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2020年3月7日

カンクン(メキシコ) → ハバナ(キューバ) フライト

直行便。
航空会社はInterjet。
チケットは1万6450円。
Interjetのキューバ行きはターミナル2。

キューバはビザ不要だが、通称ツーリストカード(メキシコではキューバビザ)と呼ばれるものが必要。
大使館で事前に入手するのはおそろしく面倒らしいが、メキシコから飛ぶ場合は空港で入手できる(Air Canadaの場合は機内でもらえるらしい)。

チェックインできる時間になると、カウンターの近くでツーリストカードを配布する人が現れる。
別にたいしたものではない、氏名と国籍と生年月日とパスポート番号を記入するだけの紙で、400ペソ(2160円)。
悪どい商売してやがる。

ツーリストカードをもらった後、チェックイン。
今回は荷物の軽量化がうまくいかず、明らかに超過料金コースだったが、チェックインカウンターのスタッフはとても良心的で、重量オーバーには目をつぶってくれた。
だだし、自転車は重量に関わらず585ペソ(3159円)。

チェックインの際、メキシコ入国時に記入した入国カードのようなものとレシートの提示が必要。
カウンターとはまた別の窓口に行き、カードにスタンプをもらう。
これが出国手続きになるようで、その先にイミグレーションはなく、パスポートに出国スタンプはもらえない。
入国時にもらったこのカードとレシート、すっかり忘れていたが保管しておいてよかった。
もし紛失していたらどうなっていたことか、わからない。

メキシコペソ。


1時間15分でハバナに到着。

空港職員は全員マスクしており、熱感知カメラが設置されていた。
カメラには日の丸が貼られていた。

イミグレーションは長蛇の列。
全然流れない。
コロナの影響なのかわからないが、何をそんなに時間をかけることがあるだろう。

1時間ほど並んで待った後、ようやく番が来た。
「ここ15日以内に中国、日本、韓国、イタリアに行きましたか? あるいはそれらの国に行った人と接触しましたか?」という貼り紙があった。
僕は日本人なのでいろいろ聞かれそう、何を聞かれてもいいように準備していたのだが、なんと質問なし。
パスポートをチェックされ、眼紋を撮り、一言も交わすことなくスタンプが押された。
問題は国籍ではなく感染国への渡航歴滞在歴があるかどうかなので、パスポートをチェックすれば僕に問題ないことはわかる。

時間はかかったが大きな問題はなく、キューバ入国。
滞在期限は30日。

ネット上では海外旅行保険の証明書が必要となっているが、何も言われなかった。

その後所持品チェック。
税関の紙をもらって記入。
自転車と荷物を受け取って、完了。

空港にATMあり、キューバペソを引き出せた。

自転車も、今回はいつも以上に入念に養生した甲斐があったのか、無傷で届いた。


La Habana, Cuba

39514km



2019年12月8日

アメリカ(サンディエゴ) → メキシコ(ティフアナ) 国境越え

メキシコ国境まで35kmほど。
距離は短いが、信号が100%赤で全然進まない。
すべての信号は僕が近づくと絶妙なタイミングで赤に変わるように誰かが意地悪している。

最後にウォルマートに行ってココナッツクリームパイを探してみたが、なかった。
もう死ぬまでココナッツクリームパイを食べることができないのかと思うと、無念極まりない。

メキシコの街が見えてきた。


過密、密集。
アメリカとは明らかに違う。
北米と中南米という異世界が、この国境で露骨に線引きされている。

イミグレーションは自動車用と歩行者用とあり、自転車は歩行者用の建物へ行く。
段差がなくスロープになっており、キャスター付きの荷物を転がしている人や自転車にもやさしい。
特にわかりづらいことはなく、流れについて行く。

なんとアメリカ出国手続きがなく、いきなりメキシコ入国手続きから始まる。
律儀にアメリカ滞在期限を守ったのだが(アラスカ入国からジャスト6ヶ月)、オーバーステイしていたとしてもお咎めなしなのか、それともメキシコ入国手続きの際にアメリカ出国もデータとして記録されるのか?

