2019年1月29日

エディンバラ

スコットランドが王国として成立したのは9世紀。
1603年イングランドの女王エリザベス一世が死去すると、子供も兄弟姉妹もいなかったため、最も血縁関係の近いスコットランドのジェームス六世が継承し、彼は二国の王となった。
これを機にイングランドとスコットランドは経済的に依存し合うようになり、1707年グレートブリテン王国の成立によって合併、連合王国となった。

スコットランドにはイングランドとは異なる独自の文化があり、人々は強いアイデンティティを持っているが、人口はイギリス全体の10分の1にも満たないほどで、自分たちの声が政治に反映されないことに不満を募らせていった。

20世紀後半、スコットランドの東沖にある北海油田の開発がイギリスに莫大な利益をもたらし、スコットランドのナショナリズムを刺激した。
2014年に独立をかけた住民投票が行われたが、反対派が過半数となった。
2016年のイギリスEU離脱国民投票では、イギリス全体では離脱派が上回ったがスコットランドでは残留派が上回っていた。
2014年の投票で独立に反対した人は、独立することでEUから離脱するのはリスクが高いからという理由が多かったのだが、イギリス自体がEU離脱を決定してしまったことで、独立の動きが再燃している。
しかし、仮に独立したとしてもスコットランドのEU加盟は厳しいとの見方が強い。
ブレグジット後は、スコットランドもイギリス全体も、どうなるか先が見えていない。

スコットランドは産業革命以前より科学の中心地であり、ベルが発明した電話、ワットが発明した蒸気機関、ベアードが発明したテレビ、ダンロップが発明した空気入りタイヤ、などスコットランド起源の発明品は数多い。

日本でもよく歌われる「蛍の光」は、スコットランド民謡が原曲となっている。

首都エディンバラ。


























デビッド・ヒューム(1711~1776)。


「想像を絶する速さで互いに継起し、絶え間のない変化と動きのただなかにある、互いに異なる、知覚の束あるいは集合」



あらゆるものを懐疑した末に、疑いえない「私」の存在を見出したデカルト(大陸合理論)に対して、ヒューム(イギリス経験論)は「私」の存在さえも疑った。
「私」なんてものはどこにもなく、視覚や聴覚、「痛い」とか「おいしい」といった個々のバラバラの知覚をまとめて「私」と呼んでいるにすぎない。
つまり「私」とは知覚の束である。
人は知覚の経験を繰り返すことで、あたかもそれが実在しているとか真実であるとか思い込むようになる。

エディンバラ出身のヒュームは、市の中心にあるエディンバラ大学で学んだ。

こんな格好してたのか、ヒューム。


アダム・スミスもエディンバラ大学で教鞭をとり、ヒュームとも親交があった。






女性同士が殴り合いのケンカをしていたので、力ずくで仲裁した。
スコットランド人は血の気が多いのか。















The Hostelに滞在。
ドミトリー1泊£10(1438円)。
3段ベッドの部屋と2段ベッドの部屋があり、僕は料金の高い2段の部屋を選んだ。
荷物が多すぎてただでさえ通常以上のスペースをとってしまう僕は、さすがに3段ベッドは無理があるし、3段の部屋は騒がしい若者の集団が多いようだったので2段を選んでよかった。
エディンバラは観光地で、この宿も客は旅行者。
ローシーズンにもかかわらず、にぎわっている。

毎晩毎晩、僕がつくるオムライスに、誰もがいちいち驚いてリアクションをする。
「Wow! ひとりでこれ食べるの!? 何ていう料理?」
僕よりはるかにガタイのいい男性も「この量を一回で食べてしまうのか?」と驚き、見た瞬間に悲鳴をあげる女性さえいる。
調理中、「どうやってつくるのか見たい」と見学する人もいた。
オムライスは日本のオリジナルなので、海外では知られていない。

部屋の窓から。




言い忘れていたが、イギリスのスーパーは日曜日でも営業している。
これは本当に助かる。
そして、ほとんどのスーパーがセルフレジ化している。
小銭をとっさに出せない外国人としては、煽られず落ち着いて小銭を選べるのでこれもいい。


Edinburgh, UK



2019年1月26日

ニューカッスル

ヨークでは、Astor Yorkに1泊。
ドミトリー£12(1735円)。
旅行者の宿だった。
客のマナーは良く、スタッフも優良、ファシリティも万全。
こういうところに長居したいものだが、通過するだけの街だったし、それに少々高い。



とても北海道より高緯度とは思えない植生。


朝、-5℃。
テントはバリバリに凍り、ジッパーがなかなか開かず、ポールもなかなか折りたためなかった。





ニューカッスル・アポン・タイン。








WARMSHOWERSで民泊。
一軒家を数人でシェアしているお宅。
ホストのガールフレンドが日本文化好き。

お茶漬けに羊羹!


