2019年5月31日

リベリア(Ganta) → ギニア(Diecke) 国境越え

リベリア側
イミグレーションで出国スタンプをもらった後、2部屋ほど連れて行かれてまた無意味なノート記入。

両替
どうせまた群がってくるのだろうと思っていたら、意外に両替屋は少なく、こちらから声をかけたほどだった。
そしてまたしても、大々的にちょろまかされかけた。
ギニアフランも数字が大きく計算に戸惑うが、指摘すれば相手はとぼけながらも正当な額を払う。

橋を渡ってギニア側へ。

ギニア側
まずはミリタリーでパスポートチェック。
見られるだけで何もされない。
少し進んでポリス。
ここで入国スタンプをもらう。
そしてここでイエローブックレットも提示。
さらに進んでイミグレーションでパスポートチェック。
いやほんとに、一括でまとめられないものかね。

所要トータル45分。

ギニア側に両替屋が多数いたので、両替はここでもよかった。

ちょっと進んだところでランチ。


ギニアは舗装率低いな。




最初に現れた街ディエク。


最初のギニア訪問時よりも、子供たちの興奮度がすごい。
阿呆のようにギャーギャー騒ぎ立てる。
言葉も変わって、もう「ボテボテ」とは言われない。





サラダ付きの食事なんて久しぶり。
イモみたいに見えるのは、バナナのフライ。


宿を3軒あたってみたが、どこも扇風機なし。
仕方なく、一番まともそうでオーナーが英語を話せる宿に。
5万フラン(600円)。
午前中の雨のおかげか、意外に暑くなかった。

その先もずっと未舗装。


イヤ~!



ヒマそうにしている連中いくらでもいるんだから、ひどい箇所だけでも埋めてならすとかすればいいのに。
国はそういうことにお金を出さないのかな、雇用拡大で経済も発展しそうなものだけど。
でも、本格的な雨季が到来したらどうにもならないぐらいドロドロになるのかもしれない。



車はあまり通らないが、バイクの交通量が多い。
クラクションガイジについては言うまでもないが、せっかくの森林地帯でバイクのエンジン音が常に耳に入ってくるというのもなかなかのストレス。
最初から電気自動車を開発できていたら、世界はもっと静かだったろうに。



ヌゼレコーレという大きな街に到着。

またミッション系の宿に。


ここを管理しているのはベルギー人夫婦。
こんなところで白人に出会うとちょっとびっくりするが、会話がはずんだ。

1泊10万フラン(1200円)。
電気は夜間のみ、水道は勢いよく出る。

そして、セネガルで出会いギニアビサウで再会したエストニア人ライダーがやってきた。
連絡とってたわけでもないのに、また偶然の再会。
なんでバイクで旅してるのに僕とペースが同じなんだよ。



ヌゼレコーレからコートジボワールへ向かう。
最初の40kmは舗装されているが、その先は工事中。
道路建設しているのは、やはり中国。

本線は工事中で通行止め、悪路の側道を進む。


まだ未完成だがほぼ舗装されて通行可能な箇所も多く、そこは本線を強行突破してしまう。



Man, Côte d'Ivoire

22147km



2019年5月30日

リベリア 2

どうしてどうして、リベリアも海沿いに道をつくってくれればそのまま次のコートジボワールに行けるというのに、道がない。
いったん内陸に入り、ギニアに再入国しなければならない。
リベリアからコートジボワールに入国できるルートもいくつかあるのだが、時々国境が閉鎖されるようなので、遠回りでもより確実なギニア経由ルートで行く。
ギニアのマルチビザを取得したのはこのためだ。

首都中心から20kmほど進んだところで、マーケットエリアに突入。
幹線道路がマーケットのカオスによって行く手を阻まれている。
そのまま進めない状況だったので、迂回することになった。



迂回ルートでマーケット内に入り込むと、そこは最悪最醜のはきだめだった。
路面はドロドロのグチャグチャでヘドロのようになり、ゴミの山をすり抜け、その両側で野菜や果物などが売られている。

まもなく渋滞。
前方の様子をうかがうと、ケンカしている。
そのケンカと野次馬のせいで、車もバイクも身動きできず膠着状態。
当事者たちはそんなことなどお構いなしに怒鳴りあっている。
いくら待ってもおさまらないようなので、狭い歩道に移って強引に進んだ。

