アラスカ第2の都市フェアバンクスに到着。
アラスカに来てから、WARMSHOWERSの承諾率は100%だった。
他の地域ではリクエストを送っても返信がなかったり拒否されることも多かったので、複数のホストに一斉リクエストを送ったりしたものだが、ここでは一発で成立する。
でも、フェアバンクスではうまくいかなかった。
プロフィールを読んでもめぼしいものが見つからず、とりあえず2人のホストにリクエストを送ってみたが、返信なしだった。
ホステルは最安でもUS$28、キャンプ場でも平気でUS$30以上したりする。
13年前はどこのキャンプ場でいくらだったか、まったく思い出せない。
なんとかUS$20のキャンプ場を見つけた。
しかし、トイレ・シャワー・ランドリーがある建物が工事中のため使用できず。
US$20✕2泊も払ったのにシャワーを浴びれない!?
トイレは簡易トイレ、つまりボットン。
水道は外のホース。
コンセントは屋根のない雨ざらし。
なんだかひどいところだ。
仮に工事中じゃなかったとしても、全体的にボロく、手入れも行き届いていない。
物価の安い国と比較してもしょうがないが、安い国でUS$20といったら、それはそれはゴージャスなホテルに泊まれるもので、旅人の予算を大きくオーバーしてしまうので罪悪感すらある。
アラスカの都市でUS$20だとこのレベルになってしまうのか。
このキャンプ場から4kmほど離れた大学で無料シャワーがあるというので行ってみたのだが、見つけられず。
それがダメならコインランドリーにシャワーがあるというので行ってみたら、12分でUS$4.75。
ひどいところだ。
この日は夏至。
深夜0:30のフェアバンクス。
夜はめったに出歩かないが、ちょっと散歩してみた。
日没は0:48、日の出は2:57。
もうすぐ夜、2時間後には朝。
翌日は雨。
洗濯物がまったく乾かない。
休養だけでなく、身の周りのものをきっちりきれいにしたいとも思っていたのに。
なんだかいろいろうまくいかないので、市街から離れたWARMSHOWRERSのホストにリクエストを送ってみた。
プロフィールを読んで「この人はイケそう」という予感が的中、すぐに承諾の返信が来た。
すでに2泊分払っていたのでこの日もキャンプ場に泊まる予定だったが、「今からでもウチに来たら?」と言ってくれた。
シャワーも浴びれないキャンプ場に居続ける理由もない、お言葉に甘えることにした。
距離は12kmほどだが、ずっと登り。
みるみる山の中に入っていき、、、
けっこうハードな登り。
スピードが落ちると無数の蚊に包囲され、容赦ない攻撃を食らう。
なんだかすごいところに住んでるのね。
無事、山の中の一軒家にたどり着いた。
2人の女性がここで暮らしている。
夜遅い(といっても明るいが)到着になってしまったので、この日はあまり話もせず、就寝。
トイレ・バスルーム付きのゲストルーム、これはリラックスできる。
翌日は晴天。
街へ買い物へ。
ウォルマートに行けば何でもそろうが、裏を返せばウォルマートに行かなければ何も買えない。
山の中はもちろん市街地でも、コンビニや売店や小さなスーパーなどはまったくといっていいほどない(強いていえばGSにコンビニっぽいのがある)。
宿泊地からウォルマートまで何kmか、というのが重要になってくる。
最初WARMSHOWERSのターゲットを市街中心に絞ったのもそういう理由があった。
ダウンタウンには行かなかった。
用があるのはウォルマートを始めとする巨大な店が集結するショッピングエリアのみ。
全体的な物価は非常に高いが、都市部にある巨大スーパーなら、豊富な品ぞろえの中からなんとかして割安商品を見つけ出し、出費を抑えてたくさん食える。
田舎の小さな店だと選択肢が少なく、割高商品しか買えずひもじい思いをする。
テントを買い替えたいのだが、いいものが見つからない。
アウトドアショップだとバカ高いのしかなく、ウォルマートだとまたすぐ壊れそうなちゃっちいのしかない。
ちょうどいいのはないのか。
フレッドマイヤー。
ここも日用品からアウトドア用品までそろっているが、食品に重点が置かれており、やや意識高め食品スーパーといった感じで、値段も少し高めの印象。
こんな略し方するんだな。
「PED」=Pedestrian(歩行者)
「XING」=Crossing(横断)
サイクリングは盛んだが、自転車で買い物に来る人は少数。
圧倒的に車、一度に全体を見渡せないほど広大な駐車場。
RV用スペースもある。
しかしほんとデカイな。
帰宅、すぐメシ。
偉大なるアメリカの最高傑作、ココナッツクリームパイ。
13年前の北米旅行でもこいつにドハマリした。
680gでUS$8。
大好きなスイーツのためなら惜しまないよ。
ココナッツは割とどうでもいい、何よりもこのたっぷりクリーム!
