2018年5月18日

トルクメニスタンビザ申請 in マシュハド

標高900m、イラン第2の都市マシュハドに到着。

午前中に到着、その足でトルクメニスタン大使館へ。
申請から取得まで日数がかかるため、ほとんどの旅行者はテヘランで申請してマシュハドで取得する。
申請には入国日出国日を指定しなければならないが、自転車の僕はそんなめどを立てられるはずもないので、国境手前の都市マシュハドで申請。

最悪と名高いトルクメニスタン大使館。
いろいろ覚悟して申請にのぞんだが、係員はなんとも紳士的で笑顔で対応してくれた。
もっとこう、人でごった返していて、おとなしく並んでも割り込まれるから強引に押しのけて、係員にアピールして、係員は無愛想で無礼者で高圧的で、ようやく書類を渡せたと思ったらここの窓口じゃない、あっちだ、だったら最初に言えよクソ野郎、、、とかそんなストレスフルな大使館をイメージしていたのだが。
実際には待たされることもなく、ムダもなく、いたってスムーズに申請できた。

トルクメニスタン大使館


受付時間
月~木・土 9:00~12:00

必要なもの
・パスポート
・パスポートカラーコピー1枚
・顔写真2枚

申請用紙を2枚渡され、その場で記入。
入国日と出国日を記入。
トルクメニスタンでの滞在先も記入。

パスポートはホールドされない。

事前情報では、白紙に自筆レターを書く必要があるとのことだったが、それについては何も言われなかった。
他の旅行者は誰もがこれを書いているのだが、なぜか僕は何も言われなかったので書いていない。

記入後、入国する街と出国する街を聞かれたので、それも指定。
出国先のウズベキスタンビザを持っているか聞かれたが、日本人はウズベキスタンビザは不要だと答えた。

1週間後に受け取りに来るように言われた。
非常に良い対応だったし忙しそうでもなかったので、5日後に行ってみる。
もし5日後に発給されれば、イランビザを延長せずにすむ。
こんなうまいこといったら拍子抜けだが、まだどうなるかわからない。

マシュハドではビザ関係以外に特にやることもなく、ヒマを持て余しそうだ。
しかも、昨日からラマダン(断食)が始まってしまった。
しかも、今日は金曜日。


Mashhad, Iran



2018年5月17日

イラン高原 6

あえてハイウェイから逸れてオールドロードで行ってみる。


道は狭くなり、傾斜もきつくなったが、交通量は激減。
静かだ。

景観も変わった。


EMS(Emergency Medical Service)という救急車の待機所みたいなところで呼び込まれた。



真ん中の人はアサディさん。
僕の姓と似ているので笑えた。

毎度毎度驚かれるのが、ひとりで旅をしているということ、それからこの歳で独身であること。
かれらの常識では考えられないことのようだが、「なんで?」と聞かれても僕としても説明に困る。
それは僕にとってまったく不自然なことではないからだ。
この質問は今後もしばらく続くだろう。

ウチの村に来なさいとお誘いを受けたが、僕もそんなにのんびりとはできない。

標高2000mから下降。




緑が増えた。









ゴナバードという街で1泊。
62万リアル(1633円)。
睡眠不足で部屋から一歩も出ず、休養。

再び見渡す限りの地平線。


路肩が広くきれいに舗装されていて、走りやすい。
この日の走行中写真はこれだけ。

トルバテ・ヘイダリーイェという街で1泊。
街にはホテル1軒だけ、しかもペルシャ語表記のみ。
Wi-Fiなし、窓なし。
60万リアル(1580円)。

街中ではいっそう注目、凝視される。

また山道へ突入。






なぜか気温低下。
日中15℃。



標高1600mでいい穴見つけた。



Mashhad, Iran

3039km



2018年5月14日

イラン高原 5



もう、この日の走行中写真はこれだけ。



フェルドウス。




ヤズドから離れるにしたがって英語が通じなくなってきている。
この辺は街がある程度大きくても旅行者が立ち止まるようなところではないから、必要ないのだろう。
それでもイラン人たちは興味津々な目で笑顔で話しかけてくれる。



