2018年5月28日

イラン高原 7

向かい風。
前日までほぼ無風で穏やかな日が続いていたのに、ちょうど出発日から向かい風。
イランよ、そんなに僕を引き止めたいのか。

マシュハドの都市部を抜けると牧草地帯。

路肩に停車していたトラックのドライバーが僕に手を振ってきた。
見おぼえのある白人、と思ったらトルクメニスタン大使館で出会ったオランダ人だった。



彼はこの、1980年製メルセデスのキャンピングカーで大陸横断をしている。
車の中で茶菓子をごちそうになり、小一時間話をした。

オランダから日本へ行き、日本から貨物船で太平洋を越えて、南北アメリカ大陸を縦断する。
彼はまだビザ待機中で、人里離れたところでキャンプ生活をしている。





通りすがりのドライバーからキウイをいただいた。


風はますます強くなってきた。
思いっきり真向かいから吹き付けて来やがる。
なんて憎ったらしい。

峠の少し手前に現れた小さな街。
消防署の前に、荷物を積んだ自転車が停まっているのが見えた。
おそらくここで1泊するつもりなのだろう。
よし、僕も便乗してみよう。



消防署の中に入ってみると、スイス人の女性がいた。
スイスからモンゴルへ向かっている。

彼女は建物内の一室に泊まり、僕は敷地内にテントを張らせてもらうよう頼んだら許可をもらえた。



シャワーも浴びて、洗濯もできて、申し分ない。

スパゲティをゆでて食べ始めた時に、消防隊員が晩飯を差し入れてくれた。


さすがに食べきれない、これは朝飯にまわすことにした。
しかしなんていい人たちなのだろう。

その後、風は予想をはるかに上回るほど猛烈に荒れまくった。
いやー、野宿しなくてよかった。
道路下のトンネルでも、このレベルの風だったらメチャクチャにされていただろう。

翌朝、けっこう登ったと思ったけど標高たった1000mの峠。


イラン最後の峠。
これを下ったら高原走行は終了。
その後はしばらく平地が続く。

下り途中、スイス人に抜かれた。


はえーな。
僕と同年代ぐらいか、あるいは年上に見えたけど。







標高300mまで下って、国境の街サラフスに到着。
明日、国境を越える。

イランリアル。





Sarakhs, Iran

3282km



2018年5月27日

トルクメニスタンビザ取得 in マシュハド

申請から11日目。
どうせ今日もダメなんだろ、と若干ふてくされながら大使館へ行ってみたらもらえた!

受け取りは通常16時、混雑していなければ12時。
土曜日は忙しいから16時だろうとバリに言われたが、朝9時に行ったらその場ですぐつくってくれた。
他の旅人から、顔写真とパスポートコピーがさらにもう1枚必要だと聞いていたが、僕は支払いだけですんだ。

必要なもの
・パスポート
・US$55(2010年以降のきれいな50ドル紙幣と5ドル紙幣)

折り目がある紙幣はダメ。
破れ、汚れ、落書きなどがある紙幣もダメ。
きれいな状態でも2010年以前の紙幣はダメ。
20ドル紙幣とか10ドル紙幣など他の紙幣の組み合わせもダメ。
モンゴルで出会った日本人からそのことを聞いていたので、だいぶ前から用意し、折れたりしないように大事に保存しておいた。
僕のは2013年製のほぼ新札といっていい状態で、係員は入念にチェックしていたが無事パス。

条件をすべてクリアして、11日も待たせておいて、取得できるのは5日間のトランジットビザのみ。
陸路旅行でトランジットとは何ぞや?
理解に苦しむがオーバーランダーたちは皆同じ、5日間でトルクメニスタンを突っ切らなければならない。

5月24~28日の滞在で指定していたが、今日はもう26日。
申請した指定日は変更できないという話も聞いていたが、さすがに今から出発して28日までに出国するのは不可能なので、変更できた。
イランビザを延長したので急ぐ理由はない、5月29日~6月2日の5日間で指定しなおした。

近年、中央アジアはビザフリー化が進んでいる。
以前はビザが必要だったカザフスタンとウズベキスタンは不要になった。
タジキスタンはオンラインで簡単にビザ取得できるようになった。
残るトルクメニスタンだけがいまだ閉鎖的。
昔の旅人情報を読むと、これでもいくらかマシになってきた感はあるが。
閉鎖的、厳格にするのはいいが、可なら可、不可なら不可、パパっと迅速に処理してもらいたいものだ。
まったく、人の時間を何だと思っているのか。

