2019年9月27日

クラークストン

大都市圏から脱出するのはとても時間がかかる。
複雑なルート、多すぎる信号、そして坂道だらけ。
途中でアウトドアショップのREIやウォルマートに寄っていたら、都市圏を出ないうちに午後になってしまった。

どうも、やる気が出ない。
エバレットでもシアトルでも2泊したが、身体はまだ休みたいと言っている。
こういう日もある。
そこらにキャンプ場があればいいのだが、シアトルおよび近郊にはキャンプ場がない(RV専用のRVパークしかない)。
ホームレスが多いのがその理由だそうだ。

頼みの綱のWARMSHOWERS。
いつもは遅くとも前日までにはホストとコンタクトを取るのだが、この日は初めて、当日アポイントを試みた。
無礼は承知の上だったが、迅速なレスポンスで承諾してくれた人がいた。
ありがたすぎる。

20時頃に帰宅するそうなので、それまでマクドナルドで。


マックシェイク(L)、$4.72。
たけえ、、、
いくらホイップが乗ってるからって、たけえよ。
しかも1杯じゃ足りなかったのでおかわりして、シェイクだけで$9.44も使ってしまった。

アメリカの物価はなかなかつかみにくい。
たとえば本物のコカコーラ2L、セーフウェイ(カナダでもよく見た大手スーパー)だと$3.16、ウォルマートだと$1.68。
まったく同じ商品でも、倍近くの差が出る。
他の商品も、圧倒的にウォルマートが安い。
あと、DOLLAR TREEという1ドルショップもお買い得。
セーフウェイを基準にするとアメリカの物価はめちゃくちゃ高いが、ウォルマート基準だとまあ安いと言える。
今後は、ルート上にあるウォルマートをマーキングして、ウォルマート基準で買い物をしていく。
買いたい物がある時にセーフウェイが現れたとしてもスルーして、ウォルマートまで我慢する。
それぐらい、この価格差はでかい。

この日のお宅も、また丘の上のドデカイ家。
いや本当に、いきなり押しかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、奥さんもちゃんとした食事を用意できなくてごめんなさいと謝ってくる、とんでもない。
出されたものを無限に食べ続ける僕を見て、「そうだ、クッキーは好き? 今からつくってあげるわ」とクッキーをつくり始め、短時間で焼き上がった。
なんともアメリカらしい。

僕の旅にとても興味を持ってくれているようだったので、せめてものお礼としてできる限り話をした。

朝は、パンケーキをどっさり焼いてくれた。



翌日。

やっとこさ都市圏を脱出し、森の中の自転車道。


未舗装だが、喧騒から離れて心地良くこぐ。



しかし、そう甘くはなかった。


唐突な通行止め。
引き返して、またルートを練り直す。

もうなんだか、原生林の登山道みたいになってきた。


高速か登山道か、って極端だな。
ふつうの道路はつくれんのか。
ついさっきまで都市から抜け出そうと必死だったのに、今は人の住む街へ抜け出そうと必死。

まさかこんなところで遭難?、とも思ったが無事住宅街へ出た。


この日の走行距離はそれほど長くない予定だったので、ホストには「早い時間に着くよ」と連絡してしまったが、この調子じゃ日が暮れる。

ようやくふつうの道路。


ランチは、昨日焼いてくれたクッキー。


途中から、Google Mapsの自転車ルートが「高速に乗れ」と言い始めた。
同じ高速でも、都市圏を離れれば自転車通行可になったりすることもある。
得体の知れないローカルルートより、高速に乗った方が早いし確実。

歩行者とヒッチハイカーは禁止だが、自転車禁止とは書かれていない。


たまたま通りかかった地元の人に聞いたら、たしかにこの区間のハイウェイ90は自転車通行可だと言う。
それなら行ってしまえ。
都市圏を離れれば分岐と合流も少なく、だだっ広い路肩もあるので、ヘタな一般道よりずっと安全に走行できる。

ホストには「やっぱ遅くなりそう」と連絡を入れた。
標高900mほどまで登り、スノコルミーパスという小さなスキーの街に着いたのは19時頃。
ホストは心配して車で僕を探し回っていたようで、うまいこと出くわして拾ってくれた。

