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2019年5月27日

シエラレオネ → リベリア 国境越え

シエラレオネ側
イミグレーションで案内に従ってパスポートチェック、出国スタンプをもらう。

とっとと立ち去ろうとしたら引き止められ、イエローカードを提示する部屋に連れて行かれた。
僕はイエローカードを持っているのだが、これではダメだという。
僕のイエローカードは黄熱病のワクチンを受けた証明書で、他にもコレラやチフスなどの予防接種証明書をまとめるための冊子であるイエローブックレットが必要だと言う。
そしてそのイエローブックレットを持っていないのならここでそれを発行する、だから50USドルを払えと言う。
そんなバカな。
もちろん僕は疑ってかかったが、かれらの話し方はウソっぽくは見えず、レシートも発行すると言う。
入国時ならまだしもなぜ出国時にそんなものを求めるのか。
いろいろ疑問は尽きず問い詰めたが、これは強制で交渉の余地はないようだった。
イエローブックレットといっても、パスポートよりやや大きいサイズの安っぽい出来の紙にすぎず、それに黄熱病のイエローカードをホチキスで止めて、スタンプを数箇所押して、50ドル。
なんというヤクザ。
入国時にビザ代で100ドル払っているというのに、さらにこんな紙切れで50ドル払わせるとは。
ぜひとも金の行き先を明確にしてほしいものだ。

橋を渡ってリベリアへ。


リベリア側
イミグレーションへ入る前に、路上の検問でパスポートチェック。
ノートに個人情報を記入。
「どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこへ行く? ホテルの名は? 住所は?」

イミグレーションへ行き、窓口でパスポートチェック。
「どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこへ行く? ホテルの名は? 住所は?」

入国スタンプをもらい、とっとと立ち去ろうとしたら、イエローカードを提示する部屋に連れて行かれ、先ほどのイエローブックレットを見せた。
50ドルという金額は納得いかないが、これを提示しないとこの先の国を通過できないというのはたしかなようだ。

とっとと立ち去ろうとしたら、また謎の部屋に連れて行かれた。
ノートに個人情報を記入。
「どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこへ行く? ホテルの名は? 住所は?」

だー!!!
一箇所でまとめてやってくれ!!!
同じ質問を繰り返すな!!!

両替
国境前後の街でもイミグレーション付近でも、両替屋が多数たむろっている。
僕はリベリア側の国境の街で両替したが、久しぶりに盛大にちょろまかすヤツに出くわした。
もちろん気づいて正当な額を払わせた。

両替時に絶対怠ってはならない基本中の基本は、
※最後の最後まで自分の紙幣を決して相手に渡さないこと
※数人がかりで寄ってたかってなんやかんや言われても惑わされないこと
※煽られても惑わされてもゆっくり確実に相手の紙幣を数えて確認すること
以上を守っていればたいてい大丈夫。
危ういと思ったらすぐに交渉中止して別のところに行けばいい、自分の紙幣さえ渡していなければセーフ。


Diecke, Guinea

21852km



2019年5月23日

シエラレオネ 2

舗装終了、また原初の農村ゾーンへ。


未舗装でも比較的状態が良い。




アバトコールは変わらず。


(動画を撮影したが現在SIMの残量わずかのため後日アップします)

自然な風景を撮りたくて、遠方からズームで。


でもすぐに気づかれ。


全員にバレた。




長い棒を使ってマンゴーを落とす子供たち。


もぎたてマンゴーを次々に僕にくれた。






車輪を使った創作おもちゃも共通して見られる、これは車輪じゃなくてチェーンリングだけど。






集団でいる時に僕と出くわすと調子に乗って囃し立てる。
一人でいる時に僕と出くわすとビビって逃げていく。
これも子供の習性としてどこへ行っても同じ。



不意に、チェーンリングに異変を感じた。


なんと、インナーを固定しているネジの5つのうち3つが吹っ飛んでいた。


これは不覚。
日々のチェック不足だったか。
この時まで異常はなかったので、ごく短い期間で次々にネジが緩んで外れてしまったと思われる。
特殊なタイプのネジなので、代用品を見つけるのは難しそうだ。
残った2つのネジ、これだとバランスが悪いので位置をずらしてできるだけ対角線上で固定する。
5点止めのうちの2点なので正確に対角線上にすることはできないが、なんとか応急処置した。
しかしこれでは強度がなさすぎる、今まで通りに力をこめてこいだらいずれ崩壊するだろう。

この作業をしている間も、村人たちが集まってきて至近距離で僕を見つめる。
僕としては作業に集中したいし、あまり近寄られると盗られたりいじられたりしないよう警戒度を上げなければならないので、ほっといてほしい。