宿に戻ると、バリは我が事のように喜んでくれた。
無邪気なじいさんだ。

余ったリアルをドルに戻さなければならない。

イラン入国当時の闇レートは、
US$1=5万3000リアル。
イスファハーンにいた頃は、
US$=5万5000リアル。
今は、
US$1=6万3000リアル。

今イランに入国した人はとてもお得だと思う。
今リアルをドルに戻す僕は愚かというほかない。
でもなんだかんだでマシュハドで散財したので、それほど莫大な額を残さずにすんだ。

バリに両替してもらった。
彼は計算が苦手なのか、支払いの時もいつも僕に計算をまかせて、渡した紙幣を確認もせずにポケットにしまいこむ。
「日本人は正直だから信頼する」と。
そりゃチョロまかしなんかしませんよ。

最後の晩餐。


明日、ここを発つ。
国境まで200kmあるので2日かけて行き、29日の朝にトルクメニスタン入国予定。


Mashhad, Iran



2018年5月25日

マシュハド 2

昨日、トルクメニスタン大使館に行ったがやはり2~3日後にまた来るようにと言われた。
2~3日後と言われても金曜日は休みなので最短でも土曜日。
土曜日もダメだったら日曜日は休みなので次の可能性は月曜日。

大使館にいる係員に何を言っても何を聞いてもムダ。
おそらくどこかでパスポート情報を照会中で、コンピュータ上でOKサインが出ない限り係員にはどうすることもできない、という状況なのだと思う。
トルクメニスタンビザが最悪と言われる所以がだんだんわかってきた。

周りの人には口に出して言わないようにしているが、ここでは思い切って言ってしまおう。

ヒマだ!!!

天気は連日快晴。
でもマシュハドで街歩きしても何もおもしろくない。
宿で一日中ディスプレイを見つめているだけ。
廃人になりかけている。

バリが見かねて、日帰りツアーを組んでくれた。
新たにやってきた香港人と一緒に。

市街から40kmほど、キャンという村。


ラダックを彷彿させる景観。































これでUS$20という割高ツアー。
しかも途中のチャイやランチは自ら注文したわけでもないのに、別料金でその都度徴収された。
しかもバリもその息子も飲食したのに、全額僕と香港人で負担したっぽい。
事前の説明もなく、自分の意志とは無関係に追加料金を請求されると、なんだかアフリカを思い出してしまって、信頼関係が崩れる。
気持ちここをよく去りたいので、文句を言うのはこらえた。
なんにしても、僕はこの手のツアーで満足できたためしがないので、向いてないのだと思う。

明日、またトルクメニスタン大使館に行ってみる。
さんざん待たされた挙句にビザがもらえないというケースもあるようなので、最悪の事態に備えてあらゆるプランを練っておく。


Mashhad, Iran



2018年5月22日

イランビザ(アライバルビザ)延長 in マシュハド

トルクメニスタン大使館、2~3日後にまた来るようにとのこと。

ガッカリ。

僕のイラン滞在許可は5月24日まで。
2日後の24日にトルクメニスタンビザをもらえたとしても、国境まで200kmあるので間に合わない。
しかも本当に2~3日後にもらえるという確証もない。

そんなわけで、イランビザ延長。

マシュハドのパスポートオフィスには英語を話せない人が多いようなので、バリがペルシャ語でレターを書いてくれた。
これこれの事情でビザを延長させてくださいという内容。


宿からパスポートオフィスまで6km。
ちょうどバリもその近くで用事があるので一緒に行こう、と。
近所のヒマそうなおじさんにいくらか払って、車で連れて行ってもらった。

マシュハドに来た翌日、外出する時は長ズボンを履くようにとバリから注意されたので、僕はそれを守っている。
パスポートオフィスなどでもラフな格好は望ましくなく、上下とも長袖で行った。

