2019年3月28日

ラーユーン

せっかくフラットなのに、向かい風。


だいたいどこへ行っても、朝は穏やかで昼頃から風が強まるパターンが多い。
なるべく朝早く出発して午前中に距離をかせぐのだが、あがいたところで目的地にたどり着く前に風につかまってしまう。
この日は朝からそこそこ吹いていた。



ここはアフリカ最大のウインドファーム。
とても一度に全貌を見渡せないほど無数の風車が並ぶ。

他の北アフリカ諸国、たとえばアルジェリア、リビア、エジプト、スーダンなどは産油国だが、モロッコは石油が出ず、エネルギーを自給できない。
そこで一年を通じて吹く貿易風を利用して、数年前から風力で電力供給するようになった。



まだ砂砂漠というよりは礫砂漠。
楽しめる風景ではない。
ただただ風に逆らって必死にペダルに力をこめる。

向かい風の日は、丸一日「向かい風」で終わる。
一日を思い返してみると、とにかく「向かい風」だった。
それぐらいのエネルギーを消費する。

西サハラに「入国」。


西サハラは本州+九州ほどの面積、ほぼ全土が砂漠。
独立を主張するサハラ・アラブ民主共和国が東側の3割を実効支配。
西側の7割をモロッコが実効支配。

そのいずれも国際的に承認されていない空白地帯。
国際上はここには国は存在しないことになっているので、「西サハラ地域」と呼ばれる。



1844年~1976年、西サハラはスペイン領だった。
スペインが領有権を放棄すると、モロッコとモーリタニアで分割統治することになった。
同時期に、独立をめざすポリサリオ戦線がアルジェリアの支援によってサハラ・アラブ民主共和国を樹立。
ポリサリオ戦線がモーリタニアを攻撃し、屈したモーリタニアは西サハラの領有権を放棄。
すると即座にモロッコがその領域に攻め込んで掌握したが、これは不法占拠とみなされている。
サハラ・アラブ民主共和国は、アフリカ連合には加盟しているが国際連合には未加盟で、国としての地位を獲得できていない。



ざっと地図を見た限り、サハラ・アラブ民主共和国に至る道路はアルジェリア側とモーリタニア側からのみで、モロッコから行くことはできない。
行ったことがあるという人に出会ったことないし、どんなところなのかまったく謎。

通常の西サハラ通過ルートはモロッコの支配領域で、今までと特に変わりはない。
モロッコにとってはここは自国領土なので、この「国境」にはイミグレーションもなければパスポートチェックもなく、フリーパス。



領土問題の解決には、戦争して武力制圧する以外に手段がないとすれば、21世紀の領土問題は未解決のまま現状維持の道を歩み続けるのか。

スポーク折れた。


スポーク折れなんて超久しぶり。
過積載してるわけでもないし、突発的な衝撃を受けたわけでもない。
何だろう、日々のチェック不足?

折れたのはやはりリアのスプロケット側。
スポークの負荷が最も大きいのはリアのスプロケット側なので、折れるのはいつも決まってここ。
交換するにはスプロケットを外さなければならないので面倒。

とりあえずこの場では応急処置だけして、街に着いてから交換することにした。

「首都」ラーユーン。


街に入る前に、まずは軍、その数十m先で警察による検問が別々にある。
二度も止められて苛立つ旅行者の心理をわかっているようで、なだめるように笑顔で止められた。
礼儀正しく友好的に接してくれれば、僕もあえて苛立ったりはしない。
検問が終わると「写真撮らせてくれよ」なんて言ってスマホで撮られた。
なんかノリ軽いな。





モロッコさん、これは大人気ない。


ここは地図上では西サハラだが支配しているのはモロッコなので、今まで通り通貨はディルハム、SIMも継続して使える。



広場のベンチに座っていたふたりの女子学生から声をかけられた。

「ニイハオー、ジャッキー・チェン、キャー!」

なんとも可愛らしい、といっても目しか出していないのでどんな顔なのかもわからないが、キャーキャー騒ぎたい年頃というのは全世界の女性に共通のようだ。
イスラム圏でもまれにこういうノリの女の子に遭遇する。

