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2019年12月8日

アメリカ(サンディエゴ) → メキシコ(ティフアナ) 国境越え

メキシコ国境まで35kmほど。
距離は短いが、信号が100%赤で全然進まない。
すべての信号は僕が近づくと絶妙なタイミングで赤に変わるように誰かが意地悪している。

最後にウォルマートに行ってココナッツクリームパイを探してみたが、なかった。
もう死ぬまでココナッツクリームパイを食べることができないのかと思うと、無念極まりない。

メキシコの街が見えてきた。


過密、密集。
アメリカとは明らかに違う。
北米と中南米という異世界が、この国境で露骨に線引きされている。

イミグレーションは自動車用と歩行者用とあり、自転車は歩行者用の建物へ行く。
段差がなくスロープになっており、キャスター付きの荷物を転がしている人や自転車にもやさしい。
特にわかりづらいことはなく、流れについて行く。

なんとアメリカ出国手続きがなく、いきなりメキシコ入国手続きから始まる。
律儀にアメリカ滞在期限を守ったのだが(アラスカ入国からジャスト6ヶ月)、オーバーステイしていたとしてもお咎めなしなのか、それともメキシコ入国手続きの際にアメリカ出国もデータとして記録されるのか?

流暢とは言えない英語でメキシコ人の係員が対応する。
質問されたのは、「どこへ行く? メキシコシティ? 自転車で!? マジで!? 何日かかるの?」
以上。

入国カードに記入し、隣の銀行窓口で$29.65または558ペソを払う。
レシートをもらってまた係員のところへ戻り、入国カードを切り離した半券をもらい、パスポートにスタンプが押されて完了。
入国カード半券と銀行レシートは保存しておく。

6ヶ月以内の滞在であればビザ不要。
ビザ不要とはいっても、ここで払わされた$29.65は一体何なのか、このせいでビザ不要のお得感がない。

荷物をすべて外して、ベルトコンベアに流して機械でチェックされ、外に出る。
混雑はしておらずスムーズに流れ、所要トータル15分。
逆にメキシコからアメリカに入国する場合は、厳重にチェックされ、長時間かかると思われる。

13年前は、メキシコ湾側のブラウンズビルという街からマタモロスという街へと越境した。
あの時はアメリカ出国手続きのみでメキシコ入国手続きがなく、そのまましばらく進み続けたら検問で捕まり、入国手続きをしてこいと国境まで戻るハメになった。
国境まで戻って入国手続きする建物を探したが、看板も案内も何もなく、人に聞いてようやく見つけた。
アメリカからメキシコに陸路で入った場合、検問エリア以内でかつ72時間以内であれば入国手続きなしで滞在できるらしい、当時はそんなこと知るよしもなかった。
記憶が定かではないが、料金の支払いもなかったように思う。

場所による違いも時代による違いもあると思う。
とりあえずパスポートにスタンプが押されたので問題ないだろう。

アメリカドル。


日本の友人から、1ドルコインと50セントコインが欲しいとの依頼があった。
1ドルコインはごくまれに見るが、50セントコインなんて存在していたことさえ知らなかった。
地元の人に聞いても皆首をかしげるし、大きめの銀行を数軒あたってみたが、どこもないと言う。

最後にサンディエゴで何気なく入ってみた小さな銀行に、50セントあった!

1ドルコインはそこまでレアではなく、銀行にけっこうストックがある。

100ドル紙幣と50ドル紙幣は、他国の両替屋では難なく入手できるが、アメリカではあまり見かけない。
ATMから出てくるのは基本的に20ドル以下の紙幣。
偽札防止と、あとカード社会なので高額紙幣はあまり流通させていないのだろう。

アメリカ出国直前にATMで引き出したら、1枚だけ100ドル紙幣が出てきた。
 

下のコインは、左からシルバー1ドル、ゴールド1ドル、50セント。
ゴールド1ドルは歴代大統領の肖像など、デザインが多様。
50セントはケネディの肖像で、他のコインに比べて突き抜けて大サイズ。