パスポートオフィス


受付時間
土~水 7:00~13:30
これはラマダン中の受付時間、通常はこれより1時間遅いらしい。

必要なもの
・パスポート
・パスポートコピー (顔写真ページ2枚、入国スタンプページ2枚)
・34万5000リアル

コピー屋はパスポートオフィスの近くにある。
Eビザの場合、入国時にもらったビザ情報が書かれた紙も一応持っておいた方がいい。

敷地内はスマホ持ち込み禁止、受付で預ける。
入口の受付の男性は英語を話せて、親切に教えてくれた。

1.
「FORM」の窓口で申請用紙をもらう。
ペルシャ語表記なので、英語を話せる受付係員に記入してもらう。

2.
建物内、奥に座っている係員に向かう行列に並ぶ。
列は男女別になっている。
並んでいる人たちのパスポートをチラ見したらアフガニスタン人とかイラク人とか、あと中央アジアっぽい顔つきの人もいた。
僕はここで1時間待った。
係員は英語がまったく話せない人だったので、バリが書いてくれたレターを見せた。
係員は申請用紙にペルシャ語で何やら書き、ペルシャ語で僕に何か言ったがわからなかったので、受付に戻って英語が話せる係員に聞いた。
この申請用紙を持って銀行へ行けとのこと。

3.
銀行


銀行はパスポートオフィスから400m。
番号札を取って待つが、数字もペルシャ文字なので自信ない。
バリが用事を終えて戻ってきて、ここでも助けてくれた。
34万5000リアル(908円)払って、領収書をもらう。

4.
パスポートオフィスに戻り、また「FORM」の窓口で領収書を見せて、よくわからない紙をもらう。

5.
建物内の窓口9~11のいずれかでパスポートと書類をそろえて渡す。

6.
呼ばれたら、パスポートを受け取って、完了。

これで15日間の延長に成功。
所要2時間半。

忙しくない時期だったのか何なのかわからないが、僕は特別扱いされたっぽい。
通常はもっと面倒な書類を作成して(他の人たちは顔写真を貼ってファイルにまとめていた)、窓口の向こうのデスクにはパスポートとファイルが山積みになっていて、パスポートはホールドされて翌日受け取れるらしい。
マシュハドでビザ延長したという日本人の情報を読んでみても、そんな感じだった。
所要2時間半でも十分ストレスフルだが、僕は相当ラッキーだったようだ。

ともあれ、明確にわかったこと。
・アライバルビザでも延長できる。
・イスラエル渡航歴があっても延長できる。
・ビザ期限の2日前でも延長できる。

もちろんビザ状況は流動的だし、こちらの態度や服装が悪いと係員の対応も変わるかもしれない。

ノーマルビザの場合、30日の延長を複数回できるらしい。
アライバルビザは15日の延長1回のみ。

ちなみに、1日オーバーステイした場合の罰金はビザ延長料金と同額らしいので、1日超過ぐらいだったらわざわざビザ延長しない方がいい。
それ以上の超過にどんな罰則があるのかは知らない。
罰金では済まないペナルティがある可能性もあるのでこういうリスクは避けたい。

2時間半、バリと運転手のおじさんは待ってくれていた。
僕は運転手に最初の言い値より多く払い、バリにもチップをはずんだ。
バリの助けがなかったらもっと苦戦していたと思う。

今日トルクメニスタンビザをもらえなかったのは悔しいが、ビザ延長をこなせたことでひとつ肩の荷が下りた。




Mashhad, Iran



2018年5月21日

マシュハド 1

マシュハドでは安宿の選択肢があまりなく、長期旅行者はここに集まる。


ドミトリー1泊US$10。
リアルで支払うと1泊62万リアル(1634円)と非常に割高。





オーナーのバリじいさんはとてもわかりやすい英語を話し、いつも礼儀正しく丁寧に客をもてなしてくれる紳士だ。
ホテルでもなくホステルでもなく、「HOMESTAY」と名付けているところにも彼の人柄が表れている。
実際ここは彼の家で、奥さんと娘さんもここで生活している。

ビザ情報に精通していて、相談すれば丁寧にアドバイスしてくれる。
しかもトルクメニスタン大使館まで750mという好立地。

僕のアライバルビザは延長できるだろうかと聞いてみたら、「その時はペルシャ語でレターを書いてあげよう」と言ってくれて、頼もしい人だ。

また日本人びいきで、あいさつ程度の日本語を話せる。
ドイツ語とフランス語も話せる。





テヘランで出会い、イスファハーンで再会した香港人のロンと、またもや再会した。
マシュハドに到着する日時も宿もお互い知らせていなかったのに、まったく同じ日に同じ宿でバッタリ。

