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2019年6月1日

ギニア → コートジボワール 国境越え

ギニア側
手作り掘っ立て小屋のポリスで出国スタンプをもらう。
「どこから来た?」
「ヌゼレコーレ。」
「あーん?」
「・・・」
「どこから来た?」
「ヌゼレコーレ。」
「あーん?」
その「あーん?」って言うのやめてくれないかね野蛮人。
はっきり明確に答えてるんだから一度で聞き取れよ。
そもそも手前の大きな街はヌゼレコーレ以外ないじゃないか。
警官は僕のパスポートを隅から隅まで見ながら、また無意味なノート記入。
スタンプするまで10分もかかった。
1kmほど進んだところでミリタリーチェック、パスポートを見せるだけで何もされない。

コートジボワール側
ギニアと違ってイミグレーションの建物は新築で真新しく、周囲の風景に溶け込んでいない。
窓口でまたノート記入。
職業、滞在先、日本の住所、日本の電話番号、あれこれ聞かれてスマホで顔写真まで撮られた。
えらい時間をかけてノート記入が終わったと思ったら、「コートジボワールのビザはどこだ?」
僕はイラッとしてパスポートを取り上げてビザのページを指さし、「遅いよ、とっとと終わらせろ。」

それから建物の反対側にある窓口に行けと言われた。
何このムダな手順。
反対側の窓口に行くと、「座れよ。」
「座れよじゃない、とっとと終わらせろ。」
僕は立ったまま睨みつけ、早くスタンプするよう促した。
信じがたいことに、またノート記入を始めた。
「職業は?」
「いいかげんにしろ。さっき同じこと聞かれたよ。」

何のためにビザを取ったと思ってるんだ。
高い金払って2日も待たされてビザを取ったんだぞ。
その時点で入国許可は出てるんだ、ここでやるべきことはビザページを確認してスタンプするだけ、10秒で終わる。

と言ってやりたかったが英語通じなさそうだったし、こんな末端の係員に文句言ったところでどうにもならない、とにかく急がせた。
「Time is moneyって知ってる? これ以上時間かけたらこっちから賄賂要求するぞこのウスノロ。」
イライラ全開の僕に苦笑する係員もいたが、ノート記入してるヤツにはもう質問させず、ちょっとでも動きが止まったら「早くしろバカ」と急かして、ようやくスタンプをもらえた。

所要トータル50分。

両替屋は確認しなかった。
コートジボワールの通貨はセネガルやギニアビサウと同じCFA。
余るほど持っていたので両替の必要はなかった。



カタカナで「コートジボワール」と言われても何のことやらわからないが、フランス語の「Côte d'Ivoire」を英語にすると「Coast of Ivory」、つまり「象牙海岸」。
英語では通常「Ivory Coast」と呼ばれる。

15世紀にオランダ、ポルトガル、イギリスなどがここで象牙と奴隷の貿易をおこなったことから「象牙海岸」と呼ばれるようになった。
ちなみにガーナは「黄金海岸」、ベナンやトーゴなどは「奴隷海岸」など、オブラートに包まないストレートなネーミングがなされ、コートジボワールだけが当時の名称をそのまま国名とした。

19世紀からフランスの植民地となり、1960年独立。
初代大統領の功績で経済は好調に成長し、西アフリカでは優等生国家。
しかし初代大統領の死後、クーデターや内戦が1999年から2011年まで続き、政情は不安定であった。

ひどい道。


街までまだ50kmもあるというのに。
国境越えでいつも以上にイライラしてしまったのはこのせいもある。
日没までに街にたどり着けるか、時間をムダにせず進みたかったからだ。

しかしまもなく舗装復活。


できたてホヤホヤのニューロード。
これなら日没前に街に着ける。
サンキュー、シノワ!



ここでは、「バブーバブー」と呼ばれる。
もはやギャグのようだが、子供たち、時に大人も、僕を見て「バブーバブー」と声を上げる。

また、「トゥリスト」とも呼ばれるようになった。
旅行者に対して「旅行者!」と呼びつけるのも奇妙だが、間違いではない呼び方をされたのは初めてだ。
「バブー」はどうせ「白」だろうよ。

アフリカでは人を呼ぶ時に「スッ」と歯の間から息を出す、と以前書いたが、いつしか「スッ」ではなく「チュ~」と吸い付くような音を発するのが主流になった。

「チュ~、チュ~」
「バブーバブー! バブーバブー!」
「チュ~、チュ~」
「トゥリスト! トゥリスト!」

僕は日没までに街へたどり着こうと必死なんだから、あまり笑わせないでくれ。

無事ダナネに到着。


思ってた以上に舗装箇所が多かったおかげだが、悪路とアップダウンと国境越えありでよくぞ130km走った!