ホイップとカスタードの二層構造。
ああ、このクリームの海で溺死したい。
本物のコカコーラは20oz(591ml)でUS$2以上、高すぎて手が出ないが、ニセコーラは2Lで99¢。
1.5Lや500mlのペットボトルがほとんどなく、自転車のボトルケージにはまらないのが困る。
20oz(591ml)のペットボトルも太くて入らない。
スーパーにはもちろんアジアンフードもある。
でもカップラーメンなんかは、どうもイケてないものばかり。
日本にはすばらしいカップラーメンがいくらでもあるのに、ここではわざわざイケてないものだけを選んだのではと思うほど。
こういうところでもアメリカ人との味覚の違いが出る。
このうどんはちゃんと日本の味だった。
キッチンも自由に使っていいと言われたので自炊するつもりだったが、この日はディナーをごちそうになった。
カリブーの肉。
アラスカでは、クマ、ムース、カリブー、ドールシープ、ウサギ、など多様な野生動物の肉が食される。
でもスーパーには売っていない、どうやって入手したのかと聞いたら、ハンティングしたのだという。
たくましすぎる。
カリブーは、筋ばっていて牛肉に近いが、とても柔らかい。
ガレージはやはり大量の自転車。
テントの件を話したら、使ってないテントがあるからよかったらあげるよ、と。
ラッキー!
サイズは2人用なので狭いが、雨が多いとこういう前室のあるタイプがいい。
ひとりで留守番してた時、物音がしたので様子を見に行ったら、ルンバが掃除してた。
これって自動で作動するのか。
自炊。
どこへ行っても内蔵だけは安い。
内臓は節約派の味方。
3泊。
いやー、ゆっくり休めた。
洗濯して、寝袋も干して、すべてきれいにして、明日出発。
Fairbanks, Alaska, USA
2019年6月26日
2019年6月25日
パークスハイウェイ
ふもとの街に戻る。
とにかく腹が減ってしょうがない。
頭の中はメシのことしかない。
物価が高かろうが何でもいいからスーパーで食料を買い込む。
またウィリアムの家で一晩やっかいになる。
向かう途中、サイクリストと遭遇。
スイス人のこの夫婦は、2010年から自転車旅を始め、以来スイスに帰国したのは4ヶ月だけ、ほぼ9年間旅しっぱなし。
そして旅の途中で2人の子供を出産。
6歳と1歳の娘は生まれてからずっと、両親の背中と世界の風景を見ながら旅をしている。
旦那さんは写真家で、奥さんはライター。
その収入で旅を持続させている。
日本のモンベルもかれらのスポンサーで、2019年モンベルチャレンジアワードを受賞している。
https://about.montbell.jp/social/challenge/award/
かれらの衣類や身の回りの物がモンベルだらけだったのが面白かった。
アラスカの前は日本を沖縄から北海道まで旅しており、もしかしたら見かけたという人もいるかもしれない。
長女のナイラちゃんは母国語のフランス語に加えて英語も理解し、日本語であいさつができて、日本語で1から10まで数えることもできる。
家族4人分の荷物+自転車の総重量は200kgになるという。
僕が今まで出会ったサイクリストの中で最大だ。
飛行機乗る時どうすんだ?