一緒に写真を撮りたいと言うので、彼女たちのスマホで撮った。
僕に体をピッタリ密着させ、手を握られた。
周囲のおじさんたちがすっごいガン見してきた。

「じゃあ、僕のカメラでも。」
と言ったらとたんに、「NO!」
「なんで? 今撮ったのと同じようなのを僕のカメラで撮りたいだけだよ。」
理由を聞きたかったが、彼女たちの英語はごくベーシックで、そこまで話せないようだった。
怒らせてしまったわけではなくケラケラ笑っていたけど、結局最後まで撮影は断固として拒否された。
仲良くなれば撮らせてもらえると思ってたんだけどな。
もうけっこう長いことイスラム圏を旅してきたけど、一体どんな理屈が彼女たちをそうさせるのか、ちゃんと説明してくれた人はまだいない。



アフリカ大陸にあるマクドナルドといったら、南アフリカ、エジプト、そしてモロッコぐらいか。
つまり南部と北部だけで、その間にはない。
ここが最後のマックかもしれないので、入ってしまった。
注文はタッチパネル、言語選択がアラビア語とフランス語しかなかったが、カンでなんとかできた。
店員は英語を話せる人だった。
物価が安い国ではマックの値段も安いはずだが、ここは欧米や日本と変わらない値段だった。



昨日までの荒野がウソのよう。
噴水があり、高級ホテルがあり、スーパーもある。
中国によるチベットやウイグルへの手口と同じで、モロッコも西サハラに金をつぎ込んで発展させ、既成事実をつくって後戻りできないようにしているのだろう。











右のロープを少しゆるめ、それから左のロープを少しゆるめ、というふうにちょっとずつ下降していた。
突然の便意尿意、突然の雷雨、その他緊急事態に陥ってもすぐには逃げられない、惨事必至。



一つ星のHotel Zemmourに滞在。


シングル1泊80ディルハム(919円)。
Wi-Fi良好、トイレ・シャワーは共同、特に問題なし。
マクドナルドの近く、スーパーもあり、立地良し。

予約サイトやGoogle Mapsに出てくるのは高級ホテルばかりで、有用な安宿情報がなかなか出てこず、不安を抱きながら街に入ったが、安宿は豊富にある。
マクドナルドがあるラウンドアバウト周辺、またそこからまっすぐ南へのびる通りに多数の安宿がある。

ミニ電気コンロ、衝動買い。


85ディルハム(974円)。

ヨーロッパの多くの国ではレジ袋が有料で、日々のゴミ処理に困ることがあった。
モロッコでは、ビニールではなく布の袋が一般的。
ちょっとした買い物でも必ず袋をくれるので、たまっていく一方。


スポーク交換は問題なく完了。
スペインでスペアスポークを買っておいてよかった。
でもここ数年スポーク折れなんてなかったので、そんなに多くは買わなかった。
早くも1本折れてしまうなんて、もしこの先バキバキ折れだしたらやばいな。

追い風待ちのため、連泊中。

アフリカ北西部の大西洋上では、一年を通して北東からの強い風が吹く。


これが貿易風。
大航海時代にヨーロッパからアフリカへ向かった探検家たちも大いに活用したことだろう。

偏西風や貿易風といった恒常風は、敵に回すと地獄を見るが、味方に回せばこんなに頼もしいものはない。
モロッコに入ったらずっと追い風だと思っていたのだが、甘かった。
貿易風が吹くのはあくまで海上で、内陸に入ると巻かれてあらぬ方向から吹く。
今までは、どちらかというと横風や向かい風の方が多かった気がする。

この先は海沿いの砂漠を南西に向かう、貿易風の影響が最大になると思われるエリア。
しかしまさかまさか、ここに来てなんと風向きが逆転!