マシュハド唯一の見どころである聖地イマーム・レザー廟に行こうと誘われた。
僕は気が進まなかったが(だって短パンだから)、一緒に行くことにした。



入口のゲートで警備員が立っていた時点で僕は帰りたくなった。
ここはムスリムが巡礼に来る聖地であり、外国人はまずゲートで止められる。
短パンをズリ下げて、スネが少しでも隠れるようにした。
ふつうのモスクでも入らないように自粛しているのに、こんな由緒ある聖地に短パンで来てしまって本当に申し訳ない。

ちなみにトルクメニスタン大使館に行った時は、上下とも長袖のインナーを着ていった。
でも大使館員は僕の服装などまったく気にしていない様子だった。

いろいろ質問された後、英語を話せる人が来て、その人についていくという条件で入場が許可された。
非ムスリムは立入禁止というわけではなく、ガイド付きのちょっとした見学ツアーという形で歓迎されるようだ。

カメラやライターその他危険物の持ち込みは禁止。
スマホの持ち込みは可、ガイドが許可した時のみスマホでの撮影可。
敷地は広大で美しく、制限がなければ皆撮りまくると思う。





流暢な英語を話すここの聖職者たちも、日本人だと答えただけで目を輝かせる。
日本のヒーターはグレートだ、車もグレートだ、ハヤオ・ミヤザキもグレートだ、と。
僕自身は何もしていないのに絶賛されまくって変な気分になる。



通りすがりの巡礼者のおじさんから「ニホンジン?」と声をかけられた。
80~90年代に日本に15年住んでいたという、流暢な日本語を話す人だった。
「オレの日本語はどうだ? まだ忘れないよ。」
「こっちの人は日本人じゃないが、あんたは日本人だなって、見てわかったよ。」
「オレは毎晩トルコのビール飲んでるけど、アサヒスーパードライが恋しいよ。」
「東京じゃよく六本木に行ってナンパしたぜ。」
などなど、隣に奥さんいたのだが日本語わからないのをいいことに、ぶっちゃけてくれた。
「テヘランの空港近くに住んでるんだ。テヘランに来たらウチに泊まりに来な。」
と言ってくれた。
こんな人の家に泊まれたら楽しそうだが、残念。
「歳はいくつだ? なんで結婚しない? ひとりはよくないよ。イランの女はどうだ? 結婚しなよ。」
と、くどくど言いながら去っていった。

翌日。
ラマダンが始まった。
この日になって初めて知って、愕然とした。

パキスタン以来、僕にとって2度目のラマダン。
ラマダンとは、イスラム暦(太陰暦)の毎年9月に1ヶ月間おこなわれる断食。
日中は飲食禁止、喫煙や性行為も禁止。
日没後は解禁。

イスラム教徒は世界で16億人いるといわれている。
世界の人口の5人に1人が現在断食中ということである。
ただし、幼児、妊婦、病人、旅行者にはその義務はない。

ビザ待ちでしばらくここに滞在しなければならないというのに、ラマダンか。
日中はレストランはすべて閉まっている。
スーパーで食料を買うことはできるが、旅行者でも外でおおっぴらに飲食するのはよろしくないので、宿でこっそりと食べる。

幸い、ケーキ屋が開いていた。


宿では、トルクメニスタンから来た日本人も何人かいて、情報交換できた。

サイクリストもいた。
ロンドンから日本へ向かうアイルランド人。


キャンピングカーで旅しているスイス人一家。


こんな小さな子供2人も連れて、これからトルクメニスタンに行くという。
子供が生まれる前は車でアフリカ一周したこともあるという、たくましい夫婦。

オーダーすれば、US$5でディナーをつくってくれる。

これは独特のねっとり感ですごくおいしい。




いや、すごくうまい。
レストランのメニューにはこんなものない、まるで別物じゃないか。
こんなにガツガツモリモリむさぼったのはイランでは初めてかもしれない。



バリと娘さん。


昼はケーキ屋に行くのが日課になった。


宿の近くにアウトドアショップが何軒かあり、OD缶を買った。
カセットコンロはバリに譲った。
とても喜んでくれて、ライスプディングをつくってくれたり、ディナーを無料にしてくれたりした。
律儀な人だ。