家はまるでロッジ。


カップルがここで暮らしている。



また何から何まで気を使ってくれて、もてなしてくれた。
本当にやさしい人たち。



ひとつ気づいたことがある。
こっちの人は、サーモンの皮を食べないのだ。
わざわざ丁寧に皮を剥がしてよそうので、「いや僕それ食べまっせ」と言って皮も全部食べた。

朝は、ワッフルをどっさり焼いてくれた。

次の街エレンズバーグまでは、絶対に迷うことのない自転車道があるというので、翌朝その入口まで送ってくれた。


廃線路が自転車道になっているようだ。


雨。
砂利道なので水たまりができにくく、泥まみれにはならない。



元は線路だったため、アップダウンがほとんどない。
山景色なのに、不思議なほどフラット。
地形の険しさにもよるだろうけど、その気になればフラットな道路はけっこうつくれるはずなのだ。



ランチは、お弁当として持たせてくれたサンドウィッチとワッフル。


迷うことなきフラットな一本道で、エレンズバーグという街に着いた。

この日のホストは、なんと奥さんが日本人。
20年ほどここで暮らしているらしい。
このご夫婦も旅が好きで、英語と日本語を交えて旅談話。

カレーライス!


3杯おかわりした。

連日たらふく食べさせてもらっているせいか、だいぶ腹に肉が付いてきた。
アラスカ~カナダでは、寝ても覚めても頭の中はメシ食うことばかりだった。
あの頃の発狂レベルの空腹感はもはやなく、今は満たされている。
それでもメシがうまくて、際限なく食べてしまう。



アメリカでこんな和食の朝を迎えるなんて!


お世話になりました!




森林地帯から乾燥地帯へ。



ランチは、おにぎり!


このガタガタ、ほんとやめてほしい。


せっかく路肩が舗装されているのに、これじゃまともに走れない。
安全のためにつくったものが、かえって危険を招くという例。

乾燥地帯だが、午後は一時雨。
レインウェアを着ようとして、道路脇の草地に自転車を停めたら、鋭いトゲトゲの植物の実が無数に散乱しており、タイヤに刺さりまくった。
一瞬にして、前輪3ヶ所、後輪3ヶ所、計6ヶ所のパンク。
一度のパンクとしては過去最高記録。

すばらしい追い風&フラット。
こんなにスイスイ進めるのは久しぶり。
バンフからナイアガラへ東進した時も、西風がメインだった。
北米のこの辺では、西進はやめといた方がいい。
あ、書き忘れてましたが、シアトルからしばし東へ向かいます。

この日は野宿するつもりだったが、思ってた以上に果てしないファーム。
道路の両脇はフェンスが隙間なく張られて侵入できず。
地平線を見渡せる広大な土地がありながら、テントを張れるスペースなし。

当初の予定よりずっと足を伸ばして、オセロという街まで行った。
メキシコ人居住区なのだろうか、やたらとメキシカンレストランが目立つ。

1軒のモーテルあり。
一応、料金を聞くだけ聞いてみるか。
建物はボロく汚く、手入れが行き届いていない。
レセプションに行くと、メキシコ人(?)の汚いおっさんが出てきた。
よし、これなら安そうだ。

おっさんは無愛想で無言で、カウンターにある料金表を指でさした。
僕は目を疑った。
一番安いシングルルームで、$70!
田舎街のこんな劣悪なモーテルで?
笑えない冗談だ。
仮に何一つ不服ない高級モーテルだったとしても、$70は払えない。
僕も無言で、その場を去った。

困った時は、消防署に相談してみる。
建物の裏にでもテントを張らせてもらえないかと。
しかし消防署員が言うには、街のはずれにキャンプ場があるという。
検索してもマップ上には現れなかったが、彼の口調はいいかげんなことを言っている風ではなかった。

教わった場所に行ってみると、たしかに「CAMPGROUND」の看板があった。
この時すでに暗くなっていたので状況がよくわからなったが、レセプションはなく、管理人っぽい人も見当たらず、自由に出入りできるようになっていた。
数台のRVが停まっており、ひっそりと静かだ。
ちゃんとトイレ・シャワーもある。