アフリカだけでなく、貧しい国を旅するには、日々大注目を浴びることを覚悟しなければならない。
僕は長年の旅で、ある程度は慣れているつもりだが、あくまである程度だ。
長時間見つめられ続けることがストレスにならないわけがない。
そんな僕の心情を推し量ることなど、ここの村人たちがするはずもなく、無言で容赦ない強烈な視線を浴びせられ続けた。
昼間っからヒマそうに突っ立ってやがって、働けニートども!
あ、ニートは僕だった。



その後は路面も荒れ、アップダウンもキツくなった。
未舗装を1日で100km以上走って疲れ果て、ボーという街に到着。

14万レオン(1782円)の宿に投宿。
電気は夜間のみ、Wi-Fi以外の必要なものはそろっている。

シエラレオネでは、ネットは断念。
宿にWi-Fiはないし、小国なのでSIMを買うのも面倒、買ったとしても田舎街だとネット接続方法を教えてくれる人も少なそうだ。
一国まるまるネットできなかったのはトルクメニスタン以来か、いや沿ドニエストル共和国以来か。

首都に行っていないのではっきりとはわからないが、もしかしたらシエラレオネではATMが使えないかもしれない。
ボーで2軒のATMを試したが、ひとつは中華系で、もうひとつはその銀行のカード以外は受け付けないものだった。
夕方に街に到着したので銀行も両替屋も閉まっており、路上の闇の人に両替してもらった。
レートは悪かったが、他に現地通貨を得る手段がなかったので渋々応じた。

ボーの先は、舗装されたばかりのニューロード。


快適。
しかしまだ未完成で、所々工事中の箇所あり。
道路建設しているのは、やはり中国。
さんざんチンチョンチンチョンとバカにしていたアフリカ人、現実には中国人の監督の下で使われている。
道路一本自力でつくることさえできないアフリカ。
そのうち公用語が中国語になる日が来るかもしれない。

言葉がまた変わった。
今度は「モムイ」と呼ばれる。
もういい、もうなんでもいい、もう十分。

ジンミという村で1泊。
完全ローカル仕様の宿で1泊。
地元の人しかわからない場所にあり、人に聞いて連れて行ってもらった。
3万レオン(381円)。
1000円以下の宿などなかった西アフリカで、いきなり最安記録。

最大の問題は、扇風機がないことだった。
この宿はせっかく電気が通っているのに、扇風機がないとは。
ここ最近は風が吹かず、高温多湿、不快度指数マックス。

日没後も、外で座って扇子であおぎ続ける。
座ってじっとしているだけでも暑くてしょうがない。

他の人たちは平気な顔をしている。
もう施錠するからと言われ、渋々部屋へ戻って寝ることを試みた。

地獄のような一夜だった。
窓とドアを全開にしてもまったく空気が動かず。
そして南京虫だろうか、全身がかゆくて掻きむしりまくる。
片手で扇子であおぎ続け、片手で体を掻き続ける。
ほとんど眠れた気がしないが、時々「アツイ」「アツイ」という言葉を発する自分の声にハッとする。
逃げ場がない。
明け方の2時間ぐらいは眠れた気がした。

この地の人々がこの気候で平然と眠れるというのは驚異的だ。
環境に適応した体質であるのは言うまでもないが、こうも違うものか。
今まではなんとか扇風機のある宿でつないできたが、一般的な家庭には扇風機などないし、そもそも電気が通っていない。
もしここに住み続けることになったら、僕は1ヶ月ほどで死ぬと思う。





ジンミからリベリア国境まではほぼ未舗装。


路面は荒く、アップダウンもキツイ。
こういう道では、ドライバーはいっそう荒くなる。
猛烈な砂埃を巻き上げながら、僕に気を遣って減速するどころかクラクションを鳴らしながら猛スピードで突っ込んでくる。

このキツイ思いをしている時にも「モムイ、モムイ」とうるさい。



現在中国によって舗装工事進行中。
数年後には舗装完了しているだろうか。

シエラレオネレオン。





Monrovia, Liberia



シエラレオネ 1

シエラレオネ入国。


初訪問だけど、この既視感はいったい?