ケーキに飽きたらフルーツ。


僕はここのディナーがすっかり好きになり、毎晩オーダーするようになった。



白いのはヤギのミルクでつくったヨーグルト。



ノンアルコールビールというものを初めて飲んだ。
ふつうのビールとの違いは僕にはわからない。

ネバネバした食感のものが多いというのは興味深い。
我々日本人もネバネバ大好きだ。



バリは他の旅行者に言う。
「多すぎて残してしまっても気にしないで。リョウが全部食べてくれるから、ハハハ。」

旅を始めて3ヶ月。
推定で体重10kgぐらいは落ちた。
お腹ぺったんこ。
こんなすばらしい家庭料理出されたらそりゃスイッチ入りますよ。

また失敗してしまった。
リアルがだいぶ余ってしまった。
宿代もリアルで払い、買い物もたくさんしたけど、それでも余る。
思ってた以上にイランでは金を使わなかった。
イランでトルクメニスタンの通貨マナトは入手できないそうなので、ドルに戻すしかない。
ドルからリアルに両替するのは歓迎されるが、この不安定で貧弱な通貨リアルをドルに両替するのは非常にレートが悪い。
けっこうな大損になりそうだ。
つくづく僕はお金のやりくりがヘタだ。

明日、トルクメニスタン大使館に行ってみる。
通常は受け取りは16時だが、今は忙しくないので12時に受け取れる、と今日去っていったイギリス人が言っていた。
僕もうまくもらえれば、明日の昼には出発する。


Mashhad, Iran



2018年5月18日

トルクメニスタンビザ申請 in マシュハド

標高900m、イラン第2の都市マシュハドに到着。

午前中に到着、その足でトルクメニスタン大使館へ。
申請から取得まで日数がかかるため、ほとんどの旅行者はテヘランで申請してマシュハドで取得する。
申請には入国日出国日を指定しなければならないが、自転車の僕はそんなめどを立てられるはずもないので、国境手前の都市マシュハドで申請。

最悪と名高いトルクメニスタン大使館。
いろいろ覚悟して申請にのぞんだが、係員はなんとも紳士的で笑顔で対応してくれた。
もっとこう、人でごった返していて、おとなしく並んでも割り込まれるから強引に押しのけて、係員にアピールして、係員は無愛想で無礼者で高圧的で、ようやく書類を渡せたと思ったらここの窓口じゃない、あっちだ、だったら最初に言えよクソ野郎、、、とかそんなストレスフルな大使館をイメージしていたのだが。
実際には待たされることもなく、ムダもなく、いたってスムーズに申請できた。

トルクメニスタン大使館


受付時間
月~木・土 9:00~12:00

必要なもの
・パスポート
・パスポートカラーコピー1枚
・顔写真2枚

申請用紙を2枚渡され、その場で記入。
入国日と出国日を記入。
トルクメニスタンでの滞在先も記入。

パスポートはホールドされない。

事前情報では、白紙に自筆レターを書く必要があるとのことだったが、それについては何も言われなかった。
他の旅行者は誰もがこれを書いているのだが、なぜか僕は何も言われなかったので書いていない。

記入後、入国する街と出国する街を聞かれたので、それも指定。
出国先のウズベキスタンビザを持っているか聞かれたが、日本人はウズベキスタンビザは不要だと答えた。

1週間後に受け取りに来るように言われた。
非常に良い対応だったし忙しそうでもなかったので、5日後に行ってみる。
もし5日後に発給されれば、イランビザを延長せずにすむ。
こんなうまいこといったら拍子抜けだが、まだどうなるかわからない。

マシュハドではビザ関係以外に特にやることもなく、ヒマを持て余しそうだ。
しかも、昨日からラマダン(断食)が始まってしまった。
しかも、今日は金曜日。


Mashhad, Iran



2018年5月17日

イラン高原 6

あえてハイウェイから逸れてオールドロードで行ってみる。


道は狭くなり、傾斜もきつくなったが、交通量は激減。
静かだ。

景観も変わった。


EMS(Emergency Medical Service)という救急車の待機所みたいなところで呼び込まれた。



真ん中の人はアサディさん。
僕の姓と似ているので笑えた。

毎度毎度驚かれるのが、ひとりで旅をしているということ、それからこの歳で独身であること。
かれらの常識では考えられないことのようだが、「なんで?」と聞かれても僕としても説明に困る。
それは僕にとってまったく不自然なことではないからだ。
この質問は今後もしばらく続くだろう。