よくわからないが、ここは無料キャンプ場のようだ。
コンセントがある柱の近くにテントを張った。
必要なものちゃんとそろっていて、無料で1泊できてしまうなんて。
血迷ってモーテルに泊まったりしなくて、本当に良かった。

この日の走行距離は130km。
こんなに走ったのも久しぶり。
追い風フラットじゃなかったらどうなっていたことやら。

朝。




引き続き追い風。











アメリカ合衆国の面積は日本の26倍、世界3位。
人口は3億2000万人、これも世界3位。
人口密度は日本の10分の1、都市を離れれば無人の大自然。









峡谷に現れたキャンプ場。
ウェブサイトにはテントサイト$25と書かれていた。
高いけどしゃあないな、とレセプションに行くと、なんと$32だと言う。
「テント一張りするだけなのに、なんでそんな高いの?」と聞くと、「オンラインで予約すれば安いのよ。じゃあ$27に値引きしてあげるわ。今回だけ特別よ。」
いや$27でもまだ高すぎるが、それで手を打つしかない。

なぜそんなに高いのか、それだけの値打ちがこのキャンプ場にあるのか、という僕の根本的な質問には答えてくれなかった。
無料キャンプ場があったかと思えば、ボッタクリキャンプ場が出てくる。
まだアメリカという国がつかめない。



依然としてすばらしい追い風。
日中はかなり暑く、途中で現れた街でジュースをガブ飲みする。



クラークストンという街。
ホストのグレゴリーは、ホスピタリティの塊のような人。
来る者拒まず、ラブアンドピースな人。







アメリカ人は昆布茶というものを理解していない。


グレゴリーはシングルファザー。
13歳の娘さんとふたりで暮らしている。
父娘ともアニメが大好きで、日本文化にも強い関心があるようだ。













睡眠妨害。


あまりの眠さのため、連泊。
日中は家でひとりですごしたが、時間がたつのが早すぎる。

ウォルマートがあると買い物が楽しい。


西アフリカ~アラスカ~カナダでの出費は、想定をはるかに上回った。
現在の残高、怖くて見れない。
アメリカでは、民泊とウォルマートで節約して挽回したい。

広大なパーキング。


グレゴリーはパーティに出かけたので、自炊。

すごい。


ニセコーラ2L、$0.68。


ブログ更新妨害。





Clarkston, Washington, USA

29571km



2019年9月21日

シアトル 2

いいベッドで大の字になって死んだように眠り、朝遅く起きて、ダラダラとネットをやって、ああずっとここにいたい。
というわけにもいかず、午後お出かけ。

リフォームして新しく見える家だが、築120年らしい。


ダウンタウンを一望できるケリーパークもお宅からすぐ近く。


良く晴れてくれたが、雲がなければ高層ビル群の右側にレーニア山(4392m)が見える。




坂を下りればシアトルセンター。








ポップカルチャーミュージアム。


職業病はまだ抜けていない。
こういう建物を見ると、無意識にロープアクセスをイメージしてしまう。





ジミヘン、カート・コバーン、プリンスなどの展示がある。

ジミヘンブース。


1969年ウッドストックで使用された1968年ストラトキャスター。


50年前にこのネックをあのジミヘンが握っていたのかと想像すると、鼻血出そうだ。
アンプやエフェクターも展示してほしかったな。
事前の下調べとは違い、ジミヘンブースは期待してたより充実していなかった。





クラプトンが使用していた1956年ストラトキャスター「ブラウニー」。


ギターで遊べるブース。


下手に弾いても上手く聞こえる、すごく弾きやすいセッティングになってた。

エアギター。


「お手を触れないでください」

グッズショップ。




外出は手短かにすませて、家に戻ってまたくつろいだ。

ディナーは上の階で夫婦がつくってくれた。
食後、談話していて、「最後にスシを食べたのはいつだ?」と聞かれ、「旅の途中では食べてないから、1年半以上前かな」と答えたら、「本当か!? よし、今からスシレストランに行くぞ」と連れて行かれた。

