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2020年3月24日

ハバナ(キューバ) → メキシコシティ フライト

直行便。
航空会社はAeroméxico。

聞いた話によると、キューバは3月22日以降入国不可(出国は不明)となる。
空港は危惧していたほど混雑していなかったが、通常ではない空気はあった。
空港にいるほとんどの人はキューバ人ではなく、自国へ帰ろうとしている外国人。
欠航や遅延で足止めを食らい、空港泊している人も多いようだ。
幸い、僕の便は予定通りの運航。

到着した時もそうだったが、ハバナ空港はカートが不足している。
空港内を探しまわって、たまたま放置された1台のカートをゲットできた。

余ったキューバペソは自転車と荷物の超過料金でほぼ使い切ったが、わずかに残った。
両替屋で処理しようとしたが、USドルもメキシコペソもなく、あるのはユーロのみ、しかも50ユーロ紙幣しか扱っていないという。
ほんっと、ダメな国だな。
空港の両替屋で、並ばせて待たせておいて何の役にも立たないとは。

キューバ兌換ペソ(CUC)。


キューバ人民ペソ(CUP)。

コインは間違えてCUCを撮ってしまった。
CUPのコインはうまいこと入手できず。


イミグレーションで、また行列。
全然流れない。
出国するだけなのに、何をそんな時間をかけることがあるのか。
コンピューターがフリーズしたのか、ぶっ壊れたのか知らないが、僕が並んでいた列はしばらくストップした後、別のカウンターに移動させられた。
白人旅行者が見るからにイライラしていた。
こんなことで飛行機乗り遅れたらどう責任とるつもりなのかね。
やっぱりもう一度革命起こしてまともな国につくり直した方がいいよ。
僕の番が来て、入国時に買ったツーリストカードを渡して、出国完了。

ちゃんと飛ぶのかどうか最後まで不安だったが、アエロメヒコはちゃんとした航空会社、予定通り飛んだ。
機内で、アメリカから入国した時と同じ保険の紙をもらって記入。
それから、コロナに関するアンケートにも記入。
ここ14日間どこの国にいたか、感染地域から来た人と接触したか、などの質問。
口頭質問よりこの方が時間短縮できる。

メキシコシティ到着。
空港のつくり、規模、利便性はハバナ空港とは雲泥の差。
イミグレーションはスイスイ流れた。
機内でもらった紙を提出し、メキシコに来た目的と滞在期間だけ聞かれて、入国完了。
アメリカから陸路で入国した時は保険でけっこうな額を払ったのだが、今回は無料だった。
自転車も荷物も待つことなくすでに出てきており、何もかもスムーズに、めでたく上陸できた。
今や100以上の国が入国制限している中、オープンにしてくれているメキシコのおかげでなんとか助かった。


Mexico City, Mexico



2020年3月7日

カンクン(メキシコ) → ハバナ(キューバ) フライト

直行便。
航空会社はInterjet。
チケットは1万6450円。
Interjetのキューバ行きはターミナル2。

キューバはビザ不要だが、通称ツーリストカード(メキシコではキューバビザ)と呼ばれるものが必要。
大使館で事前に入手するのはおそろしく面倒らしいが、メキシコから飛ぶ場合は空港で入手できる(Air Canadaの場合は機内でもらえるらしい)。

チェックインできる時間になると、カウンターの近くでツーリストカードを配布する人が現れる。
別にたいしたものではない、氏名と国籍と生年月日とパスポート番号を記入するだけの紙で、400ペソ(2160円)。
悪どい商売してやがる。

ツーリストカードをもらった後、チェックイン。
今回は荷物の軽量化がうまくいかず、明らかに超過料金コースだったが、チェックインカウンターのスタッフはとても良心的で、重量オーバーには目をつぶってくれた。
だだし、自転車は重量に関わらず585ペソ(3159円)。

チェックインの際、メキシコ入国時に記入した入国カードのようなものとレシートの提示が必要。
カウンターとはまた別の窓口に行き、カードにスタンプをもらう。
これが出国手続きになるようで、その先にイミグレーションはなく、パスポートに出国スタンプはもらえない。
入国時にもらったこのカードとレシート、すっかり忘れていたが保管しておいてよかった。
もし紛失していたらどうなっていたことか、わからない。