ウチの村に来なさいとお誘いを受けたが、僕もそんなにのんびりとはできない。

標高2000mから下降。




緑が増えた。









ゴナバードという街で1泊。
62万リアル(1633円)。
睡眠不足で部屋から一歩も出ず、休養。

再び見渡す限りの地平線。


路肩が広くきれいに舗装されていて、走りやすい。
この日の走行中写真はこれだけ。

トルバテ・ヘイダリーイェという街で1泊。
街にはホテル1軒だけ、しかもペルシャ語表記のみ。
Wi-Fiなし、窓なし。
60万リアル(1580円)。

街中ではいっそう注目、凝視される。

また山道へ突入。






なぜか気温低下。
日中15℃。



標高1600mでいい穴見つけた。



Mashhad, Iran

3039km



2018年5月14日

イラン高原 5



もう、この日の走行中写真はこれだけ。



フェルドウス。




ヤズドから離れるにしたがって英語が通じなくなってきている。
この辺は街がある程度大きくても旅行者が立ち止まるようなところではないから、必要ないのだろう。
それでもイラン人たちは興味津々な目で笑顔で話しかけてくれる。



楽しくランチを終えて店を出て走り始めると、すかさずバイクに乗った人が「ウチの店でランチを食べていきなさい」と声をかけてきた。

ケーキ屋さん。








この人たちも英語はほとんど話せない。
でも楽しい人たちで、笑いが絶えない。

最高に甘いメロン、一玉3万リアル(78円)だと。


酒が禁じられているイスラム圏では、嗜好品として水タバコはとても一般的。


僕も久々にやってみた。


日本人はイランの文化についてよく知らないが、イラン人は「おしん」とか「水戸黄門」とか「キャプテン翼」とか、意外なものをよく知っている。
日本に行ったことのないイラン人も口をそろえて「ジャパン! グッドカントリー!」と言うのはこういう日本文化の浸透も影響しているようだ。
もちろん日本に行ったことがあるイラン人も多いということは、テレカ世代の人ならよく知っているでしょう。

アメリカに対しても友好心があるようだ。
政治的に対立しているだけで、アメリカを憎んでいるイラン人はそんなにいないという。
それどころか、革命以前の方が良かったという反ホメイニーの立場もよく耳にする。



これってラズベリー?


道端に成っている実をもぎ取っている光景をよく見る。
おいしいんだけど、イランの排気ガスも相当ひどいですよ。



やっと仕事始めた。


僕は焼き上がったものを詰めて並べる作業を手伝った。


家族親族が続々と集まってきた。




この金髪お母さん、イスラム社会では相当イケイケな方だと思いますよ。
初対面でいきなり「セルフィー! セルフィー!」と一緒に写真を撮りまくり、その後も僕の写真を撮りまくってその場でインスタに上げていた。
箸が転がってもおかしい年頃ってわけでもないだろうに、ちょっとしたことでもケラケラ笑ってキャーキャー騒いで、愉快な人だった。
もう一人お母さんがいたが、その人は黒衣装で黒いスカーフをしっかりかぶり、僕には親切に接しくれたものの、写真は撮らせてくれなかった。



この子も、僕がペルシャ語通じないことなどまったくお構いなしにガンガン話しかけてきた。





日本人は、人と出会っても最初に名前を聞かないことが多いが、世界の国々ではまず最初に互いの名前を伝え合うのがふつうだ。
僕の名前「リョウ」はほとんどの言語で存在しない発音で、いつも相手を困らせてしまう。
厨房にホワイトボードがあって、スペルを書いてくれと言われて書いてみたが、そもそもかれらにとって存在しない発音なのだからスペルを教えてもムダなのである。
しかも「リョウ」という発音に「RYO」という日本式ローマ字表記は明らかに間違っている。
さらにムダなことだが、漢字で自分のフルネームを書いて見せたら、皆さん「ウォー! ビューティフル!」と大いにウケた。

「君の名前をケーキに書いてくれ!」

「えっ!?」

なんだかよくわからない展開になってしまったが、「ぜひぜひ」と言うのでチョコソースで書いてみた。




Tシャツが替わっているのは、チョコソースをハデにこぼしてしまったからです。



売りに出されちゃったけど、いいの?



