2018年7月31日

ビシュケク 1

首都ビシュケクに到着。

ここで、かねてよりお世話になっているレーシングスポーツフジタさんから、フレームが送られてくるのを待つ。

ウランバートル→テヘランのフライトで曲げられてしまったフレーム
応急処置でここまで走ってきたが、根本的な解決はされておらず、依然フレームは歪んだまま。
リアホイールを接続する箇所が歪んでおり、精確に元通りに直してホイールをまっすぐ回転させるのは難しいと判断し、新しいフレームを取り寄せることを決断した。

大切に乗ってきた思い入れの深い自転車。
パーツは交換してきたが、フレームを交換するというのは自転車そのものを替えるようなものだ。
心苦しいが、フレームも自転車の一部とみなして、ダメになったら引退させて新たにする、と割り切ることにした。
この先もまだ道のりは長い。

幸い、まったく同じフレーム、Panasonic FJC4が現在も製造されている。
5月中旬に発注し、6月中旬に納品された。
フレーム以外に小物もいくつか注文。
それから、送付先を確定。

送付先をキルギスにしたのは、滞在許可が60日と長くいられること、それから首都ビシュケクに日本人宿があり、言葉の問題が解消されれば困った時に何かと助かるから。

ビシュケクの日本人宿情報については、旅友のヒデト君とコウヘイ君と連絡をとって、いろいろ教えてもらった。
ヒデト君とはマレーシアで出会い、コウヘイ君とはウルムチで出会い、そしてこのふたりはビシュケクの日本人宿で出会っている。
3人でそろったことはないが、それぞれお互い知っている仲。

残念ながら、キルギス始め中央アジアはEMSのサービス対象外で、SAL便での発送。
SALは両国間では航空便となるが、国内では船便扱い。
飛行機に積む際はEMSが優先され、SALはスペースができた時に積まれる。

今日、発送された。
マラウイの時ラダックの時も、届くまで予想以上に日数がかかった。
今回も相当な日数がかかるであろうと覚悟している。




Bishkek, Kyrgyz



2018年7月30日

Nomads Highway 2

いったん標高2200mまで下降して、再び上昇。


ハロー! ハロー!


一重まぶたっすなー。




下界は雨。


冷たい風が容赦なく吹き付ける。

ハイウェイから少しそれて、スキー場の宿に行ってみた。
季節が違うので他に客はいなかったが、一応営業していた。
キャビンタイプでさぞかし高いのかと思いきや、800スム(1305円)。
Wi-Fi以外の必要なものは一通りそろっている。

部屋は掃除されておらず、前の客が使ったままになっていた。
おばちゃんは「あっ」と言って、ベッドのシーツを少し伸ばして、「これでいい?」みたいな顔をした。
シーツ取り替えてくれないのか、まあいいか。



僕のことを暑がりだと思っている方もおられるだろうが、この時僕は暖房をつけた。
外気は9℃だったが、強烈な冷たい風に体温を奪われて、体感気温は5℃以下だったと思う。
つい数日前まで暑い暑い言っていたのがウソのようだ。















標高3000m。
峠は2.5kmのトンネル。

トンネル前でトラックが停まってるのは何だろう?


なるほど、大型車は行き違いができないから、信号が青になるまで待つのか。


照明は問題なかったが、やはり排気ガス地獄。
中央付近でファンが回っていたが、あまり効果なし。
また寿命が2.5年ぐらい縮んだ。





ここが最後の峠。
山岳走行もこれでひとまずおしまい。









ひたすら下る。
やはり向かい風で、せっかくの下りなのに進みが悪い。

遊牧民エリアもなくなり、下りきると再び農村。
同じ国の同じ民族でも、耕す民と耕さざる民が交互に現れる。



首都ビシュケクの少し手前のカラバルタで1泊。
下りきったらまた暑くなるものだと覚悟していたが、意外なほど涼しい。

金髪色白のロシア人が増えた。
そのせいか、GSに併設されている店はユーロピアンスタイルで、コーヒーやクロワッサンやパイが売られている。
中央アジアの食にはもうウンザリしてるので、これはいい。

