2018年4月28日

テヘラン 3

グランバザール。






広大な敷地に迷路のように広がるバザール。
スーパーはなくても、ここに来ればあらゆるものが売られている。
物は豊富にある。



















ジュース1本2万リアル(52円)。













これはちょっと高かった。
ミートパイ17万リアル(442円)。
でも初日の晩飯のショックからは回復できる味だった。
ボリュームも○。





ケバブサンド15万リアル(390円)。
ボリュームは日本の感覚だと2人前。



夕方、またバザールに行って晩飯にしようと思ったら、店はすべて閉まっていた。
どうも、ディナータイムは20時かららしい。
諦めていったんホテルに戻り、20時すぎに近くのレストランに行った。



15万リアル(390円)。
初日の晩飯に比べたらだいぶ抵抗なく食べられるようになった。

イランでは金曜日が休日のようで、一部を除いて店は閉まり、買い物等の予定が狂ってしまった。


Tehran, Iran



2018年4月27日

テヘラン 2

標高1200m、首都テヘラン。


夏は暑く、冬は寒いイラン。
緯度は東京と変わりないが、日中最高気温は25℃前後と、標高の高さを感じさせない暑さ。



イランについて。

はるか紀元前よりペルシャ人の国ペルシャとして栄え、古代オリエントを統治してきた。
7世紀にイスラム化し、13世紀にはモンゴルに征服されて荒廃した。

20世紀になって油田が発見されると、イギリスとアメリカにその利益を搾取された。
イランの原油埋蔵量は世界4位、世界の原油の9%を占める。
天然ガス埋蔵量は世界2位、世界の天然ガスの18%を占める。

1935年、国名をイランと改称。
ペルシャというのは西側からの呼称であって、本来は「アーリア人の国」という意味で「イラン」がふさわしいとの主張であったが、他国からは反対され、混乱が生じた。

一度は石油会社を取り戻して国有化したものの、1953年、アメリカとイギリスの策略によるクーデターで親米政権が発足し、再び搾取された。
この時期のイランはアメリカの傀儡政権でアメリカ文化が取り入れられ、ミニスカートの女性の姿も多く見られた。

1979年、イラン・イスラム革命。
ルーホッラー・ホメイニーが本来のイスラムを取り戻すべく起こした革命。
ホメイニーは宗教上の最高指導者であり、かつ政治的最高権力者とするイスラム共和制を敷き、イラン・イスラム共和国を樹立した。
この革命でアメリカ大使館が襲撃されたことで、アメリカはイランと国交を断絶、以来敵対関係が続いている。

1980年、イラン・イラク戦争勃発。
イランはイスラム教シーア派国の筆頭であり、ホメイニーは周辺国で抑圧されている少数派シーア派にも変革を呼びかけていた。
それに憤慨したのが隣国イラクのフセイン大統領。
イラクを支配しているのはスンニ派で、フセインの独裁により少数派のシーア派は虐げられていた。
イラクのシーア派がイラン革命に触発されるのを防ぐため、さらにかねてからの領土係争に決着をつけるため、イラクはイランに侵攻し、8年におよぶ戦争となった。
しかしもちろん、フセインにこの戦争をけしかけたのはアメリカであり、イラクに兵器援助をして、当時アメリカはイラクを手なづけていた。

大国の都合でかき乱され、湾岸戦争からイラク戦争へとつながり、現在も尾を引いている。
日本で受け取る国際ニュースはアメリカやヨーロッパのメディアを経由しているものが多いため、イラン、そしてイスラム世界全体に対しても悪いイメージが刷り込まれているかもしれない。
どの視点で見るかによって善悪なんて簡単に覆る。









テヘランの北部、カスピ海との間にそびえるのはアルボルズ山脈。
最高峰のダマーヴァンド山は標高5610mの火山。







街のつくりは、たとえば家電エリアだったら家電屋だけがズラリと並び、靴屋エリアだったら靴屋だけがズラリと並び、魚屋エリアだったら魚屋だけがズラリと並ぶ。
スーパーマーケットはない。



歩いていると、たびたび声をかけられる。
「ハロー!」、「どこから来たの?」、「コンニチハ!」、「ニーハオ!」など。
「日本から来た」と言うと、やはりすごく驚かれ、「ジャパン! グーッド!」と言われる。

フレンドリーでエネルギッシュ、イスラム特有のこの感じ。
アラブ人、ペルシャ人、パキスタン人、など民族は違っても、イスラム世界に共通するこういう感触が、たしかにある。

もちろん、声をかけてくるのは男性のみ。
でもイランはそれほど厳格ではないのか、夫婦でも恋人でもなさそうな男女が会話している光景も見るし、スカーフを浅くかぶって前髪を大胆に見せている女性が多い。
さすがに車やバイクを運転する女性はいないが。

