2018年9月30日

ソロカ

入国してすぐの街オタチ。


キリル文字からラテン文字に変わった。
看板も標識も、見てスッと入ってくる。

キリスト教国だが、中高年の女性は皆スカーフをかぶっている。



先ほど渡った国境の橋、手前がモルドバで向こうがウクライナ。


モルドバは、民族的にも言語的にも西隣りのルーマニアと変わりない。

現在のルーマニアとモルドバを含むモルダビア公国が中世に成立し、16世紀にオスマン帝国の属国となった。
たびたび繰り返されたロシアvsオスマンの露土戦争の結果、1812年にロシア帝国がモルダビア公国を割譲し、一部をベッサラビア(後のモルドバ)と称して併合した。
1918年にベッサラビアはルーマニア王国の一部となったが、1940年にモルダビアとしてソ連の一部となった。
1991年、ソ連の崩壊にともなってモルドバ共和国として独立。

要するにここも、ロシアと西側がぶつかり合い、領土を奪い合ってきた東西の境界。

ルーマニアはEU加盟国だがモルドバは非加盟。
中身が同じなら合併してしまえばいいのにと思うが、国際的には分離独立はけっこうだが併合はけしからんという風潮がある。

面積は九州よりやや小さい。
人口は355万人。

国境を越えても相変わらずのアップダウン、相変わらずのひどい道。


もはや未舗装。


早くもモルドバの経済力の弱さを肌で実感。

村にはあちこちに井戸が。




お、整備された!


ドニエストル川岸の街ソロカ、対岸はウクライナ。


ソロカは都市ではないが、そこそこの街。
でもまともなスーパーがなく、売店レベルのミニマーケットばかり。
品ぞろえは乏しく、食材はあまり選べない。
チョコチップクッキーもない。

異様に物価が高い。
GSの売店で紙コップのコーヒー(小)が15レイ(100円)。
日本のコンビニのコーヒーの方がおいしいしサイズも大きい。
コーラ1.5Lが20レイ(134円)前後。
ウクライナでは80円ぐらいだった気がする。
フリヴニャの下落で物価が下がっているウクライナと比較してはいけないのかもしれないが、今回旅した国の中でも一番高い印象。
ちなみに、モルドバは一人当たりGDPがヨーロッパで最低、ヨーロッパ最貧国と言われている。





イラン以来、久々の橋の下キャンプ。


ウクライナに比べてモルドバは森林が少ない。
農場がずっと続き、寝場所を見つけるのに困っていた時、ちょうどいい橋が現れてくれた。
橋の下というのは、人目につきにくいし、屋根と壁に守られるし、大雨が降った時の脅威さえ除けば、なかなか快適である。

コカコーラは高いので、ニセコーラ。


これは13レイ(87円)。
イランのザムザムコーラとキルギスコーラと同じ味。

首都キシナウまでの道路はきれいに舗装されていて走りやすかった。


Chisinau, Moldova

8375km



2018年9月28日

ウクライナ(モヒリーウポジーリシキー) → モルドバ(オタチ) 国境越え

朝の気温、4℃。
ウクライナ人たちはすでにコートやジャケットを着ている。
まだ9月だが、僕も長袖を着た。



ひどい道。


整備されていたのはキエフとリヴィウを結ぶハイウェイだけだったか。
このガタガタ道じゃ下り坂でもスピードが乗らない。



もう少し早ければ一面に輝くヒマワリが見れたのかも。




その代わりリンゴの収穫期。










ウクライナフリヴニャ。




国境の街の手前の森でキャンプし、翌朝国境越え。

ウクライナ側
車での越境は制限されているのか、車のゲート前には大型トラックだけが並び、乗用車はなかった。
歩行者は多いようだが、第三国者は僕だけで、あとは皆ウクライナ人とモルドバ人ばかり。
物資を運んでいるわけではなく、軽装で、パスポートではなくIDカードを見せるだけで行き来している。

