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2018年11月25日

モラビア

スロバキアのスーパーの前でシューアイス20個一気食いしてたらおじさんが20ユーロくれた。



シューアイスが幸せを招く因果関係についてはともかく、厚意を受けてばかりの日々、どうしたものか。

チェコ入国。

国境に両替屋あり。
EU加盟国でもユーロを導入していない国は多い。
スロバキアはユーロだが、チェコは自国通貨を使用している。



チェコの西部はボヘミア、東部はモラビアと呼ばれる。

9世紀に大モラビア王国が成立したが10世紀にマジャル族によって崩壊、その後ボヘミア王国が成立、16世紀にハプスブルク家の支配下となった。
第一次世界大戦のオーストリア・ハンガリー帝国解体によりチェコスロバキアとして独立。
第二次世界大戦でドイツに併合されたがその後復活、冷戦期はソ連の影響下に置かれた。
チェコとして独立したのは1993年。

チェコのことを正式名称で「Czech Republic」と呼ぶ人が多い。
リパブリックを付けてワンセットにしないと落ち着かない発音なのかもしれない。

工業国であり、自動車メーカーのSKODAが有名。

スロバキアやポーランドと同じく、スラブ系、カトリック。

自転車道、再び。

どうせ長続きせず消滅してしまうので一時の気休め程度だが、それでもこれがあるとホッとする。
チェコやスロバキアは、自転車道がない一般道でも比較的走りやすい。

雨天のため、キャンプにくじけて宿泊。
ホームステイのような感じの一軒家。

キッチンも自由に使える。

500コルナ(2469円)。
他に客はおらず、一軒家を独占できてこの料金ならリーズナブル。

外国人はまず来ないような小さな田舎街だが、すれ違った若者から「コンニチハ」と言われた。
やっぱりうれしいものだな。

天気悪。

ポーランドはほとんどフラットだったが、チェコはほとんどアップダウン。


首都プラハに次ぐ主要都市ブルノ。
かつての大モラビア王国の都であった。
ここはクルト・ゲーデルの生地。


ゲーデルの生家。

20世紀前半、ウィーンを中心とする界隈にはアインシュタイン、フォン・ノイマン、ウィトゲンシュタインといった第一級の天才がゴロゴロいた。

数学を完全で無矛盾なシステムとして築き上げようとしていたこの時代に、不完全性定理を炸裂させてその不可能性を証明したことは、相対性理論と肩を並べるほどのパラダイムシフトであった(ゲーデルショック)。

その天才の生家には、あまりにささやかなプラークが掲げてあるだけ。

ゲーデルが7歳の時に移り住んだ家。

今はふつうに誰かが住んでいるっぽい家だが、ゲーデルのプラークが見えた。


ゲーデルが生まれた頃、ここはオーストリア・ハンガリー帝国であり、その後チェコスロバキアとなった。
そもそもゲーデルはドイツ系であり、当時はこの地の支配者階級、しかもその後アメリカに永住したのでチェコ人としての民族意識はなかったのではないかと思われる。
チェコとしてもそんなゲーデルを派手に祭り上げようとする姿勢は見られない。
それはともかく、業績の偉大さと知名度の低さにここまでギャップがあるのはまったくもって不思議である。


Brno, Czech

11043km



2018年11月23日

ポーランド 3

お世話になりました!


奥さんがおにぎりをつくってくれた。
何よりもありがたい。

依然としてポーランドの道は険しい。
幹線道路が高速に切り替わると、それに並行する一般道があるのだが、その一般道がプツリと途切れてしまうこともめずらしくない。
道を探し求めて、魔境のようなところに導かれることもある。


日中1℃。
ダウンを着るようになった。

日照時間の縮まり方が尋常じゃない。
日没は15:40。
1日100kmペースが厳しくなってきている。

2012年にクロアチアのドゥブロヴニクで出会ったポーランド人サイクリストから連絡があった。
↓左の人。


あの時は路上で立ち話だけして別れ、それっきりだったのだが。

彼、マ・チェはクラクフの西80kmほどにあるカトヴィツェという街に住んでいる。
僕が進む方向とは少しずれるが、せっかく招いてくれたので彼の家に向かうことにした。

しかし、同じ道ではないにしても似たような道を戻るのはダルい。
すると彼は僕の心中を察したかのように、車で迎えに行くよと言ってくれた。
迎えに行くと言っても200km以上あるのだが、彼は仕事で多忙の中、来てくれた。
しかも、家には生後10日の赤ちゃんもいるという。
6年前にすれ違っただけの旅人にどうしてここまでしてくれるのか。

家に到着したのは深夜になってしまって、残念ながら奥さんと赤ちゃんにお目にかかることはできなかった。

マ・チェは翌日仕事でスロバキアまで行くので、ついでに乗せていくよと言ってくれた。
僕はとりあえずチェコのプラハへ向かう。
彼の家から出発してもスロバキアから出発してもプラハまでの距離は大差ないが、スロバキアからのルートの方が魅力的に思えたので、連れて行ってもらうことにした。



そんなこんなで彼との再会の時間はほとんど車の中になってしまったが、会話もはずみ、楽しいドライブだった。



ポーランドズォティ。




そんなわけで、スロバキアに再入国。

だいぶ南下して気温上昇、6℃もある。
ダウンを着ていると暑い。
やっぱり0~2℃ぐらいが適温だな。

明日にはチェコに入国する。


Piestany, Slovakia

10883km



2018年11月11日

スロバキア 2









スロバキアはちょっとした山国だが、標高は高くなく、勾配も激しくない。

標高1000mほど。


しかし山道でも交通量は半端ない。
常に車の音が聞こえてくる。







まだサクランボほどのサイズの子リンゴ。




オラヴァ城。













Krakow, Poland

10434km



2018年11月9日

スロバキア 1

スロバキア入国。


シェンゲンエリアなので国境にはイミグレーションも検問もない。
この先の国の国境も同様のはず。

国境はやはりドナウ川。


中世はハンガリー王国の支配下、近代はオーストリア帝国の支配下、20世紀初頭にチェコと合同でチェコスロバキアとして独立したが、冷戦期はソ連の影響下にあった。
スロバキアとして独立したのは1993年。
人口540万人の小国。
通貨はユーロ。

言葉は再びスラブ語系。
「こんにちは」を意味する「ドバルダン」が聞こえてくる。
このあいさつはセルビア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナなどと同じ。





のどか。



この辺りはもう、北海道より緯度が高い。
日没が早いので、15時半ぐらいにはストップして寝床を見つけなければならない。

いい感じの森。


道路からだいぶ離れているので車の音も聞こえず、人気もなく、木の密集度もちょうど良く、落ち葉の踏み心地も良く、気候もすごしやすく、これだけ条件そろうとフッと気が安らぐ。

夜、テントのそばを大型動物が走り抜ける足音が頻繁に聞こえた。
姿はとらえられなかったが、シカだと思う。



















もぎたての野リンゴ、想像以上に甘くてジューシーでびっくりした。

スロバキア、印象が薄くてイメージが湧かない国だったけど、なかなかいい。


Oravsky Podzamok, Slovakia

10295km