メキシコペソ。


1時間15分でハバナに到着。

空港職員は全員マスクしており、熱感知カメラが設置されていた。
カメラには日の丸が貼られていた。

イミグレーションは長蛇の列。
全然流れない。
コロナの影響なのかわからないが、何をそんなに時間をかけることがあるだろう。

1時間ほど並んで待った後、ようやく番が来た。
「ここ15日以内に中国、日本、韓国、イタリアに行きましたか? あるいはそれらの国に行った人と接触しましたか?」という貼り紙があった。
僕は日本人なのでいろいろ聞かれそう、何を聞かれてもいいように準備していたのだが、なんと質問なし。
パスポートをチェックされ、眼紋を撮り、一言も交わすことなくスタンプが押された。
問題は国籍ではなく感染国への渡航歴滞在歴があるかどうかなので、パスポートをチェックすれば僕に問題ないことはわかる。

時間はかかったが大きな問題はなく、キューバ入国。
滞在期限は30日。

ネット上では海外旅行保険の証明書が必要となっているが、何も言われなかった。

その後所持品チェック。
税関の紙をもらって記入。
自転車と荷物を受け取って、完了。

空港にATMあり、キューバペソを引き出せた。

自転車も、今回はいつも以上に入念に養生した甲斐があったのか、無傷で届いた。


La Habana, Cuba

39514km



2019年12月8日

アメリカ(サンディエゴ) → メキシコ(ティフアナ) 国境越え

メキシコ国境まで35kmほど。
距離は短いが、信号が100%赤で全然進まない。
すべての信号は僕が近づくと絶妙なタイミングで赤に変わるように誰かが意地悪している。

最後にウォルマートに行ってココナッツクリームパイを探してみたが、なかった。
もう死ぬまでココナッツクリームパイを食べることができないのかと思うと、無念極まりない。

メキシコの街が見えてきた。


過密、密集。
アメリカとは明らかに違う。
北米と中南米という異世界が、この国境で露骨に線引きされている。

イミグレーションは自動車用と歩行者用とあり、自転車は歩行者用の建物へ行く。
段差がなくスロープになっており、キャスター付きの荷物を転がしている人や自転車にもやさしい。
特にわかりづらいことはなく、流れについて行く。

なんとアメリカ出国手続きがなく、いきなりメキシコ入国手続きから始まる。
律儀にアメリカ滞在期限を守ったのだが(アラスカ入国からジャスト6ヶ月)、オーバーステイしていたとしてもお咎めなしなのか、それともメキシコ入国手続きの際にアメリカ出国もデータとして記録されるのか?

流暢とは言えない英語でメキシコ人の係員が対応する。
質問されたのは、「どこへ行く? メキシコシティ? 自転車で!? マジで!? 何日かかるの?」
以上。

入国カードに記入し、隣の銀行窓口で$29.65または558ペソを払う。
レシートをもらってまた係員のところへ戻り、入国カードを切り離した半券をもらい、パスポートにスタンプが押されて完了。
入国カード半券と銀行レシートは保存しておく。

6ヶ月以内の滞在であればビザ不要。
ビザ不要とはいっても、ここで払わされた$29.65は一体何なのか、このせいでビザ不要のお得感がない。

荷物をすべて外して、ベルトコンベアに流して機械でチェックされ、外に出る。
混雑はしておらずスムーズに流れ、所要トータル15分。
逆にメキシコからアメリカに入国する場合は、厳重にチェックされ、長時間かかると思われる。

13年前は、メキシコ湾側のブラウンズビルという街からマタモロスという街へと越境した。
あの時はアメリカ出国手続きのみでメキシコ入国手続きがなく、そのまましばらく進み続けたら検問で捕まり、入国手続きをしてこいと国境まで戻るハメになった。
国境まで戻って入国手続きする建物を探したが、看板も案内も何もなく、人に聞いてようやく見つけた。
アメリカからメキシコに陸路で入った場合、検問エリア以内でかつ72時間以内であれば入国手続きなしで滞在できるらしい、当時はそんなこと知るよしもなかった。
記憶が定かではないが、料金の支払いもなかったように思う。

場所による違いも時代による違いもあると思う。
とりあえずパスポートにスタンプが押されたので問題ないだろう。

アメリカドル。


日本の友人から、1ドルコインと50セントコインが欲しいとの依頼があった。
1ドルコインはごくまれに見るが、50セントコインなんて存在していたことさえ知らなかった。
地元の人に聞いても皆首をかしげるし、大きめの銀行を数軒あたってみたが、どこもないと言う。

最後にサンディエゴで何気なく入ってみた小さな銀行に、50セントあった!