流暢とは言えない英語でメキシコ人の係員が対応する。
質問されたのは、「どこへ行く? メキシコシティ? 自転車で!? マジで!? 何日かかるの?」
以上。

入国カードに記入し、隣の銀行窓口で$29.65または558ペソを払う。
レシートをもらってまた係員のところへ戻り、入国カードを切り離した半券をもらい、パスポートにスタンプが押されて完了。
入国カード半券と銀行レシートは保存しておく。

6ヶ月以内の滞在であればビザ不要。
ビザ不要とはいっても、ここで払わされた$29.65は一体何なのか、このせいでビザ不要のお得感がない。

荷物をすべて外して、ベルトコンベアに流して機械でチェックされ、外に出る。
混雑はしておらずスムーズに流れ、所要トータル15分。
逆にメキシコからアメリカに入国する場合は、厳重にチェックされ、長時間かかると思われる。

13年前は、メキシコ湾側のブラウンズビルという街からマタモロスという街へと越境した。
あの時はアメリカ出国手続きのみでメキシコ入国手続きがなく、そのまましばらく進み続けたら検問で捕まり、入国手続きをしてこいと国境まで戻るハメになった。
国境まで戻って入国手続きする建物を探したが、看板も案内も何もなく、人に聞いてようやく見つけた。
アメリカからメキシコに陸路で入った場合、検問エリア以内でかつ72時間以内であれば入国手続きなしで滞在できるらしい、当時はそんなこと知るよしもなかった。
記憶が定かではないが、料金の支払いもなかったように思う。

場所による違いも時代による違いもあると思う。
とりあえずパスポートにスタンプが押されたので問題ないだろう。

アメリカドル。


日本の友人から、1ドルコインと50セントコインが欲しいとの依頼があった。
1ドルコインはごくまれに見るが、50セントコインなんて存在していたことさえ知らなかった。
地元の人に聞いても皆首をかしげるし、大きめの銀行を数軒あたってみたが、どこもないと言う。

最後にサンディエゴで何気なく入ってみた小さな銀行に、50セントあった!

1ドルコインはそこまでレアではなく、銀行にけっこうストックがある。

100ドル紙幣と50ドル紙幣は、他国の両替屋では難なく入手できるが、アメリカではあまり見かけない。
ATMから出てくるのは基本的に20ドル以下の紙幣。
偽札防止と、あとカード社会なので高額紙幣はあまり流通させていないのだろう。

アメリカ出国直前にATMで引き出したら、1枚だけ100ドル紙幣が出てきた。
 

下のコインは、左からシルバー1ドル、ゴールド1ドル、50セント。
ゴールド1ドルは歴代大統領の肖像など、デザインが多様。
50セントはケネディの肖像で、他のコインに比べて突き抜けて大サイズ。




Tijuana, Mexico

34189km



2019年9月18日

カナダ(ホワイトロック) → アメリカ(ブレイン) 国境越え

2ヶ月半滞在したカナダとおさらば、アメリカへ。
雨の国境越えは嫌なものだが、国境が近づく頃には天気回復。

アラスカ→カナダの時と同様、入国審査のみで出国審査はなし。
カナダ側にはイミグレーションはなく、出国手続きせずにアメリカ側のイミグレーションへ。

高速の料金所のように多数のレーンがあり、たくさんの車が並んでいる。
やはりアメリカ、一台一台の手続きに時間がかかっている。
もう少しで僕の番、というところで係員がやって来て、「自転車はここじゃない、あの建物へ行け」と言われた。
何だよ、先に言ってくれよ。

歩行者自転車用の建物へ入ると、50人ぐらいが並んでいた。
しかも、全然流れている感じがしない。
マジか。

皆、黄色い用紙を持っていたり、何かの書類を抱えている。
「CASHER」と書かれたデスクもあり、そこでお金を払っている人もいる。
家族や友人などグループばかりで、単独で来てるのは僕ぐらい。
かれらはバス移動だろうか。
今までのイミグレーションとは一風変わった空気。
僕はパスポート以外何も持っていないが、動じることはない。

並んでいる人数に対して対応する係員の数が少なすぎる。
1時間20分待ち、僕の番が来た。
質問の数は多かったが、特に難しいことはなかった。

ただ、ひとつの事実が判明。
アラスカに入国したのが6月7日、その時もらった滞在期間が6ヶ月。
一度出国してカナダからアメリカに再入国するわけだが、アラスカ入国時にもらった6ヶ月が現在も継続中だという。
つまり、アメリカ再入国は問題ないが、リセットされて新たに6ヶ月もらえるわけではなく、12月6日までに出国しなければならないということだ。
それ以降にまたアメリカに入国する時に初めて、新たに6ヶ月がもらえる。

これは想定外。
ビザ申請時にどこかにこういったルールが書かれていたのかもしれないが、把握してなかった。
アメリカもじっくり時間をかけて旅するつもりだったのに、あと2ヶ月半じゃ足りない。
これはちょっと考えなければならない。

質疑が終わると、スタンプが押された黄色い用紙をもらい、建物外に出て、一般道へ出るところで係員にその用紙を渡して、終了。

所要トータル1時間半。


Everett, Washington, USA



2019年6月17日

グレンハイウェイ ~ パークスハイウェイ

朝、いきなり道を間違えて往復13kmほどムダに走ってしまった。
夏の極地方のいいところは、日没を気にしなくていいことだ。
日没は23~0時、朝のスタートが遅れようが、どんなにのんびり進もうが、暗闇走行する心配はない。

グレンハイウェイ。


13年前は最初からハイウェイの路肩を走った記憶があるが、今は禁止されていて、歩行者自転車用の側道がつくられている。

お!?