いかにも旧ソ連的なボロ宿で、400ソム(652円)。
これが納得の適正価格だ。
ボロいだけで、Wi-Fi以外の必要なものは一通りそろっている。
なにかと不便を強いられた地方の宿代が高くて、首都に近づくほど宿代が安くなっていく。

Wi-Fiはなくても、4Gが飛んでいて、SIMでのネット接続はストレスない。
YouTubeもまともに観れた。


Bishkek, Kyrgyz



2018年7月29日

Nomads Highway 1

という道があるわけではない。
勝手に僕はこう呼んでいる。

標高2000mを超えてから、再び遊牧民エリアとなった。














標高が上がったこともあり、常に川の流れがあることもあり、かなり涼しくなった。





標高3200m。












路肩に人だかりができていた。
交通事故のようだ。
車が1台だけ停まっていて、前方がぺしゃんこになっていた。
その数十m先で、ウマが死んでいた。

時に動物は予測不能な動きをするとはいえ、どんなマヌケでもこんなに見通しの良いところで正面衝突なんかしないだろう、やはり居眠り運転か。





貴重な休憩場所、バス停がフンだらけ。


キルギスコーラ。


イランのザムザムコーラと同じ味がした。


Bishkek, Kyrgyz

6617km



2018年7月24日

トクトグル湖

暑いので午後はあまり走りたくない。
日の出とほぼ同時刻、6時に走り出して、14時ぐらいにはストップする。
山がちでアップダウンが多いエリアもあるが、1日100kmペースで進めている。



すっかり遊牧地は見られなくなり、変哲のない農村が続く。
子供にからまれることも少なくなり、「ハロー! ハロー!」は時々聞こえてくる程度。
キャンプ地はもちろん、立ちションする場所を見つけるのも難しいぐらい、農村。

ここをまっすぐ行って柵を越えたらウズベキスタン。


もちろん国境は自由に行き来できないので、大きく迂回する。

左の柵を越えたらウズベキスタン。


川とか尾根とかの自然物ではなく、人工物である道路が国境になっているのはめずらしい。
未知の国だったらワクワクするが、すでに二度行った国なので今は何も感じない。

中央アジア最大と言ってもいいぐらいの交通量。
都市を離れても絶え間なく流れる車。

ドライバーは粗野で自分勝手。
少なくとも、道路は車だけのもの、車が一番偉いんだから自転車はどけや、という空気はある。

キルギス人も、むやみにクラクションを鳴らす。
それも明確に、僕に対して鳴らしてくる。
罪の意識や良心の呵責はまったくなさそう、それどころか良かれと思って鳴らしているフシさえある。

クラクションを鳴らしたヤツは全員、拷問部屋に監禁して・・・いろいろ想像する。
ダメだ、この醜悪なノイズだけは、僕の理性を崩壊させる。
人類史上最悪の発明品、この世のすべての車から全撤廃を。

オシュからしばらくは西進するルートだったが、方向転換して北上。
交通量は少し減り、道路の幅は少し余裕ができ、クラクションも少し減った。
それでも鳴らすガイジが5分に1回ぐらいはいる。



イヌにやたらと追いかけられるようになった。
やっぱ相関関係あるのかな、ドライバーのしつけの悪さとイヌのしつけの悪さって。

トクトグル湖。



酷暑の炎天下での走行はしんどいが、それだけに、冷えたコーラとアイスがたまらなくウマイ。
多くの店では、電気が弱くて、冷えていないぬるいドリンクが売られているが、たまにアタリの店でキンキンに冷えたコーラが飲める。
1日何リットル飲んでるだろう、いくら金がかかってもこればっかりはやめられない。