ケーキ屋の仕事が終了したのが22時半ぐらい。
それから皆で一緒にディナー。
バカにするわけじゃないが、イランで外食といったらケバブレストランかファーストフードの二択しかない。
どっちがいいかと聞かれたので迷わずファーストフードと答えた。



まだ小学生にも満たない子どもたちと、23時にファーストフードでディナーなんて考えられない。

0時頃、お宅訪問。


子どもたちは何時になったら寝るのだろうか?
ギャーギャー騒いで遊んでる。
大人たちも大声でゲラゲラ笑っている。
酒は禁じられている、誰もが素面なのにこの盛り上がりようは見事だ。
早寝早起き型の僕は、もう目が開けられない・・・眠い・・・

1時、僕は別宅で就寝。



Gonabad, Iran



2018年5月13日

イラン高原 4



さわやかな高原の風が復活し、だいぶ楽になった。
あの異様な暑さはヤズド~タバスの砂漠地帯の局地的なものだったのだろうか。



イランの砂漠には、なんとチーターが生息しているらしい。
チーターについて調べてみるとたしかに、生息地域はアフリカ大陸とイラン、と書かれている。
といってもイラン全土で数十頭だけ。
遭遇できる可能性はほぼない。
世界最速の狩猟動物だけど、追いかけて捕まえるような獲物がいるのだろうか。



デイフーク。


3人家族が乗ったバイクが、ウチに泊まりなさいと声をかけてきた。



どこでも出されるおもてなしのチャイ。


ここの家族は、お父さんがごくシンプルな英単語を知っているだけで、あとはまったく英語を話せない。



まつ毛長すぎじゃない?







僕がペルシャ語をまったく理解できなくても、子どもたちは容赦なく話しかけてくる。










Gonabad, Iran

2814km



2018年5月10日

イラン高原 3

北東へ。




標高1000~1500m、緩やかだが長いアップダウンが続く。







また道路下のトンネルで。


街が少なくなったので水と食料を多めに積んで自炊せざるをえなくなった。
テヘランでOD缶を入手できなかったので、買ってしまった。

カセットコンロ!


こんなにも安定感あるコンロを携帯している旅人は他にいないでしょう。
でかすぎるというデメリットがあるだけで、使い勝手や火力などは申し分ない。
テヘランでこれを買った後、イスファハーンのアウトドアショップでOD缶を発見してしまったが、すでに遅し、しばらくこのカセットコンロでいく。
料理は別にしても、キャンプ中はコーヒーが恋しくなるから、やはり火は必要だ。





想像を超える気温上昇。
標高1000mで5月上旬で37℃にもなるなんて反則でしょう。
暑い、乾く。

街と街の間隔は100km以上。
水の管理を誤ると生死に関わる。

もう少しで水が尽きるという頃、街が現れてくれた。


レストランで。


砂漠の中に現れた小さなオアシスの街でも、ここのおばさんは英語を話せた。
「あなたのインスタ教えてよ。」と言われた。
Facebookがブロックされているイランでは、連絡先の交換にInstagramがよく使われているようだ。
欧米その他の国々では、連絡手段としてWhatsAppをメインで使っている人も少なくない。
僕は連絡手段は最少におさえたいので、SNSはFacebook(Messenger)以外はやっていない。
世界旅行ラウンド2の時はFacebookが主流で、人との連絡もそのひとつですんでた。
今は人によって地域によってバラバラで、なんとか統一されないものかな。



次の補給地まで160km。
炭酸6Lと水3Lを買った。

イランの国土は日本の4.4倍。
人口は8000万人。
数字上の人口希薄さはそこまで極度ではないが、この不毛の地でこの暑さ。
水分は積めるだけ積んでおきたい。

交通量はだいぶ減少したが、その代わり路肩未舗装になってしまったので、車道を走る。


すれ違うトラックはスイカやメロンを積んでいるのだろうか、乾いた風に甘い香りが乗る。







日差しから逃れられる場所はここしかない。


ここでも、吹き込む風は熱風。
温度計は30℃を示している。









ぐんぐん下って、標高600m。
どうせまた上昇することになるから、あまり下りすぎるのももったいない。

タバス。


四方を砂漠に囲まれた陸の孤島のようなところに、こんな立派な街が成立しているのは不思議だ。
広場には噴水もあった。

ちなみに、同じイスラムでもスンニ派と違ってシーア派は偶像崇拝には寛容で、街のそこらにホメイニーの肖像などが見られる。


あとアザーンは、スンニ派が1日5回に対してシーア派は1日3回。
ボリュームもシーア派の方が控えめ。




Tabas, Iran

2551km