走行開始初日にして、さっそくのお出まし。
しかも自転車道、僕の進行方向50mほど。
まだ若いのかな、サイズ小さめのブラックベア。



クマはハイウェイの方へ向かおうとしたが、車がバンバン走っている。
引き返して、フェンスの隙間を見つけて森へと消えていった。
こんなところへ出てきてしまって、怖かっただろうね。



新品のチューブで走り出したのに、さっそくパンク。
夏の極地方の嫌なところは、すさまじき蚊の猛襲。
パンク修理するにも、まずは虫除けスプレーしないと全身ボコボコにやられる。
服の上からも刺すし、頭も刺す。
アラスカからカナダにかけて、蚊との壮絶なバトルが繰り広げられる。

自転車道というのは、そのままずっと続いてくれるのならこの上なく快適なものだが、今まで毎度毎度裏切られてきた。
街中へ入ると、複雑なローカルロードへと導かれる。


標識があるうちはいいが、いつの間にか標識もなくなり、どっちへ進めばいいのやら惑わされ、ついに自転車道自体も消失。
結局ハイウェイへ。


都市圏を完全に抜けたら、ハイウェイは自転車通行可になるようだ。
他にルートはないのでここを走る以外ない。

時折街が現れ、スーパーやマクドナルドがちらほら見えたりしたが、次第に人口希薄になっていった。

この日のWARMSHOWERSのホストは、神父さん。


この辺りは、人口希薄な割に教会が数多くある。
信心深い人が多いようだ。



腹ペコで疲れきって、すぐにメシ食って休みたいところだったが、7~8人が集まって聖書の読み合わせみたいなのをやっており、僕も参加させられた。
ひとりの女性が、スマホを僕に手渡して見せた。
聖書アプリの日本語版で、「今ここを読んでるから」と教えてくれた。
どうもご丁寧に。

僕は宗教には少し関心があるし、聖書はちゃんと読んだことはないがキリスト教のエッセンスは何となくわかっているつもりだ。
でもそれはあくまで客観的に、他の宗教や文化や世界観と比較する上であって、本気でキリスト教を信じて他の価値観を認めず盲信的になっている人たちとは議論できない。
神父は進化論をきっぱりと否定し、この世のすべては神が創造し神によってデザインされていると断言した。
眠い。

それからひとりの男性が肩の痛みを訴えており、皆で彼の肩に手を当てて祈った。
これで治ると本気で信じているようだ。
キリスト教ってこんなシャーマンみたいなこともやるの?



神父の奥さんはとても世話好きな人で、手作りパン、手作りジャム、ピーナッツバターを僕に持たせた。
これは実にありがたい。

寝場所は教会の地下。
Wi-Fiこそないが、トイレ、シャワーなど必要なものは完備されている。
もう22時近くになっていただろうか、神父はギリギリまでジーザスの教えを僕に説き続けた。
寝させて。
ここでは宗教はビジネス、布教は営業、としか思えなかった。

パークスハイウェイ。


晴天に恵まれ、広い道路、完璧に調整された自転車をこぐ。
こんなに気持ちいいものはない。

はるか前方にデナリがそびえる。


北米最高峰(標高6190m)。
以前は「マッキンリー」と呼ばれていたが、2015年から「デナリ」が正式名称となった。



トラッパークリークのキャンプ場で1泊。
北米の人口希薄地帯では、小さな街や村は「~クリーク」(意味は「小川」)と名付けられていることが多く、GS、モーテル、キャンプ場、レストラン、売店が一箇所にまとめられているサービスエリアとなっている。

キャンプ場はUS$20が相場。
13年前はWi-Fiなんてなかったが、今はキャンプ場全域でWi-Fiが拾える。

ニューテント。


いきなりチャックが壊れた。
高いだけの粗悪品を買ってしまったようだ。
金だけたっぷりふんだくってあらゆるものが粗悪、というのはつい最近まで西アフリカで体験してきたことでトラウマになっていたが、北米でもこんなことがあるのか。
全体的にちゃっちいつくりで、耐水性も怪しい。
これからガッツリキャンプ生活が始まるというのに。
これは買い直しだな。