昼飯はアイスしか喉を通らない。
ジャイアントコーン的な、ちょっと高いアイスを買ったら、中身こんなん。

なんとか宿を見つけながら進めているが、かなりの割高感。
エアコンなし冷蔵庫なしWi-Fiなし食事なしで、一番安くて1000ソム(1632円)。
ツーリスティックでない田舎街の宿では割高になるのは仕方ないが、コンセントが室内に1つしかなかったり(扇風機と電子機器充電が同時にできない)、扇風機も壊れてたり、なにかと不便は多く、にもかかわらず高い。
かといって、この暑さでキャンプは心が折れる。

今いるトクトグルは、若干ツーリスティックな街。
ゲストハウスと銘打っている宿に泊まってみたが限りなくホームステイに近く、鍵のないシングルルームUS$10。

せっかくのシングルルームだが、扇風機がないので部屋にいられない。
日が沈んで月夜となってもなお、外のベンチで扇子をバタバタさせている。
今夜はいったい何時になったら寝れるだろうか。
英語を話す若い姉妹が愛想良くもてなしてくれるので、不満は顔に出さないでいられる。
でも気づいたら、宿のおばちゃんたち、自分らだけは扇風機使ってくつろいでやがる。

なんだかグチばかりになってきた。
中央アジア旅もそろそろ終盤に向かわせる。


Toktogul, Kyrgyz

6320km



2018年7月20日

オシュ



キルギスの道路は概ね良好だと聞いている。
それにしても、タジキスタンのあの長い悪路で一度もパンクもバーストもしなかったシュワルベはやはり偉い。
そして、スポーク折れもリム割れも起こさなかった僕のホイール組みの腕もそう悪くはなかったのではないか。
ただ今回は、大幅に軽量化したことの影響が大きいとは思うが。

いったん標高3600mまで上昇。
これは、向こうから上がってくる人は大変ね。


ここから100km以上下降。
川に沿って、一日中下り。
しかし、朝から一日中向かい風。

遊牧国家では家畜も自由だな。






村が現れると、ふつうの定住型住宅。


モスクもある。


キルギスに限らずだが、田舎街のレストランは難関。
僕の知っているメニューを片っ端から言ってみても、ことごとく「ない」と言われる。
じゃあ何があるのかと聞くと、まったく聞きおぼえのないメニューを言われる。
英語は一語たりとも通じず、ジェスチャーや指差しで教えてくれるような機転もない。
もうなんでもいい、それ、それをちょうだい、と言うと何も言わずに下がってしまう。
果たしてこれで注文が通ったのかどうかも不明のまま、待つ。
若い女性従業員の視線の冷たいこと、不親切なこと、可能な限り僕を避けて無視しようとする。

出てくるのは、ただ肉を焼いただけのものに生のタマネギ。


別にいいけど、これでよく250ソム(413円)も取れるな。



サリタシュぐらいの標高がちょうどいい気候だったのだが、1日で標高1500mまで下って、一気に暑くなった。

再び標高2500mまで上昇。


そこからまたひたすら下り。

標高900m、キルギス第2の都市オシュ。


暑い。
キルギスも山岳国なので涼しそうなイメージを持っていたが、ここまで下るとそりゃもう暑い。





ラグマン大盛り130ソム(215円)。


今まで食べてきた中央アジアのラグマンは、ただ小麦粉を練っただけという感じで、味も食感も芸がなかった。
オシュのラグマンは麺にコシがあり、ツルツル感もあり、味も食感も中国新疆で食べた拌面に近い。
野菜がふんだんに使われているのも中華っぽくていい。
新疆の拌面の方が格上だとは思うが、パミールの粗食でガリガリに痩せ細った身にはこれでも十分満足な味。

店によるかもしれないが、サムサはイマイチ、おいしくない。


サムサは6年前にウズベキスタンで食べた記憶が絶対基準になっており、僕のサムサに対する評価は厳しい。
でもここオシュは、ウズベキスタンとの国境がすぐ近く。
ウズベク人も多く暮らしているようだ。