Hotel Graceで2泊。
1泊5000CFA(923円)。
良心的じゃないか。

そしてありがたいことに、電気が24時間使える。
首都でもない地方都市なのに。
確実に今までよりレベルアップした感触。
経済が正常になれば物価も正常になる。
あくまで比較だけど。



サンドウィッチ、なぜかタダでくれた。


主食は米じゃないらしい、何だろうこのおからみたいなの。


またOrangeでSIM購入。
12GBで1万CFA(1846円)。
ただし午前6GB、午後6GBで打ち止め、という午前と午後で別々に制限を設けている変わったプラン。
僕なんかは圧倒的に夜ネットすることが多いから、朝も使うようにしてバランスをとる必要がある。
ショップの人は英語が話せた。

ドッと疲れが出た。
酷暑、未舗装、山道、栄養失調。
でもこの先のルートは楽勝と思われ、安心したら緊張がほぐれて、体が重くダルくなった。


Duekoue, Côte d'Ivoire

22235km



2019年5月31日

リベリア(Ganta) → ギニア(Diecke) 国境越え

リベリア側
イミグレーションで出国スタンプをもらった後、2部屋ほど連れて行かれてまた無意味なノート記入。

両替
どうせまた群がってくるのだろうと思っていたら、意外に両替屋は少なく、こちらから声をかけたほどだった。
そしてまたしても、大々的にちょろまかされかけた。
ギニアフランも数字が大きく計算に戸惑うが、指摘すれば相手はとぼけながらも正当な額を払う。

橋を渡ってギニア側へ。

ギニア側
まずはミリタリーでパスポートチェック。
見られるだけで何もされない。
少し進んでポリス。
ここで入国スタンプをもらう。
そしてここでイエローブックレットも提示。
さらに進んでイミグレーションでパスポートチェック。
いやほんとに、一括でまとめられないものかね。

所要トータル45分。

ギニア側に両替屋が多数いたので、両替はここでもよかった。

ちょっと進んだところでランチ。


ギニアは舗装率低いな。




最初に現れた街ディエク。


最初のギニア訪問時よりも、子供たちの興奮度がすごい。
阿呆のようにギャーギャー騒ぎ立てる。
言葉も変わって、もう「ボテボテ」とは言われない。





サラダ付きの食事なんて久しぶり。
イモみたいに見えるのは、バナナのフライ。


宿を3軒あたってみたが、どこも扇風機なし。
仕方なく、一番まともそうでオーナーが英語を話せる宿に。
5万フラン(600円)。
午前中の雨のおかげか、意外に暑くなかった。

その先もずっと未舗装。


イヤ~!



ヒマそうにしている連中いくらでもいるんだから、ひどい箇所だけでも埋めてならすとかすればいいのに。
国はそういうことにお金を出さないのかな、雇用拡大で経済も発展しそうなものだけど。
でも、本格的な雨季が到来したらどうにもならないぐらいドロドロになるのかもしれない。



車はあまり通らないが、バイクの交通量が多い。
クラクションガイジについては言うまでもないが、せっかくの森林地帯でバイクのエンジン音が常に耳に入ってくるというのもなかなかのストレス。
最初から電気自動車を開発できていたら、世界はもっと静かだったろうに。



ヌゼレコーレという大きな街に到着。

またミッション系の宿に。


ここを管理しているのはベルギー人夫婦。
こんなところで白人に出会うとちょっとびっくりするが、会話がはずんだ。

1泊10万フラン(1200円)。
電気は夜間のみ、水道は勢いよく出る。

そして、セネガルで出会いギニアビサウで再会したエストニア人ライダーがやってきた。
連絡とってたわけでもないのに、また偶然の再会。
なんでバイクで旅してるのに僕とペースが同じなんだよ。