徒歩数分でレストラン街。
アジアンレストランも数多くある。
13年前に旅した時より、北米は確実にグルメの多様化が進んでいる。
今は小さな田舎街でもスシレストランがあるし、そこら中で「TERIYAKI」という看板を見るし、話をしても皆日本の食文化のことをよく知ってくれている。



つくっているのは中国人だろうか。
こっちのスシはアメリカナイズドされたものばかりだと思っていたが、思いのほかちゃんとしていてビックリ。



うまい!
想像以上で驚いた。
日本にいる時でも回転寿司ぐらいしか食べない僕には上等すぎるぐらいだ。
チャーハンもいい!
あと、久しぶりに本物のコカコーラを飲んだら、これまたウマイ!



僕が食べているのを見て夫婦も喜んでくれた。
「持ち帰りできるから無理して今食べなくてもいいんだぞ」と言われたが、食べきれないなんてことはない。

いや~、満足。
ごちそうさまでした!

でもよくよく思い出してみたら、今回の旅で何度かスシは食べてたな。


Seattle, Washington, USA



2019年9月20日

シアトル 1

シアトル。


「スィアトゥル」と発音しても通じない。
アメリカ英語はtを強く発音しないので、「スィアロー」みたいな発音になる。
でも語頭のtはちゃんと発音するので、たとえば「TOYOTA」は「トヨラ」と発音される。

シアトルに来たのは、この人に会うため。


神。



1942年、ジミ・ヘンドリックスはここシアトルで生まれた。
1970年、27歳で死去。

シアトル中心から25kmほど南東のレントンという地区の墓地に、彼の墓がある。


ひときわ目立つ墓石。


この日は9月18日。
没後49年の命日。
もちろん偶然じゃない。
この日に合わせてこいできたよ。















キスマークまみれ。


「Voodoo Child」の歌詞。






両親もここに眠っているのか。


父の再婚相手、つまり義母はアヤコ・ヘンドリックス、日本人だった。
ジミヘン来日公演の計画もあったようだが、実現することはなかった。
しかしお父さん、2002年まで生きてたのか。

僕が生まれる前の人。
高校生の時、彼は突如として僕の心を鷲掴みにし、以来ずっと僕の中にいるギターヒーロー。



次々と人がここを訪れる。
アメリカ人とフランス人ヒッチハイカーと話をして、仲良くなった。
ここへ来る途中も、「どこへ向かってるんだい?」と聞いてきた人がいて、「ジミヘンの墓」と答えたらうれしそうに喜んでくれた。

WARMSHOWERS宅はシアトル中心近くなので、25km引き返す。





またとんでもない坂の上にあるようだ。

なんとか日没前に到着。
この時夫婦は不在で、あらかじめメールで入室の仕方を教わっていた。
中へ入ると、まるで豪華ホテルかマンションのよう。


後ほど夫婦が帰ってきたが、かれらは上の階で暮らしており、この階はAirbnb用の客室だという。
どうりで生活感がないわけだ。
Airbnbは有料だが、WARMSHOWERSゲストには無料で泊めている。
なんとありがたいこと。

冷蔵庫、電子レンジ、トースター、ガスコンロ完備。


コーヒーメーカーも。


バスルームにはランドリーあり。


ベッドルーム。


Wi-Fiもあり、速い。

これすべて、プライベート空間として自由に使っていいという。
住みたくなってきた。


Seattle, Washington, USA



エバレット

アメリカ入国。


大都市バンクーバーとは対象的に、アメリカ側は過疎ってる。
ナイアガラの時もそうだった。

州でいうと、ここはワシントン州。
でも首都のワシントンDCはここにはない、はるか彼方の東海岸にある。

また距離がマイルになり、計算がめんどい。
マップのルート検索もマイルで表示される。

アメリカの道路事情は良くない。
路肩未舗装。
自転車レーンはあったりなかったり。

同じアメリカでも、アラスカとは道路も店もいろいろ違う。
カナダの街並みとも違う。
この辺は中途半端な田舎街で、キャンプ場も見かけない。

南下するとともに人口が増えて都会化してきた。
ベリンハムという大きな街に着いた。

またATTでSIM購入。
アラスカで買ったSIMは1ヶ月の有効で、とっくに期限が切れていた。
アメリカ、カナダ、メキシコの3ヶ国で使えるとのことだったが、カナダは電波がないので使い物にならなかった。
1ヶ月ごとにチャージしていけば同じSIMで継続できるが、携帯が使えないカナダでチャージしても金のムダ、アメリカ再入国で新たに買う。
再びどこでもネット接続できるようになり、無敵感復活。

