2018年10月31日

ベオグラード 4







ジェリコに連れられてブックフェアへ。




日本語ブースもあった。








僕の地元の路線が映ってた。







ロープ日和。



見てるとやりたくなるなー。





最近はマックも食券制を導入したのか。
今まではメニューが見にくいし煽られてる感があってゆっくり選べず適当なセットにすることが多かったが、タッチパネルだと自分の好きなものをじっくり選べるからいい。


円安の影響もあるが、6年前ほど物価の安さを感じない。
ケーキ類が謎の高さでなかなか買えないが、必要経費なので何かしら買わなければならない。
ミニシュークリームが372ディナール(403円)もする。


ジェリコと弟にオムライスをつくった。


ジェリコ190cm、弟196cm、でもふたりとも半分でお腹一杯だと。
僕は彼らの残りも食べて計2人前、さすがに腹膨れた。









連日いいレストランに連れて行ってもらってごちそうになって、6年前と同じくジェリコは僕に一銭も払わせようとしない。
さすがに彼のお財布が心配になってしまうが、とにかく彼は、家の中でも外でも、僕に余計なことは考えさせずリラックスして楽しんでほしいと本気で思ってくれている。

日本で生まれ育った自分は、「自分の物」と「他人の物」の線引きが明確、つまり所有の概念が非常に強い。
でも世界を旅していると、物は共有するのが当たり前という人々に出会うことが多い。
特にセルビア、特にジェリコのような人は、シェアすることに何の躊躇もしない。

今回は特に用事があるわけでもトラブルに巻き込まれたわけでもないのに、ジェリコの厚意に甘んじて2週間も居座ってしまった。
また大きな借りをつくってしまったな。

明日、出発する。


Beograd, Serbia



2018年10月28日

ベオグラード 3

セルビア最大の国営放送局のRTSで放送されました。

Јапанац којем је украден бицикл, после шест година поново у Београду






今回は通訳をつけてもらってので日本語で。
日本語であれ英語であれ、僕はやっぱりしゃべりが苦手なのだけれど、セルビアへの感謝と好意が少しでも伝わればと願います。
ただ、インタビュアーもカメラマンも通訳も、自転車旅より僕の薄着が気になったようで、「そんな格好で寒くないの?」と繰り返し聞かれた。


Beograd, Serbia



2018年10月23日

ベオグラード 2

ネットニュースに掲載してもらいました。

Japanac kom su ukrali bicikl u Beogradu ponovo se vratio u našu zemlju 

(ベオグラードで自転車を盗まれた日本人が私たちの国に戻ってきた)

3日前に1時間ほどのインタビューを受け、本日アップ。
翻訳機能だとぼんやりしかわからないので、ジェリコに英訳してもらった。
話したことが概ね正確に伝わっていて、うまくまとめられていた。
他の記事に比べてコメント数が多く、反響が感じられてうれしい。


Beograd, Serbia



2018年10月22日

ベオグラード 1

ただいまベオグラード!


またジェリコの家でやっかいになる。
何日滞在するか、どこで何をやるか、まったく未定。

ジェリコは日本に二度遊びに来てくれたので、会うのはこれで4回目。
4回目ともなると、久しぶり感もそんなになく、いつもの友に会う感覚。
初めて会った時から6年が経ち、お互い老けたものの、彼のマシンガントークはいたって健在、何人たりとも彼のおしゃべりを止めることはできない、とにかくしゃべるしゃべる。

今、ジェリコはベオグラードにある日本のIT企業で働いていて、オフィスには日本人と、日本語を話せるセルビア人がいる。
思いのほかジェリコが日本語を上手に話せているので驚いた。
僕がスイーツを食べていると「ベツバラ」と言ったり(スイーツの和訳がベツバラだと思ってるかもしれない)、「ヤバイ」とか「ウザイ」といったスラング的な用語も使いこなしてる。
以前は僕のことを「リョウ」と呼んでいたのに、今は「アサジサン」と日本式だ。

たまたま僕の誕生日と重なり、ジェリコと、職場のアズサさんに祝ってもらった。


6年前と同じマンション(ここではアパートと呼ぶ)だが、改めてびっくり。
首都の中心から徒歩圏で広々とした立派な一室、東京都心だったら家賃15~20万円ぐらいするんじゃないかな。



家はドナウ川のほとり。




歩くほど記憶が蘇り、ノスタルジーに浸る。





街は変わってない。
東京だったら、ほんの数年で新しいビルが建ち、店が入れ替わり、道路まで変わっていたりと、変化が目まぐるしいが、ここは6年前と同じで、なんかホッとする。









いくつか変化も見つけた。

ベオグラードとしては決して観光名所として紹介しないだろうが、旅人たちの目当てはやはり、ユーゴスラビア時代にNATOに空爆されたまま放置されている旧国防省。



↓2012年。


↓現在。


↓2012年。


↓現在。


ビルの中間がごっそり崩壊してる。


現在取り壊し中らしい。








↓2012年。


↓現在。






これは空爆ビルじゃないけど、6年前と変わらず廃墟。








スシバーでジェリコと。




味噌汁にうどん入れてる。


6年前にお世話になった、セルビア永住組の江美奈さん&大塚さんとも再会。


他にも、写真は撮ってないがこの数日でたくさんの人と出会った。
ジェリコの職場のからみのおかげでもあるけど、日本語を話せるセルビア人が予想以上に多く、しかも流暢に話せる人ばかりでビックリ。