英語の通用度は高い。
シンプルな英語だったら大抵の人が会話できる。

公用語はペルシャ語。
古代ペルシャより受け継がれている言語だが、現在はアラビア語からの借用が多く、文字もアラビア文字を使用している。



左の列が値段。
アラビア語と同じく右から左へ書くが、数字は左から右へ書く。

初日の晩飯。


この布みたいなやつは、食べていいものなのだろうか?
赤い塊は、トマト。
焼くべきタマネギを焼かず、焼かなくてもいいトマトを焼いてしまっている。
食べ方がよくわからないが、とりあえずこの布みたいなやつに具を包むのだろう。
食べてみると、、、

吐きそう。

ほんとに布を食べてるみたいだ。
葉っぱはハーブのようなもので香りが強く、これはモリモリ食べるようなものではない。
生のタマネギは辛くて、口と胃がおかしくなりそう。

楽しみにしていたイラン旅行、たちまち暗雲がたちこめてきた。

コーラで口直し。


アメリカと国交断絶するということは、アメリカ資本のサービスが利用できないということである。
イランでは、国際キャッシュカードもクレジットカードも使えない。
入国前に十分な額のUSドルを現金で用意する必要がある。
アメリカと敵対しているとはいえ、世界の基軸となる通貨はドル。
ドルさえあれば現地通貨リアルと両替することができる。
以前旅したスーダンもまったく同じ状況であった。

1リアル=0.0026円。

またクソみたいなレート。
US$100を両替すると、公定レートだと420万リアルが来る。
でも100万リアル紙幣とか50万リアル紙幣という高額紙幣があるので、それほど分厚い札束にはならない。

公定レートと闇レートがある。
空港やホテルや銀行ではなく、その辺の闇のおっさんと両替するとお得。
このブログでは公定レートで表記していく。

以前流通していたトマンという通貨で請求されることも頻繁にある。

1トマン=0.1リアル。

これは慣れるしかない。
やけに安すぎるなと思ったら、トマンで言われているだろうから、0を1つ付け足してリアルで払う。
このトマン、10000を意味するモンゴル語から由来しているというから面白い。

滞在している宿は、ドミトリー1泊30万リアル(779円)。
オーナー(従業員?)は、あいさつ程度の日本語を話せる。



Wi-Fiは使えるが、イランはネット規制がある。
ざっと、
✕Facebook
✕twitter
✕YouTube
✕当ブログ(その他メジャーどころのブログもダメっぽい)
○Google(Maps、Photos、Translate、Gmail含む)
○Messenger
○Instagram

中国と同様、VPNを使って海外サーバーを経由すればアクセスできる。
VPNもさまざまな種類があり、アプリもiOSとアンドロイドで異なるので、僕はスマホ、タブレット、ラップトップでそれぞれ異なるVPNを使用している。
パンダとかネコとかウサギとかクマとか、動物の名が多いのがちょっと気になる。

空港でSIMを買おうとしたら、システムがダウンしているのでダメだと言われた。
街中の店に行っても閉まっているので、しばらくSIMなしになりそうだ。


Tehran, Iran



テヘラン 1

テヘランのエマーム・ホメイニー国際空港から市街へのアクセスは電車または高速道路のみで一般道がなく、タクシーで行った。

空港から市街中心まで50km。
すべてをクリアして、無事ホテルにチェックイン。

しかし。

ホテルで自転車を組み立てていたら、、、

フレームが曲がっているではないか!!!
シートステーの端部が数cmせばまっており、リアホイールが入らない!!!

ホテルの人たちにも手伝ってもらい、フレームを広げてなんとかホイールを入れられるようにはなった。
がしかし、ホイールはまっすぐ回転してくれない。
タイヤがチェーンステーに接触して回転が止まってしまうので、はめ具合を微妙にずらす。
すると今度はVブレーキの片方を圧迫しすぎてしまって回転が止まる。

フレームは精密に計算されたつくりになっているから、一度歪んだものを正確に元に戻すのは至難の業。

困った。
これはシリアスだ。

ホテルから5kmほどのところにスポーツ車を扱う自転車屋があるようなので行ってみた。
店の人に「This is a bad problem」と言われた。
フレームはいじらずに、スポークの締め具合を調整することでどこにも触れないようにしてくれた。
とても親切にしてくれて、工賃は無料、パーツや工具の品揃えもちゃんとしていて、いい店だった。



でもあくまで応急処置であって、根本的な解決はされていない。
バランスが崩れてスポークが折れやすくなったり、リムが歪みやすくなったり、フレームも折れやすくなるかもしれない。
今後ホイールの調整も、まっすぐではなく歪んだこのフレームに対応した調整が必要になる。
フロントではなくリアなのがまたタチが悪い。
スプロケットの方向もチェーンの流れも微妙に曲がっているから、ディレーラー調整もやりづらくなるだろう。