1ドルコインはそこまでレアではなく、銀行にけっこうストックがある。

100ドル紙幣と50ドル紙幣は、他国の両替屋では難なく入手できるが、アメリカではあまり見かけない。
ATMから出てくるのは基本的に20ドル以下の紙幣。
偽札防止と、あとカード社会なので高額紙幣はあまり流通させていないのだろう。

アメリカ出国直前にATMで引き出したら、1枚だけ100ドル紙幣が出てきた。
 

下のコインは、左からシルバー1ドル、ゴールド1ドル、50セント。
ゴールド1ドルは歴代大統領の肖像など、デザインが多様。
50セントはケネディの肖像で、他のコインに比べて突き抜けて大サイズ。




Tijuana, Mexico

34189km



2019年9月18日

カナダ(ホワイトロック) → アメリカ(ブレイン) 国境越え

2ヶ月半滞在したカナダとおさらば、アメリカへ。
雨の国境越えは嫌なものだが、国境が近づく頃には天気回復。

アラスカ→カナダの時と同様、入国審査のみで出国審査はなし。
カナダ側にはイミグレーションはなく、出国手続きせずにアメリカ側のイミグレーションへ。

高速の料金所のように多数のレーンがあり、たくさんの車が並んでいる。
やはりアメリカ、一台一台の手続きに時間がかかっている。
もう少しで僕の番、というところで係員がやって来て、「自転車はここじゃない、あの建物へ行け」と言われた。
何だよ、先に言ってくれよ。

歩行者自転車用の建物へ入ると、50人ぐらいが並んでいた。
しかも、全然流れている感じがしない。
マジか。

皆、黄色い用紙を持っていたり、何かの書類を抱えている。
「CASHER」と書かれたデスクもあり、そこでお金を払っている人もいる。
家族や友人などグループばかりで、単独で来てるのは僕ぐらい。
かれらはバス移動だろうか。
今までのイミグレーションとは一風変わった空気。
僕はパスポート以外何も持っていないが、動じることはない。

並んでいる人数に対して対応する係員の数が少なすぎる。
1時間20分待ち、僕の番が来た。
質問の数は多かったが、特に難しいことはなかった。

ただ、ひとつの事実が判明。
アラスカに入国したのが6月7日、その時もらった滞在期間が6ヶ月。
一度出国してカナダからアメリカに再入国するわけだが、アラスカ入国時にもらった6ヶ月が現在も継続中だという。
つまり、アメリカ再入国は問題ないが、リセットされて新たに6ヶ月もらえるわけではなく、12月6日までに出国しなければならないということだ。
それ以降にまたアメリカに入国する時に初めて、新たに6ヶ月がもらえる。

これは想定外。
ビザ申請時にどこかにこういったルールが書かれていたのかもしれないが、把握してなかった。
アメリカもじっくり時間をかけて旅するつもりだったのに、あと2ヶ月半じゃ足りない。
これはちょっと考えなければならない。

質疑が終わると、スタンプが押された黄色い用紙をもらい、建物外に出て、一般道へ出るところで係員にその用紙を渡して、終了。

所要トータル1時間半。


Everett, Washington, USA



2019年7月6日

アラスカ → カナダ 国境越え

アラスカ側
国境の手前にアメリカのイミグレーションがあるが、これは逆方向からのアメリカ入国者専用で、カナダに向かう者は何もせずスルー。

カナダ側
何も手続きせずにカナダ入国。


カナダのイミグレーションは国境から29km先。
最初の街ビーバークリークの3km手前。

うろ覚えだが、13年前は国境付近にイミグレーションがあり、そこで手続きを済ませたと思う。
その後、この写真を撮った。


同じ写真を撮りたかったが、この標識もなくなっていた。
国境も変わるものだな。

道路標識はマイルからkmに変わり、わずらわしい計算をする必要がなくなった。
ここはまぎれもなくカナダなので、緩衝地帯ではない。
でも店も家屋もない、しばし無人地帯を進む。

イミグレーションに到着。
行列もなく、待機することなく窓口へ。
係員の口調は穏やかで紳士的だったが、思いのほか質問の数が多かった。
返答に困るような難しい質問はなかったが、現在の所持金(現金)まで聞かれたのは意外だった。

6ヶ月以内の滞在であればビザ不要。
空路での入国にはeTAが必要だが、陸路では不要。

アメリカ出国スタンプはなし。

両替
両替屋はない。
アラスカ最後の街トークに銀行があり、そこでカナダドルを入手できるかもしれないが未確認。
両国ともに、小さな街でもGSに併設されている売店の中、あるいはスーパーの中にATMがある。

13年前はシティバンクのキャッシュカードしか持っておらず、引き出せるATMが限られており、小さな街のATMでは引き出すことができなかった。
カナダでは、USドルでの支払いも受け入れてくれる。
でも、たとえば料金がC$10(828円)の場合、レート換算ではなく同じ数字のUS$10(1084円)を求められるので損をする。
国境から480km先のホワイトホースのATMでようやくカナダドルを入手でき、それまではUSドルで払い続けた悲しい思い出がある。
今回は、最初の街ビーバークリークのATMで無事引き出すことができた。