メインロードに戻るため路地を曲がると、ちょっとした登り坂になっており、上方からドブが流れてくる。
坂の途中でハイエースがスタックし、数人がドブ川の中で必死に押している。
横の壁の向こうで誰かが汚水を捨てたのか、壁の穴から緑色の液体が吹き出す。

このはきだめを記録におさめたかったが、ここでカメラを構えたら僕は袋叩きにされていただろう。
そんな空気を感じた。
四方から「チャイニーマン!」「チンチョン!」という声が飛び交う。
ずっと監視されている。
それに、この状況を切り抜けるのに精一杯で、カメラを構える余裕もなかった。

もう少しでメインロードというところで、ひとりの男が満面の笑顔で僕に近づき、「醜いだろ? これがアフリカだ! ハハハ!」と高らかに笑った。
僕はこの言葉に救われた気がした。
美しい醜い、正しい悪い、それよりも大事なのは強いハートだ。
これぐらいは笑って吹き飛ばすぐらいでないとな。



はきだめマーケットを抜ければ、道路舗装は完璧。


真新しく、損傷はほとんどない。
でもメンテナンスはしないだろうから、朽ち果てるのも早いだろうな。

リベリア人の子供も、遠方から囃し立てるだけで近づいてこない。
ここでは僕は「チャイニーマン」と呼ばれる。
今まで一貫して「白人」がメインだったのに、ここに来て「中国人」か。

リベリアではアジア人はほとんど見ていないが、この道路をつくったのが中国人で、人々は工事の指揮をとる中国人を見てそう呼ぶようになったのかな。
そして中国人にとっても、あのはきだめマーケットだけはアンタッチャブルだったのかな。

「チャイニーマン!」
「チャイニーマン!」

チェーンリング、やっぱ崩壊した。


これから山道が続くというのに、インナーが使えなくなった。

崩壊したチェーンリングの取り外し作業をしている間も、子供たちが湧いてきて無言で見つめる。
だから君たちは来なくていいんだよ。
家で宿題でもやってろ。







小さな村の宿で1泊。
US$25。
ここはソーラーで発電しているようで、時間制限なく電気が使える。
近くに店もないが、庭に井戸があるので水をたっぷりいただき、「食事はいる?」と聞かれ無料で食事を出してくれた。



ありがたや。

息子たちが勝手に部屋に入ってきて遊ぶ。


スマホのメモ帳の落書き機能に夢中になっていた。


翌日は午前中から雨。
レインウエアを着ずに濡れたまま走り続けたが、小一時間で冷えた。
いくら熱帯でも雨に打たれっぱなしはよくない。
そんなことは今まで何度も経験してわかっているはずなのに、またやってしまう。

ちょうどいい小屋があったので、着替えて身体を拭き、コーヒーをわかした。


リベリアドル。


右上の2枚は旧紙幣。
すごいヴィンテージ感。




Danane, Côte d'Ivoire



2019年5月29日

モンロビア

首都モンロビアに近づくと、またゴミ市場。


このすぐそばで、野菜や果物など食材が売られている。
ここにゴミを捨てる人は、これっぽっちも疑問に思うことはないのだろうか?

首都に近づくにつれて路面状況も悪化していく。


大渋滞、クラクション、排気ガス、ゴミ、ヘドロ、悪臭。
やっぱ都市部はろくなもんじゃない。
僕の旅程では、ギニア~シエラレオネ~リベリアが経済的最底辺だろうか。
ここを辛抱すれば他の国はいくらか先進的に見えるような気がする。







リベリアにも高いビルがあるんだな、と思ったらスッカスカの廃墟。
内戦でやられた跡だろうか。



首都中心に到着。

まずは現金調達。
Tubman通りの高級ホテルが並んでいるエリアに銀行が多数ある。
しかし、International BankとかGlobal Bankといった名の銀行でも、引き出せなかった。
僕が突き止めた唯一引き出し可能な銀行は、Eco Bank。
ここでUSドルもリベリアドルも引き出せる。
リベリアドルはもはやどうでもいいが、USドルが底を尽きそうだったので、ここで引き出せて一安心。
引き出せたのはここだけで、他の場所のEco BankのATMはまともに機能していなかった。

銀行のガラス扉で、久々に自分の全身像を見た。
驚くほどゲッソリ痩せこけ、現地人よりもみすぼらしく見えた。
このすさんだ食生活で1日100km以上走り続けたら、そうなるわな。
辛い食文化のおかげか、食べる喜びも見いだせず、空腹感すらない。

