2020年1月26日

モレイラ 

グアダラハラの都市圏を抜けるのはそれほど苦労せず、すんなり行けた。
引き続き高速。
一般道に比べて高速は勾配が緩やかにつくられているが、それでも自転車にとってはそれなりにアップダウン。
風景は単調、走行中はあまり写真を撮ってない。


ハマイという小さな街。



WARMSHOWERS泊。
アカウント所持者は現在ここに住んでおらず、その家族が迎えてくれた。
英語が通じずスペイン語オンリー、ベーシックなやりとりだけして、あとはフィーリングで。

屋上からの眺め。





クリスマスはとっくに終わったはずだけど。


晩飯はいつも自炊しているので、メキシコのレストランについてはそれほどわかってない。
一番腹が空く17時頃にレストランに行くと、営業していないことが多い。
シエスタとはまた違うのか知らないが、昼の部が終わると夜の部はもっと遅い時間に再開するようだ。
走行を終えて街に着いたらすぐさまメシを食らいたい僕としては、こういうタイムテーブルは本当に性に合わない。



グアダラハラとメキシコシティの二大都市を結ぶ高速なのに、意外に交通量が少ない。
おかげで高速特有の、分岐と合流の恐怖が緩和される。


少しずつ標高が上がっていき、2000mほどに。
雲も出てきて、気温がどんどん下がっていく。


登り調子だったが、この日は120km走行。
さびれた田舎街。

立派な外観のホテル。

やっちゃったかな、と思ったが料金を聞いたら260ペソ(1512円)。
本土に入ってから、宿代がだいぶ下がった。
バハカリフォルニアは絶対アメリカ人旅行者の多さが宿代を引き上げていたと思う。

部屋も申し分ない。

めずらしく霧。

涼しい。


標高2000m前後でアップダウンを繰り返す。
山道でも、幅広の路肩があるというのが何よりも助かる、神経を擦り減らすことなく安全に進める。


景色も単調なことだし、考えごとばかりしている。

自然界には、大量発生して増えすぎてしまった種の個体数を減らす調整システムがある。
ある地域でシカが大量発生すると、シカはストレスでバタバタと死んで減少に転じて、結果元の数に戻ってその後安定する。
またある地域でネズミが大量発生すると、生まれてくるネズミの子が奇形だったり不妊だったりして減少に転じて、結果元の数に戻ってその後安定する。

本人の意志とは無関係に、自然界にとってちょうどいい数になるような摂理が働く。
これは人類にも当てはまるだろうか。

人間は、自ら数をコントロールすることもできる。
フランスやスウェーデンを始めとして、少子化対策で出生率上昇に成功している国もある。
でもヨーロッパを旅していた時、30~40代でも結婚に興味ない、子供欲しくない、という人にたくさん出会った。
日本でもこういう人は別にめずらしくない。

逆にアフリカ、あるいはアフリカ以外でも都市から離れた僻地の農村などでは、「なんで一人で旅してる? 妻は? 子供は? 独身だと? 歳はいくつだ? なぜ結婚しない?」と質問攻めされる。
僕が旅の話をしようとしても、かれらは旅には何の関心も示さず、「なぜ結婚しない?」という一点のみを集中攻撃してくる。
こういう土地では、成人したら誰もがすぐに結婚して家庭を持つということに一片の疑念も抱かず、40代で未婚なんて考えられない、よほど何か問題を抱えている(たとえば同性愛者)と思われることもある。

子供が欲しい、欲しくない、という感情は個人で決定できるものだろうか。
もっと巨視的な、目に見えない摂理が作用している気がする。

人口統計による長期予測はある程度信頼性が高いようだが、少子化対策のような人為的コントロールが十年百年規模で持続されるものだろうか。

ある時、予測だにしない現象(シカのストレス死やネズミの不妊に似た何か)が発生して、減少に転じて、自然界にとってちょうどいい数に落ち着く。
そんな可能性を考えるのは荒唐無稽だろうか。

人類の歴史は自然に逆らう歴史だったとも言える、この先もうまいこと乗り越えていくのかもしれないし、不意に飲み込まれる時が来るのかもしれない。



モレリア。







またWARMSHOWERS。
思ってたより承諾率高い。

僕が初めてのゲストだそうで、家族皆で歓迎してくれた。


全員英語が上手、11歳の次男も僕なんかより流暢な英語を話せる。


このお宅も立派。
意外にアメリカでは見なかったが、ここの奥さんはスマートスピーカーでGoogleと会話している。
料理中に調べたいことがある時なんかはいいと思う。


朝、7℃。


モレリアの先はしばしフラット。
その後また標高が上がり、アトラコムルコという街で標高2500m。

曇天で、日中でも15℃以下。
道行く人たちは冬の服装をしている。

ぼちぼち首都圏か、街は店が多くにぎわっている。
宿は200ペソ(1163円)と安くなっていく。

またフラット。


標高2500mからでも高く見えるあの山は3800mほどあるようだ。

高速の料金所で、初めて警察に止められた。
「自転車は禁止だ」ではなく、「麻薬持ってるか?」と聞かれた。
持ってたとしても「はい」とは答える人はいないでしょう。
「ノー」と答えたら、すんなり通された。
人の良さそうなメキシコの警官でも、いかついライフルを持っている。



トルカ。




メキシコシティまであとわずか。
交通量が増し、自転車走行的には日に日にやりづらくなっていく。




またWARMSHOWERS。
5歳の娘と暮らすシングルファザーの大学教職員。
いろんな事情の人がいるものだ。


朝、2℃。
ホストのアントニオが途中まで並走してくれた。


その後標高3100mまで登り、峠を越えたらメキシコシティまでひたすら下っていく。


Mexico City, Mexico

37042km



2 件のコメント:

  1. >登り調子だったが、この日は120km走行、
    >標高3100mまで登り
    サラッと言いますね。

    かつて人類も有史以降ペストやコレラを幾度と経験してきました。
    14世紀欧州でのペスト大流行は人口の1/3近くが死亡したとの研究結果もあるようです。
    わずか百年前のスペイン風邪では全世界で5千万人以上が死んだそうです。
    これは地球がプログラムとして組み込んでいたのか否か。
    亮さんがこのブログで幾度と記述されいる、大自然のなんらかの意思を感じざるを得ないとの意見に通じるものがあるのかと思います。
    隔離、退避くらいしか対処法がなく自然消滅を待たざるを得なかった事態を経ても人類は残りました。
    動物と違い泥縄式であったとしても事態に対処できる知恵を人類は持っていると思います。
    鬼界カルデラの大噴火みたいな目に見える突発的な災禍にはお手上げかもしれませんが。

    先日のタイパンツの件ですが裾が軽くゴムで絞られている型なら巻き込まれることはありませんでした。

    返信削除
    返信
    1. 現存する生物種は、伝染病や天変地異などの自然淘汰を経て生き抜いてきました。
      今回の件の僕の疑問は、生存か絶滅かの二択ではなく、産業革命以降、異常大量発生してきた人類に数の調整システムが作動する日が来るのかどうか、ということです。
      たとえば少子化対策というのは果たして人為的コントロールなのか、それともこういった人間の行動も自然のからくりの一部なのか。
      子供が欲しい欲しくないという感情は個人の意志で決定しているものなのか、それともこういった感情もすでに調整システムの兆候なのか。
      どこまでが人間の意志でどこまでが自然なのか。
      もしも、他の惑星への移住を成功させてそこでも繁栄したなら、人類は自然を超越したと言えるかもしれません。

      削除