輪行の際にシートステーやフォークが曲がらないようにする固定棒があるのだが、金属製ではなく、店に無料で置いてあったプラスティック製にしてしまったのがいけなかった。
あれは使い捨てのようなもので、1回の輪行でもろくも折れてしまっていた。

とりあえずは走行可能だが、これはへこむな。

人がへこみながら調整を繰り返している時、こいつはバカにしてんのか。

バカにしてんだろ。

にらまれた。



Tehran, Iran



2018年4月26日

ウランバートル → テヘラン イランアライバルビザ情報

24日11:05ウランバートル発。

預け荷物はなんとか2kgオーバーまでおさえた。
この2kgがどうしても減らせない。
なので超過料金を払うつもりでいたが、なぜか無料ですんだ。
2kgオーバーぐらいだったら目をつぶってくれるのか。

余ったモンゴルトゥグルグを空港でドルに替えようとしたが、両替屋がなかった。
いやパッキングに集中しすぎて見逃していたのだろうか。
ちょっとでも減らそうと、搭乗口のカフェでいくらか使ったら、細かいお釣りが来て逆に紙幣が増えてしまった。
いったん出国したら紙クズ同然のモンゴルトゥグルグを50690トゥグルグも余してしまうという失態を犯した。
両替できる国といったらロシアと中国ぐらいだろう。
今後モンゴルに行く予定がある人がいたら差し上げたい。

イスタンブールで乗り換え6時間待ち。
25日4:00テヘラン着。

イランビザは空港でアライバルビザを取得。

1.
INSURANCEの窓口で€14または$16支払って保険に加入する。
お釣りはユーロまたはドルでもらえる。

2.
ビザ窓口前に立っている係員に声をかけ、ビザ申請用紙(カード)をもらって記入する。
ホストの名前、住所、電話番号を書く欄もある。

3.
BANKの窓口で€60または$75支払って領収書をもらう。

4.
パスポートと書類をまとめてビザ窓口に提出して、待機。

5.
名前が呼ばれたら、パスポートを返却してもらって、完了。
Eビザなのでパスポートには何も貼られない。

滞在許可30日。

事前調査では、イランのアライバルビザは難しいこともなく30分~1時間程度ですむらしいということだったが、どういうわけか僕はドツボにはまった。

提出して1時間待っても、呼ばれない。
同じ便で来た乗客たちは次々と名前が呼ばれて去っていく。
僕より後に提出したやつも、早々と去っていく。
おかしいな、僕も他の人たちと同じような条件で申請しているだろうに(日本人もちらほらいた)。

1時間半後、僕と数名だけが残されてこの嫌な時間を耐えていた。
係員にどうなってるのかと尋ねてみたが、こういう時は何を言っても相手にされないものだ。

2時間後、係員が僕のところにやって来て尋問してきた。
・ホストの有無 → 適当に書いてしまった、ここはヘタに書くより空欄にしといた方がよかったのかも。
・宿泊予約 → してない。
・出国フライトのチケット → ない。
・イランの旅行プラン → 自転車で移動して陸路で出国する旨を伝えた。
・職業を具体的に → 具体的に説明しても伝わらないのでスマホに入ってる作業写真を見せた。
・所持金 → 一枚一枚ドル紙幣を係員の前で数えてみせた。

どうやら、僕が就業目的で入国しようとしていると疑ってたっぽい。
どの辺がそう思わせたのかわからないが、たまたま運なのかもしれない、マークされてしまった。

さらに15分ほど待って、めでたくパスポートが戻ってきて、完了。
朝4時到着だったので時間的余裕はあったが、ロングフライト後の疲れた身体にビザ待ちで2時間半はこたえた。


Tehran, Iran



2018年4月23日

ウランバートル 4

ぼちぼちやることもなくなり、特に見たいものもなく、あとは残された時間でどれだけ肉を食えるか、と街を歩いていたら、「ジャポン!」と言って近づいてくる人が。

あー!!!

そう、ロシアでの道中にランチをごちそうしてくれたトラックドライバーたちだ!