次にSIM。
リベリアも短期滞在だが、やはり情報収集できないのは不便。
立派な店構えのOrangeショップがあったのでSIM購入。
その場でアクティベートしてもらいすぐネットできるようになった。
2GBでUS$11。
これは過去最高値かもしれない。

Orangeはヨーロッパでもよく見かけた大手通信会社。
西アフリカでも最大手で、どの国にもある。
ヨーロッパみたいに統一してくれたら楽なんだけど、無理なんだろうな。

喉が乾いたので道端の店でジュースを買ってガブ飲みした。
とたんに人が集まって僕を凝視する。
話しかけてくれる人もいたが、ただ黙って僕を見つめる人たちは何なの?
仮にも一国の首都で、外国人がジュースを飲んだだけで見物人ができるなんて。

カメラを向けると、とたんに退散していく。


見られたくない外国人 vs 撮られたくないアフリカ人



モンロビアは、アメリカ第5大統領ジェームズ・モンローにちなんでいる。







メシは相変わらず、ひとつの料理の中に肉と魚が同居しており、そして辛い。


ヨーロッパ資本のスーパーはやはり激高。
一握りの上流階級だけが来客。

アイスの相場はUS$7~10。
この日はどうしてもアイスが食べたくて、我慢できず最安US$4.95のショボいアイスを買ってしまった。

しかしアフリカのアイスは、必ずどこかで一度溶けている。
封を開けてみたら、こんな哀れな姿だった。


4本入りで4本ともこの形状になっていた。
US$4.95も払ってこれかい。

中東系のスーパーもあり、価格はリーズナブル。
インスタントヌードルがUS$0.30。

宿はまたミッション系。


St.Teresa Convent。
キリスト教の学校に、宿泊施設が備わっている。

リベリアでこんな立派できれいな建物はなかなかない。


さすが、宗教の財力。

1泊US$20。
これでも十分高いが、US$30のボロ宿の後だと、安いと感じてしまう。
電気は24時間。
部屋は風通し良くないが、扇風機が常時使えるので生存可能。
トイレ・シャワー共同、水道はチョロチョロと弱々しいが一応出る。
Wi-Fiなし。
昼間は学生が大勢いるのであまり部屋の外をウロチョロできない。


Danane, Côte d'Ivoire



リベリア 1

リベリア。


1820年、アメリカで解放された奴隷88人がニューヨーク港から船で西アフリカへ帰還し、国を築いた。
憲法や政治形態はアメリカに倣い、国名は「自由」を意味する「liberty」から「リベリア」となった。
1847年独立。
アフリカではエチオピアに次いで二番目に早く独立した歴史ある国、の割に知名度低い。
アメリカからの多大な援助があったにもかかわらず、腐敗政治、クーデター、内戦などによって経済は悪化の一途をたどった。
隣国のシエラレオネはイギリスによって、そしてリベリアはアメリカによって、奴隷制度を終焉させて自立へと導かれたわけだが、両国ともにアフリカでも特に貧しい、最貧国のひとつ。

公用語は英語。
コンセントはマルチタイプで、日本の電化製品もそのまま使える。

通貨はリベリアドルだが、USドルも流通している。
ホテルやスーパーではUSドルで料金表示される。

国境の街で1泊。




村を歩いている時も、この写真を撮っている時も、遠方から「チンチョーン!」と聞こえてくる。







宿は現地の人にしかわからないような場所にあり、人に聞いて案内してもらった。


電気は夜間のみ、水道はなくバケツ水。
料金を聞いてみたら、
「US$30」
冗談だよね?
大マジらしい。
もちろんWi-Fiなし、エアコンなし、冷蔵庫なし、朝食なし。
典型的なアフリカの不便な宿で、US$30!?
値引き交渉してみたが、電気を起こすジェネレーターの燃料をシエラレオネ側から取り寄せており、その燃料代がバカ高いので値引きはできない、リベリアではUS$30は決して高くはない、ときっぱり言われた。
この国もメチャクチャだな。
シエラレオネの宿代は西アフリカでは比較的リーズナブルだったので油断していた、ここに来て強烈なパンチを食らった。

この日も風がなく、庭で座って電気がつくのをじっと待つ。
電気は18時からと言われたが、アフリカ人の言うことを真に受けてはいけない。
宿のオーナーの息子がジェネレーターを発動させるのに手間取っているようだ。
父権的というのだろうか、オーナーは何をするにもいちいち大声で息子を呼びつけてやらせ、小間使いのように従えている。