Tijuana, Mexico

34189km



2019年12月6日

サンディエゴ

アメリカ最後の街となるサンディエゴ。


LAよりサンディエゴの方がメキシコに近いのに、こっちの街並みの方がアメリカ的でメキシコっぽさは感じない。


調べたところ、最安のホステルが$26。
連泊するには高すぎるので、なんとしてもWARMSHOWERSを見つけるべくリクエストを送りまくり、見事ひとりだけ了承してくれた人がいた。

街の中心からはやや離れた住宅地。
庭でテント泊。

離れの小屋にトイレ、シャワー、ランドリー、コンセントあり。
Wi-Fiもあり。

ホストは年のいったおじいさんで、自転車には興味ないが旅人を泊めるのが好きで、過去に多くのサイクリストがここで停泊していったようだ。

自転車パーツはまだ摩耗しきったわけではないが、中南米突入前に整備しておきたい。
ホスト宅から徒歩圏に自転車屋がある。
ここで、シュワルベMARATHONのジャストサイズを発見してしまった。
ラスベガス近辺で散々探して見つけられなかったのに、今かよ。
ここでタイヤが摩耗してシュワルベに履き替えてメキシコインできたら理想だったのだが、そううまくいくものでもない。
次にこれを見つけるのは一体どこになるやら。
かなり悩んだが、結果買わないことにした
とりあえず今履いているコンティネンタルのタイヤを信じよう。


パーツを取り寄せるのに3日かかるということで、待機。
中心地の大きな自転車屋だったら待つことなくパーツをそろえることができたかもしれないが、ホスト宅からあまりに遠い。
滞在費はかからないから、これを機にゆっくり休むのもいい。
家の中だとなにかと気を遣ってしまうが、テントの中なら何も気にせず思いっきりダラけられる。

徒歩圏にスーパーがあるのはラッキーだが、やはり高い。
アメリカは、ウォルマートと1ドルショップがないと出費がひどい。

最後にどうしても、ココナッツクリームパイを食べてからアメリカとおさらばしたいのだが、最近全然見かけない。
悲しい。
チャイニーズビュッフェも、あることはあるが近辺にはない。

自転車がないので、遠くの店には行けない。
あったとしても、とにかく街の規模が大きいし高速トラップが網羅されているので気軽には動けない。
電車でどこでも行ける東京って便利だなと思った。

まだ車を運転できない少年少女たちは、自宅から自力で行ける範囲ってすごく狭そう。
そういうとこはスタンドバイミーの時代から変わってないんじゃないかな。

また天気が崩れ、雨。
ホストにランチに連れて行ってもらった。

IN-N-OUTというチェーン店。
日本で例えるならモスバーガーだろうか。
手作り感があり、オーダーしてから出てくるまでけっこう待った。
マクドナルドよりは本物っぽいハンバーガーだった。
店員の対応もちゃんとしていた。

駆動系一新、完了。

アメリカ滞在期限が12月6日。
今日は5日。
自転車屋にも事情を説明して、なんとか期日内に済ませてほしいとお願いしていた。
旅をしているとこういう約束もいとも簡単に裏切られることが多いのだが、さすがアメリカ、きっちり仕事してくれた。

3日間、短い外出はしたものの、ほぼテントにいた。
やることなくても、退屈するわけでもなく、たっぷり寝てネットやってると、あっという間に時間はすぎていた。

明日、メキシコ入りする。


San Diego, California, USA



2019年12月3日

オーシャンロード

こういう行為は周囲の人を不快にさせる、という想像力の欠如した労働者たちの宿はやはり落ち着けなかった。
アメリカで$18の宿となるとここまで堕ちるということがわかった。

朝、出発する時に知人から連絡が入った。
「あなた今LAにいるの? 私の友達が住んでるから泊めてもらえるかもよ。」
なんだかいろいろうまくいかない時ってあるもんだな。

ロサンゼルスの大都市圏を出るまで50kmほど走らなければならなかった。
その間、街はどこまでも汚く、ゴミが散乱し、路面は荒れ、浮浪者たちがうごめいていた。

カリフォルニアは、この一州だけでGDPはイタリアの一国に匹敵し、世界のトップ10に入るほどだという。
シリコンバレーやらハリウッドセレブやらが莫大な富を生み出しているのだろう。
おまけに資源まであるのだから、豊かでないわけがない。
裕福で物価の高い国は今までも旅してきたが、こんなにもゴミと浮浪者であふれている先進国は他にない。
浮浪者はほとんど黒人。

