2018年5月14日
イラン高原 5
もう、この日の走行中写真はこれだけ。
フェルドウス。
ヤズドから離れるにしたがって英語が通じなくなってきている。
この辺は街がある程度大きくても旅行者が立ち止まるようなところではないから、必要ないのだろう。
それでもイラン人たちは興味津々な目で笑顔で話しかけてくれる。
楽しくランチを終えて店を出て走り始めると、すかさずバイクに乗った人が「ウチの店でランチを食べていきなさい」と声をかけてきた。
ケーキ屋さん。
この人たちも英語はほとんど話せない。
でも楽しい人たちで、笑いが絶えない。
最高に甘いメロン、一玉3万リアル(78円)だと。
酒が禁じられているイスラム圏では、嗜好品として水タバコはとても一般的。
僕も久々にやってみた。
日本人はイランの文化についてよく知らないが、イラン人は「おしん」とか「水戸黄門」とか「キャプテン翼」とか、意外なものをよく知っている。
日本に行ったことのないイラン人も口をそろえて「ジャパン! グッドカントリー!」と言うのはこういう日本文化の浸透も影響しているようだ。
もちろん日本に行ったことがあるイラン人も多いということは、テレカ世代の人ならよく知っているでしょう。
アメリカに対しても友好心があるようだ。
政治的に対立しているだけで、アメリカを憎んでいるイラン人はそんなにいないという。
それどころか、革命以前の方が良かったという反ホメイニーの立場もよく耳にする。
これってラズベリー?
道端に成っている実をもぎ取っている光景をよく見る。
おいしいんだけど、イランの排気ガスも相当ひどいですよ。
やっと仕事始めた。
僕は焼き上がったものを詰めて並べる作業を手伝った。
家族親族が続々と集まってきた。
この金髪お母さん、イスラム社会では相当イケイケな方だと思いますよ。
初対面でいきなり「セルフィー! セルフィー!」と一緒に写真を撮りまくり、その後も僕の写真を撮りまくってその場でインスタに上げていた。
箸が転がってもおかしい年頃ってわけでもないだろうに、ちょっとしたことでもケラケラ笑ってキャーキャー騒いで、愉快な人だった。
もう一人お母さんがいたが、その人は黒衣装で黒いスカーフをしっかりかぶり、僕には親切に接しくれたものの、写真は撮らせてくれなかった。
この子も、僕がペルシャ語通じないことなどまったくお構いなしにガンガン話しかけてきた。
日本人は、人と出会っても最初に名前を聞かないことが多いが、世界の国々ではまず最初に互いの名前を伝え合うのがふつうだ。
僕の名前「リョウ」はほとんどの言語で存在しない発音で、いつも相手を困らせてしまう。
厨房にホワイトボードがあって、スペルを書いてくれと言われて書いてみたが、そもそもかれらにとって存在しない発音なのだからスペルを教えてもムダなのである。
しかも「リョウ」という発音に「RYO」という日本式ローマ字表記は明らかに間違っている。
さらにムダなことだが、漢字で自分のフルネームを書いて見せたら、皆さん「ウォー! ビューティフル!」と大いにウケた。
「君の名前をケーキに書いてくれ!」
「えっ!?」
なんだかよくわからない展開になってしまったが、「ぜひぜひ」と言うのでチョコソースで書いてみた。
Tシャツが替わっているのは、チョコソースをハデにこぼしてしまったからです。
売りに出されちゃったけど、いいの?
ケーキ屋の仕事が終了したのが22時半ぐらい。
それから皆で一緒にディナー。
バカにするわけじゃないが、イランで外食といったらケバブレストランかファーストフードの二択しかない。
どっちがいいかと聞かれたので迷わずファーストフードと答えた。
まだ小学生にも満たない子どもたちと、23時にファーストフードでディナーなんて考えられない。
0時頃、お宅訪問。
子どもたちは何時になったら寝るのだろうか?
ギャーギャー騒いで遊んでる。
大人たちも大声でゲラゲラ笑っている。
酒は禁じられている、誰もが素面なのにこの盛り上がりようは見事だ。
早寝早起き型の僕は、もう目が開けられない・・・眠い・・・
1時、僕は別宅で就寝。
Gonabad, Iran