この日はアルマジット宅を発ったのが遅かったこと、そして国境越えで時間がかかったことで、日が暮れてしまい、また夜間走行してしまった。

WARMSHOWERS。
天候不安定な上にキャンプ場も少ないところでは本当に助かる、WARMSHOWERS様様。

オーシャンビューの丘の上に住む夫婦宅。
到着が夜だったので、残念ながら景色はよく見えなかったが。
ガレージには、自転車屋か、ってぐらいたくさんの自転車があった。

ディナーは巨大サーモン。


アメリカ人といったらハイテンションで豪快なキャラのイメージがあると思うが、この夫婦はいたって物静かで穏やか、まだカナダ人との違いは感じない。



植物に囲まれた家。
庭で育てているリンゴをいただいた。



雨天続きだったが、ようやく晴れた。









アメリカも、目的地までスムーズに行けるルートは高速になっている。
一般道との見分けは比較的明確なので、高速に迷いこむことはないと思う。
ただ、アラスカ~カナダのシンプルな一本道とは違い、この辺の都市圏では頻繁に立ち止まってマップチェックする。

車道を走っていたら、何度かクラクションを鳴らされた。
アメリカって歩道を走らなきゃいけないんだっけ!?
だとしたら止まって言葉で注意してくれればいいのに、人間なのだから。
クラクションだけ鳴らして去っていくドライバーはケダモノ以下の害虫、死んでくれ。



エバレットという街で、またWARMSHOWERS。
ここのところ、調子良くホストを見つけることができている。







ビュッフェスタイル。


右端の黒いのは、海苔。


だんだんアメリカンな人柄を感じるようになってきた。



奥さんは、ほっとくと永遠にしゃべり続けるタイプの人。
そして無限に僕に食べ物を与えようとする人。
世界共通の、世話好きおばちゃん。

てっきり僕の満腹中枢はぶっ壊れてしまったものと思っていたが、何度もおかわりして、ヘビーなデザートもいただいて、忘れかけていた満腹感がやってきた。



アメリカとカナダの違いとは何か?
ベースとなる文化は、同じアングロサクソン。
ひとつ考えられるのは、労働力の調達の仕方が違った。
アメリカは奴隷を使ってきたので、黒人の割合が高い。
近年は中米からのヒスパニック系移民の増加が著しく、将来的に支配層アングロサクソンの人口を超えるだろうとの予測もある。
異民族との共存、人種差別という問題と対峙して歴史を歩んできたのがアメリカだ。
ただ、黒人もヒスパニックも南部に多く分布しており、この辺はまだ白人が圧倒的。
言葉の言い回しやアクセントもカナダ人とは微妙に違うらしいが、僕にはその違いは識別できない。

そういえば、最近英会話の調子がいい。
イギリスにいた時は本場のイギリス英語が全然聴き取れなくて自信喪失したが、アメリカ英語の方が自分に合っているのだろうか。
出会う人たちが僕に対して手加減してくれているというのも大きいが、しばらく英語圏で生活しているとやはり耳が慣れてくるし、しゃべりも自然に言葉が出てくる。
この感覚も帰国したらまた忘れるんだろうな。

僕の寝場所は別の建物で、ふだん使われていないミーティングルーム。


どうして一般家庭にミーティングルームがあるんですかね。

トイレ・シャワー、キッチンもある。


完全プライベート。



翌日は雨のため連泊。
こんなに居心地のいいところで、雨を口実に連泊、ひそかにほくそ笑む。



床屋に行った。


時々自分で切っていて、不ぞろいでバサバサだった。
カットのみで$20。
たけえ。
アラスカの床屋も$20だった、こっちは少し安くなるはずと期待していたのだが。


Seattle, Washington, USA

28997km