アメリカは白人が開拓して支配層となり、超大国となって君臨してきた。
概して白人は、裕福で親切で礼儀正しく教養もあり、接していて気持ちがいい。
しかし、先住民を駆逐してきたこと、メキシコの領土をぶんどったこと、黒人を奴隷として使ってきたこと、そういった歴史が生み出した歪みは今も解消されていない。

カリフォルニアのIT産業やエンターテイメントには世界中が恩恵を受けてきたが、まずカリフォルニアは自分のところのインフラぐらい整えたらどうだろうか?
あふれた無職の人たちに道路のメンテナンスとか、仕事を与えることはいくらでもできそうだけどな。
街の清掃とかはどうなんだろう、どうすることもできないまま時は流れていくのだろうか。

爆弾低気圧の後、山々は白く染まっていた。


しばらくビーチリゾートが続く。
もう浮浪者はおらず、海に面して豪邸が並ぶ。
イメージ通りのアメリカのウエストコースト。

都市圏を出たのに、信号の多さに辟易する。
信号はすべて赤。
すべての信号は僕が近づくと青から赤に変わるように仕組まれている。

オーシャンロードにはウォルマートがなく、高級スーパーしかない。
オーガニックだかなんだか知らないが、ミニサイズでバカ高いものばかり、僕がいつも買っている安コーラ安ソーセージがない。

アメリカ滞在もあとわずかだというのに、日に日にやりづらさが増していく。


ここのところのWARMSHOWERSの返信率の低さには失望の念を禁じえない。
WARMSHOWERSには多大な恩を受けてきたので、少々うまくいかないことがあっても気にしないようにしているが、送ったリクエストがことごとく無視され続けると、さすがに心がすさんでくる。
断られるのは仕方ないけど、返信ぐらいするのが人として最低限の礼儀だと思うのだが。
たまに返信が来ても、「今そこの街にはいない」という内容ばかり。

サンクレメンテという街。
ホステルなんと$45。
ドミトリーでこの額は過去最高。
サーファーの集まる宿なので客のマナーは悪くないが、部屋は狭くて荷物の置き場もなく、設備やサービスはいたって質素。

この物価高にも感覚が鈍ってきて、もういいよ払えばいいんだろという感じだが、物価の安い国で$45といったらどれだけゴージャスな星付きホテルに泊まれることだろう。
アメリカはここまでハイプライス&ロークオリティな国だったか。

久々に自炊写真。

感謝祭ということで、ターキーと野菜数種。
クソ高級スーパーでもなんとかして安い食材を集めた。
吉野家の牛丼の半額ぐらいで、吉野家よりはるかに格上の味とボリュームのメシをつくれる。
さりげなく乗っている紅生姜は、吉野家でもらったもの。

翌日。

オーシャンロードのメリットは、サイクリスト人口が多いため自転車レーンが整備されていることだ。
日曜日ということもあり、数多くのロードレーサーとすれ違う。
声をかけてくれる人も多い。

中華系のグループに声をかけられた。
なんだか僕にすごく興味を持ってくれて、しばらく話をし、道案内もしてくれた。
片言の日本語を話せる人もいた。


ここまで自転車道だったのに、ここから先はしばらく高速に乗る。
僕ひとりだったら絶対躊躇していたと思うが、かれらが言うにはこの区間は高速も走行可能でいつも走っているし他に道もないとか。
僕が恐れているのは、合法なのか違法なのかはっきりしないまま走り、警察に捕まったりクラクションを鳴らされたりすることなので、これだけの集団で一緒に走っていれば何の不安もない。
でも結局最後までわからなかったな、走っていいのかダメなのかの判断。