Haines Junction, Yukon, Canada



2019年6月1日

ギニア → コートジボワール 国境越え

ギニア側
手作り掘っ立て小屋のポリスで出国スタンプをもらう。
「どこから来た?」
「ヌゼレコーレ。」
「あーん?」
「・・・」
「どこから来た?」
「ヌゼレコーレ。」
「あーん?」
その「あーん?」って言うのやめてくれないかね野蛮人。
はっきり明確に答えてるんだから一度で聞き取れよ。
そもそも手前の大きな街はヌゼレコーレ以外ないじゃないか。
警官は僕のパスポートを隅から隅まで見ながら、また無意味なノート記入。
スタンプするまで10分もかかった。
1kmほど進んだところでミリタリーチェック、パスポートを見せるだけで何もされない。

コートジボワール側
ギニアと違ってイミグレーションの建物は新築で真新しく、周囲の風景に溶け込んでいない。
窓口でまたノート記入。
職業、滞在先、日本の住所、日本の電話番号、あれこれ聞かれてスマホで顔写真まで撮られた。
えらい時間をかけてノート記入が終わったと思ったら、「コートジボワールのビザはどこだ?」
僕はイラッとしてパスポートを取り上げてビザのページを指さし、「遅いよ、とっとと終わらせろ。」

それから建物の反対側にある窓口に行けと言われた。
何このムダな手順。
反対側の窓口に行くと、「座れよ。」
「座れよじゃない、とっとと終わらせろ。」
僕は立ったまま睨みつけ、早くスタンプするよう促した。
信じがたいことに、またノート記入を始めた。
「職業は?」
「いいかげんにしろ。さっき同じこと聞かれたよ。」

何のためにビザを取ったと思ってるんだ。
高い金払って2日も待たされてビザを取ったんだぞ。
その時点で入国許可は出てるんだ、ここでやるべきことはビザページを確認してスタンプするだけ、10秒で終わる。

と言ってやりたかったが英語通じなさそうだったし、こんな末端の係員に文句言ったところでどうにもならない、とにかく急がせた。
「Time is moneyって知ってる? これ以上時間かけたらこっちから賄賂要求するぞこのウスノロ。」
イライラ全開の僕に苦笑する係員もいたが、ノート記入してるヤツにはもう質問させず、ちょっとでも動きが止まったら「早くしろバカ」と急かして、ようやくスタンプをもらえた。

所要トータル50分。

両替屋は確認しなかった。
コートジボワールの通貨はセネガルやギニアビサウと同じCFA。
余るほど持っていたので両替の必要はなかった。



カタカナで「コートジボワール」と言われても何のことやらわからないが、フランス語の「Côte d'Ivoire」を英語にすると「Coast of Ivory」、つまり「象牙海岸」。
英語では通常「Ivory Coast」と呼ばれる。

15世紀にオランダ、ポルトガル、イギリスなどがここで象牙と奴隷の貿易をおこなったことから「象牙海岸」と呼ばれるようになった。
ちなみにガーナは「黄金海岸」、ベナンやトーゴなどは「奴隷海岸」など、オブラートに包まないストレートなネーミングがなされ、コートジボワールだけが当時の名称をそのまま国名とした。

19世紀からフランスの植民地となり、1960年独立。
初代大統領の功績で経済は好調に成長し、西アフリカでは優等生国家。
しかし初代大統領の死後、クーデターや内戦が1999年から2011年まで続き、政情は不安定であった。

ひどい道。


街までまだ50kmもあるというのに。
国境越えでいつも以上にイライラしてしまったのはこのせいもある。
日没までに街にたどり着けるか、時間をムダにせず進みたかったからだ。

しかしまもなく舗装復活。


できたてホヤホヤのニューロード。
これなら日没前に街に着ける。
サンキュー、シノワ!



ここでは、「バブーバブー」と呼ばれる。
もはやギャグのようだが、子供たち、時に大人も、僕を見て「バブーバブー」と声を上げる。

また、「トゥリスト」とも呼ばれるようになった。
旅行者に対して「旅行者!」と呼びつけるのも奇妙だが、間違いではない呼び方をされたのは初めてだ。
「バブー」はどうせ「白」だろうよ。

アフリカでは人を呼ぶ時に「スッ」と歯の間から息を出す、と以前書いたが、いつしか「スッ」ではなく「チュ~」と吸い付くような音を発するのが主流になった。

「チュ~、チュ~」
「バブーバブー! バブーバブー!」
「チュ~、チュ~」
「トゥリスト! トゥリスト!」

僕は日没までに街へたどり着こうと必死なんだから、あまり笑わせないでくれ。

無事ダナネに到着。


思ってた以上に舗装箇所が多かったおかげだが、悪路とアップダウンと国境越えありでよくぞ130km走った!

