業大国だったとは。







二重内陸国のウズベキスタン。
海は遠く、川は海に到達せずに消失してしまうらしい。

やっぱ暑い、すごく。
でも短い間隔で道端に店が出ているので水分補給は心配ない。


アイラン、2000スム(27円)。

トルコやイランでもそうだが、こっちの飲むヨーグルトは酸味が強くて甘味がなく、なぜか野菜やハーブが入っている。
おいしくないというよりは、なぜこんな飲み物をつくるのか、存在理由が理解できない。


強い日差しから逃げ場がなかったイランやトルクメニスタンとは違い、木陰がある。


こんなところにも売店。

ペットボトルの蓋を開けたら、ストローが入っていたのでびっくり。

飲みづらい。

ラグマンっていろんな種類があるんだな。

コーラ1Lとサラダも合わせて2万3000スム(317円)。






Samarqand, Uzbekistan

4153km