2018年12月4日

ドレスデン

プラハ以北はほぼフラットで走りやすかった。
天気は再び下り坂。

WARMSHOWERSというコミュニティがある。
自転車旅行者のために自分の家を宿泊場所として提供する登録制システムで、金銭は発生せず、ホストの善意のみで成り立っている。
Couchsurfingのサイクリスト版といえば通じやすいだろう。
サイクリストの間では知られているが、バックパッカーなど旅人界全体では知名度は低い。

世界中に登録者がいるが、やはり圧倒的にアメリカとヨーロッパが多い。
インターネットが普及するはるか以前から、アメリカにはこれに類似したネットワークがあったと聞いたことがある(そういう電話帳が存在したらしい)。

僕もけっこう前から知っていたのだが、やはり電話を持って常時ネット接続できる状態でないと、ホストと連絡を取るのが難しい。
ホストもヒマなわけではないだろうから、ゲストが来る日時を確実に知っておきたいだろう。
今回の旅からSIMを買って常時ネットできるようになったので、WARMSHOWERSを利用してみることにした。

しかし、そう甘くはない。
イランにいた頃から始めて、数十ものホストにリクエストメッセージを送り続けてきたが、返信をくれたのは2~3割、大半のホストは、無視。
その返信も、すべて断りのメッセージ。
打率0割。
ちなみに、そのホストたちはすべて「Currently Available」(現在利用可)というステータスになっている。

それでもめげずにリクエストを送り続けた。
西ヨーロッパに入ると宿代が容赦なく跳ね上がるだろうし、キャンプだと気温の低下で電子機器のバッテリーがもたなくなることもあるだろうから。

そしてついに、チェコ最後の街で、承諾してくれるホストが現れた!



広々とした素晴らしい部屋。
いや、ポーランドでお世話になったマ・チェ宅も、岩岬先生宅も(これについてはあまりゴージャスだと記述すると弊害が生じるかもしれないのでなるべく触れないようにしておく)、そしてセルビアのジェリコ宅も、ヨーロッパの住宅はとにかく広くて立派。
バスルームだけでも軽く10畳ぐらいある。
経済大国といわれても極狭の日本の部屋に住んできた者の目から見たら、経済発展が少し遅れているといわれる東欧でもこんなゆったり広々とすごせるのなら、うらやましい。
そして言うまでもなく、セントラルヒーティングによって建物内全体が均等に暖かい。

ここのホスト、ズビネックもサイクリストで、1年前に彼女(奥さん?)と一緒にユーラシアを横断、日本も走ったことがあるという。

お二人はベジタリアンのようで、夕食にパンプキンスープをつくってくれた。
ヨーロッパでは走行中に地元の人から話しかけられることがめったにないので、こういうチャンスにいろいろ話を聞いて、しかも料理もごちそうになって、本当にありがたい。

WARMSHOWERSの登録者は、旅を終えたら今度は自分がホストになる(義務ではないが)。
旅人をウエルカムしたい気持ちは十分あるが、客人を泊めてあげるほどの広さが、日本(東京)だと難しい。
でもいつかどうにかして、「お返し」したいな。

夜から朝にかけて、雪が降った。


チェコのこの辺は路肩が広く舗装されているが、ちょうどその部分だけ除雪されていない。


雪で少し沈むのでペダルが重くなるが、滑ることはなかった。



チェコクロナ。




ドイツ入国。


スラブ界からゲルマン界へ。
カトリックからプロテスタントへ。

さすがドイツ、さっそく自転車道。


6年前に旅したドイツは旧西ドイツ、今回は旧東ドイツを旅する。

第二次大戦時、アメリカとソ連は同じ連合国軍としてタッグを組み、ヨーロッパ一の暴れん坊であったドイツを制圧した。
アメリカが西側から攻め、ソ連が東側から攻め、ドイツ中央を流れるエルベ川で米ソの兵士が出会い、ドイツ軍から奪った酒を飲んで祝い、互いに抱擁して戦後の平和を誓った(エルベの誓い)。

しかし戦後、資本主義と社会主義の相容れない体制のため米ソは対立し、アメリカが統治する西ドイツとソ連が統治する東ドイツは別の国として分断され、朝鮮やベトナムと同じく、冷戦の米ソ対立の最前線となった。
東ドイツは社会主義体制のため経済が停滞し、貧困に苦しんだ東ドイツ国民が西ドイツへ逃げ込んだ。
ソ連は人口の流出を防ぐべく国境を強化し、首都ベルリンに東西を隔てる壁を築いた。

1989年、ソ連の弱体化、東欧の民主化にともなってベルリンの壁崩壊。
1990年、東西ドイツが再統一された。
統一後は東西の経済格差が大きな問題となったが、ヨーロッパ第1位の経済大国にまでのし上がり、現在はEUを牽引するリーダーシップを持つ。