ヌゼレコーレからコートジボワールへ向かう。
最初の40kmは舗装されているが、その先は工事中。
道路建設しているのは、やはり中国。

本線は工事中で通行止め、悪路の側道を進む。


まだ未完成だがほぼ舗装されて通行可能な箇所も多く、そこは本線を強行突破してしまう。



Man, Côte d'Ivoire

22147km



2019年5月23日

ギニア(パメラップ) → シエラレオネ(カンビア) 国境越え

コナクリから南東へ、シエラレオネへ向かう。

一応舗装道路だが、未舗装箇所が増えてきた。


相変わらずアップダウンの連続。
坂の下はだいたい未舗装になっており、せっかくの下りも未舗装箇所でスピードが殺され、ペースが上がらない。



アップダウン、キチガイクラクション、ボテボテコール。
アップダウン、キチガイクラクション、ボテボテコール。
アップダウン、キチガイクラクション、ボテボテコール。

西アフリカ旅行はこれで終わる気がしてきた。

ギニアフラン。




ギニア側
イミグレーションが現れると、その辺の人が案内してくれる。
パスポートコントロールの部屋へ入ると、腐臭が漂っていた。
マンガに出てきそうな、いかにも悪徳な匂いを放つボスキャラと、取り巻きの子分たち。
僕が入室してもまったく意に介さず、仕事とまったく関係ないことをしてヘラヘラ笑っている。
床にはゴミが散乱している。
20秒ほど待ってあげたが、このままだと永遠に無視されそうな気がしてきたので、パスポートをボスの目の前に置いて「スタンプしてよ」と言った。
すると子分っぽいのが、「マニー! マニー!」と言ってきた。
来た!
「NO」と答えたら、大声で「あ!? NOだと!? NOだと!?」とすごんできた。
僕はさらに大声で「当たり前だ! NOだ!」
「おまえのこと知ってるぞ。ネット上ではここは腐った国境で有名だ。皆知ってる。金なんか払うわけないだろ。」
と言ったら笑いながら引き下がった。
ボスはめんどくさそうに、パスポートをろくに見もせずにスタンプを押した。
しかし、もっとこう策略的に、賄賂を払わざるを得ないような状況に追い込まれた上で返り討ちしてみたかったのに、ただ「マニー! マニー!」だなんて雑すぎる、物乞いと変わらないじゃないか。

シエラレオネ側
緩衝地帯はなく、進んですぐのところにイミグレーションあり。
またパスポートコントロールの部屋に案内される。
やはり役人たちの上下関係は強いようで、偉そうなおっさんが若者をいいようにこき使っている。

シエラレオネビザは国境で取得できる。
僕はコナクリの大使館で取得するつもりだったのだが移転しており(大使館ってなんでこうコロコロ移転するんでしょう?)、新住所を突き止めることができず、結局国境で取得することにした。

室内ではボスが高圧的に尋問してくる。
「何しに来た?」
「シエラレオネに何の用だ?」
「なぜ大使館でビザを取ってこなかった?」
「移転はしたがコナクリに大使館はある。なぜ取ってこなかった?」
ひるむことはない、目をそらさず質問に明確に答えればいい。
宿泊先のホテル名と住所も聞かれるので、これはあらかじめ調べておく。
予約証明は不要。
話をするうちに、僕が自転車で旅をしていることを知ると、「そいつは面白い」と笑顔を見せ、談話モードになってしまった。

100USドルを払い、スタンプとレシートをもらって、完了。
滞在期限は30日。
レシートはその後の路上検問で提示を求められることもあるので保管しておく。

所要トータル30分。

両替
国境前後の街でもイミグレーション周辺でも両替屋が多数たむろっている。
もちろんギニアフランを処理できるが、やはりかれらはドルやユーロなどの外貨を求めてくる。


Monrovia, Liberia

21561km



2019年5月15日

リベリアビザ in コナクリ(ギニア)

リベリア大使館。


開館時間は不明、平日9時半ぐらいに行ってみる。
ガードマンに「ビザ申請に来た」と言うと、敷地内に入れてくれる。
敷地内に入ってすぐの小屋でビザ申請、建物内に入ることはない。

必要な物
・パスポート(ホールド)
・顔写真2枚
・100USドル

以上を渡すだけで、質疑も用紙記入もなし。
「4時に取りに来なさい」と言われた。
同日4時に取りに行き、問題なくもらえた。
滞在期限は3ヶ月、取得日からカウント開始。

宿からリベリア大使館まで12.5km、二往復すると50km。
コナクリの最悪の交通状況で50kmも走って疲れた。
もう言うまでもないが、どこもかしこも大渋滞、クラクションを鳴らしながら詰め寄り、逆走するわ歩道を走るわ、後方確認せずにバックするわ、規律のかけらもない。
ただただ自分優先で攻め、道路上には歩行者も自転車も存在しているというのに、車とバイクが路上を隙間なく埋め尽くす。
ストレスというよりは、とにかく轢き殺されないよう、全方位に神経を尖らせ、自分と自転車を守り抜くことを最優先、ビザ取りも命がけだ。