パタゴニアの偏西風なんかは毎日24時間一定して真西からの風だったが、貿易風はコロコロ変わってしまうのか。

この先は街の間隔がぐんと遠くなり、一方は海、一方は砂漠で風を遮るものがまったくない。
そこで真っ向から風に逆らって進むことがどれほどの苦行となるか、これは荷物満載の自転車に乗ったことのある人にしかわからないだろう。
そんなわけで、出発を見合わせて待機。

幸い、ラーユーンは観光地でもなければ寂れているわけでもなく、気候もすごしやすく、宿も居心地いいし、のんびり連泊するにはちょうどいい街。
もう少し長居してもいいかなと思ってしまうぐらい。



予報によれば、明日から本来の北東風が復活する。
頼みますよ、貿易風!


Laayoune, Western Sahara

17695km



2019年3月25日

タルファーヤ

また山道。


路肩未舗装になると車道を走らざるをえない。
するとクラクションを鳴らして僕を路肩に突き落とそうとするゴミドライバーが増加する。
モロッコ人もクラクションを鳴らすことに罪の意識を持ってなさそうだが、比較的おとなしめだったので目をつぶってきた。
でもそろそろ我慢ならず、この辺で愚痴を吐く。

こんな砂漠で自転車と後続車と対向車の三者が重なることなんて、車からすれば1日に1度あるかないかだろう。
自転車からすると1日に何十回もある、ただでさえ気を遣ってスレスレの端っこを走ってあげてるのに、両方向からの車が重なるたびに未舗装の路肩にどいて車のために道を譲れと? 死ねよゲス野郎。
お前が減速するなりして対向車と重ならないようタイミングをずらしてから追い越せばいいだけの話。
クラクションを鳴らさずにそれができるまともなドライバーもいるのに。

先進国では追い越しをかける車が優先されることはないが、後進国では強い者と速い者が偉い、自転車歩行者など弱者はどけや道を開けろや、という逆転現象が起きる。
日本は一応歩行者自転車優先ということになっているが、道路は車だけのもので車が一番偉いと錯覚している輩が昔から一定数いる、いやむしろ増加傾向にある、つまり日本も後進国化しているような気がしてならない。
これから南下するにつれて、クラクションを鳴らせば思い通りになると思い込んでいる最低最悪のゴミクズがさらに増加していくと予想される。



久々に標高1000m超。





グルミンという小さな街で1泊。

独房、50ディルハム(571円)。


寝るだけだから、狭くても安いに越したことはない。

その分食費にまわす。


57ディルハム(651円)。
一食分の食費が宿泊費を超えてしまった。





日に日に砂漠化。
途中に街らしい街はなく、ちょっとしたサービスエリアがある程度。
こういう無人地帯の方が僕好みではある。


























路上には時々検問がある。
今まで自転車はフリーパスだったが、この辺りから止められてパスポートの提示を求められるようになった。

タンタンという小さな街で1泊。

ベッド3つ、バスルーム付き、ベランダまである広々とした部屋で50ディルハム(571円)。


きれいとは言えないが、一応Wi-Fiもあるしお湯も出る。
モロッコの宿は今のところ、お湯が出なかったのは1~2軒かな。
一見ボロ宿でも最低限の必要なものはそろっているので、困ることはない。









ようやく海沿いの道に。
アップダウンは減り、比較的フラット。







もう沖縄ぐらいの緯度まで南下しただろうか。
でもカナリア海流の寒流がもたらす冷風のおかげで暑さに苦しめられることはまだない。







アクフェニールという小さな街で、また50ディルハム(571円)の宿。
すっかり個室が当たり前のこの頃。

田舎街の宿はBooking.comには出てこない。
街の中心付近にわかりやすく集中しているので、一軒一軒まわって料金を比較するのはそれほど大変ではない。

宿代が安いのでまた食費にまわす。

この辺の田舎街だと、レストランのメニューはほぼタジンのみ。
モロッコの代表食といったらクスクスだと聞いていたけど、圧倒的にタジンなんだな。
あと、魚やイカなどのフライもあるが、ただ油に突っ込んで揚げているだけのもので、料理と呼べるほどのものではない、おいしいんだけどね。

でもまあ、足りない。
ハシゴして2人前食べたところで腹が膨れるわけもない。
栄養が足りず、常に空腹との戦い。
食材が豊富な街で、キッチンのある宿で、米を炊いて、腹を満たしたい。









タルファーヤという小さな街で1泊。

100ディルハム(1142円)も払えばマンションみたいなところに泊まれちゃう。




なんと室内にキッチンが!