ちょっとすさんでいる時でも、何もかも悪いことばかりなんてことはない。
いい人たちに出会えた。






殺す気満々の松ぼっくり。

重いしゴツゴツだし、手で持っただけでもちょっと痛いぐらい。


San Diego, California, USA

34133km



2019年12月1日

ロサンゼルス 2

今回、アメリカの祝日がどんなものなのかを体感する機会には恵まれなかったが、一応、感謝祭(Thanksgiving Day)とブラックフライデーについて。

17世紀にイギリスで迫害された清教徒(ピューリタン)たちがメイフラワー号に乗って新大陸へと渡り、アメリカとカナダの基盤を築いていった。
その最初の収穫の時に、先住民も招いて七面鳥などのごちそうで祝って感謝したことから始まり、現在は11月第4木曜日が感謝際の日となっている。
なので感謝祭は宗教行事ではないが、かといってキリスト教とまったく無縁というわけでもない、アメリカとカナダだけの祝日。
この日は家族で集まって七面鳥の丸焼きを食べたりなど、食事会が催される風習となっている。
宿では朝、人とすれ違うとあいさつがわりに「Happy Thanksgiving Day!」と交わした。

日本の盆や正月と同様で、感謝祭前後は帰省ラッシュで大渋滞となる。
毎年同じ時期に渋滞を起こす日本人はバカだなーと思っていたが、アメリカでも同じみたいだ。
しかもここ数日の悪天候は爆弾低気圧の影響で、カリフォルニア史上最低の低気圧を記録したらしく、それが渋滞をさらに悪化させた。
以下のリンクに渋滞の様子の映像が貼られている。
レアな爆弾低気圧で「史上最低気圧」記録 カリフォルニア

感謝祭の木曜日から日曜日までを4連休にするため、翌日をブラックフライデーという祝日にしている。
恐慌の始まりとなったブラックマンデーなどと違い、このブラックは黒字を意味する。
この時期からクリスマス~年末年始の商戦が始まり、小売は黒字になることからそう呼ばれるようになった。

アメリカは日曜日でもだいたい店は営業している。
しかしこの祝日は、大型スーパーなどは営業しているものの、個人経営の店は閉まっているところが多く、街は閑散としていた。
僕は居心地の悪い宿で、そのほとんどの時間をベッドの上ですごした。

4日目。
晴れたのでサイクリング。
正直まだ体がダルかったが、レッチリの「Under The Bridge」を聴いていたらロサンゼルスの風に吹かれてみたくなった。

自転車レーンが整備されていたのは、ここへ来た時の道がたまたまそうだっただけのようだ。
他の道路は自転車レーンがないところが多く、気まぐれで統一性なし。
基本的には車道を走るが、おっかない時は歩道に逃げる、日本と同じじゃん。
車道を走るべきか歩道を走るべきか、とその都度の判断で選ばせることがそもそもおかしい。
あと、欧米では赤信号でも右折していいルールになっており、車道で信号待ちしていると後ろから右折車が迫ってくるので実に落ち着かない。

見つけちゃった。

昼飯を食べた直後だったが、ガマンできずに入ってしまった。


まったくそそられないメニュー、一瞬にして帰りたくなった。
でもどうやら、上に乗せる具と下のライスをいろいろチョイスできるシステムらしい。


オレンジチキンが帰ってきた???


牛丼屋にチョコチップクッキー???

無事、ノーマルな牛丼をオーダー。


ハンバーガー屋と同じで、トレー以外は捨てられるようになっている。
牛丼大盛り+ドリンク、$10.82。
アメリカじゃ生きてけませんわ。
でもハンバーガー以外のビーフを食べたのはいつ以来だろう?
味は間違いなく日本の牛丼だった。
客層は多人種、日本人はおらず、店員は厚化粧のメキシコ人だった。

ビバリーヒルズへ。

もっと華やかな街をイメージしてたのだが、なんかふつう。

路面はふつう以下。

ハリウッドセレブたちが住むビバリーヒルズの住宅街ものぞいてみた。
どんな大豪邸が並んでいるのかと思ったが、ごくふつう。
西武池袋線のヒバリーヒルズ出身の僕としては、ちょっと親近感を抱いていたのだが。









でかすぎる並木道。

セコイアを離れても、木がいちいちでかい。

根が道を持ち上げる。

グリフィス天文台。


雨天後の祝日ということもあってか、すごい人。











人の多さでは100万ドルの香港に負けてない。
旅の途中で日本人とは全然出会わないが、こういうところではあちこちから日本語が聞こえてくる。






アメリカの大都市といえば摩天楼というイメージがあるが、ここはとにかく土地が広い。
地平線までスッと見通す、天使の街に宝石が散りばめられる。








San Clemente, California, USA

34014km