イギリスでこんなの売ってるのか。





朝、味噌汁を用意してくれていた。


弁当まで!


こんなにうれしいものはない。


スーパーで売っている米は、ほとんどがロンググレイン。
細長くてパサパサしていて味気ない。
世界的にはこのロンググレインがポピュラーなのだが、日本人の味覚からすると、まるで消しゴムのカスを食ってるような感じ。
僕はいつも何とかしてレアなショートグレインを探し出して、たとえ高額でも、買う。

彼女がつくってくれたこのおにぎりは、どうやって入手したのか、日本の米そのものだった。
ヨーロッパにはスシレストランがそこらじゅうにあるわけだし、日本的な米の入手経路がどこかにあるのだろう。
だいたいロンググレインだと、粘り気がないからおにぎりも寿司もにぎれない。
わかめには和風ドレッシングがかかっていて、漬物も彼女のオリジナルっぽかった。
自分で和風にクリエートしてしまうなんて、すごいな。







気温低下が続き、キャンプも少々寒いかなと思ったら、まさか夜になって気温上昇。
暖気が入り込んできたのか、翌日は10℃まで上がった。
ほんと天気ってわからないものだ。

スコットランドに「入国」。




丘陵地帯でアップダウン増加。


向かい風がドカーンと来た。
一気にスピードダウン、体力を奪われる。
日没は16時半。
暗闇走行はなるべく避けたいので、あまり休憩を取らず走り続ける。



イギリスの道路番号で、Mがつく道路は明らかに自動車専用の高速道路だが、Aがつく道路は、結局よくわからない。
同じ道路でも、片側一車線で幅狭のローカル道路っぽい時もあれば、いつのまにか中央分離帯が出現して高速道路っぽくなる時もある。
その境目に特に標識もないのだが、高速っぽくなると、よくクラクションを鳴らされる。
「自転車はここを走るな」と言いたいのだろうか。
一本の道を継続して走行できないとしたら、不便極まりない。
ポーランドの道路もそうだったが、「ここから高速」という標識があった。



しばらく走り続けたA1、ようやく自転車歩行者禁止の標識が現れた。


でもこの先は、地図を見ると並行する一般道があるので、標識なしでも察しはつく。
察しがつきにくい箇所で、明確な標識が欲しい。

いい天気が続いているが、道路は常に濡れている。
毎日泥にまみれる。


上から降ってくる雨よりも、路面からの跳ねっ返りが問題なんだよな。
むしろ雨が降っている時の方が泥を流してくれるのだが、これでは蓄積する一方。
自転車も荷物も、毎日掃除しなければならない。
道路が高速っぽくなると車のスピードが上がるので、特に大型車が巻き上げた霧状の泥を食らい、顔も服も汚れる。

これとは別問題だが、イギリスの道づくりは本当にダメ。
走りづらくてしょうがない。
街中で歩行者が誰も信号を守らないのも、道のつくりと信号の方に問題があるせいだと思う。
路面も穴だらけ段差だらけだったりで、整備する気がまったく見られない。
ヨーロッパでは最低ランク。


Edinburgh, UK

14286km



2019年1月22日

ケンブリッジ

北上。

運河に沿って小道を進む。


数十kmに渡って、無数のボートが停泊している。
どうやら、ここで生活しているようだ。



アジアのいくつかの地域で水上生活をしている人々を見たが、まさかイギリスで。
家族一緒に船上で暮らし、ここで子供が産まれ、ここから学校に行き、会社に行き、ここで死ぬ。
トイレはどうしているのか、電気ガス水道、冷暖房はどうなっているのか、住所はどうなっているのか。
疑問は尽きない。







アップダウンはなくなり、ずっとフラット。



ケンブリッジでは、バイカル湖で出会ったポーランド人のアガタの家に招かれ、お世話になった。
彼女はここで1年ほど働いており、英語はもともとネイティブ並みにペラペラ。
アガタのフランス人の友人も加わり、一緒にケンブリッジの街を歩いた。
暗かったので写真は撮れなかったが、日本の学生街とは似ても似つぬほど、イギリスの大学都市は歴史ある荘厳さを感じさせた。
なんたって、かのニュートンやダーウィン、ウィトゲンシュタイン、ホーキングもケンブリッジ大学で学んだのだ。

ブレた。


ケンブリッジ大学vsオックスフォード大学で毎年ボートレースが開催され、この運河では日々ボートの練習風景が見られるようだ。




イギリスにも自転車道がある。


土地は農場で私有地ばかりだが、時々森も現れる。
都市から離れればキャンプも難しくはない。

朝。-2℃。







イギリス、天気いいな。
今まで旅したどの西ヨーロッパよりも高い晴天率。





イギリスで特に見たいものも目的地もなく、人口の集中している西側を避け、東側を走行。
でも幹線道路は非常に交通量が多く、車の音が耳から離れない。
道幅も狭い。



キャンプ中も常に車の音が聞こえてくる。
イヤホンで耳をふさいで、音楽を聞いたり映画を見る。
個室のホテルには泊まれないヨーロッパで、唯一プライベートが確保できる時間。