こんなバイタリティを見せられると、自分はなんともちっぽけに思えてしまう。
元気をもらった。
かれらもウィリアムの家に泊まるというので一緒に。
ウィリアムはやさしくおおらかなヤツで、決して大きいとはいえない家(といってももし日本でこんな家が所有できるなら僕は欲しい)で、家族4人と僕が寝るスペースをうまいこと割り当ててくれた。
夕食は、かれらがつくったパスタを少し、いやけっこうたくさん、分けてもらった。
料理の腕もあり、すごくおいしかった。
日本から持ってきたふりかけもあり、パスタにちょっとかけたらさらにおいしくなった。
この街では食材が入手しにくいが、ふだんは野菜をふんだんに使い、メニューも毎日変えているという。
子供の成長を考えたら、食事もおろそかにはできない。
僕もアウトドア生活をしているが、アウトドアの道具の知識や技術はたいしてない。
こういう人たちから教わることは多い。
育児しながら旅をする。
ふつうはムリだよね、っていうことをやってのけてしまう人たちがいる。
育児経験のない僕でも、想像すると次々に疑問が湧いてくる。
ふだんは旅人交流に積極的ではない僕も、かれらには質問攻めしてしまった。
長女はもう6歳、「学校に行く年齢でしょ?」と奥さんに聞いたら、
「私たちが学校よ」と胸を張って答えた。
これはかなわない。
かれらとは方向が同じなので、またどこかで会えたらいいな。
デナリを発ったとたん、晴れやがった。
デナリのふもとの街から16kmほど北のヒーリーという街に大きなスーパーがあり、そこで通常の物価で食料が買える。
ネナナのキャンプ場で1泊、US$15。
20ドルだと思ってたのが15ドルだったので、その分アイスとかジュースを買ってしまう。
ここはいいキャンプ場だった。
しかし、暑いぐらい天気が良くてたくさん洗濯して干していたのに、夜から強い雨。
しばらくして雨はやみ、この写真を撮ったのは深夜0時。
ネナナからフェアバンクスまではアップダウンの連続。
マラリアは完治したが、栄養不足による疲れやすさはまだある。
国立公園の峠道とこの日のアップダウンで、情けないことにちょっと足がダルい。
できればフェアバンクスでゆっくり休養をとりたい。
Fairbanks, Alaska, USA
とにかく腹が減ってしょうがない。
頭の中はメシのことしかない。
物価が高かろうが何でもいいからスーパーで食料を買い込む。
またウィリアムの家で一晩やっかいになる。
向かう途中、サイクリストと遭遇。
スイス人のこの夫婦は、2010年から自転車旅を始め、以来スイスに帰国したのは4ヶ月だけ、ほぼ9年間旅しっぱなし。
そして旅の途中で2人の子供を出産。
6歳と1歳の娘は生まれてからずっと、両親の背中と世界の風景を見ながら旅をしている。
旦那さんは写真家で、奥さんはライター。
その収入で旅を持続させている。
日本のモンベルもかれらのスポンサーで、2019年モンベルチャレンジアワードを受賞している。
https://about.montbell.jp/social/challenge/award/
かれらの衣類や身の回りの物がモンベルだらけだったのが面白かった。
アラスカの前は日本を沖縄から北海道まで旅しており、もしかしたら見かけたという人もいるかもしれない。
長女のナイラちゃんは母国語のフランス語に加えて英語も理解し、日本語であいさつができて、日本語で1から10まで数えることもできる。
家族4人分の荷物+自転車の総重量は200kgになるという。
僕が今まで出会ったサイクリストの中で最大だ。
飛行機乗る時どうすんだ?
こんなバイタリティを見せられると、自分はなんともちっぽけに思えてしまう。
元気をもらった。
かれらもウィリアムの家に泊まるというので一緒に。
ウィリアムはやさしくおおらかなヤツで、決して大きいとはいえない家(といってももし日本でこんな家が所有できるなら僕は欲しい)で、家族4人と僕が寝るスペースをうまいこと割り当ててくれた。
夕食は、かれらがつくったパスタを少し、いやけっこうたくさん、分けてもらった。
料理の腕もあり、すごくおいしかった。
日本から持ってきたふりかけもあり、パスタにちょっとかけたらさらにおいしくなった。
この街では食材が入手しにくいが、ふだんは野菜をふんだんに使い、メニューも毎日変えているという。
子供の成長を考えたら、食事もおろそかにはできない。
僕もアウトドア生活をしているが、アウトドアの道具の知識や技術はたいしてない。
こういう人たちから教わることは多い。
育児しながら旅をする。
ふつうはムリだよね、っていうことをやってのけてしまう人たちがいる。
育児経験のない僕でも、想像すると次々に疑問が湧いてくる。
ふだんは旅人交流に積極的ではない僕も、かれらには質問攻めしてしまった。
長女はもう6歳、「学校に行く年齢でしょ?」と奥さんに聞いたら、
「私たちが学校よ」と胸を張って答えた。
これはかなわない。
かれらとは方向が同じなので、またどこかで会えたらいいな。
デナリを発ったとたん、晴れやがった。
デナリのふもとの街から16kmほど北のヒーリーという街に大きなスーパーがあり、そこで通常の物価で食料が買える。
