2018年11月29日

プラハ

首都プラハ。




激しく女子ウケしそうな街。
ここはまだ東欧だが、街並みは西ヨーロッパに近い。
もちろん美しいことこの上ないのだが、キャンプをしながら男旅をしている者としてはそんなに盛り上がれるはずもなく、中心部を軽く歩けばもう十分。

ここは東欧一の観光都市だろうか。
日本人はもちろん、中国人韓国人ももちろん、他のアジア人旅行者も多くとてもにぎわっている。









久々の晴天。
チェコに入国して初めての晴天。

















人々が見上げているのは、1時間ごとのからくり時計。






僕が見上げるのは、これ。




この時の気温-4℃。
水が凍ってしまいそうだが、日が当たっているから大丈夫なのかな。

日本のガラス屋の技術はレベル高いと思う。
海外で見学していると、じれったくてしょうがない。
こっちの人たちはせかせかした感じがまったくなく、あまりにのんびりしすぎているように見える。
でも氷点下なのに素手で仕事しているのはすごいな。

あちこちで見かけるスイーツ屋。


110コルナ(547円)。


別に全然うまくない。
せいぜい110円ってところか。
これで547円なんてぼったくりもいいところ。
しかも、ホイップクリームで注文したのに機械が故障したのでイチゴチョコにされてしまった。
同じ価格でドネルケバブを買う方がずっといい。



















Hostel Mangoに滞在。


ドミトリー1泊€5+税15%。
間違えて女性ドミトリーに入ってしまったかと思うほど、女性だらけ。
日本人女性も常に2~3人はいる。
今までの宿で出会った日本人旅行者とは明らかにタイプが違う短期旅行者で、服装もなんだかオシャレだ。
どうしてこんな人たちが男女ミックスドミトリーに泊まっているのだろうかと思ってしまうが、彼女たちからしたら僕の方こそ場違いなのかもしれない。
でもグループではなくソロの日本人女性が多いということは誇らしいことだ。

先日、不覚にもキャンプ中にヘッドランプを紛失してしまった。
僕はめったに物をなくさないのだが。
安物だったけど気に入っていたので悔しい。

チェコにはアウトドアショップがたくさんある。
ちょうどいい安物がなかなかないので、奮発して有名ブランドを買ってみた。


Black Diamond IOTA 150。
1007コルナ(4998円)。
重量56g、最大持続40時間、USB充電。




Praha, Czech



2018年11月28日

ボヘミア 1

ブルノからプラハまで210km。
通常なら105km×2日の行程だが、日照時間が短い上にアップダウンの連続なので、70km×3日の行程で。

ブルノ~プラハの最短ルートは高速。
また一般道を探しながらだが、前半は高速に沿って比較的わかりやすい道が並行していた。

道幅は決して広くないが、交通量が少ないのでストレス減。








スロバキア同様、チェコもリンゴの木だらけだが、もうほとんど落ちてしまっている。


1本の木から一体どれだけの果実を生み出すのだろう?


もったいない。




キャンプに適した森が豊富にあるのが本当に救いだ。
日没が迫ってきたら適当な森にスッとすべりこむだけでいい。
人に見られる心配もなく、静かだ。



日の出7時半、日没16時。
15時半にはテントを張り、16時に自炊開始、16時半に食べ終えるぐらいが理想。
17時には完全に暗闇。
コーヒーを飲みながら本(電子書籍)を読み、あるいは音楽を聞き、19時に就寝。
そんな早く寝れるわけないって思うでしょう?
でも日没が早いと寝れちゃうのです。
朝5時半起床までぐっすり。



後半は、うまい迂回路を見つけるのが難しくなってきた。
もしGPSなしで紙の地図のみだったら速攻で迷子になりそうなローカルロードを進む。
最近は低温のせいで、バッテリーの消耗が非常に激しい。
節電のためマップを開く頻度をなるべく減らしたいのだが、いちいち立ち止まってマップチェックしなければならない。



街や村は人気がなく、イヌだけが僕に反応して吠え騒ぐ。
でもちゃんと敷地内で飼われているイヌなので、襲われることはない。





もったいなーい。


岩岬先生からいただいた羊羹と、もぎ取ったリンゴ。




再び北上しているので、気温低下。
日中0℃。



チェコ語はまったくわからないが、これが「この先通行止め」というのはわかる。


迂回路のさらに迂回路で行く。
この日はこういう通行止めが二度もあった。
交通量が少なくてのどかなのはいいけど、日没に迫られてるのでこんな回り道がペースに大きく影響する。
やっぱり幹線道路を高速にされてしまうのは不便だな。