自炊は、今後スープスパゲティより米の比率を増やしたい。
米を食べたい。
米に合うおかずを調理しやすいよう、アンカレッジでフライパンを買った。


シャワーを浴びようとしたら、コイン投入式で、なんと12分US$4。
4ドル分のコインを投入しないと稼働しないようになっている。
血も涙もねえ。
シャワーなんて3分で終わらせるから、1ドルでも稼働するようにしてくれ。
シャワーがこんなに高くつくととわかっていたら、キャンプ場はやめて野宿を選んでいた。



少しずつデナリが近づき、輪郭も色合いもはっきりしてきた。
天気の不安定なアラスカで、連日デナリを拝めるなんてラッキーだ。



ムース。


これもサイズ小さめ、角も小さい。
でも野生動物との遭遇はやはりドキドキするものだ。

デナリビューポイント。


ドライバーたちはこのビューポイントで止まって写真を撮るが、僕はここよりも見晴らしの良い場所をいくつも見つけて路上で眺められる、サイクリストの特権。





トラッパークリークの先は150kmの無補給地帯。
アップダウンもややきつく、2日の行程で。



野宿。


食料の管理には細心の注意を払う。

天気崩れた。


白夜においては昼夜の寒暖差はそれほどでもないが、晴天時と曇天時の寒暖差は激しい。
少し標高が上がったせいもあるが、日中10~12℃。

キャントウェルのキャンプ場。


「ようこそ人間たち」


片田舎のキャンプ場にも、アメリカンサイズの巨大キャンピングカーがずらりと並ぶ。




こんなモンスターを個人で所有できる経済力と土地の広さ、改めてすごい。
中はマンションの一室のよう、すべてがそろった家同等の生活空間となっている。



13年前は、どうしてキャンプ場にバスが停まっているのだろう、としばらく首をかしげていた。



北米では、一般にキャンピングカーは「RV」(Recreational Vehicle)と呼ばれる。
ご存知と思うが、「キャンピングカー」は和製英語なので通じない。
キャンプ場は「RV PARK」。

RV PARKはRV専用というわけではなく、テントサイトもある。


日本人のイメージだと、キャンプといったらテントだが、ここではキャンプといえば圧倒的大多数がRV、テントはごく少数。
退職後の老夫婦が巨大なRVでドライブしながらキャンプ生活を楽しむ。
日本では考えられないことだが、ここではふつうの老後のライフスタイルだ。

ちなみにここのキャンプ場はシャワーは無料だった。



天気は下り坂と思いきや、また晴れた。





気持ちいい。



写真は撮れなかったが、キツネやウサギが道路を横断するのを見た。

デナリ国立公園への拠点となる街。


また曇った。
ホテル、キャンプ場、スーパー、アウトドアショップ、レストラン、ギフトショップなどがここに集中している。

デナリ国立公園に向けてスーパーで食料を買い込んだが、まあ物価の高いこと。
タマネギ一玉US$2もする。
数日分の食料をまとめ買いしたら、目が飛び出すような額になる。

でもガマンできず、アイスを買ってしまった。


US$4.95。
ボリュームは日本で売ってるこの手のアイスの1.5倍以上はある。
奥までぎっしり詰め込んでくれている。

奇しくもリベリアのスーパーで買ったあのガッカリアイスとまったく同じ値段。


この街の裏の森の中に、WARMSHOWERS宅がある。


ホストのウィリアムは、この家でひとりで暮らしている。
いかにもアメリカンな人柄で、初対面なのにあたかも長年の友人であるかのように親しげに話してくれる。
容赦のない早口英語でも、波長の合う人とはスムーズに会話ができる。



初めての弓矢体験。


意外に簡単に命中させることができて楽しい。

夜、そろそろ眠たくなてきた頃、ウィリアムが「ピザ食べたいか?」と聞いてきた。
「いや、さっき晩飯食べたからお腹一杯だよ。」
「タダだぞ。」
「タダ!?」
「隣のピザ屋からいつもタダでもらってるんだ。」
「そういうことならぜひ!」
「Are you hungy?」
「Yes I'm hungry!」

彼はものの1分で焼き立てピザを持ってきてくれた。


「全部食べていいぞ。」

やったー!!!