ネナナのキャンプ場で1泊、US$15。
20ドルだと思ってたのが15ドルだったので、その分アイスとかジュースを買ってしまう。
ここはいいキャンプ場だった。
しかし、暑いぐらい天気が良くてたくさん洗濯して干していたのに、夜から強い雨。
しばらくして雨はやみ、この写真を撮ったのは深夜0時。
ネナナからフェアバンクスまではアップダウンの連続。
マラリアは完治したが、栄養不足による疲れやすさはまだある。
国立公園の峠道とこの日のアップダウンで、情けないことにちょっと足がダルい。
できればフェアバンクスでゆっくり休養をとりたい。
Fairbanks, Alaska, USA
2019年6月23日
デナリ国立公園 2
2日目も峠越えのオンパレード。
思ってた以上に進まない。
国立公園に入るちょっと前ぐらいから不安定な天気で、夕方から夜に雨が降ることが多かったが、この日は日中も降った。
ぐっと冷え込む。
ホッキョクジリス。
こういう小動物は無数に見る。
起点から106km地点にある2つ目のビジターセンター。
もしかしたらここに多少なりとも食料が売ってたりしないかと淡い期待もしてみたが、やはり何も売ってなかった。
晴れていたらこんな風にデナリが見えるらしい。
この先で、グリズリーが現れたようだ。
すれ違うバスがいちいち停まって僕に注意を促す。
しばらく進むと、1台のバスとレンジャーの車が停車している。
この時は登りだったので僕は押して歩いていたのだが、近づくと僕のスピードに合わせてバスがゆっくりと動き出した。
グリズリーから見て僕がバスの陰になるように、つまりグリズリーが僕の存在に気づかないように護送してくれている。
レンジャーの車も後ろからついてくる。
そんな、、、ゆっくりじっくり見たいのに。
それでも、少し見えた。
初めて見る、グリズリー。
道路から30mほどの近さ。
親子。
顔つきも体格も毛色も、ブラックベアとはまったく違う。
日本語ではハイイログマというが、灰色ではなく、茶色と白を混ぜたような薄茶色で、思ってたより薄い毛色。
ある程度離れるとバスは停まったが、レンジャーの車はまだついてくる。
「写真撮ってもいいかな?」
「ノー。300ヤード(274m)離れるまでは止まっちゃダメだ。あの丘の上ぐらいが300ヤードかな。」
言われた通りその丘の上まで行き、後ろを振り返ると、もう影も形も見えなくなっていた。
残念。
ぼちぼち目的地のワンダーレイクに近づいてきた。
いや目的はデナリを見ることで、デナリにもだいぶ接近してきたはずだが、天気が悪くてどこにあるのやら、まったく見えやしない。
この日のキャンプ地ユニット14に突入。
またしても道路の眼下で、見晴らしが良すぎる。
しかも低木が生い茂り、容易には立ち入れない。
川もない。
ビジターセンターで申請した時にこういった詳細情報ももらえたらよかったのだが、大ざっぱな地図を見せられただけで、大ざっぱに見当をつけることしかできなかった。
なんとか草木の低い場所を見つけて、強引に踏み入る。
そのままじゃ無理なので、荷物を外して、自転車、荷物、荷物、と3回にわけて少しずつ運ぶ。
自然保護の観点からすると、わざわざ草木を踏み潰すよりは、道路際のちょっとしたスペースにテントを張った方がずっといい。
道路から何m離れたかわからないが、木の陰に隠すようにテントを張った。
また夕方から雨。
このキャンプ地からもデナリが見えるはずなのだが。
3日目の朝。
テントの窓を開けると、ドンヨリ。
ダメだこりゃ。
また自転車、荷物、荷物、と3回に分けて道路に運んでいく。
ようやく運び終わった頃、不意に晴れ上がった。
完全ではないものの、そのドッシリとした存在感に息を呑む。
「デナリ」は先住民アサバスカンの言葉で「偉大なるもの」を意味する。
以前の名称「マッキンリー」は第25代大統領の名前で、特にこの地と関係はなかったらしい。
地元では「デナリ」の名で親しまれ、オバマ政権時に正式名称を「デナリ」に変更した。
標高はそれほど高くないものの、個体としてのインパクトは独立峰ならでは。
高緯度に位置するため極寒でかつ気圧が低く、その厳しさがここまで伝わってくるようだ。
植村直己が1970年に初の単独登頂を果たし、さらに1984年に初の冬季登頂を果たし、その下山中に行方不明となった。
晴れたのも束の間。
まもなく、また厚い雲に覆われてしまった。
しばらく様子をうかがったが、雲は増大する一方。
再び晴れ上がる見込みはなさそうだ。
旅程は確定してしまっているので、天気待ちでもう1泊というわけにもいかない。
食料も余裕がない。
天気予報はまったく当てにならない。
出発前に複数の予報サイトを見たが、どれもバラバラで、何を信じていいのかわからなかった。
でも全体的にこの日は晴れると予測したサイトが多かった気がしたが。
デナリが見れないのなら、これ以上進んでワンダーレイクとやらまで行く意味もなく、ここで引き返すことにした。
またバスが停まって、グリズリーが出たから気をつけて、と言う。
気をつけてと言われたって、僕はワクワクしてしょうがない。
足早に進むと、、、いた!