そして今のところ、出会った人、たまたますれ違った人も誰もが、6年前のあのニュースを覚えてくれている。
またベオグラードに来れて光栄です。




Beograd, Serbia



2018年10月17日

ドナウ川



ウクライナにいた時は、秋というよりは冬の到来を感じるほどだったが、セルビアまで南下すると、もう暑い。
ちょうど東京の10月中旬と同じぐらいの気温だろうか。







ドナウ川のほとりで1泊。


テントの中にいると、音の距離感ってわからないものだ。
釣り人たちの声や足音がすぐ近くに聞こえて警戒モードになってみたら、想像以上に離れたところからの音だったり、すぐ背後で夜通しヤギの鳴き声が聞こえて、朝になって確認してみたらはるか崖の上にいた。







SIMはたった1日で使えなくなってしまった。
川の対岸はルーマニア。
ルーマニアのSIMを挿してみてもダメだった。
ブルガリアではルーマニアのSIMが使えたのに、こんなすぐ近くでもセルビアでは使わせてくれないのか。

街でフリーWi-Fiスポットを見つけてジェリコにメールして聞いてみたら、課金してアクティベートする必要があるらしい。
キャリアによってもプランによっても違うだろうが、500MB使うごとに75ディナール(82円)、ショートメールしてアクティベートする。
こんなの外国人にはわかりっこない、でもジェリコが助けてくれてなんとか復活できた。









強い追い風。
この日は6人ものサイクリストと出会った。
皆逆方向で、向かい風を食らっていた。
つらかろう。









大河だな。


墓場キャンプ。


前方にドナウ川、背後に墓地。





あ、43歳になりました。


Beogard, Serbia

9630km



2018年10月14日

ネゴティン

6年ぶりのセルビア再訪。


僕にとっては特別な国。
会いたい人がたくさんいる。
この国の空気をもう一度感じたい。



見覚えのある標識、ドナウルートだ。


6年前とは違うルートなので、首都ベオグラード以外は初めての場所ばかりになると思う。

街並み、家並みが今までの国とだいぶ違う。
なんか家デカイ。


派手な墓場。




墓石に顔写真がプリントされる国はけっこう多い。




ネゴティン。


墓場を見た直後に今度は結婚式。








今までとは明らかに国民性が違う。
皆やさしく親切で、笑顔を見せてくれる。
高校生ぐらいの少年たちが、日本語で「コンニチハ!」と言ってきたので驚いた。



キオスクでSIM購入。
3店ほどキャリアがあるのだが、SIMはキオスクで買うように言われた。
telenorというキャリアで、10GBで300ディナール(329円)。
有効日数があるはずだが、キオスクのおばちゃんの英語がわかりにくかった。
まあ、使えなくなったらチャージすればいい。



Guesthouse and Camp for Adventurers。






すばらしい。





オーナーはコーヒーを入れてくれて、僕の旅について聞いてくれて、いろいろ話をした。
6年前のニュースを覚えてくれていた。



本来、テント泊で950ディナール(1043円)、部屋が1500ディナール(1647円)なのだが、テントの金額で部屋に泊まらせてくれた。

部屋を見てびっくり。


キッチンに冷蔵庫に、まるでアパートの一室。


こんな最高の部屋にこんな格安で泊まれるとは、なんか申し訳ない。

共用キッチンもある。


我ながら最高の出来栄え。


牛肉450g、タマネギ(大)1個、何かの葉っぱ、ニンニク、米2.5合。
満腹とはいかないまでも、こんな上手につくれてしまう自分に満足感。
もうスパゲティは食べたくないな。


Negotin, Serbia



ルーアニア(カラファト) → ブルガリア(ヴィンディン) → ブルガリア(ブレゴヴォ) → セルビア(ネゴティン) 国境越え

ブカレストからブルガリア国境までの約320kmはのっぺりとした農場が続き、写真1枚も撮らず。

強いて言えば、キャンプしたところがイバラの森で、一度に2ヶ所パンクし、クロックスの裏もトゲだらけになり、寝る時に頭がチクチクするなと思ったら頭にトゲが刺さったまま寝ようとしていたりなど、いろいろ痛い一夜があった。

追い風感はあまりなかった。

イヌに追われる頻度は日に日に減ってきた。

ルーマニア人は、ガンガンからんでくるわけではないが、かといって無愛想ぶっきら棒というわけでもなく、ほどよく穏やかでやさしかった。
田舎街でも英語はある程度通じる。