楽しくランチを終えて店を出て走り始めると、すかさずバイクに乗った人が「ウチの店でランチを食べていきなさい」と声をかけてきた。

ケーキ屋さん。








この人たちも英語はほとんど話せない。
でも楽しい人たちで、笑いが絶えない。

最高に甘いメロン、一玉3万リアル(78円)だと。


酒が禁じられているイスラム圏では、嗜好品として水タバコはとても一般的。


僕も久々にやってみた。


日本人はイランの文化についてよく知らないが、イラン人は「おしん」とか「水戸黄門」とか「キャプテン翼」とか、意外なものをよく知っている。
日本に行ったことのないイラン人も口をそろえて「ジャパン! グッドカントリー!」と言うのはこういう日本文化の浸透も影響しているようだ。
もちろん日本に行ったことがあるイラン人も多いということは、テレカ世代の人ならよく知っているでしょう。

アメリカに対しても友好心があるようだ。
政治的に対立しているだけで、アメリカを憎んでいるイラン人はそんなにいないという。
それどころか、革命以前の方が良かったという反ホメイニーの立場もよく耳にする。



これってラズベリー?


道端に成っている実をもぎ取っている光景をよく見る。
おいしいんだけど、イランの排気ガスも相当ひどいですよ。



やっと仕事始めた。


僕は焼き上がったものを詰めて並べる作業を手伝った。


家族親族が続々と集まってきた。




この金髪お母さん、イスラム社会では相当イケイケな方だと思いますよ。
初対面でいきなり「セルフィー! セルフィー!」と一緒に写真を撮りまくり、その後も僕の写真を撮りまくってその場でインスタに上げていた。
箸が転がってもおかしい年頃ってわけでもないだろうに、ちょっとしたことでもケラケラ笑ってキャーキャー騒いで、愉快な人だった。
もう一人お母さんがいたが、その人は黒衣装で黒いスカーフをしっかりかぶり、僕には親切に接しくれたものの、写真は撮らせてくれなかった。



この子も、僕がペルシャ語通じないことなどまったくお構いなしにガンガン話しかけてきた。





日本人は、人と出会っても最初に名前を聞かないことが多いが、世界の国々ではまず最初に互いの名前を伝え合うのがふつうだ。
僕の名前「リョウ」はほとんどの言語で存在しない発音で、いつも相手を困らせてしまう。
厨房にホワイトボードがあって、スペルを書いてくれと言われて書いてみたが、そもそもかれらにとって存在しない発音なのだからスペルを教えてもムダなのである。
しかも「リョウ」という発音に「RYO」という日本式ローマ字表記は明らかに間違っている。
さらにムダなことだが、漢字で自分のフルネームを書いて見せたら、皆さん「ウォー! ビューティフル!」と大いにウケた。

「君の名前をケーキに書いてくれ!」

「えっ!?」

なんだかよくわからない展開になってしまったが、「ぜひぜひ」と言うのでチョコソースで書いてみた。




Tシャツが替わっているのは、チョコソースをハデにこぼしてしまったからです。



売りに出されちゃったけど、いいの?



ケーキ屋の仕事が終了したのが22時半ぐらい。
それから皆で一緒にディナー。
バカにするわけじゃないが、イランで外食といったらケバブレストランかファーストフードの二択しかない。
どっちがいいかと聞かれたので迷わずファーストフードと答えた。



まだ小学生にも満たない子どもたちと、23時にファーストフードでディナーなんて考えられない。

0時頃、お宅訪問。


子どもたちは何時になったら寝るのだろうか?
ギャーギャー騒いで遊んでる。
大人たちも大声でゲラゲラ笑っている。
酒は禁じられている、誰もが素面なのにこの盛り上がりようは見事だ。
早寝早起き型の僕は、もう目が開けられない・・・眠い・・・

1時、僕は別宅で就寝。



Gonabad, Iran



2018年5月13日

イラン高原 4



さわやかな高原の風が復活し、だいぶ楽になった。
あの異様な暑さはヤズド~タバスの砂漠地帯の局地的なものだったのだろうか。



イランの砂漠には、なんとチーターが生息しているらしい。
チーターについて調べてみるとたしかに、生息地域はアフリカ大陸とイラン、と書かれている。
といってもイラン全土で数十頭だけ。
遭遇できる可能性はほぼない。
世界最速の狩猟動物だけど、追いかけて捕まえるような獲物がいるのだろうか。



デイフーク。


3人家族が乗ったバイクが、ウチに泊まりなさいと声をかけてきた。



どこでも出されるおもてなしのチャイ。


ここの家族は、お父さんがごくシンプルな英単語を知っているだけで、あとはまったく英語を話せない。



まつ毛長すぎじゃない?







僕がペルシャ語をまったく理解できなくても、子どもたちは容赦なく話しかけてくる。










Gonabad, Iran

2814km