Hotel Graceで2泊。
1泊5000CFA(923円)。
良心的じゃないか。

そしてありがたいことに、電気が24時間使える。
首都でもない地方都市なのに。
確実に今までよりレベルアップした感触。
経済が正常になれば物価も正常になる。
あくまで比較だけど。



サンドウィッチ、なぜかタダでくれた。


主食は米じゃないらしい、何だろうこのおからみたいなの。


またOrangeでSIM購入。
12GBで1万CFA(1846円)。
ただし午前6GB、午後6GBで打ち止め、という午前と午後で別々に制限を設けている変わったプラン。
僕なんかは圧倒的に夜ネットすることが多いから、朝も使うようにしてバランスをとる必要がある。
ショップの人は英語が話せた。

ドッと疲れが出た。
酷暑、未舗装、山道、栄養失調。
でもこの先のルートは楽勝と思われ、安心したら緊張がほぐれて、体が重くダルくなった。


Duekoue, Côte d'Ivoire

22235km



2019年5月31日

リベリア(Ganta) → ギニア(Diecke) 国境越え

リベリア側
イミグレーションで出国スタンプをもらった後、2部屋ほど連れて行かれてまた無意味なノート記入。

両替
どうせまた群がってくるのだろうと思っていたら、意外に両替屋は少なく、こちらから声をかけたほどだった。
そしてまたしても、大々的にちょろまかされかけた。
ギニアフランも数字が大きく計算に戸惑うが、指摘すれば相手はとぼけながらも正当な額を払う。

橋を渡ってギニア側へ。

ギニア側
まずはミリタリーでパスポートチェック。
見られるだけで何もされない。
少し進んでポリス。
ここで入国スタンプをもらう。
そしてここでイエローブックレットも提示。
さらに進んでイミグレーションでパスポートチェック。
いやほんとに、一括でまとめられないものかね。

所要トータル45分。

ギニア側に両替屋が多数いたので、両替はここでもよかった。

ちょっと進んだところでランチ。


ギニアは舗装率低いな。




最初に現れた街ディエク。


最初のギニア訪問時よりも、子供たちの興奮度がすごい。
阿呆のようにギャーギャー騒ぎ立てる。
言葉も変わって、もう「ボテボテ」とは言われない。





サラダ付きの食事なんて久しぶり。
イモみたいに見えるのは、バナナのフライ。


宿を3軒あたってみたが、どこも扇風機なし。
仕方なく、一番まともそうでオーナーが英語を話せる宿に。
5万フラン(600円)。
午前中の雨のおかげか、意外に暑くなかった。

その先もずっと未舗装。


イヤ~!



ヒマそうにしている連中いくらでもいるんだから、ひどい箇所だけでも埋めてならすとかすればいいのに。
国はそういうことにお金を出さないのかな、雇用拡大で経済も発展しそうなものだけど。
でも、本格的な雨季が到来したらどうにもならないぐらいドロドロになるのかもしれない。



車はあまり通らないが、バイクの交通量が多い。
クラクションガイジについては言うまでもないが、せっかくの森林地帯でバイクのエンジン音が常に耳に入ってくるというのもなかなかのストレス。
最初から電気自動車を開発できていたら、世界はもっと静かだったろうに。



ヌゼレコーレという大きな街に到着。

またミッション系の宿に。


ここを管理しているのはベルギー人夫婦。
こんなところで白人に出会うとちょっとびっくりするが、会話がはずんだ。

1泊10万フラン(1200円)。
電気は夜間のみ、水道は勢いよく出る。

そして、セネガルで出会いギニアビサウで再会したエストニア人ライダーがやってきた。
連絡とってたわけでもないのに、また偶然の再会。
なんでバイクで旅してるのに僕とペースが同じなんだよ。



