2019年4月25日

ダカール

日本人宿の「和心」に1週間滞在。


ドミトリー7泊8日夕食付きコースで75000CFA(14301円)。
ただし日曜日と月曜日はレストラン定休のため夕食なし。
ドミトリーは1泊に換算すると1644円、夕食は1食に換算すると575円。

出費はかまわない。
とにかく何よりも狂おしいほどに、和食を食べたい!!!











さすが日本人のつくる日本食、ウマイ!!!
食材が乏しいこんな国でもちゃんと日本の味、すばらしい。
鼻息を荒くしながら、無我夢中でむさぼる。

ごはんおかわり自由(カレーの時はカレーもおかわりできた)。
日がたつにつれて僕の大食いが知られてきて、「ごはんたくさんあるので何杯でもどうぞ」と言ってくれる。







レストラン定休の日曜日と月曜日は、キッチンを借りて自炊。

スーパーで食材を買い込んだ。
商品はやはりほとんどが輸入品で、値段は先進国よりも高い。
でもちゃんとしたスーパーはすべての商品に値段が書かれており、じっくり吟味して割安商品を見つけ出して、バクチすることなく安心して買い物できる。

野菜は路上の市場で買ってみたが、これも安くはない。
古く傷んでおいしそうには見えない野菜が、かなりの高値。

牛レバー、重さは書いてなかったが850CFA(163円)。


どこの国でも、内臓は節約派の味方だ。



いつもより米多め、約3合。
米は1kgで850CFA(162円)のものを見つけた、これは安い。



安いコーラも見つけた。


2Lで650CFA(124円)。
正規のコカ・コーラは1.25Lで同じ値段。

ランチは毎日これひとつ。


1Lで1400CFA(268円)。
安くはないが、アイスをがっつりむさぼりたい欲求には勝てない。

輸送途中でいったん溶けてるよね。


月曜の夜はバーベキューをごちそうに。


ドミトリーは定員6人。


インターンで来ている大学生が3人いた。
旅行者は僕一人。

どこの国でも、日本人宿はWi-Fiがしっかりしている。

バスルームは一室のみ。
水シャワーだが、お願いすればお湯をつくってくれるようだ。
僕は水シャワーでまったくかまわない。
トイレにトイレットペーパーあり、しかも流せる。

いいギターがある。
オーナーさんのものだが、お借りして長時間弾いてしまった。
宿に置いてあるアコギって、たいてい弦がサビサビだったり、ネックがソリソリだったりするものだが、ここのギターはとても状態がよく、気持ちよく奏でられた。
長いブランクで僕の指先はすっかり軟弱になって痛かった。





ダカールの代表的なバス。


トヨタじゃないと思うけど。















ファーストフード屋で。


なんか、なついてきた。




ダカールにはアフリカ最西端のアルマディ岬があり、行ってみた。
しかし、岬はホテルの敷地内にある。
敷地の入口には偉そうにふんぞり返ってるガードマンがいて、「入りたきゃ金を払え」と言う。
実に醜い。
動画を撮ってどれだけ醜いか本人に見せてやりたいぐらいだ。
ホテル側が正規の入場料を指定するのなら払ってもいい(少額なら)。
でもこんな腐ったガードマンなんぞの懐に入れてやる金は1セーファたりともない。

そんなわけで、少し離れたビーチから中途半端な記念撮影。


少し突き出たあの岬がアフリカ最西端(?)らしい。


なんか、しょぼいし人工的だな。

和心の屋上からもよく見える、アフリカ・ルネッサンスのモニュメント。


北朝鮮によって建設。
独立50周年を迎えた2010年に完成。



高さ50m、ブロンズ像としては世界一の大きさ。



丘の上からの眺め。




最西端の岬が見える。




セネガルにもデカトロンがある。


セネガルではかなり高級な部類。
店内はエアコンが効いていた。
Tシャツと靴下を買った。
自転車用品もわずかながらあった。







自転車で外出するのは大変。
どこもかしこも渋滞と排気ガス。
例によって、どの車も隙間をつくらず限界まで詰めようとするからすぐに膠着状態に陥る、という悪循環。
さらにところかまわず停車、路駐するので自転車も歩行者も通行できるスペースがない。
数時間の外出で喉の奥が気持ち悪くなる。








Dakar, Senegal



2 件のコメント:

  1. 日本人宿で心身胃袋とも十分に休養できたようですね。
    人間社会という言葉はある種の効率、機能性を兼ね備えたように思います。
    でもこのダカールとか亮さんが今まで巡ったこんなノリの街を見て社会とはなんぞ、と思索にふけります。
    斜め向き前のめり構図の銅像、昔から変わらない共産圏プロパガンダ芸術。

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    1. もともと実体も境界も明確でない集合体を社会と呼んでいるわけですからその概念も固定的ではなさそうです。
      効率や機能性といったものも、何を犠牲にして何を優先するか、どの視点から見て効率的機能的と言うのか、神の視点からの完璧な効率性機能性といったものはないような気がします。
      ただ、アフリカを見ているといつも「なんでそうなの?」の連続です。
      アフリカの国々が独立して60年近くたっていまだこんな状況ということは、欧米や日本とは確実に違う価値観を持っているはず。
      遅れているけどいずれ我々と同じような発展の道を歩む、とは思えません。

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