とにかく暑くて暑くて、何もする気になれず、庭でオーナーと話をした。
リベリア人の英語も相当なクセがある。
最低限のやり取りはできるのでフランス語よりは楽だが。
特にここのオーナーの英語は、日本語でたとえるなら津軽弁並みで、今まで聞いたことのない独特のアクセント。
発音だけでなく単語のチョイスや言い回しも奇妙で、ついていけない。
しかし彼は自分の英語が相手に伝わっているはずだと思いこんで疑わず、かまわずしゃべり続ける。
逆に、僕の英語は彼に全然伝わらない。
彼にとっては僕の英語が津軽弁なのかもしれない。
僕が何か言うたびに彼は「あ?」と聞き返す。
中国や東南アジアでも日々「あ?」と言われたっけ。
僕は相手の言うことが聞き取れなくても絶対「あ?」なんて言わない。

19時半、ようやく電気がついた。
速攻で部屋に行き、扇風機を全開フルパワー。
水浴びをして、ベッドに横たわり、ようやくリラックス。
やっぱこういう時間は必要だな。
前日は悪夢の一夜だったこともあり、目を閉じるとそのまま深い眠りに落ちた。

翌朝、6時に電気が止まった。
扇風機が止まると同時に耐え難い暑さとなり、すみやかに荷物をまとめて出発した。



道路はきれいに舗装されている。
アップダウンも緩い。
国境から首都モンロビアまで130kmあるが、これならいける。

交通量は少ないが、時々通過する車やバイクがもれなくきっちりクラクションを鳴らしてくる。
いつまでも成長しない痴呆どもめ。

所々に休憩所があるのはありがたい。

所々に検問があるのはありがたくない。
「どこから来た? どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこだ? ホテル名は? ホテルの住所は?」
だからさ、いいかげんノートに記入っていうのを卒業してさ、ちょっとは頭使って効率化簡略化してくれないかな。
偉そうに尋問してくるけど、この不毛な質疑にウンザリしているこっちの気持ちを考えたことがあるだろうか。

「What's your purpose?」(おまえの目的は何だ?)
「What's your mission?」(おまえの任務は何だ?)
「What are you doing here?」(おまえはここで何をしている?)
検問だけでなくその辺の人からもよくされる質問。
初対面でこういった不躾な質問をしてくるのもアフリカならでは。
僕なんかどこからどう見たって旅行者なんだけど、かれらには旅行という概念が希薄のようだ。
アフリカの人は、旅行したいという願望もないのだろうか。
明確な用事や職務でもなければよその場所へ行ったりしないのだろうか。
かつて人類はアフリカから別大陸へ移動したことから人種の多様化が始まった。
しかし現在、大先輩であるアフリカ人は移動をやめてひとつの場所にとどまり、よそからやってきた後輩を不思議そうな目で見つめる。

「以前は日本人のボランティアをよく見たけど最近はすっかりいなくなった、なぜだ?」
という質問もされた。
さあ、撤退したんじゃないすかね。



日の丸が描かれた看板もよく見るが、それよりも圧倒的に「USAID」と書かれた看板が多い。
今はアメリカも撤退したっぽいけど。



いろいろ不便は多いけど、やはり英語が通じるというのはいい。
田舎街で買い物するにもやり取りに困らないし、会話もできる。



シエラレオネ以来、毎日雨が降る。
こう暑いと、いっそずぶ濡れになって身体を冷やしたいし、自転車にこびりついた泥も流したいところだ。




Danane, Côte d'Ivoire

22071km



2019年5月27日

シエラレオネ → リベリア 国境越え

シエラレオネ側
イミグレーションで案内に従ってパスポートチェック、出国スタンプをもらう。

とっとと立ち去ろうとしたら引き止められ、イエローカードを提示する部屋に連れて行かれた。
僕はイエローカードを持っているのだが、これではダメだという。
僕のイエローカードは黄熱病のワクチンを受けた証明書で、他にもコレラやチフスなどの予防接種証明書をまとめるための冊子であるイエローブックレットが必要だと言う。
そしてそのイエローブックレットを持っていないのならここでそれを発行する、だから50USドルを払えと言う。
そんなバカな。
もちろん僕は疑ってかかったが、かれらの話し方はウソっぽくは見えず、レシートも発行すると言う。
入国時ならまだしもなぜ出国時にそんなものを求めるのか。
いろいろ疑問は尽きず問い詰めたが、これは強制で交渉の余地はないようだった。
イエローブックレットといっても、パスポートよりやや大きいサイズの安っぽい出来の紙にすぎず、それに黄熱病のイエローカードをホチキスで止めて、スタンプを数箇所押して、50ドル。
なんというヤクザ。
入国時にビザ代で100ドル払っているというのに、さらにこんな紙切れで50ドル払わせるとは。
ぜひとも金の行き先を明確にしてほしいものだ。