ヌゼレコーレからコートジボワールへ向かう。
最初の40kmは舗装されているが、その先は工事中。
道路建設しているのは、やはり中国。

本線は工事中で通行止め、悪路の側道を進む。


まだ未完成だがほぼ舗装されて通行可能な箇所も多く、そこは本線を強行突破してしまう。



Man, Côte d'Ivoire

22147km



2019年5月27日

シエラレオネ → リベリア 国境越え

シエラレオネ側
イミグレーションで案内に従ってパスポートチェック、出国スタンプをもらう。

とっとと立ち去ろうとしたら引き止められ、イエローカードを提示する部屋に連れて行かれた。
僕はイエローカードを持っているのだが、これではダメだという。
僕のイエローカードは黄熱病のワクチンを受けた証明書で、他にもコレラやチフスなどの予防接種証明書をまとめるための冊子であるイエローブックレットが必要だと言う。
そしてそのイエローブックレットを持っていないのならここでそれを発行する、だから50USドルを払えと言う。
そんなバカな。
もちろん僕は疑ってかかったが、かれらの話し方はウソっぽくは見えず、レシートも発行すると言う。
入国時ならまだしもなぜ出国時にそんなものを求めるのか。
いろいろ疑問は尽きず問い詰めたが、これは強制で交渉の余地はないようだった。
イエローブックレットといっても、パスポートよりやや大きいサイズの安っぽい出来の紙にすぎず、それに黄熱病のイエローカードをホチキスで止めて、スタンプを数箇所押して、50ドル。
なんというヤクザ。
入国時にビザ代で100ドル払っているというのに、さらにこんな紙切れで50ドル払わせるとは。
ぜひとも金の行き先を明確にしてほしいものだ。

橋を渡ってリベリアへ。


リベリア側
イミグレーションへ入る前に、路上の検問でパスポートチェック。
ノートに個人情報を記入。
「どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこへ行く? ホテルの名は? 住所は?」

イミグレーションへ行き、窓口でパスポートチェック。
「どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこへ行く? ホテルの名は? 住所は?」

入国スタンプをもらい、とっとと立ち去ろうとしたら、イエローカードを提示する部屋に連れて行かれ、先ほどのイエローブックレットを見せた。
50ドルという金額は納得いかないが、これを提示しないとこの先の国を通過できないというのはたしかなようだ。

とっとと立ち去ろうとしたら、また謎の部屋に連れて行かれた。
ノートに個人情報を記入。
「どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこへ行く? ホテルの名は? 住所は?」

だー!!!
一箇所でまとめてやってくれ!!!
同じ質問を繰り返すな!!!

両替
国境前後の街でもイミグレーション付近でも、両替屋が多数たむろっている。
僕はリベリア側の国境の街で両替したが、久しぶりに盛大にちょろまかすヤツに出くわした。
もちろん気づいて正当な額を払わせた。

両替時に絶対怠ってはならない基本中の基本は、
※最後の最後まで自分の紙幣を決して相手に渡さないこと
※数人がかりで寄ってたかってなんやかんや言われても惑わされないこと
※煽られても惑わされてもゆっくり確実に相手の紙幣を数えて確認すること
以上を守っていればたいてい大丈夫。
危ういと思ったらすぐに交渉中止して別のところに行けばいい、自分の紙幣さえ渡していなければセーフ。


Diecke, Guinea

21852km



2019年5月23日

ギニア(パメラップ) → シエラレオネ(カンビア) 国境越え

コナクリから南東へ、シエラレオネへ向かう。

一応舗装道路だが、未舗装箇所が増えてきた。


相変わらずアップダウンの連続。
坂の下はだいたい未舗装になっており、せっかくの下りも未舗装箇所でスピードが殺され、ペースが上がらない。



アップダウン、キチガイクラクション、ボテボテコール。
アップダウン、キチガイクラクション、ボテボテコール。
アップダウン、キチガイクラクション、ボテボテコール。

西アフリカ旅行はこれで終わる気がしてきた。

ギニアフラン。




ギニア側
イミグレーションが現れると、その辺の人が案内してくれる。
パスポートコントロールの部屋へ入ると、腐臭が漂っていた。
マンガに出てきそうな、いかにも悪徳な匂いを放つボスキャラと、取り巻きの子分たち。
僕が入室してもまったく意に介さず、仕事とまったく関係ないことをしてヘラヘラ笑っている。
床にはゴミが散乱している。
20秒ほど待ってあげたが、このままだと永遠に無視されそうな気がしてきたので、パスポートをボスの目の前に置いて「スタンプしてよ」と言った。
すると子分っぽいのが、「マニー! マニー!」と言ってきた。
来た!
「NO」と答えたら、大声で「あ!? NOだと!? NOだと!?」とすごんできた。
僕はさらに大声で「当たり前だ! NOだ!」
「おまえのこと知ってるぞ。ネット上ではここは腐った国境で有名だ。皆知ってる。金なんか払うわけないだろ。」
と言ったら笑いながら引き下がった。
ボスはめんどくさそうに、パスポートをろくに見もせずにスタンプを押した。
しかし、もっとこう策略的に、賄賂を払わざるを得ないような状況に追い込まれた上で返り討ちしてみたかったのに、ただ「マニー! マニー!」だなんて雑すぎる、物乞いと変わらないじゃないか。