今日は肉食うぜー!


何の肉なのかもわからずに買ってみたが、たぶんターキー。
700gで20ディルハム(228円)という衝撃の安さ。
ただし、こっちの肉屋は骨が付いたまま重さを測るので、ゴッツイ骨付きだと実際に食える部分はもっと少ない。



いやー、ウマイ!
ターキーは淡白でやや硬めだが、悪くない味。
野菜はカブ。
この辺りは野菜も果物もすごく安い。
モロッコ人はあまり米を食べなさそうだが、ショートグレインの米を見つけるのはそれほど難しくない。
やっぱたまには米を食べないとね。

しかし、これだけ食えば腹膨れるかなと思ったが、まだまだ空腹。


Tarfaya, Morocco

17592km



2019年3月21日

ティズニート

残念ながら海沿いに道はなく、また少し内陸の山道。








アップダウンを繰り返して、また海に戻ってきた。


まさかこんなところにWARMSHOWERSのホストがいるなんて。


ホストのハビブは英語教師、他の教師とルームシェアしている。


多くの日本人がモロッコを旅行しているが、モロッコ人にとっては日本は縁のない遠い国。
でもかれらは日本文化をよく知ってくれている。
大半の日本人は俳句や短歌などについて学生の頃に勉強しただけで、ふだんの生活で意識することはあまりないが、海外の人はこれぞ日本の文化として興味を抱いてくれている。
ハビブは俳句の解説本(英語)をアラビア語に翻訳する作業をしていた。

そして誰と話しても必ずと言っていいほど話題になるのが、宗教。
僕もそろそろ、日本人の宗教観を伝えることに慣れてきた。
多くの人は日本が仏教の国だと思っているので、まずはその誤解を解く。
そして日本固有の神道が西洋の宗教観とはまったく異質であることに、かれらは強い関心を持ってくれる。
宗教に対するルーズさは日本の特性だが、当の日本人が日本は仏教国だとか無宗教だとか言ってしまう現状は、自分たちのルーツやアイデンティティに対してあまりにも無関心であるゆえだ。
日本書紀・古事記で語られている日本の神話を学校教育でしっかり教えるべし。

ちなみにハビブは無宗教。
イスラムに対しても王族に対しても異を唱える思想を持っているから、無宗教というよりは反宗教反王族。
モロッコでもこういう生き方ができるのか。

晩飯のタジンを一緒につくった。


タジンがいかに簡単な料理かがわかった。
好きな具材を好きなようにカットして、鍋に入れてスパイスをかけるだけ。
味はスパイス次第。







アガディール。


アガディールには安宿がないので、少し北にあるサーフィンリゾートで1泊した。

最初にBooking.comで予約した宿は、実在しない宿だった。
書かれている住所、地図で示されている場所に行っても何もない。
Google Mapsに宿名を入力しても出てこない。
近所の人に聞いても知らないと言う。
電話番号は無効。
メールしても返信なし。
宿泊費€10だけが口座から引き落とされた。
Booking.comに問い合わせたが、まだ対応されていない。

宿を予約するというのはいろいろリスクが伴うものだが、まさか実在しないとは。
いろいろ気をつけるようにはしているが、実在するかしないかまで毎回確認してられない。

とりあえずBooking.comからの連絡を待ちながら走行を続けるしかないが、対応遅い。

売店で菓子を買って休憩していたら、店の人が椅子を出して、茶を入れてくれた。


これも今まで飲んだことのない不思議な味だった。

走行していても休憩していても、よく話しかけられる。
意外に英語を話せる人がけっこういるし、英語を話せなくても「Welcome to Morocco!」と言ってくれる。
やはりモロッコは人がいい。