橋を渡ってリベリアへ。


リベリア側
イミグレーションへ入る前に、路上の検問でパスポートチェック。
ノートに個人情報を記入。
「どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこへ行く? ホテルの名は? 住所は?」

イミグレーションへ行き、窓口でパスポートチェック。
「どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこへ行く? ホテルの名は? 住所は?」

入国スタンプをもらい、とっとと立ち去ろうとしたら、イエローカードを提示する部屋に連れて行かれ、先ほどのイエローブックレットを見せた。
50ドルという金額は納得いかないが、これを提示しないとこの先の国を通過できないというのはたしかなようだ。

とっとと立ち去ろうとしたら、また謎の部屋に連れて行かれた。
ノートに個人情報を記入。
「どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこへ行く? ホテルの名は? 住所は?」

だー!!!
一箇所でまとめてやってくれ!!!
同じ質問を繰り返すな!!!

両替
国境前後の街でもイミグレーション付近でも、両替屋が多数たむろっている。
僕はリベリア側の国境の街で両替したが、久しぶりに盛大にちょろまかすヤツに出くわした。
もちろん気づいて正当な額を払わせた。

両替時に絶対怠ってはならない基本中の基本は、
※最後の最後まで自分の紙幣を決して相手に渡さないこと
※数人がかりで寄ってたかってなんやかんや言われても惑わされないこと
※煽られても惑わされてもゆっくり確実に相手の紙幣を数えて確認すること
以上を守っていればたいてい大丈夫。
危ういと思ったらすぐに交渉中止して別のところに行けばいい、自分の紙幣さえ渡していなければセーフ。


Diecke, Guinea

21852km



2019年5月23日

シエラレオネ 2

舗装終了、また原初の農村ゾーンへ。


未舗装でも比較的状態が良い。




アバトコールは変わらず。


(動画を撮影したが現在SIMの残量わずかのため後日アップします)

自然な風景を撮りたくて、遠方からズームで。


でもすぐに気づかれ。


全員にバレた。




長い棒を使ってマンゴーを落とす子供たち。


もぎたてマンゴーを次々に僕にくれた。






車輪を使った創作おもちゃも共通して見られる、これは車輪じゃなくてチェーンリングだけど。






集団でいる時に僕と出くわすと調子に乗って囃し立てる。
一人でいる時に僕と出くわすとビビって逃げていく。
これも子供の習性としてどこへ行っても同じ。



不意に、チェーンリングに異変を感じた。


なんと、インナーを固定しているネジの5つのうち3つが吹っ飛んでいた。


これは不覚。
日々のチェック不足だったか。
この時まで異常はなかったので、ごく短い期間で次々にネジが緩んで外れてしまったと思われる。
特殊なタイプのネジなので、代用品を見つけるのは難しそうだ。
残った2つのネジ、これだとバランスが悪いので位置をずらしてできるだけ対角線上で固定する。
5点止めのうちの2点なので正確に対角線上にすることはできないが、なんとか応急処置した。
しかしこれでは強度がなさすぎる、今まで通りに力をこめてこいだらいずれ崩壊するだろう。

この作業をしている間も、村人たちが集まってきて至近距離で僕を見つめる。
僕としては作業に集中したいし、あまり近寄られると盗られたりいじられたりしないよう警戒度を上げなければならないので、ほっといてほしい。

アフリカだけでなく、貧しい国を旅するには、日々大注目を浴びることを覚悟しなければならない。
僕は長年の旅で、ある程度は慣れているつもりだが、あくまである程度だ。
長時間見つめられ続けることがストレスにならないわけがない。
そんな僕の心情を推し量ることなど、ここの村人たちがするはずもなく、無言で容赦ない強烈な視線を浴びせられ続けた。
昼間っからヒマそうに突っ立ってやがって、働けニートども!
あ、ニートは僕だった。