シエラレオネ側
緩衝地帯はなく、進んですぐのところにイミグレーションあり。
またパスポートコントロールの部屋に案内される。
やはり役人たちの上下関係は強いようで、偉そうなおっさんが若者をいいようにこき使っている。

シエラレオネビザは国境で取得できる。
僕はコナクリの大使館で取得するつもりだったのだが移転しており(大使館ってなんでこうコロコロ移転するんでしょう?)、新住所を突き止めることができず、結局国境で取得することにした。

室内ではボスが高圧的に尋問してくる。
「何しに来た?」
「シエラレオネに何の用だ?」
「なぜ大使館でビザを取ってこなかった?」
「移転はしたがコナクリに大使館はある。なぜ取ってこなかった?」
ひるむことはない、目をそらさず質問に明確に答えればいい。
宿泊先のホテル名と住所も聞かれるので、これはあらかじめ調べておく。
予約証明は不要。
話をするうちに、僕が自転車で旅をしていることを知ると、「そいつは面白い」と笑顔を見せ、談話モードになってしまった。

100USドルを払い、スタンプとレシートをもらって、完了。
滞在期限は30日。
レシートはその後の路上検問で提示を求められることもあるので保管しておく。

所要トータル30分。

両替
国境前後の街でもイミグレーション周辺でも両替屋が多数たむろっている。
もちろんギニアフランを処理できるが、やはりかれらはドルやユーロなどの外貨を求めてくる。


Monrovia, Liberia

21561km



2019年5月13日

ギニアビサウ(ケボ) → ギニア(ボケ) 国境越え

一時舗装路が復活したが、国境の手前23kmほどのケボから再び未舗装。

Google Mapsでは黄線で描かれた主要道路なのだが。

曲がる場所がどうもわからず、人に聞いたらこっちだと言う。

道???

民家の裏庭みたいなところをオジャマして進む。

人に会うたびに確認してみるが、この道であってるらしい。

道というより、川が流れた跡?

上半身素っ裸の女性もチラホラ。

幸い、こんな辺鄙なところにも井戸のある村がある。

しかも、できたばかりの新しい井戸。
どこの国の援助だろう?
ポンプには鍵がかかっており、勝手に汲むことはできない。
子供たちがやって来て汲んでくれた。



ギニアビサウ側の国境に到着。
ゴザの上に数人が寝転がっている。
とても国境には見えなかったのでそのまま通過してしまいそうだったが、寝転がってるやつに呼び止められた。

ちゃんとスタンプを持っている。
でもインクがもう枯れているようで、補充インクをチビチビ垂らす。
スタンプするのにどんだけ時間かけるんだよ。
そして渾身を込めて押されたスタンプも、結局かすれていた。

それからスタンプの上に日付を書こうとするが、ペンのインクも枯れていて、何度も重ね書きする。
あまりに不憫だったので、僕は日本製のジェルインクペンを貸してあげた。
いや不憫というより、こいつら寝そべっているのに僕だけ立ったまま待たされて、とっとと終わらせろやという気持ちだった。

ひとり、「マニー、マニー」と言う者がいる。
賄賂要求のつもりだろうか、そんな弱々しくじゃなくてもっと高圧的に言ってくれないとそれっぽくないぞ。
それにしても、英語話せないくせに「マニー」だけは誰でも知ってるんだな。

出国完了。
しばし緩衝地帯。
距離と位置は確認するの忘れた。

ギニア側の国境。

ここは国境だがイミグレーションはなく、パスポートチェックもなく、スタンプも押されない。

国境警備がユルユルなのは平和な証なのかもしれない。
ただ、僕が払ったビザ代1万3000円の行方が気になる。
ぜひ有効に使ってほしいものだ。


視界が開けていない細い道で子供と遭遇すると、「ウギャー!」と大声で泣きわめいて逃げていく。
怖がらせちゃってごめんよ。
でも面白いからもっと怖がらせてやろうかというイタズラ心が出てきちゃったりもする。
女の子より男の子の方がずっと臆病で、プライドも何もないのか、顔をクシャクシャにして泣きながら親に助けを求めて絶叫する。


ギニアには独自通貨がある。
最初に現れた村で食料を買ってみたが、CFAでも買えた。
後で聞いた話によると、この村で両替ができるらしい。


渡し船で川の対岸へ。

ガーナ人やインド人など、多国籍労働者と話をして盛り上がった。

かれらに両替してもらって、ギニアフランを入手できた。
そしてなんと、渡し船代はかれらが払ってくれた。
かたじけない。


ビザ代1万3000円も払ってるんだから、橋ぐらいつくっといてよ。


対岸にインド人労働者の宿舎があり、そこで泊めてもらうことになった。

かれらのうちの二人はアムリトサル出身。
アムリトサルはパキスタンに近く、有名なワガー国境があり、シク教の本拠地。
その界隈のことはよくおぼえているので話をしたら、とても喜んでくれた。

インド料理!