Conakry, Guinea



コナクリ 2



オエェ~~!
市場なのかゴミ捨て場なのかわからん。



コナクリ中心地へと向かう道は、カオスという他ない。
ゴミとヘドロ、悪臭、排気ガス。
交通もメチャクチャ。
やみくもに鳴らされるクラクション。
当の本人たちも鳴らす理由や理屈なんてわかっていないのだろう。
追求したところで解明できそうな気がしない。
ここにはただ醜悪な狂気だけがある。

コナクリ中心地。


またどうせ「シノワ」、「チンチョン」と言われるのだろうと思ってたら、意外に「ジャポネ」、「コンニチハ」と言う人が多い。
これには僕も笑顔で答える。

「アミ!」と言う人も多い。
これはフランス語で、意味は「アミーゴ」と同じ。
フランスでそんな言葉一度も言われたことなかったけどな。



たむろっている人たちからやたらと両替を求められる。
たしかにこういう弱小通貨の国は、ドルとかユーロとかの強力な外貨を欲しがり、好レートで交換できるのでこちらとしても都合がいい。
ATMで引き出して高額な手数料を取られることを思えば、両替した方がずっとお得。
その代わり、この弱小通貨を使い切らず余してしまって、後でドルやユーロに替えようとすると最悪なレートになる。



バイクタクシーも多い。
歩いてるだけでひっきりなしに「アミ! タクシー!」と声をかけられる。
東南アジアみたい。

このロゴ大丈夫?


シノワの仕業に違いない。

スーパーマーケットでは、コカコーラ1.25Lが4万フラン(475円)。
ここは北欧か。
スーパーで買い物するのは一握りの富裕層のみ。
並んでいる商品は、見慣れたコカコーラだったり、なんてことないクッキーだったり。
高級でもなんでもないふつうの食料や日用品が、日本や欧米よりはるかに高値で売られている。
何とかならないのかな、この不条理。
店内はエアコンが効いており、買い物するフリをしながらしばし涼む。

庶民は汚い市場で。




剛腕!



市場で米を買ったら、1kg6000フラン(71円)。
それでいいんだよ。



市場では野菜、果物、穀物、魚が売られているが、肉が見当たらない。
スーパーで冷凍の鶏の内蔵1kg3万フラン(356円)を見つけて買った。
安い肉を見つけられない時は、卵でタンパク質をとる。



首都にもかかわらずレストランが極端に少ない。
外食文化がないようで、あったとしても魅力的な食は期待できない。
コナクリ滞在中は全日自炊。





いつか再生できる日が来るのでしょうか?





こんなところでよく生きていけるな。



安宿情報は事前に入手しておくべし。
調べた限りでは、旅人御用達の安宿は1軒のみ。
Maison d'Accueil (通称Mission Catholic)で4泊。
Hotelという看板も何もないので、初見で見つけるのは難しい。


僕は人に聞いて案内してもらった。
この辺の人も、チップを求めず無償で助けてくれる。





敷地内の木に大量のコウモリ。



夕方になると、空を埋め尽くさんばかりにコウモリが飛びまわる。




シングル1泊13万フラン(1545円)。


さすがに首都中心地だけあって、電気を使える時間が長い。
扇風機と窓。
涼しい。
ここは居心地いい。

でも、19~21時の時間帯に停電することが多い。
ちゃんと外廊下に椅子が置いてあり、停電時はそこに座ってじっと復帰を待つ。

Wi-Fiなし。
Wi-Fiだと停電時はネットできないが、SIMなら停電してもできる。
SIMでテザリングしてブログアップしたりすると、みるみる容量が減っていく

水道はあるが時々断水するので、常にバケツ1杯分の水は備えておく。
トイレに便座なし。
ギニアの宿で便座のついたトイレをまだ見ていない。

朝食付き。
バゲットとコーヒーのみ。
ラマダン中だが、この宿はクリスチャンなので朝からメシ食うことには何の問題もない。

売店の謎炭酸は、350mlで5000フラン(59円)が相場。
大サイズがないので、小サイズのボトルコレクションが日々たまっていく。


恥ずかしながら、フランス語の大きな数字にまだ慣れず、買い物に戸惑うことがある。
でもギニア人は決してそのスキをついてぼったくろうとはせず、お釣りをごまかそうともしない、誠実な人たちだ。


Conakry, Guinea