僕は荷物チェックを受けた。
バッグを開けてチラッと見ただけで「もういいよ」と、きわめてやる気のない形式的なものだった。

国境をなすドニエストル川を越えてモルドバへ。


ふつう、国境での撮影は御法度。
ヘタすると逮捕されることもありえるが、何となくゆるい感じだったので橋の上から撮ってしまった。

モルドバ側
他の人たちがIDカードでスイスイと流れる中、僕だけ少し時間をとられた。
係員はルーマニア語(?)で質問してきた。
「Do you speak English?」と聞いたら、キッパリ「No!」と言われた。
日本人旅行者にルーマニア語が通じるわけなかろう、ロシアや中国でさえ国境係員は英語を話せたのに。
でも国境で聞かれることなんてたいてい決まってるから、これから向かう街や国の名前をいくつか言ったらすんなりスタンプをもらえた。
荷物チェックはなし。

90日以内の滞在であればビザ不要。

国境を越えてすぐATM、両替所あり。
携帯ショップもあったが、小国だしGSの売店でWi-Fiが飛んでいるようなので、SIMは購入せず。


Soroca, Moldova

8220km



2018年9月25日

ヴィーンヌィツャ

朝のリヴィウ。


テルノピリ。










向かい風アップダウン。

路肩も未舗装になり、車道も狭くデコボコになってきた。


悪条件というのはそうすぐには終わらない。
しばらくこんな感じで行くのだろう。
でもこれぐらいはたいしたことじゃない。

それに、ウクライナ人はクラクションを鳴らさない。
えらい。



ヨーロッパおよびその他の白人文化圏では、おいしいチョコチップクッキーが安く売っている。


朝飯にもなるし昼飯にもなるしおやつにもなる、大好物。
コーヒーとの相性も抜群。
ヨーロッパおよびその他の白人文化圏に突入したら必ずチョコチップクッキーを常備するようにしている。

アジアにはチョコチップクッキーを食べる文化がない。
あってもチンケなやつか、輸入物でバカ高いのしかない。

ノイジーなドミトリーに疲れ、キャンプでホッと気を休める。


たまにはぜいたく。


街から離れたところでも、GSにモーテルが併設されていたりするので、ウクライナでは泊まる場所に困ることはない。
このクオリティで1泊400フリヴニャ(1598円)、安い。



ウクライナの宿はどこもWi-Fiは良好。
GSに併設されている売店でもちゃんとWi-Fiが飛んでる。
だからSIMの10GBはとても使い切れない(ミニマムが10GBなのでそれ以下は売ってなかった)。

夜、雨が降った。
ホテルに泊まって正解だった。

乾燥した中央アジアと違い、ウクライナに入ってから、主に夕方から夜間だが、時々雨が降る。
恵まれた気候のおかげで、旧ソ連の中ではウクライナは農業大国。
ロシアがあくまでウクライナを傘下にしておこうとするのは、黒海の他に農業生産力という理由もある。

ヴィーンヌィツャ。






奇妙なデザインの教会。


外国人らしき人はほぼいない。
観光地のように飾った感じはなく、素のままの街。





「SWEET HOSTEL」に滞在。


各ベッドに照明とコンセントあり。


ロッカーもちゃんとしてる。


まだ新しいのか、すごくきれい。


ウクライナのホステルはコンロがないところも多いが、ここはすべてそろってる。


早くもスープスパゲティに飽き飽きしてたので、久々にオムライス!


やっぱ米はいい。
キッチンのある宿では、パスタより米にしていこうかな。

1泊170フリヴニャ(679円)。
相場と比べたら高めだが、それでも激安。
ちなみに、最安の宿は95フリヴニャ(379円)だった。

街の中心部近くにあるので立地も良い。
ここまでちゃんとしたところはなかなかない、優等生的なホステルと言っていい。

めずらしく、流暢な英語を話すウクライナ人の客が来た。
日本の伝統文化、刀とか侍に興味を持つウクライナ人はけっこう多く、彼ナザールはペラペラと長時間にわたって、いかに自分が日本文化が好きかを語ってくれた。

ふだん、走行中も宿泊中も、ウクライナ人から話しかけられることはほとんどない。
社交的な民族ではないのかと思いきや、意外とそうでもない。
キエフの自転車屋の店主とかこのナザールは、とてもフレンドリーで紳士的で、止められないほどおしゃべりだ。
他の人が話しかけてこないのは英語を話せないという言語の壁なのか、いやヨーロッパは全体的にこんなもんだったかな。
いやそれよりも、僕ももっと現地の言葉を学んで人と話さないと、たまにこうやって不意に親しくなっても、この国でどういう旅をしてきたかうまく話せなかったりする、反省。