まさかこんなところでインド料理を堪能できるなんて。
調理はここの使用人であるギニア人の女性。
味は完璧にインド。
砂糖をドカドカ投下したチャイ、たまらん。

これがディナーだと思ったら、夜になってまた食事。
断るわけもない。

おいしいんだけど、やはりカレーが僕には辛すぎる。
食欲はあるのに、辛さのため一人前でギブアップ。

この宿舎は、電気が通っており、扇風機もあり、水道はないがポリタンクに大量の水が用意されており、不便はない。
インド人たちはとても話しやすく、どこまでも僕に親切にしてくれた。

しかしこの時点でまだ入国スタンプをもらっていないという、変な状況。

翌朝、数km進んだキソマヤという村でイミグレーションが現れた。

国境から20km。
Google MapsにはKisoumayaと書かれている。
ビザを確認され、スタンプをもらって、入国手続き完了。


ギニアビサウとギニアの違いなんて一般的にはまったく知られていないだろうが、ギニアビサウは旧ポルトガル領でポルトガル語、ギニアは旧フランス領でフランス語。
1958年独立。
面積は本州よりやや大きく、人口1200万人。


また言葉が変わり、子供たちは僕を「ボテ」と呼ぶ。
フランス語ではないと思う、何語かわからないが、手を叩きながら「ボーテ! ボーテ!」と大合唱する。
意味はどうせまた「白」かな?


ビザ代1万3000円も払ってるんだから、舗装ぐらいしといてよ。


足踏み式ポンプの井戸は効率良さそうだ。

突然の来訪者に最初は不審の目で見られたが、カメラを向けたら照れ笑いを見せた。


ギニアの子供たちは警戒心が強く、遠くから「ボーテ! ボーテ!」と囃し立てるだけで、至近距離にはなかなか来ない。
この写真はズームで撮った。

僕の方から近づこうとすると、蜘蛛の子を散らさんばかりに逃げていく。
国境を越えただけで変わるもんだ。

木陰のない道、もう暑くて暑くて。

ギニアには所々で検問がある。
何を警戒してんだよ。

検問所に売店があり、金を惜しまずドリンクを買い込んで一気飲み。

水だけだとどうもパワーが出なくて、やっぱ冷えた炭酸をグビグビ飲んで、日陰で長めに休まないと、もたない。
軍人たちが僕に興味を持っていろいろ話しかけてきた。

お世話になったインド人とまた遭遇。

かれらは仕事を終えて宿舎に戻るところだった。

最初の街、ボケに到着。
ギニア人の主要移動手段はバイクで、バイクのクラクションが鳴りやまない。

ATMあり。
ただし一度の引き出し限度額がたった30万フラン(3597円)。
最高額紙幣が2万フラン(239円)、かさばってしょうがない。

宿は少なく、物価も高い。
暑さにへこたれ、宿探しも大変で、街の風景は撮っていない。

気の利かないボロ宿をなんとか見つけた。
最安のシングルで30万フラン(3597円)。
狂ってる。

Wi-Fiなし。
唯一評価すべき点は、エアコンがついていることだった。
でも電気がつくのは夜間のみで、日の出とほぼ同時にすべての電気が落ちた。

最後の村で汲んだ井戸水、なぜか変色。

汲んだ時は透明だったはずだが。

スーパーで、ボコボコにへこんだニセコーラ。

1万3000フラン(155円)。
飲んでみると、炭酸が完全に抜けていた。
誇張ではなく、本当に無炭酸飲料。
どんだけ年月が経ったらこんななるのか。
賞味期限はどこにも書かれていなかった。

ひっどい国だな。
ビザ代が高い国ほどひどい国、という新たな法則を発見してしまったかもしれない。

レストランもなかなかなく、道端の謎料理にトライしてみた。

ジャガイモを煮たシチューだと思って食べてみたら・・・

マンゴーじゃねえか!
いくらマンゴー好きの僕でも、これはいただけない。
そのまま食べられるマンゴーをどうして煮てしまったのか?
それに、この日は昼飯もマンゴーだったんだぞ。

店にいた娘たち、やけになついてきたので許してあげよう。


Conakry, Guinea