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2018年11月4日

セルビア(スボティツァ) → ハンガリー(トンパ) 国境越え

セルビア北部はフラットな農場地帯、淡々と進む。

自転車に乗ったカップルに話しかけられた。
かれらも自転車が好きなようで、少し立ち話をして、写真を撮って、別れた。

その後少し進んだところで、パンク。
どうも最近、パンクが多い。
異物が刺さってのパンクではなく、原因不明のスローパンク。
タイヤまたはチューブの劣化だろうか。

通常のパンクであれば穴は簡単に発見できるのだが、非常に小さな穴のようで、なかなか発見できない。
どうしたものかと困っていたら、先程のカップルが車に乗ってやってきた。
「何のトラブル? 手伝えることはある?」
「どうしてトラブルになってるってわかったの?」
「君の写真をフェイスブックに上げたんだよ。そしたら運転中の友人がここを通って、君が自転車を修理しているのを目撃して、僕たちに知らせてくれたんだよ。」

何という連携プレー。
かれらはチューブを持ってすぐ近くのホテルに行き、バケツと水を借りて穴の箇所を発見してくれた。
穴の場所さえわかれば、パンクはすぐ修理可能、無事解決。

今回のセルビア旅行の小さな奇跡。
やっぱ優しい人たちだな。



国境は車での越境がメインで、長蛇の列ができていた。
それも輸送トラックではなく、一般乗用車がほとんど。
自転車は待つことなく、出国も入国もパスポートを渡すだけで、難なくクリア。

国境周辺には両替屋もATMもないが、最寄りの街まで行けばある。

さて、ここハンガリーから、シェンゲンエリアに突入。
今回で三度目だが、例のごとくここからはスーパーダッシュ。

御存知ない方のために、シェンゲンについて大まかに説明。
一部を除いてヨーロッパの大半の国がシェンゲン協定を結んでおり、協定国同士では国境がフリーパスとなっている。
つまり、パスポート的にはシェンゲン協定国の全エリアで一つの国とみなされる。
このシェンゲンエリアは、我々非シェンゲン人は90日の滞在許可。
エリア外に出ればすぐリセットされてまた90日滞在できるというものではなく、「あらゆる180日の範囲内で90日滞在可」というわかりにくい表現が使われている。
入境日からカウントではなく、任意のどの日からカウントしても180日の範囲内で滞在日数が90日を超えてはならない。

今回通ってきたウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ブルガリア、旧ユーゴスラビア諸国(スロベニアを除く)などは非シェンゲンなのでのんびりできた。
それからイギリスとアイルランドも非シェンゲン。

↓青色がシェンゲン協定国。


とにかく、こう見えてヨーロッパはけっこう広大、自転車のスピードでは急かされることになる。
まあ物価も高くなることだし、連泊や寄り道はなるべく控えて、さくさくと進んでいきたい。

自転車道!


さすがヨーロッパ、さすがEU。
自転車がちゃんと市民権を得ている。
すべての道がこんな風に棲み分けできていたら、どんなにいいだろう。
車と関わることなく自転車に乗れるというだけで、どれだけストレス軽減されるだろう。



全域でこんなすばらしい環境なのかと期待したが、あっけなく消滅してしまった。


いつも通りの、路肩未舗装の車道を走る。
ガッカリ。
時々、無意味にクラクションを鳴らすバカもいる。
目一杯隅を走る僕にクラクションを鳴らしたところで、これ以上どうしろというのか。
クラクションを鳴らすことでおまえの何が解決するのか。
動物じゃないんだから、言いたいことがあるなら車から降りて言葉で言えばいい。
クラクションだけは鳴らすな。



深夜。
「テントの中で」、何者かの気配を感じて目がさめた。



・・・

部屋にゴキブリが出てもなんら動じない僕だが、さすがにこれは動じた。



テント食いちぎられてた。


狭いテントの中で一晩こいつと一緒に寝る気にはなれない。
バッグの中に逃げ込まれたらやっかいなので、まずはバッグを全部閉めた。
手づかみは難しいだろうから、誘導して靴の中に逃げ込ませ、靴を外に出して追い出し成功。

食料は常時保冷バッグに入れて保管しているが、ゴミ袋は開けっ放しにしている。
ゴミの匂いを嗅ぎつけたようだ。
クマとか猛獣がうろついているような国ならともかく、こんなところでこんな来訪者、想定してなかった。


10014km

Budapest, Hungary



2018年11月1日

ノヴィサド

出発の日。
いつも寝坊助のジェリコが、「6年前と同じ写真を撮るぞ」と張り切って早起きした。



↓6年前。


わざわざ服まで似たようなのに着替えて。
僕はどうせいつも同じ服ですよ。

こんなプレゼントももらった。


これは過去最大。
持ち運べないのは承知の上、日本に送ってもらう。



どこまでも優しくて、どこまでもおかしなヤツだった。

ジェリコとアズサさんと。


ジェリコとの再会、新しい出会い、セルビアには本当に縁を感じている。
だから「お別れ」っていう感じはあまりしなかった。

アズサさん、なんとおにぎりつくってくれた!