街中に入ると、「歩行者と自転車は歩道へ」という標識が出てくるのだが、この縁石はいい加減にしてほしい。


荷物満載の自転車だと、いちいち降りてクソ重い自転車を持ち上げなければならない。
自転車だけでなくベビーカーも車椅子も、あらゆる車輪にとって障害となる縁石をいつまで残しておくつもりなのか。

3日の計画で正解だった。
1日70~80kmペースで目一杯だった。


Praha, Czech

11276km



2018年11月25日

モラビア

スロバキアのスーパーの前でシューアイス20個一気食いしてたらおじさんが20ユーロくれた。



シューアイスが幸せを招く因果関係についてはともかく、厚意を受けてばかりの日々、どうしたものか。

チェコ入国。

国境に両替屋あり。
EU加盟国でもユーロを導入していない国は多い。
スロバキアはユーロだが、チェコは自国通貨を使用している。



チェコの西部はボヘミア、東部はモラビアと呼ばれる。

9世紀に大モラビア王国が成立したが10世紀にマジャル族によって崩壊、その後ボヘミア王国が成立、16世紀にハプスブルク家の支配下となった。
第一次世界大戦のオーストリア・ハンガリー帝国解体によりチェコスロバキアとして独立。
第二次世界大戦でドイツに併合されたがその後復活、冷戦期はソ連の影響下に置かれた。
チェコとして独立したのは1993年。

チェコのことを正式名称で「Czech Republic」と呼ぶ人が多い。
リパブリックを付けてワンセットにしないと落ち着かない発音なのかもしれない。

工業国であり、自動車メーカーのSKODAが有名。

スロバキアやポーランドと同じく、スラブ系、カトリック。

自転車道、再び。

どうせ長続きせず消滅してしまうので一時の気休め程度だが、それでもこれがあるとホッとする。
チェコやスロバキアは、自転車道がない一般道でも比較的走りやすい。

雨天のため、キャンプにくじけて宿泊。
ホームステイのような感じの一軒家。

キッチンも自由に使える。

500コルナ(2469円)。
他に客はおらず、一軒家を独占できてこの料金ならリーズナブル。

外国人はまず来ないような小さな田舎街だが、すれ違った若者から「コンニチハ」と言われた。
やっぱりうれしいものだな。

天気悪。

ポーランドはほとんどフラットだったが、チェコはほとんどアップダウン。


首都プラハに次ぐ主要都市ブルノ。
かつての大モラビア王国の都であった。
ここはクルト・ゲーデルの生地。


ゲーデルの生家。

20世紀前半、ウィーンを中心とする界隈にはアインシュタイン、フォン・ノイマン、ウィトゲンシュタインといった第一級の天才がゴロゴロいた。

数学を完全で無矛盾なシステムとして築き上げようとしていたこの時代に、不完全性定理を炸裂させてその不可能性を証明したことは、相対性理論と肩を並べるほどのパラダイムシフトであった(ゲーデルショック)。

その天才の生家には、あまりにささやかなプラークが掲げてあるだけ。

ゲーデルが7歳の時に移り住んだ家。

今はふつうに誰かが住んでいるっぽい家だが、ゲーデルのプラークが見えた。


ゲーデルが生まれた頃、ここはオーストリア・ハンガリー帝国であり、その後チェコスロバキアとなった。
そもそもゲーデルはドイツ系であり、当時はこの地の支配者階級、しかもその後アメリカに永住したのでチェコ人としての民族意識はなかったのではないかと思われる。
チェコとしてもそんなゲーデルを派手に祭り上げようとする姿勢は見られない。
それはともかく、業績の偉大さと知名度の低さにここまでギャップがあるのはまったくもって不思議である。


Brno, Czech

11043km



2018年11月23日

ポーランド 3

お世話になりました!