やはり自転車道はまもなく消滅。
しかし他の国と比べたら、整備率は高い。
消滅しては出現し、車道の右側に現れたと思ったら次は左側に切り替わり、と惑わされるが、それでもないよりはいい。

自転車道がない区間は狭い車道を走ることになるが、ドライバーはやはり優良。
完全に「非クラクション文化圏」に逃げ込めた。
経済水準とノイズは反比例する。

街並みは、西ドイツと比べたらボロい家屋が多い。

今回の旅で訪問してきた国は、イランを除くすべてが旧ソ連あるいはソ連の衛星国であった。
チャーチルの言う「鉄のカーテン」の中だ。
それもこの東ドイツで最後、実に広大なカーテンだったな。

ドレスデン。




マルチン・ルター。


16世紀、カトリックの教会絶対主義に異議を唱えて宗教改革をおこない、プロテスタントを確立させた。

西ヨーロッパに突入したら、何よりも注意すべきは、日曜日にスーパーを含むほとんどの店が閉まってしまうことだ。
日曜日は徹底して働かない、というのはもちろん宗教が関わっていると思うのだが、こちらとしては死活問題。
ドイツに入国したのが土曜日、夜閉店間際ギリギリでスーパーに行き、食料を買い込んだ。
祝日も同様に店が全滅してしまうのだが、こっちの祝日なんて知らないから困る。
調べりゃいいのだろうけど、そこまで用意周到な人間にはなれない。

ドレスデンにて、またしてもWARMSHOWERSのホスト承諾に成功。
南米を旅したアンドレアス宅、シェアハウスのリビングで寝させてもらった。


ドレスデンでは安宿を見つけられなかったので、WARMSHOWERSのホスト10人ぐらいにリクエストを送った。
そのうち承諾してくれたのが2人。
どちらかを選ばなければならず、どちらかに断りのメッセージを送らなければならないのは心苦しい。

今回の旅では、宿に泊まる時は予約するのがすっかり当たり前になった。
ガイドブックには載っていないような安宿もあり、料金比較、立地、自転車を置かせてもらえるか、ベッドにコンセントはあるか、ロッカーはあるか、など様々な条件を事前に確認できる。
SIMがあれば、森の中でキャンプしながら翌日の宿を確保できたりする、なんて便利。

しかし、大都市や人気観光地の宿はできるだけ早めに予約した方がいいのだが、自転車旅というのは到着日を確定するのが本当に難しい。
走行状況によって進める距離は大きく変わる。
キャンセルできる宿もあるが、ヨーロッパでは予約と同時に引き落とされる宿が多いので、意地でもその日に到着できるようにする。

ドレスデンからベルリンまでの200kmは2日の行程で。
やはり幹線道路は高速化されているので、地図とにらめっこしながらルートを模索する。
幸い、すばらしい追い風に恵まれ、アップダウンも少なく、好調に進めた。
それでも日照時間の短さのため、日没まで目一杯走った。
休憩は1時間につき2~3分。
昼休憩、昼飯はなし。

雨。
6年前のヨーロッパ走行でも、1ヶ月のうち20日以上が雨で、陰鬱な気分で走り続けたのをよく覚えている。
今回もまた雨が続くのだろうか。

ドイツも良い森に恵まれ、キャンプ場所に困ることはなさそうだ。
テントを張っている時、3頭のシカがすぐそばを駆け抜けていった。

しかし、雨。
テントがもうダメだ。
弱い雨なのに、1時間もしないうちに水たまりができる。
今回の旅は乾燥地帯が多く、キャンプ中に雨が降ったのは2~3回だけだったと思う。
その時は耐水性はまったく問題なかったが、やはり劣化するものだ。
乾燥地帯だったらまだしばらく使えると思うが、雨の多いヨーロッパでこれでは、買い換えなければ。

しかし天気というのはわからないものだ。
気温が上昇し、今日は11℃もあった。
暑い。

雨のため、走行中の写真は撮っていない。


Berlin, Germany

11675km



2 件のコメント:

  1. ちょっと前までワルシャワだと思っていたらもうベルリンですか。
    東欧編疾風の如くで頭とルートが追いついてません。
    欧州は自転車道が整備されていて走りやすいと聞くのは主に市街地のことなのでしょうか。
    そういえばコペンハーゲンも自転車道がありました。

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    1. 各都市で出会った日本人バックパッカーたちはもうはるかどこかへ行ってしまい、それと比べたら僕はやはりスローです。
      市街地は自転車道がありますが、自転車道は車道のエリアと歩道のエリアを頻繁に行き来するルートになっており、荷物を積んだ自転車には縁石でダメージを喰らいます。
      車道と歩道の境目を滑らかにしてくれる車輪にやさしい国は意外にも台湾でした。

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