泣きそうなほどうまかった。
日本食は全般的に愛しているけど、おにぎりって格別、何でしょうねあの魔力。

ノヴィサド。






ドナウ川。















Novi Sad, Serbia

9721km



2018年10月31日

ベオグラード 4







ジェリコに連れられてブックフェアへ。




日本語ブースもあった。








僕の地元の路線が映ってた。







ロープ日和。



見てるとやりたくなるなー。





最近はマックも食券制を導入したのか。
今まではメニューが見にくいし煽られてる感があってゆっくり選べず適当なセットにすることが多かったが、タッチパネルだと自分の好きなものをじっくり選べるからいい。


円安の影響もあるが、6年前ほど物価の安さを感じない。
ケーキ類が謎の高さでなかなか買えないが、必要経費なので何かしら買わなければならない。
ミニシュークリームが372ディナール(403円)もする。


ジェリコと弟にオムライスをつくった。


ジェリコ190cm、弟196cm、でもふたりとも半分でお腹一杯だと。
僕は彼らの残りも食べて計2人前、さすがに腹膨れた。









連日いいレストランに連れて行ってもらってごちそうになって、6年前と同じくジェリコは僕に一銭も払わせようとしない。
さすがに彼のお財布が心配になってしまうが、とにかく彼は、家の中でも外でも、僕に余計なことは考えさせずリラックスして楽しんでほしいと本気で思ってくれている。

日本で生まれ育った自分は、「自分の物」と「他人の物」の線引きが明確、つまり所有の概念が非常に強い。
でも世界を旅していると、物は共有するのが当たり前という人々に出会うことが多い。
特にセルビア、特にジェリコのような人は、シェアすることに何の躊躇もしない。

今回は特に用事があるわけでもトラブルに巻き込まれたわけでもないのに、ジェリコの厚意に甘んじて2週間も居座ってしまった。
また大きな借りをつくってしまったな。

明日、出発する。


Beograd, Serbia



2018年10月28日

ベオグラード 3

セルビア最大の国営放送局のRTSで放送されました。

Јапанац којем је украден бицикл, после шест година поново у Београду






今回は通訳をつけてもらってので日本語で。
日本語であれ英語であれ、僕はやっぱりしゃべりが苦手なのだけれど、セルビアへの感謝と好意が少しでも伝わればと願います。
ただ、インタビュアーもカメラマンも通訳も、自転車旅より僕の薄着が気になったようで、「そんな格好で寒くないの?」と繰り返し聞かれた。


Beograd, Serbia



2018年10月23日

ベオグラード 2

ネットニュースに掲載してもらいました。

Japanac kom su ukrali bicikl u Beogradu ponovo se vratio u našu zemlju 

(ベオグラードで自転車を盗まれた日本人が私たちの国に戻ってきた)

3日前に1時間ほどのインタビューを受け、本日アップ。
翻訳機能だとぼんやりしかわからないので、ジェリコに英訳してもらった。
話したことが概ね正確に伝わっていて、うまくまとめられていた。
他の記事に比べてコメント数が多く、反響が感じられてうれしい。


Beograd, Serbia



2018年10月22日

ベオグラード 1

ただいまベオグラード!


またジェリコの家でやっかいになる。
何日滞在するか、どこで何をやるか、まったく未定。

ジェリコは日本に二度遊びに来てくれたので、会うのはこれで4回目。
4回目ともなると、久しぶり感もそんなになく、いつもの友に会う感覚。
初めて会った時から6年が経ち、お互い老けたものの、彼のマシンガントークはいたって健在、何人たりとも彼のおしゃべりを止めることはできない、とにかくしゃべるしゃべる。

今、ジェリコはベオグラードにある日本のIT企業で働いていて、オフィスには日本人と、日本語を話せるセルビア人がいる。
思いのほかジェリコが日本語を上手に話せているので驚いた。
僕がスイーツを食べていると「ベツバラ」と言ったり(スイーツの和訳がベツバラだと思ってるかもしれない)、「ヤバイ」とか「ウザイ」といったスラング的な用語も使いこなしてる。
以前は僕のことを「リョウ」と呼んでいたのに、今は「アサジサン」と日本式だ。

たまたま僕の誕生日と重なり、ジェリコと、職場のアズサさんに祝ってもらった。


6年前と同じマンション(ここではアパートと呼ぶ)だが、改めてびっくり。
首都の中心から徒歩圏で広々とした立派な一室、東京都心だったら家賃15~20万円ぐらいするんじゃないかな。



家はドナウ川のほとり。




歩くほど記憶が蘇り、ノスタルジーに浸る。





街は変わってない。
東京だったら、ほんの数年で新しいビルが建ち、店が入れ替わり、道路まで変わっていたりと、変化が目まぐるしいが、ここは6年前と同じで、なんかホッとする。









いくつか変化も見つけた。

ベオグラードとしては決して観光名所として紹介しないだろうが、旅人たちの目当てはやはり、ユーゴスラビア時代にNATOに空爆されたまま放置されている旧国防省。



↓2012年。


↓現在。


↓2012年。


↓現在。


ビルの中間がごっそり崩壊してる。


現在取り壊し中らしい。








↓2012年。


↓現在。






これは空爆ビルじゃないけど、6年前と変わらず廃墟。








スシバーでジェリコと。




味噌汁にうどん入れてる。


6年前にお世話になった、セルビア永住組の江美奈さん&大塚さんとも再会。


他にも、写真は撮ってないがこの数日でたくさんの人と出会った。
ジェリコの職場のからみのおかげでもあるけど、日本語を話せるセルビア人が予想以上に多く、しかも流暢に話せる人ばかりでビックリ。

そして今のところ、出会った人、たまたますれ違った人も誰もが、6年前のあのニュースを覚えてくれている。
またベオグラードに来れて光栄です。




Beograd, Serbia