ソフトクリーム(大)20ソム(33円)。


アイスもおいしくはない。
でもアイスはアイスであることにその存在意義があるので、味は二の次でいい。



よくわからないジュース10ソム(16円)。










女の子がちょこっと顔を出したり手を出したり、いたずらしてくる。




暑いので街歩きもそう長くもたない、手短に終わらせる。

ATMはある。
一度に1万ソム(16319円)しか引き出せない。

O!という店でSIM購入。


1ヶ月有効でなんと容量無制限(電話は制限あり)。
740ソム(1225円)。
今のところ、少なくとも街中ではスピードも問題ない。

定番宿のオシュゲストハウスはどこだ、まさかこれはただの団地だよね。


と思ったら本当にこの団地の一室が宿になってた。


小さいながらキッチンもあり、なんといっても冷蔵庫があるのがありがたい。


とにかくコーラとアイスを大量に買い込んでおけば生きていける。
冷蔵庫は効きが弱いので、コーラも冷凍庫にぶち込む。
熱中症だろうが夏バテだろうが、この世のたいていのことはコーラとアイスがあれば解決するのだ。

ドミトリーUS$5(オプションで朝食US$1)。


エアコンなし(ありの部屋もあるらしい)。

Wi-Fiは概ね良好。

海外走行トータル10万km突破記念パーティ。




年々ペースが落ちているが、それでもひとこぎ、ひとこぎ。


Osh, Kyrgyz



2018年7月19日

サリタシュ

キルギススタート。


第一ユルト出現。


第一キルギス人っ子たち、やはり「ハロー! ハロー!」と駆け寄ってくる。


後ろを振り返り、下ってきた山々。






地平線の果てまでユルトが点々と。


キルギス人は筋金入りの遊牧民だな。


戸籍とか税金とか身分証明とか、どうなってるんだろう?
郵便物は届くのだろうか?





遠くから目ざとく僕を見つけて、全速力で駆け寄ってくる子供たち。


幼少から生きていくための仕事を手伝っている子供たちだが、まだ遊び盛り。
自転車に乗った外国人が現れたら、そりゃ仕事放ってからみたくもなるだろうな。















標高3200m、最初の街サリタシュ。


宿のお姉さんも目ざとく僕を見つけて寄ってきて、うまいこと連れ込まれた。


ナイスビュー。


パミールとは比べ物にならないほど立派。


姉妹ふたりとお母さんが、ここで働いている。
姉妹のひとりはとてもキルギス人には見えない、日本人あるいは韓国人だと言われても信じてしまいそうな出で立ちで、上手な英語を話す。

今までの中央アジア諸国と同様、キルギスも旧ソ連の一部で、1991年に独立。
第一外国語はなんといってもロシア語で、英語は通じない。
こんな上手に英語を話せる人がいてくれると本当に助かる。

中央アジアの一連の「~スタン国」で、キルギスだけが国名から「スタン」を取ってしまったが、今でも旧称で「キルギスタン」と呼ぶ人は多い。

宗教はイスラムだが、やはりイスラム感は薄い。
タジキスタンではイスラム圏であることを忘れるほどだったが、ここではアザーンが聞こえてくる。

Wi-Fiあり。
「本当に使えるの? ちゃんと使えるの?」とうたぐってしまう。
「ええ、チェックしてみたらいいじゃない。」と自信ありの様子。

窓からの眺めもGood。




タジキスタンからずっとそうだが、小さな街の宿では朝夕二食つくってくれる(料金込みか別料金かは要確認)。


ドミトリーUS$10。


難を言えば、部屋にはコンセントが1つしかないので、他の客が来たら面倒なことになる。

街のGSで両替できるらしいが、ここの宿でもタジキスタンソモニからキルギスソムに両替してくれた。
レートは良くない。
ATMはない。

厳しく不便なパミールからこんな天国のようなところにたどり着いたら、連泊だ。
翌日、思う存分ネットをやってダラけてやろうと思ってたら、、、

9~17時まで停電!