ティズニート。




女性の衣装がずいぶん派手になった。
カラフルな布で全身を包んでいるのは既婚女性だけのよう。
若い女性は西欧寄りの軽装が多い。



きっとタジン鍋は一家にひとつは必ずあるのだろう。


ドーナツ1個1ディルハム(11円)。


空腹解消にはこういうのを大量に買い込む。









この近くに小学校があり、カラフルなお母さんたちが子供を迎えに大勢来ていてすごい光景だったが、さすがに撮影は自粛した。



アラブ圏ではふつう、女性が車やバイクを運転することはないが、ここは女子の自転車率がとても高い。




メディナの壁の上部が凸凹の形状をしているのは、内側から身を隠して外を監視しやすいようにするためか。


Hotel Des Touristes。


またベッドが2つある個室で、1泊76ディルハム(882円)。
安い。
安すぎてまた何か落とし穴があるのではと疑ってしまったが、宿の人は紳士的で英語も話せて、Wi-Fiもバスルームも問題ない。



ただ一点、立地がスーク前のちょっとした広場なので、夜中まで車やバイクのエンジン音がうるさい。
車やバイクが全世界的に電気化無音化されるのはどれだけ先の未来になるのだろうか。

1泊の予定だったが、宿代が安いので2泊した。
モロッコでちょっと羽を休めて連泊するなら、観光地化されていないティズニートの安宿がオススメ。
ただ飲食店がとても少ないのが難点。


Tiznit, Morocco

17139km



2019年3月17日

エッサウィラ



街が現れると例によって少年たちがからんでくるが、それほどタチ悪くない。
でもこのアラブ世界全体で、からんでくる少年は皆同じ目つきで、行動心理も同じ。
程度の差があるだけで、共通するものがある。



154km、久々に長距離走って疲れ切った時、ちょうどいいところにキャンプ場が。


ここはビーチでもなく自然あふれるところでもなく、だたの小さな田舎街だが、唐突に街の中心にキャンプ場が現れた。

ユーロピアンキャンパーがずらり。


若者はおらず、全員老夫婦。
退職後の人生をゆったりと過ごしている。

もしかして、キャンプ場でキャンプするのって今回の旅で初?


60ディルハム(697円)。
Wi-Fiは使い物にならず、充電も十分にできないが、1泊だけなら特に問題ない。

隣のオランダ人のところのイヌがちょいちょい訪ねてくる。


街でヤギ肉を買ってみた。


コリコリした食感と独特の臭味、ウマかった。
でもいいかげんフランス語を勉強しないと、買い物もろくにできない。

エッサウィラ。


海に達すると、一気に涼しい風が吹き込んでくる。
マラケシュなどの内陸はすでに厳しい暑さだが、沿岸部は寒流のおかげですごしやすい。

























僕の目当ては、エッサウィラの中心から南へ約4kmほどにあるディアバト。




1969年にジミ・ヘンドリックスがここを訪れたという話。
真偽は不明だがいろいろエピソードがあり、ジミヘンはこの地を気に入っていたようだ。





Jimi Hendrix Cafe。


絵、ヘタっ。


おばさんたちがたむろってるだけの店だった。



Jimi Hendrix Hotel。


ジミヘン歴26年の僕としては、泊まらないわけにはいかない。





ここで働いている人たちは、ジミヘンはおろか音楽の心得があるような匂いはない、いたってふつうのモロッコ人。
BGMでジミヘンを流してくれるどころか、J-popみたいな腐った音を垂れ流している。

でもギターはちゃんとチューニングされていた。
ネック反りまくって弾けたもんじゃなかったけど。



ベッド2つもある個室、100ディルハム(1162円)。


部屋でひとりでジミヘンを聴いた。
50年経っても、唯一無二の音は生きている。
それどころか、これを超える音を出すギタリストはまだひとりも出てきていない。



26歳のジミヘン、ここに来たんだな。
そしてその1年後に死んだ。



たしかに、Castles Made Of Sandっぽい情景かな。


あ、1年経ちました。


Essaoira, Morocco

16871km