奥さんがおにぎりをつくってくれた。
何よりもありがたい。

依然としてポーランドの道は険しい。
幹線道路が高速に切り替わると、それに並行する一般道があるのだが、その一般道がプツリと途切れてしまうこともめずらしくない。
道を探し求めて、魔境のようなところに導かれることもある。


日中1℃。
ダウンを着るようになった。

日照時間の縮まり方が尋常じゃない。
日没は15:40。
1日100kmペースが厳しくなってきている。

2012年にクロアチアのドゥブロヴニクで出会ったポーランド人サイクリストから連絡があった。
↓左の人。


あの時は路上で立ち話だけして別れ、それっきりだったのだが。

彼、マ・チェはクラクフの西80kmほどにあるカトヴィツェという街に住んでいる。
僕が進む方向とは少しずれるが、せっかく招いてくれたので彼の家に向かうことにした。

しかし、同じ道ではないにしても似たような道を戻るのはダルい。
すると彼は僕の心中を察したかのように、車で迎えに行くよと言ってくれた。
迎えに行くと言っても200km以上あるのだが、彼は仕事で多忙の中、来てくれた。
しかも、家には生後10日の赤ちゃんもいるという。
6年前にすれ違っただけの旅人にどうしてここまでしてくれるのか。

家に到着したのは深夜になってしまって、残念ながら奥さんと赤ちゃんにお目にかかることはできなかった。

マ・チェは翌日仕事でスロバキアまで行くので、ついでに乗せていくよと言ってくれた。
僕はとりあえずチェコのプラハへ向かう。
彼の家から出発してもスロバキアから出発してもプラハまでの距離は大差ないが、スロバキアからのルートの方が魅力的に思えたので、連れて行ってもらうことにした。



そんなこんなで彼との再会の時間はほとんど車の中になってしまったが、会話もはずみ、楽しいドライブだった。



ポーランドズォティ。




そんなわけで、スロバキアに再入国。

だいぶ南下して気温上昇、6℃もある。
ダウンを着ていると暑い。
やっぱり0~2℃ぐらいが適温だな。

明日にはチェコに入国する。


Piestany, Slovakia

10883km



2018年11月20日

ワルシャワ 3

宿から岩岬先生宅へ移動、2泊お世話になってしまった。
先生は奥さんと一緒にマンションで暮らしている。

昼も夜も、市街を案内してもらい、レストランでポーランド料理をごちそうになった。








牛の生肉料理、タルタル。


たたきにされた生肉にタマネギなどを混ぜ、中には生卵の黄身が入っている。

13世紀、「タタール」と呼ばれたモンゴル帝国の襲来はヨーロッパを震撼させた。
そのモンゴル人の馬の生肉料理がこの地に伝わり、ポーランド料理「タルタル」として根付いた。
フランスではこの付け合せとして「タルタルソース」がつくられた。
ドイツのハンブルグでは加熱調理され、「ハンブルグ→ハンバーグ」と呼ばれるようになった。
そしてはるか東の朝鮮半島で「ユッケ」となった。

モンゴル帝国の最大版図。
「モンゴル帝国の最大領域」の画像検索結果



街のあちこちで、毎晩ピアノコンサートが開催される。






大福!


8ヶ月ぶりのあんこ。

和食!


日本の食材店があるらしいが、ヨーロッパのメジャーな国に比べたら入手しにくいはず。
ポーランドでこんな見事な手作り日本食が食べられるとは。
またお礼しきれないぐらい、お世話になってしまった。
岩岬先生、奥さん、本当にありがとうございました。


Warzsawa, Poland



2018年11月19日

ワルシャワ 2

ポーランドで唯一の日本人学校。


校長を務めているのは、僕の小学校の恩師。


定年退職後の海外赴任で応募し、ポーランドで生活する日本人の生徒に教鞭をとっている。
還暦過ぎとは思えない若々しさ、エネルギッシュさ。



もちろん偶然遭遇したわけではなく、以前から同窓会で何度も会っていて、今回の旅でも連絡をとっており、招待していただいた。

ラッキーなことに、この日は年に1度の授業参観日。
僕も保護者に紛れて参観してみた。
一学年1~2名なのでマンツーマンに近い授業体制で、生徒につきっきりで教えられるし、生徒もよく発言しよく質問し、楽しそうだった。
ポーランド人による英会話の授業もあり(若い世代のポーランド人の英語レベルは非常に高い)、受験戦争時代の読み書き英語の授業しかなかった僕の世代にはとてもうらやましく思えた。