その後は路面も荒れ、アップダウンもキツくなった。
未舗装を1日で100km以上走って疲れ果て、ボーという街に到着。

14万レオン(1782円)の宿に投宿。
電気は夜間のみ、Wi-Fi以外の必要なものはそろっている。

シエラレオネでは、ネットは断念。
宿にWi-Fiはないし、小国なのでSIMを買うのも面倒、買ったとしても田舎街だとネット接続方法を教えてくれる人も少なそうだ。
一国まるまるネットできなかったのはトルクメニスタン以来か、いや沿ドニエストル共和国以来か。

首都に行っていないのではっきりとはわからないが、もしかしたらシエラレオネではATMが使えないかもしれない。
ボーで2軒のATMを試したが、ひとつは中華系で、もうひとつはその銀行のカード以外は受け付けないものだった。
夕方に街に到着したので銀行も両替屋も閉まっており、路上の闇の人に両替してもらった。
レートは悪かったが、他に現地通貨を得る手段がなかったので渋々応じた。

ボーの先は、舗装されたばかりのニューロード。


快適。
しかしまだ未完成で、所々工事中の箇所あり。
道路建設しているのは、やはり中国。
さんざんチンチョンチンチョンとバカにしていたアフリカ人、現実には中国人の監督の下で使われている。
道路一本自力でつくることさえできないアフリカ。
そのうち公用語が中国語になる日が来るかもしれない。

言葉がまた変わった。
今度は「モムイ」と呼ばれる。
もういい、もうなんでもいい、もう十分。

ジンミという村で1泊。
完全ローカル仕様の宿で1泊。
地元の人しかわからない場所にあり、人に聞いて連れて行ってもらった。
3万レオン(381円)。
1000円以下の宿などなかった西アフリカで、いきなり最安記録。

最大の問題は、扇風機がないことだった。
この宿はせっかく電気が通っているのに、扇風機がないとは。
ここ最近は風が吹かず、高温多湿、不快度指数マックス。

日没後も、外で座って扇子であおぎ続ける。
座ってじっとしているだけでも暑くてしょうがない。

他の人たちは平気な顔をしている。
もう施錠するからと言われ、渋々部屋へ戻って寝ることを試みた。

地獄のような一夜だった。
窓とドアを全開にしてもまったく空気が動かず。
そして南京虫だろうか、全身がかゆくて掻きむしりまくる。
片手で扇子であおぎ続け、片手で体を掻き続ける。
ほとんど眠れた気がしないが、時々「アツイ」「アツイ」という言葉を発する自分の声にハッとする。
逃げ場がない。
明け方の2時間ぐらいは眠れた気がした。

この地の人々がこの気候で平然と眠れるというのは驚異的だ。
環境に適応した体質であるのは言うまでもないが、こうも違うものか。
今まではなんとか扇風機のある宿でつないできたが、一般的な家庭には扇風機などないし、そもそも電気が通っていない。
もしここに住み続けることになったら、僕は1ヶ月ほどで死ぬと思う。





ジンミからリベリア国境まではほぼ未舗装。


路面は荒く、アップダウンもキツイ。
こういう道では、ドライバーはいっそう荒くなる。
猛烈な砂埃を巻き上げながら、僕に気を遣って減速するどころかクラクションを鳴らしながら猛スピードで突っ込んでくる。

このキツイ思いをしている時にも「モムイ、モムイ」とうるさい。



現在中国によって舗装工事進行中。
数年後には舗装完了しているだろうか。

シエラレオネレオン。





Monrovia, Liberia



シエラレオネ 1

シエラレオネ入国。


初訪問だけど、この既視感はいったい?



15世紀にポルトガルが到来し、奴隷や象牙の貿易をおこなった。
18世紀に奴隷解放の声が高まり、イギリスが沿岸部にフリータウンを建設して解放奴隷の移住地とし、後に領域を拡大してイギリス植民地となった。
1961年独立、その後クーデターと内戦が繰り返された。
豊富な鉱物資源を有し、特にダイヤモンド生産量は世界10位。
このダイヤモンドをめぐって内戦が引き起こされたこともあった。