15世紀にポルトガルが到来し、奴隷や象牙の貿易をおこなった。
18世紀に奴隷解放の声が高まり、イギリスが沿岸部にフリータウンを建設して解放奴隷の移住地とし、後に領域を拡大してイギリス植民地となった。
1961年独立、その後クーデターと内戦が繰り返された。
豊富な鉱物資源を有し、特にダイヤモンド生産量は世界10位。
このダイヤモンドをめぐって内戦が引き起こされたこともあった。



面積は北海道より一周り小さい。


国境から10kmほどの街カンビア、Hotel Africanaで1泊。


15万レオン(1915円)。
電気が使えるのは19~7時。
Wi-Fiなし。
朝食付き。
コンセントはイギリス式。
白人客が数人いた。

カンビア。


公用語は英語。
シエラレオネ人の英語はかなりクセがあって時々わけがわからないが、それでも宿泊や買い物のやり取りが英語でできるということがなんと楽なことか。





食は今までと変わりない感じ。


1万レオン(127円)。
ひとつの煮込み料理に肉と魚が同居しているのが特徴的。
味は、辛い。
一目見ておかわりするつもりだったが、食べてみてこの辛さで一気に食欲消失。
このボリュームでももう十分。

ギニアは350mlの炭酸ばかりだったが、シエラレオネは500mlの炭酸がメインで、相場は5000レオン(63円)。
これならいくら買っても損だとは思わない。

激しい雷雨。


ついに来たか。
でもこれが気温をぐっと下げてくれる。

道はきれいに舗装されている、路肩も!


交通量は少なく、アップダウンも緩く、とても走りやすい。
しかし、たまにすれ違う車やバイクはもれなくきっちりクラクションを鳴らしてくる。
いつまでも成長しない白痴どもめ。

この先は最短最速で終わらせることにしたので、首都フリータウンはスキップする。



どこへ行っても大注目され監視され続ける外国人。
休憩する時は誰もいないところを選びたいのだが、やっぱり子供たちが嗅ぎつけてくる。


大人たちも寄ってくる。


また言葉が変わった。
ここでは「アバト」と呼ばれる。
意味は言うまでもなく「白」。



「アバトー! ギミーマニー!」
「アバトー! ギミーチョコ!」

戦前か!?
いや今までも似たようなことを言われていたのかもしれないが、公用語が英語だから子供たちの言葉がわかってしまうだけか。



2014~15年、シエラレオネを中心としてギニアからリベリアにかけてエボラ出血熱が大流行し、総死者は1万人を超えた。



発端は、ギニアで子供がコウモリと接触したことだった。





「アバトー! アバトー!」
こればっかり、1日何百回言われるだろう?





ギニアに続いてシエラレオネも検問が多い。
警官も軍人も歓迎してくれて、握手して声援を送ってくれる。



ルンサーという街で1泊。
10万レオン(1274円)。

村ではアバトコールばかりだが、街では中国人呼ばわりされることも多い。

「チャイナ!」
「チャイニーズ!」
「チンチョーン!」
「チョンチーン!」
「チンチャンチョーン!」
「チョンチンチャーン!」
「チンチャンチョンチンチョンチンチャーン!」

なんてレベルの低い・・・

このチンチョンコールは子供のみならず大人からも言われる。
農村の田舎もんは黒白の二色しか識別できないが自分たちはチャイナという新色も知ってるんだぜすごいだろ、と得意気だ。

今や絶大な経済力で世界を牛耳りつつある中国。
そうとも知らず、アジア人を見るやチンチョンチンチョンとおどけることしかできないアフリカ人。
なんと哀れ。

外国の援助で多少近代化したかもしれないが、素のままのかれらはいまだ先史時代を生きている。
もちろん外部の介入はかれらが望んだことではないのかもしれない、大国の思惑で勝手に近代化が推進されただけで、ほっとけばかれらは先史時代のまま平穏に暮らしていただろう。
しかし食うか食われるかの熾烈な生存競争の世界で、無防備のままおとなしくしてたら食いつぶされるということも摂理だ。

自然と共存する原初のままの農村を尊く思う自分もいれば、いつまでも未発達で不便な生活に甘んじていることを愚かだと思う自分もいる。
僕は僕で、アフリカに対して矛盾した心情を抱いている。

しかし世界でもこの大陸だけ時の流れが異質なのはなぜだろう。



たまには大人の写真も撮りたいのだが、カメラを構えるとどうしても子供が前面に出てきて、結局子供の写真になる。


やや大きな街マケニにて。


料理名はよく聞き取れなかったが、なんとかリーフと言っていたので、何かの葉っぱのペースト、中にはチキンが一切れ入っている。
味は、カレー味の海苔の佃煮みたい。
1万レオン(127円)。



走行中、スコールにつかまってしまった。
日中はとにかく暑いので、ずぶ濡れになるのも悪くない。
スコールが降り出すと、子供たちは全裸になって路上に出てきて、天然のシャワーを浴びる。
そこで僕を目撃すると、走って追いかけてくる。
土砂降りの雨の中、後ろを振り返ると全裸の子供たちが「アバトー! アバトー!」と言いながら追いかけてくる。
もう、頭おかしくなりそうだわ。


Monrovia, Liberia