York, UK

13936km



2019年1月18日

ロンドン 4

イギリスの特性は、何といっても海に守られた島国であること。
ドーバー海峡は最短でわずか34kmだが、潮の流れが速いため敵国の侵入を容易に許すことがなく、「百万の軍隊に相当する」との異名をとった。
大陸の国々のように国境の防衛や隣国との抗争に労力を費やす必要がなく、その分国力を成長させることができた。
海外進出してさかんに貿易し、植民支配でも他のヨーロッパ諸国との競争に打ち勝ち、17~20世紀前半に大英帝国として隆盛を極めた。

18世紀、世界に先駆けて産業革命を果たし、資本主義を確立。
1869年、スエズ運河の開通によってエジプトからインド洋、シンガポール、中国までの海洋ルートを確保。
1884年、グリニッジ天文台を経度0°とし、グリニッジ標準時(GMT)を制定。

第一次大戦後は、世界の陸地の実に23.8%を支配する史上最大の帝国であった。
「大英帝国の最大版図」の画像検索結果

現在の世界の共通語が英語であることなど、当時の大帝国の象徴は今も残る。

反面、島国であることは逃げ場がないということでもある。
もし大陸に強大な国が成立したら、いずれイギリスに攻めてくる。
イギリスはそれを防ぐため、大陸の国々が互いに争うように仕向け、バラバラの状態であり続けるように舵を切ってきた(オフショア・バランシグ)。

そんなイギリスにとって、最大の脅威はロシア帝国であった。
ロシアは不凍港を求めて南下政策を進め、アジアにおけるイギリスのテリトリーを脅かす存在となった。
1813~1907年、イギリスとロシアは緩衝地帯である中央アジアやアフガニスタンで覇権をめぐって対立、直接的な軍事対決を避けたこの二大国の抗争はグレートゲームと呼ばれた。

「栄光ある孤立」と呼ばれたイギリスの外交戦略だが、ロシアの満州進出を防ぐため、日清戦争の勝利で勢いづいた日本と日英同盟(1902年)を組み、第二次大戦ではドイツを潰すため、以前は敵であったソ連と同じ連合国軍として戦うなど、他国との同盟によって勢力均衡を図るという政策転換を強いられた。

第二次大戦で日本にアジアを押さえられたこと、そして最大の植民地であったインドの独立(1947年)、などによってイギリスの国力は衰え、1997年の香港返還でイギリスはすべての植民支配を手放した。

1973年ECに加盟、1993年EU発足後もイギリスはユーロを導入せず、シェンゲン協定も結ばず、難民も受け入れず、基本権憲章にも縛られてこなかった。
大陸の連中とつるむのは嫌だが経済的メリットのために渋々欧州統合に参加してきた、といったところか。

2016年にEU離脱が決定したのは、移民問題が大きいのは言うまでもないが、敗戦国であったはずのドイツが今や圧倒的経済力で仕切るEU(ドイツ帝国の復活?)に対して、歴史的にオフショア・バランシグを行ってきたイギリスは大陸に大きな力がまとまることを望まず、何よりも過去の栄光から来るプライドの高さに起因するものと思われる。

今も残る栄光のひとつ、グリニッジ天文台。










事前情報では、入場料は£9(1276円)。
高いけどしゃあない、せっかくだからと入ってみたら、なんと£15(2126円)。
不意を突かれて引き下がることもできず、払ってしまった。





15~17世紀の大航海時代に人類は航海の技術を発展させたものの、海上での現在地を正確に把握できなかった時代の航海は非効率的であった。
地球の自転に影響されずに測定できる緯度に対して、自転の影響で天体との位置関係を定められない経度の測定は困難を極めた。
18世紀後半、イギリスの時計職人が開発した懐中時計などが経度の測定を飛躍的に発展させ、テムズ川のほとりの丘の上にあるグリニッジ天文台を経度0°とすることが国際的に認められた。







「meridian」は「経線、子午線」を意味するが、「全盛期、絶頂」という意味もある。
まさに象徴的。

これが経度0°、子午線。


運悪くアジア人の集団とバッティングしてしまい、なかなか写真が撮れない。





このラインが世界の東と西の境界。
東半球と西半球をまたぐ。



もちろん、地球上のラインは常に動き続けているので、現在の真の子午線はここから100mほど東にずれている。
赤道のモニュメントなどと同様、ここもモニュメントにすぎない。