雨のため、連泊。
いい宿だし、休息がてら3泊した。


Vinnytsia, Ukreine

8041km



2018年9月20日

リヴィウ 2

市庁舎の時計塔からリヴィウを一望。














時計塔まで30フリヴニャ(119円)。

あの丘にハイキャッスル展望台がある。


ズーム。


ハイキャッスル展望台から。




右端の一番高い建物が先ほどの市庁舎。


団地だろうか、街並みはヨーロッパ的でも、あの手の集合住宅は旧ソ連全域に共通する。


ヨーロッパの街に来るといつも思う。
カフェとかレストランとかオシャレな店ばかり並んでて、コンビニの一軒も自販機の一つもないことを誰も不便だと感じないのだろうか。
かろうじてキオスクならあるけど、品ぞろえは乏しい。

見た目の美しさばかりが重んじられて、便宜性に著しく欠けるヨーロッパの街。
便宜性はずば抜けているが、見た目の醜悪さには無頓着な日本の街とは対極。
(でも、日本に来た外国人の友人は街にゴミ箱がないことを不便に思っているようだった。)

ショッピングモールもあるが、これまた僕にはほとんど用のないおしゃれな店ばかりが並んでいる。
ホームセンターに行きたいのだが、ウクライナに入ってからまだ一度もそういう店を見てない。

でもマーケットならある。








ヨーロッパ特有の石畳、これが自転車泣かせ。


もしかしてこれも、街の美観のためにわざと残してる?

アイス、50フリヴニャ(199円)。


高い。
でも久しぶりにまともなアイスを食べた気がした。

またジョージアレストラン。


英語メニュー、しかも写真付き、ありがたい。


自分の知ってるメニューならキリル文字でもわかるが、知らないのとなると英語の解説なしではちんぷんかんぷん。



ハチャプリ、85フリヴニャ(339円)。


オジャクリ、89フリヴニャ(355円)。


カフェラテと合わせて計199フリヴニャ(794円)。
すごくおいしかった、でも高い、そしてまったく腹ふくれない。
明日からまた自炊しよう。



滞在した宿は旧市街のすぐ近く、ドミトリー1泊120フリヴニャ(478円)。
宿代は安定して安い。

広々とした屋根裏、これは快適。


しかしまた例のごとく、労働者とかよくわからない人たち。
声のボリューム調整をまったくしない人たち、イヤホンしないで動画を見る人たち。
いい街だし宿代も安いけど、これじゃ落ち着いて長居する気にはなれない。
とっとと移動。


Lviv, Ukreine



2018年9月19日

リヴィウ 1

ポーランドとの国境まで70km、ウクライナ西部の中心都市リヴィウ。








ポーランド領だった頃から、黒海とバルト海を結ぶ交易の中継地として栄えた。
18~19世紀にはオーストリア帝国(=ハプスブルク家)の一部となり、ドイツ化が促進されたこともあった。





ウクライナとしてのナショナリズムが強く、ロシア語をあえて斥けてウクライナ語で押し通す傾向がある。
反ロシアであり、プーチンの顔が描かれたトイレットペーパーがあちこちで売られている。









教会やカテドラルがあちこちにたくさんあるが、他のヨーロッパ諸国で見られるような華やかさや派手さがあまりなく、地味で質素。
なので初日はそれほどピンとくるものがなかったのだが、2~3日歩いていると少しずつ味わい深さが感じられてくる。



旧市街は世界遺産となっており、観光客でにぎわっている。
でもアジア人旅行者はほとんど見かけない。
まだまだ知られていない穴場なのかな。










Lviv, Ukreine



2018年9月18日

ジトーミル

朝のキエフ。




走行条件はきわめて良好。
広々とした道路、フラット、無風。
これだけ広い路肩があれば車の脅威は感じないし、無意味なクラクションも鳴らない。



ホロヴィッツ、リヒテル、ギレリス、といった第一級のピアニストを輩出したウクライナ。
僕がピアノに没頭した頃はまだソビエトだったので、かれらをソ連=ロシアの人、という目で見てきたけど、実はウクライナ出身だったりする。

リヒテルの生地、ジトーミル。


特に音楽が盛んという空気は感じない。
リヒテルも幼い頃に移住したので、ここはただ生まれただけの場所。
それにしても銅像のひとつでも建ててもいいぐらい、歴史に名を残す人だ。



ここから40kmほど南にあるベルディーチウという街がホロヴィッツの生地だが、行かなかった。

ちなみに、リヒテルとギレリスの師であり、ブーニンの祖父であるネイガウスもウクライナ出身。

ウクライナにはグルジア料理屋がある。
いつかもう一度食べたいと思っていた、ヒンカリ!