ルーマニアレウ。




ルーマニア → ブルガリア
ドナウ川が国境となる。
橋のかなり手前にイミグレーションがある。
大型トラックが列をなしているが、歩行者自転車は専用レーンに行く。
他に越境者はいないので待たされることもなく、質疑も荷物チェックもなし。
ここでルーマニア出国スタンプだけでなくブルガリア入国スタンプももらえる。
両国ともにEU加盟国でありながらシェンゲン非加盟国なので、両国間で何か協定を結んでいるのかもしれない。
ブルガリア側にはイミグレーションも何もないので、逆方向の人は出国スタンプをもらわずにルーマニア側まで来てしまうから不安になりそうだ。

90日以内の滞在であればビザ不要。

立派な橋、広い歩道もある。


美しく蒼き。




両国側ともに小さな街があるが、ATMや両替所などは確認していない。

ブルガリアはわずか40kmの横断。
お金をまったく使わずに、というか使う店もないほど農場が続くだけ。

ルーマニアのSIMでそのままネット接続できた。
もしかしてEU加盟国は共通で使えるものなのだろうか。



ブルアリア → セルビア
両国側ともにイミグレーションでパスポートを渡してスタンプをもらうだけ。
他に越境者はいないので待たされることもなく、質疑も荷物チェックもなし。

90日以内の滞在であればビザ不要。

ブルガリア側のブレゴヴォは小さな街で、ATMも両替所も確認してない。
セルビア側は13km先のネゴティンの街まで行けばATMも両替所もある。


Negotin, Serbia

9345km



2018年10月9日

ブカレスト

首都ブカレスト。








噴水大好きかよ。



季節は秋に向かっているが,、だいぶ南下したので暖かくなってきた。
日中は20℃以上ある。



チャウシェスクの館。


古代よりダキア人が居住したこの地にローマ帝国が侵入して混血し、今も民族的言語的にラテン系であり、国名もそのまま「ローマ人の国」という意味で「Romania」となっている。
オスマン帝国、オーストリア、ハンガリーなどによる支配を経て、1878年に独立。
第二次大戦後はソ連の圧力によって共産化、社会主義国となった。

1974年に大統領となったチャウシェスクは独裁政治を強め、贅沢三昧な生活を送った。
そんな中で建設されたこの「国民の館」は、アメリカの国防総省ペンタゴンに次ぐ世界で2番目に巨大な建造物であり、贅の限りを尽くした絢爛豪華なつくりとなっており、現在も議事堂として使われている。

一方で国の経済は破綻状態で、食料も物資も不足して国民は貧窮していた。
ソ連末期に東欧諸国が民主化へと動き出す中、ルーマニアでもチャウシェスクへの不満が爆発し、1989年に革命が勃発、大統領夫妻は逃亡したが身柄を確保され、夫婦ともに銃殺刑された。
処刑の様子はテレビで世界中に放送され、ベルリンの壁崩壊と並んで東欧民主化の象徴的事件となった。

2007年EUに加盟。





ようやく、両替所でモルドバレイを両替できた。
日本円からイスラエルシェケルまで、幅広く扱っている。





英語の通用度はとても高い。
冷戦中はソ連の影響下にあったとはいえ、やはり旧ソ連諸国とは明確な違いを感じる。







日本のようなコインパーキングがないのはもちろん、家にも車庫がないのか、完全に道路が駐車場になってしまってる。




車道と歩道の間に駐車スペースが設けられていれば邪魔にならない、でもこれでも足りないんだろうな。


Cozyness Hostelに滞在。
ドミトリー1泊32レウ(891円)。

今までの宿と明らかに質が違う。
まず、客が皆外国人旅行者。
すれ違えばあいさつするし、流暢な英語で会話もするし、礼儀、マナーも悪くない。
スタッフもちゃんと仕事してくれる。
建物の構造上ちょっと不便な点もあるが、人が良ければリラックスできる。
これが旧ソ連とEUの違いか。

日本人2人と出会った。
他に東洋人はいない、やっぱ日本人旅行者って多いんだな。









僕がつくるメシはどこへ行っても大好評。
「おいしそう!」
「いい匂い!」
「You are a good chef!」
と皆さん絶賛してくれる。



イラン人のグループに豚肉をごちそうになり、酒を飲まされた。
「本当にイラン人? ムスリム?」
「無宗教のイラン人だっているんだよ、おれは豚肉食べるし酒も飲む。」
そうなのか。

酒を飲むと眠れなくなるのは僕だけだろうか。
動悸が激しくなり、心臓がバックンバックンと胸を打ちつけ、覚醒して目が冴え、まったく眠気がやって来てくれず、深夜3時頃になってようやく眠れた。



ペダル交換した。


ウクライナからどうも、ペダルに違和感があった。
外してみたら、シャフトが若干曲がっている。
心当たりは、やはり飛行機に乗った時に乱暴に扱われたせいだろう。
今まではパッキングする時にペダルまで外したことはなかったのだが、最近やけに扱いがひどい、今後はペダルも外すべきだろうか。
近くの自転車屋で100レウ(2779円)で購入。

フレーム交換代にしてもこのペダルにしても、弁償はしてくれないだろうけど、あなたのせいでこれだけ損害を被っているんですよというのを航空会社に見せつけてやりたい、知るだけでいいから知らしめたい。

予報によると、明日からは追い風になりそうだ。
期待。


Bucharest, Romania