この写真を撮るためだけに2126円。
ボロい商売してやがんな。

敷地外にも少し子午線が伸びているので、入場料を払いたくない人はこれでもいいかも。






現在は天文台としては機能しておらず、博物館となっている。
夜になるとここからサーチライトが発射されて夜空に子午線を描く、という話を聞いて夜も行ってみたのだが、そんな光はどこにも見られなかった。







テムズ川の対岸に見えるビル群は、ロンドン中心のシティ・オブ・ロンドンからやや離れた新興金融街。
HSBCやらシティバンクやらのビルが見える。
3月29日のブレグジットに迫られ、金融街も混乱を極めているに違いない。









ロンドン中心より12km南東、グリニッジ天文台より3km南のルイシャムに滞在。













ブリクストンに劣らず、ここの街並みもいい。





宿はVia Lewisham。
ドミトリー1泊£11(1539円)。

ブリクストンの宿とは対照的で、広大な敷地に巨大な建物。




部屋数は130にもおよび、百人単位の学生の集団が利用したりするようだ。
内装もまあまあきれいで、システマチックに管理されている。

コンセントは各ベッドにあり、Wi-Fiもまとも。
ルームメイトは、また国籍不詳の労働者ばかり。
旅人たちは一体どこに泊まっているのだろうか。

この宿の最大の難点は、キッチンが施錠されていることだ。
利用するたびにレセプションに行って鍵を借りなければならない。
冷蔵庫にある飲み物を取りに行くだけでも鍵が必要。
しかも部屋からレセプションまですごく遠い。

もも肉、1kgで£1.60(226円)、激安。


プリン6個、£0.75(106円)。


久々にオムライス!


米2.5合、鶏肉500g、パプリカ1個、のオムライスを乗せられるサイズの皿がないので、鍋のまま食らう。

そして、キッチンには椅子とテーブルがない。
周辺にダイニングルームもない。
なので、立ち食い。



・・・ひどい扱い。
世界中のホステルで泊まってきたが、立ち食いを強いられるのは初めて。

話を聞くと、利用者のマナーがあまりにも悪く、備品の紛失も多いので、こうなったと言う。
過去に何があったか知らないが、新たに来た善良な利用者にとっては、ただただ不便なだけ。
それに、今も食器を洗わない人が多いし、鍵をかけてたところで何の解決にもなっていない。
ただただ不便。

僕が立ち食いしている時、国籍不詳の清掃員が入ってきて清掃を始めた。
「食べ終わったらちゃんときれいにしといてよね! 鍵も閉めてね! 監視カメラあるんだから!」
客に立ち食いさせておいて、しかも食事中に掃除を始めて、よくもそんなセリフが吐けるな。
カメラがあるならチェックして悪者を割り出せばいいじゃないか、望むところだよ。
僕の目から見たら、清掃員の仕事こそまったくなっちゃいない。
説教する立場が逆だよ。

案の定、ドミトリーのベッドで食事するヤツが出てくる。
個室ならともかく、ドミトリーで他人が食事している音や匂いというのは、ただただ不快でしかない。
ルームメイトの国籍不詳の黒人は、クチャクチャ音を立てながら、匂いを室内に充満させながら、大声で長電話をしている。
こういう人の、他人に対する配慮のなさは絶望的だ。

ついさっき片付けたばかりなのに、もう誰かが食器を放置してる。


まったく、どいつもこいつも・・・


London, UK



アメリカビザ取得 in ロンドン

本日、無事取得。
一昨日には指定したDXに届いていたのだが、天気が悪かったので今日取りに行った。



受付で追跡番号を伝え、IDの提示を求められる。
そのIDを受け取りに来たのだが、こんな時のためのパスポートコピーを見せて、あとはカード等も見せたら無事受け取れた。



有効期限は10年。
1回の入国で何日滞在できるかは明記されていない。
マルチビザなので有効期限内であれば何度でも入国できる。

大使館で申請してから4営業日でコンプリート。
配達不要だから大使館に取りに行く、というオプションがあったらもっと日数を短縮できただろうに。
僕が滞在しているところからだと、DX配達先より大使館の方が近いし。
ビザ費用に配達代も含まれているので、直接取りに行けば費用も削減できただろうに。

あと、ちょっと話が違ったのが、DXに届いてもメールは来なかった。
大使館からDXに発送された時だけメールが来て、その後は追跡サイトを見て自分で確認してくれ、みたいな感じだった。

噂に聞いていたよりずっと簡単で短期間ですんだ、アメリカビザ。
イランやスーダンが絡んで渋っている旅行者の方も、これぐらいの難易度だったらトライしてもいいのでは?
ただ、今回の僕のケースはたまたま運とタイミングが良かっただけ、という可能性もある。

今日はすっきりと晴れ、パスポートを取りに行きがてらサイクリングも楽しめた。

タワーブリッジ。




















※追記
パスポートを受け取った翌日、「DXにあなたのパスポートが届きました」というメールが来た。


London, UK

13569km