晩飯食べた後にピザ1枚軽くたいらげた。
収縮していた僕の胃袋、ぼちぼち本来の容量に戻りつつあるようだ。

※西アフリカビザ情報追記
「コートジボワールビザ in ビサウ」の投稿で、ガーナビザを取得するにはコートジボワールの90日マルチビザが必要と書いたが、現在それが無効になってしまったとの情報。
コートジボワールのガーナ大使館でガーナビザを取得するには、原則としてコートジボワールに居住する者にしかその資格が認められない。
今までは、旅行者ならコートジボワールの90日マルチビザを提示すれば居住者と同等の効力を持つとされていたが、それが認可されなくなってしまった。
なのでガーナに行きたければ、その辺のコートジボワール人と仲良くなってその人の家に住んでいることにしてもらうか、あるいは国境に行ってアライバルビザを試みるか、それでもダメなら他の国のガーナ大使館に行って模索するしかない。
僕は途中で気が変わって西アフリカはコートジボワールで終わらせてしまったが、もし続行するつもりだったら大変なことになっていたことだろう。
結局断念してどのみちコートジボワールで終了になっていた気がしてならない。


Denali, Alaska, USA

22806km



2019年5月23日

ギニア(パメラップ) → シエラレオネ(カンビア) 国境越え

コナクリから南東へ、シエラレオネへ向かう。

一応舗装道路だが、未舗装箇所が増えてきた。


相変わらずアップダウンの連続。
坂の下はだいたい未舗装になっており、せっかくの下りも未舗装箇所でスピードが殺され、ペースが上がらない。



アップダウン、キチガイクラクション、ボテボテコール。
アップダウン、キチガイクラクション、ボテボテコール。
アップダウン、キチガイクラクション、ボテボテコール。

西アフリカ旅行はこれで終わる気がしてきた。

ギニアフラン。




ギニア側
イミグレーションが現れると、その辺の人が案内してくれる。
パスポートコントロールの部屋へ入ると、腐臭が漂っていた。
マンガに出てきそうな、いかにも悪徳な匂いを放つボスキャラと、取り巻きの子分たち。
僕が入室してもまったく意に介さず、仕事とまったく関係ないことをしてヘラヘラ笑っている。
床にはゴミが散乱している。
20秒ほど待ってあげたが、このままだと永遠に無視されそうな気がしてきたので、パスポートをボスの目の前に置いて「スタンプしてよ」と言った。
すると子分っぽいのが、「マニー! マニー!」と言ってきた。
来た!
「NO」と答えたら、大声で「あ!? NOだと!? NOだと!?」とすごんできた。
僕はさらに大声で「当たり前だ! NOだ!」
「おまえのこと知ってるぞ。ネット上ではここは腐った国境で有名だ。皆知ってる。金なんか払うわけないだろ。」
と言ったら笑いながら引き下がった。
ボスはめんどくさそうに、パスポートをろくに見もせずにスタンプを押した。
しかし、もっとこう策略的に、賄賂を払わざるを得ないような状況に追い込まれた上で返り討ちしてみたかったのに、ただ「マニー! マニー!」だなんて雑すぎる、物乞いと変わらないじゃないか。

シエラレオネ側
緩衝地帯はなく、進んですぐのところにイミグレーションあり。
またパスポートコントロールの部屋に案内される。
やはり役人たちの上下関係は強いようで、偉そうなおっさんが若者をいいようにこき使っている。

シエラレオネビザは国境で取得できる。
僕はコナクリの大使館で取得するつもりだったのだが移転しており(大使館ってなんでこうコロコロ移転するんでしょう?)、新住所を突き止めることができず、結局国境で取得することにした。

室内ではボスが高圧的に尋問してくる。
「何しに来た?」
「シエラレオネに何の用だ?」
「なぜ大使館でビザを取ってこなかった?」
「移転はしたがコナクリに大使館はある。なぜ取ってこなかった?」
ひるむことはない、目をそらさず質問に明確に答えればいい。
宿泊先のホテル名と住所も聞かれるので、これはあらかじめ調べておく。
予約証明は不要。
話をするうちに、僕が自転車で旅をしていることを知ると、「そいつは面白い」と笑顔を見せ、談話モードになってしまった。

100USドルを払い、スタンプとレシートをもらって、完了。
滞在期限は30日。
レシートはその後の路上検問で提示を求められることもあるので保管しておく。

所要トータル30分。

両替
国境前後の街でもイミグレーション周辺でも両替屋が多数たむろっている。
もちろんギニアフランを処理できるが、やはりかれらはドルやユーロなどの外貨を求めてくる。


Monrovia, Liberia

21561km