やはりそう甘くなかった。
停電になると当然Wi-Fiも使えない。
ラップトップに入ってる映画を見て、あとは写真の整理と、そして寝るしかなかった。


Osh, Kyrgyz

5914km



2018年7月16日

タジキスタン → キルギス 国境越え

国境が見えてきた。


越境者は第三国の旅行者がほとんどで、この時は僕以外誰もいなかった。

今まで書いてこなかったが、タジキスタンの路上には軍のチェックポイントがちょくちょくあり、パスポートとビザの提示を求められる。
ビザは電子化されてスマホの画面を見せるだけでいいが、チェックポイントの軍人は古めかしいノートに手書きで情報を書き込むアナログスタイル。
この国境に最後のチェックポイントがある。

そのすぐ先にイミグレーションがある。
これまたお粗末なプレハブで、窓に手書きで「PASSPORT CONTROL」と張り紙されている。
パスポートを見せると、ここでも軍人はまた古めかしいノートに記帳する。

「カレア(韓国人)?」

僕が何も答えずにいると、「オイ! カレア!? オーイ!」と大声で吠え始めた。
僕は無言のままパスポートを取り上げ、「JAPAN」の文字を指でさしてみせた。
文字も読めねえやつが国境で仕事してんじゃねえよ。





イミグレーションが峠だと思っていたが、そこからさらに1kmほど登ったところが峠だった。
標高4336m。


中央アジアの国境には2kmほどの緩衝地帯がよくあるが、ここの緩衝地帯はなんと20kmもある。
理由はわからないが、キルギスのイミグレーションまで20kmも進まなければならない。
下りだから楽だけど。

もし、ここで通りすがりの旅人を殺したら僕は誰に裁かれるのだろう?



No Man's Land。
どこの国でもない、誰の土地でもない、空白地帯。

でも民家が現れちゃったよ。


ふつうに一家族、何なんだろこの人たち。


あら。


血の乾き具合から見て、死後まだ数時間。
腹はボヨンボヨンだから、背中から切り裂いてみるか。



内蔵ドババババ。
こいつほとんど内蔵だな。
小動物とは思えない大きな心臓、肝臓、腸がドバドバ出てくる。
肉なんかどこにあるんだ?
手脚も短いし、首まわりの肉を強引に削いだ。

コンソメスープでグツグツ。




いただきマーモット。


うまい!
いけるじゃん!
今まで食べたことのない初めての味。
次はもっと段取り良く捌いて、上手に肉を取れるようにしよう。

周囲のマーモットたち、いつも以上に大声でざわついていた気がする。
同族が食べらているの感づいていたのかな。



タジキスタンソモニ。




標高3400mまで下って、ようやくキルギスのイミグレーションが現れた。
パスポートを見せると、笑顔で日本語で「コンニチハ」と言われた。
こちらのイミグレーションも小屋みたいなもんで、眼紋だけ撮られて、質疑もなし、いとも簡単にスタンプが押されて入国完了。
60日以内の滞在ならビザ不要。

両国側ともに両替屋はいない。
キルギス側では最初の街サリタシュで両替可。
タジキスタン側ではどこで両替できるのか未確認。
ムルガブにはATMなし、ホログにはあるがまともに使えるのか怪しい。


Sary Tash, Kyrgyz



パミールハイウェイ 3











カラクル湖(標高3923m)。








すさまじい蚊の猛襲を受けて湖畔には近づけず。
サングラスの中まで入ってきて、顔も手足もボコボコに刺された。

湖畔の村がタジキスタン最後の村。
宿は何軒かあったが売店は閉まっていて何も買えなかった。
井戸で水は汲めた。





午後から向かい風が強まってきたので、早めにストップしてキャンプ。
この先キルギスとの国境まではスーパーウィンディ、との情報。
いつものパターンだと風が吹くのは昼から夕方にかけてなので、風のない早朝に出発して午前中には越境してしまう作戦。

朝、気温0℃。


気温0℃でこの川を渡れ、と。


靴の中を浸水させたくないので、爪先立ちでチョイチョイっと難なく渡れた。


作戦通り、無風の中を調子よく進む。







Sary Tash, Kyrgyz