面積は北海道より一周り小さい。


国境から10kmほどの街カンビア、Hotel Africanaで1泊。


15万レオン(1915円)。
電気が使えるのは19~7時。
Wi-Fiなし。
朝食付き。
コンセントはイギリス式。
白人客が数人いた。

カンビア。


公用語は英語。
シエラレオネ人の英語はかなりクセがあって時々わけがわからないが、それでも宿泊や買い物のやり取りが英語でできるということがなんと楽なことか。





食は今までと変わりない感じ。


1万レオン(127円)。
ひとつの煮込み料理に肉と魚が同居しているのが特徴的。
味は、辛い。
一目見ておかわりするつもりだったが、食べてみてこの辛さで一気に食欲消失。
このボリュームでももう十分。

ギニアは350mlの炭酸ばかりだったが、シエラレオネは500mlの炭酸がメインで、相場は5000レオン(63円)。
これならいくら買っても損だとは思わない。

激しい雷雨。


ついに来たか。
でもこれが気温をぐっと下げてくれる。

道はきれいに舗装されている、路肩も!


交通量は少なく、アップダウンも緩く、とても走りやすい。
しかし、たまにすれ違う車やバイクはもれなくきっちりクラクションを鳴らしてくる。
いつまでも成長しない白痴どもめ。

この先は最短最速で終わらせることにしたので、首都フリータウンはスキップする。



どこへ行っても大注目され監視され続ける外国人。
休憩する時は誰もいないところを選びたいのだが、やっぱり子供たちが嗅ぎつけてくる。


大人たちも寄ってくる。


また言葉が変わった。
ここでは「アバト」と呼ばれる。
意味は言うまでもなく「白」。



「アバトー! ギミーマニー!」
「アバトー! ギミーチョコ!」

戦前か!?
いや今までも似たようなことを言われていたのかもしれないが、公用語が英語だから子供たちの言葉がわかってしまうだけか。



2014~15年、シエラレオネを中心としてギニアからリベリアにかけてエボラ出血熱が大流行し、総死者は1万人を超えた。



発端は、ギニアで子供がコウモリと接触したことだった。





「アバトー! アバトー!」
こればっかり、1日何百回言われるだろう?





ギニアに続いてシエラレオネも検問が多い。
警官も軍人も歓迎してくれて、握手して声援を送ってくれる。



ルンサーという街で1泊。
10万レオン(1274円)。

村ではアバトコールばかりだが、街では中国人呼ばわりされることも多い。

「チャイナ!」
「チャイニーズ!」
「チンチョーン!」
「チョンチーン!」
「チンチャンチョーン!」
「チョンチンチャーン!」
「チンチャンチョンチンチョンチンチャーン!」

なんてレベルの低い・・・

このチンチョンコールは子供のみならず大人からも言われる。
農村の田舎もんは黒白の二色しか識別できないが自分たちはチャイナという新色も知ってるんだぜすごいだろ、と得意気だ。

今や絶大な経済力で世界を牛耳りつつある中国。
そうとも知らず、アジア人を見るやチンチョンチンチョンとおどけることしかできないアフリカ人。
なんと哀れ。

外国の援助で多少近代化したかもしれないが、素のままのかれらはいまだ先史時代を生きている。
もちろん外部の介入はかれらが望んだことではないのかもしれない、大国の思惑で勝手に近代化が推進されただけで、ほっとけばかれらは先史時代のまま平穏に暮らしていただろう。
しかし食うか食われるかの熾烈な生存競争の世界で、無防備のままおとなしくしてたら食いつぶされるということも摂理だ。

自然と共存する原初のままの農村を尊く思う自分もいれば、いつまでも未発達で不便な生活に甘んじていることを愚かだと思う自分もいる。
僕は僕で、アフリカに対して矛盾した心情を抱いている。

しかし世界でもこの大陸だけ時の流れが異質なのはなぜだろう。



たまには大人の写真も撮りたいのだが、カメラを構えるとどうしても子供が前面に出てきて、結局子供の写真になる。


やや大きな街マケニにて。


料理名はよく聞き取れなかったが、なんとかリーフと言っていたので、何かの葉っぱのペースト、中にはチキンが一切れ入っている。
味は、カレー味の海苔の佃煮みたい。
1万レオン(127円)。



走行中、スコールにつかまってしまった。
日中はとにかく暑いので、ずぶ濡れになるのも悪くない。
スコールが降り出すと、子供たちは全裸になって路上に出てきて、天然のシャワーを浴びる。
そこで僕を目撃すると、走って追いかけてくる。
土砂降りの雨の中、後ろを振り返ると全裸の子供たちが「アバトー! アバトー!」と言いながら追いかけてくる。
もう、頭おかしくなりそうだわ。


Monrovia, Liberia