↓この人たち。


たしかにかれらはモンゴルへ行くと言っていたし、僕もそうだったのだが。
まさか会えるなんて思ってもなかった。
僕らは暖かくハグして、力強く握手を交わした。

「ハラショー! またね!」

滞在した宿。


なんと屋上にゲルが並ぶ。


今は閑散期で、なんか改装中で、宿泊できるゲルはひとつだけだった。


1ゲル4ベッド。




1泊US$5(11950トゥグルグ=538円)。
8泊して、たった4304円。

ゲル内に電源、Wi-Fi、ケトル、ヒーターあり。
トイレ・シャワーは共同で、ちゃんとお湯も出る。

天井のシートが1枚めくられており、昼間はライトなしでも明るい。


チェックインした時、他に2人の客がいた。
2人とも日本人だった。
こんな時期にこんなところで出会う旅人は短期旅行者ではなく、仕事を辞めて長期旅行している放浪者。
久しぶりに、とはいってもまだ1ヶ月ぶりだが、日本語で話ができる。
なんだか初対面とは思えないほど自然に、言葉が止まらない。
でもそれはたった一晩だけで、その後はずっと僕ひとりだけだった。



1泊538円にもかかわらず朝食付き。


朝から肉まん4個、重い。


屋上からの眺め。












肉肉肉。






шарсан мах (シャルサン・マハ)
「シャルサン」は「炒める」。
「マハ」は「肉」。
僕が最も多く発したモンゴル語だ。
写真なしメニューのレストランでも、この言葉だけおぼえておけば怖くない。





1食だいたい5000~8000トゥグルグ(225~360円)。
ツァイ(茶)を付けるとプラス200~300トゥグルグ(9~13円)。
コーラ500mlが1100トゥグルグ(49円)。
もしモンゴルに住むことになったら絶対に自炊なんかしない。

肉は基本、ヒツジ肉。
メニューにはビーフやポークもあるが、僕は臭みのあるものがけっこう好きなのだ。
チキンの普及率がこんなにも低い国はめずらしい。
魚はまったく食べないのかな、見たことない。

日曜日はローカルレストランが休み。
スーパーでいろいろ買っちゃった。


ラーメン2人前1袋5117トゥグルグ(230円)。
外国で買う日本食品にしては安いが、レストランで食べる山盛り肉料理とインスタントラーメンがほとんど同価格と考えると高い。

モンゴルトゥグルグ。




旅を始めてまだ間もないですが、ルートの都合により飛行機を使います。
通過できる国境、滞在許可期間、ビザ、季節などの縛りが複雑にからみ合って、ユーラシアは一筋縄ではいかないのです。

イランへ飛びます。
中国ほどではないですが、イランもネット規制があるようです。
VPNを使ってアップするつもりですが、更新が滞っていたらネットがうまく使えてないんだなと思ってください。


Ulan-Bator, Mongolia



2018年4月20日

ウランバートル 3



ガンダン・テグチンレン寺院。


外国人は入場料4000トゥグルグ(179円)。
モンゴル人は無料。










































Ulan-Bator, Mongolia



2018年4月19日

ウランバートル 2

ザイサン・トルゴイ。


旧ソ連との友好を称える戦争モニュメント。




いかにもアカっぽい画風。




市街中心地方面。




市街西側方面。












市街東側方面。








ゲルは遊牧地にだけあるわけではない。
都市部にもたくさんある。



遊牧地から首都に移動してきた人々がゲルを設置して住みつく。
ゲルの中で石炭を燃やしてストーブで暖をとる。
これが深刻な大気汚染の原因となっているらしい。
現在のウランバートルのPM2.5は北京の5倍、WHO基準の80倍だという。


Ulan-Bator, Mongolia



2018年4月18日

ウランバートル 1

標高1350m、首都ウランバートル。
世界一寒い首都と言われる。
今はすごしやすい陽気。



街は英語の看板であふれ、若者は洒落込み、モンゴルのイメージとはかけ離れている。
先日出会ったタブも、社会主義時代と民主化以降とでモンゴルは別の国のように変わった、と言っていた。
モンゴルの人口の4割以上がここに集中していることからも、首都と地方の強烈なギャップが表れている。



韓国の影響力が圧倒的。
いたるところに韓国系の店がある。
若者のファッションも韓国の影響を受けてるのかもしれない。



この唐突な日本のコンビニは何だろう、いやこれはアメリカだったっけ。






今はローシーズンだからなのか、旅行者はあまり見かけない。
街で写真を撮ってるのは僕ぐらいだ。

今まで旅した国々、特にアジアでは「コンニチハ」と声をかけられることが多かったが、ここでは「アンニョンハセヨ」と言われることの方が多い。







中心地にあるスフバートル広場。






モンゴル一の有名人、チンギス・ハーン。






独立に導いた英雄、ダムディン・スフバートル。














近代的に見える高層ビルだが、窓清掃していないのが僕にはわかる。
きれいにしてあげたい。







ウランバートルはクラクション社会。
プリウスでオラついてる。
一体何のために静かな車をつくったのか、クラクション鳴らしたらすべてが崩壊する。

ドライブマナーもラフで、自分優先。
譲り合い精神はない。
局地的な人口集中のためいつも渋滞しているが、詰めれば詰めるほど渋滞は悪化する。

交通事故の瞬間を目撃した。
歩行者の男性2人が轢かれて宙に舞った。


Ulan-Bator, Mongolia