サイズは小さいが、味は紛れもなくあのヒンカリ。
見た目は中央アジアのマンティと似ているが、味は比較にならないほどヒンカリの圧勝。

ハチャプリ。


パンの中にチーズが練り込まれており、ちぎるとトロっとチーズがのびて、真ん中の黄身につけて食べる。
これも絶品!

さすがグルジア料理、他国で食べても最高!

コーラ1Lと合わせて計136フリヴニャ(539円)。

ところで、グルジアを「ジョージア」と呼ぶのはもう慣れたけど、「ジョージア料理」とか「ジョージア文字」とか「ジョージア人」とか呼ぶのはまだ違和感あるな。



ハイウェイ沿いにはホテルがたくさんある。
多分それほど高くないだろうけど、キャンプに適した場所も豊富にあるのでキャンプした方がいい。




ウクライナの国土は日本の1.5倍。
人口は4500万人。



好条件はそう長く続かないものだ。
向かい風が吹き始め、アップダウンもでてきた。



そこそこの街にはホステルがある。
120~150フリヴニャ(475~594円)。
やはり客は旅行者という感じではなく、素性のよくわからない人たち。
もっとも、かれらからしたら誰よりも素性が謎なのは僕なのだろうけど。
カザフスタンからずっとそうなのだが、ドミトリーの室内で、大声で電話したり、大音量で動画を見たりすることに何の躊躇もない人たち、うるさい。

























キエフからリヴィウまで560kmを4日で走った。
1日平均140km。
南旅館で1ヶ月以上ダラけても、すぐさまサイクリストに戻れる。
やっぱ自転車乗ってる時が一番気持ちいい。


Lviv, Ukreine

7682km



2018年9月14日

キエフ 4

ドニエプル川の中洲にある自転車屋でメンテナンスしてもらった。


チェーンとスプロケット交換。


まだ7000kmほどしか走行していないが、やはりタジキスタンの未舗装でかなり砂をかんでしまって摩耗が激しかったので、このさい交換。
工具を持っているので自分で交換できるのだが、工賃無料でいいというので、このさいやってもらった。
パーツ代もディスカウントしてもらったし、良心的だ。
店主はフレンドリーな人で、いろいろ話ができた。

https://facebike.com.ua/

バーテープも交換、これは自分で。

もうここはヨーロッパ、この先しばらくパーツ交換には不自由しないだろう。
アウトドアショップもあり、ガスも難なく入手できた。

宿は、とにかく自転車を置ける場所があるという条件で探して、独立広場から徒歩2分という超好立地で見つけた。


Booking.comで予約すると、メールが来て門の電子錠の暗証番号を教えてくれる。
この暗証番号がわからないと中に入れない。



狭っ!


荷物を床に置けない。
荷物を保管できる部屋があるらしいが、施錠されているのでなにかと面倒。
やむをえずすべての荷物をベッドの上と、下の引き出しに強引に入れた。


今まで泊まった宿の中でもトップクラスの狭さだ。
ベッドのサイズも小さく、高身長の人は収まりきらないと思う。

1泊170フリヴニャ(675円)+スリッパ代15フリヴニャ(59円)。

カザフスタンの宿と同様、旅行者らしき人はほとんどおらず、仕事か何かの事情で滞在しているウクライナ人ばかりだ。
皆さんここが自分の家であるかのようにやりたい放題で、昼夜を問わず大声で話したり、室内でもお構いなしに長電話したりと、お世辞にも落ち着く場所とは言えない。
ただ、立地の良さと自転車を置ける場所があるというメリットは捨てがたい。






Kiev, Ukreine