その後、民族舞踊のパフォーマンス。










午後は、岩岬先生に市街を案内してもらった。






















夜は、ワルシャワの音大に通う日本人留学生の演奏会に。




その後、教員の方々とディナー。


貴重な体験、出会い、またまた僕は恵まれている。


Warzsawa, Poland



2018年11月18日

ワルシャワ 1

ポーランド人といえばこの人。


フレデリック・ショパンはワルシャワ郊外で生まれ、ベルリンやウィーンへと移り住みながら、39歳でパリにて没。
彼の生きた19世紀にはポーランドという国は存在しなかったが、ポーランド人としての民族意識を強く持ち、その短い生涯を通して祖国への思いを馳せた。

市の中心地に立派なショパン博物館があり、さっそく行ってみたが、行く価値なかった。
一体何がやりたいのか、何を見せたいのか、何も伝わってこなかった。

なので僕の好きな演奏をいくつか勝手に貼る。





大のショパン嫌いで知られているグールドが唯一レコーディングで残したショパン曲。


ショパン嫌いなのに、どんなショパン弾きの演奏よりもクセになる。
ロマン派的センチメンタリズムを拒絶した、なんともグールドらしい演奏。

















Nowogrodzka 31 Hostelに投宿。
ドミトリー1泊23ズウォティ(685円)。
ポーランドはそれほど人気観光地ではない上に閑散期、のはずだが人気の宿は埋まっていたので、やや低評価のこの宿を選んだ。

この宿は、市の中心部で立地だけは良い。
しかし客層はまた労働者が多い。
インド人、ロシア人、ウクライナ人、など。
フレンドリーに話しかけてくれる人が多いので少し心を開いてしまうが、ウォッカ漬けのロシア人がしつこくからんできたりする。
極狭の部屋に6人が押し込められ、オッサン臭と酒臭さが鼻を突く。
洗濯物を干すところがないのでベッドに干しているのだが、服が全部臭くなる。
深夜でも声のボリューム調整をまったくせず大声で話す人、イビキの音量がとてつもない人、目覚ましが鳴っても一向に起きずにいつまでもアラームを轟かせる人。
ロッカーが人数分なく、さすがにこの客層では僕も警戒レベルを上げて、トイレに行くにもシャワーを浴びるにも、常に貴重品は身につけておく。
カメラやPC等は常には持ち歩けないのでベッドに置きっぱなしにすることもあったが、何も盗られなかった。
まあ、マナーは悪くても盗みを働く人たちには見えなかった。

Booking.comでの上位・高評価の宿に日本人が多いのはわかる気がする。


Warszawa, Poland



2018年11月16日

ポーランド 2

ヨーロッパの道路はなぜ幹線道路を突然自動車専用道にしてしまうのか。


ヨーロッパでは自転車道が整備されている、というのは街中だけの話。
街と街を結ぶ幹線道路では自転車も歩行者も排除される。

地元民しかわからないような難解な迂回ルートを模索しながら進む。
いちいち立ち止まって地図を確認しなければならないので進みが悪い。
最近は本当に日が短く、16時には日没、あまりチンタラしたくない。

西ヨーロッパはもっとひどく、標識もなかった。
1回目のヨーロッパ旅行では、ふと気づけば高速の真っ只中を走っていて、よく捕まった。

東欧は標識があるだけまだマシだが、一度だけ、迂回路がなくて否応なしに高速に突入してしまったことがあった。
間もなくパトロールカーがやってきて、捕まってしまった。
良心的に脱出させてくれたのでまだよかったが、しかし何とかならんものかな。
高速は路肩が広々と舗装されているので、一般道を走るよりはるかに安全なのだが。

一般道は路肩未舗装。


安全な高速を通行禁止にして、通行可能な一般道を危険なままにしておく。
やりづらいのう。



交通量も半端ない。
この狭い道路に大型車もガンガン来る。
僕を追い越せなくて詰まり始めたら、いちいち路肩に逃げてあげなければならない。
ポーランド人がクラクションを鳴らさないのがせめてもの救いだが、ポーランドの道作りもけっこう最悪。
何もここまでギリギリ設定にしなくてもと思う。



頭の中でショパンを流して浸ってみたかったのだが、これじゃ気を張り詰めっぱなしでそれどころじゃない。





いきなりワラビー。


久々に見たけど、やっぱかわいいな。

動物園ではないと思う。
何かの敷地内に幾種もの動物がいた。




Warszawa, Poland

10761km