やはりバスが停まっていたが、今度は十分距離が離れていたせいか僕に何も言ってこなかったので、立ち止まってゆっくり見つめた。
バスが去った後も、しばらくひとりで見入ってしまった。
親子で行動をともにし、厳しくもやさしい表情に、母なる自然を感じた。
晴れていたら、向こうの谷間にデナリが見えるはずなのだが。
と、写真を撮っていたら、よく見たらさっき通ったばかりのふもとでグリズリーが道路を横断しているではないか。
道路工事の人たち、どう見ても300ヤード離れてないよね。
あんな近くで見てみたいものだ。
思えば、西アフリカでの僕はグリズリーのような存在だった。
行く先々で大注目され、容赦のない視線を注がれ、遠方から囃し立てられからかわれ、振り向かせようとして手を叩き、でも怖いから近づこうとはしない、こちらから近づこうとすると全力で逃げていく。
もしグリズリーが人間に対してストレスを感じているとしたら、僕にはその気持がよくわかる。
居住者・来訪者の関係が逆ではあるが。
3日目のキャンプは初日と同じユニット9だが、違う河原にテントを張った。
本当に不安定な天気で、この写真を撮った直前も直後も雨が降った。
4日目。
もう帰るだけだが、この先の道も容易ではないことがわかっている。
帰り道、後ろを振り返ると、
デナリ!
晴れてる。
昨日のキャンプ地、今頃デナリがはっきりと見えてるんだろうな。
今さら戻ることもできない。
悔しい~。
天気。
こればっかりはどうしようもない。
夏のデナリの晴天率は20%らしい。
アンカレッジからここへ向かう道中できれいに見えたデナリは、その20%だったのだ。
とにかく腹が減ってしょうがない。
晩飯は1食の分量をはっきり決めているが、パンとか菓子とかは、あればあるだけ食べようとしてしまうので、多めに買ったつもりでも4日目にはわずかしか残っていなかった。
チューブ式のイチゴジャムを重宝した。
休憩するたびにこれをチューチュー吸って糖分補給。
4日目の午前中に空になった。
食料は限られているが、水は豊富にある。
生水は飲んではいけないというルールもあったが、これは長年の経験とカンで、飲める水かどうかは自分で判断できる。
午後は雷雨。
5mmほどの雹が身体に打ち付ける。
あと少しで終わるのに、簡単には終わらせてくれないのね。
16時、ビジターセンターに帰還。
走行距離はたいしたことなかったが、4日間フル稼働だったな。
天気はちょっと残念だったけど、シャトルバスでもなくキャンプ場でもなく、生身で体ひとつで、この大自然と向き合えた経験は宝物だ。
Fairbanks, Alaska, USA
23265km
思ってた以上に進まない。
国立公園に入るちょっと前ぐらいから不安定な天気で、夕方から夜に雨が降ることが多かったが、この日は日中も降った。
ぐっと冷え込む。
ホッキョクジリス。
こういう小動物は無数に見る。
起点から106km地点にある2つ目のビジターセンター。
もしかしたらここに多少なりとも食料が売ってたりしないかと淡い期待もしてみたが、やはり何も売ってなかった。
晴れていたらこんな風にデナリが見えるらしい。
この先で、グリズリーが現れたようだ。
すれ違うバスがいちいち停まって僕に注意を促す。
しばらく進むと、1台のバスとレンジャーの車が停車している。
この時は登りだったので僕は押して歩いていたのだが、近づくと僕のスピードに合わせてバスがゆっくりと動き出した。
グリズリーから見て僕がバスの陰になるように、つまりグリズリーが僕の存在に気づかないように護送してくれている。
レンジャーの車も後ろからついてくる。
そんな、、、ゆっくりじっくり見たいのに。
それでも、少し見えた。
初めて見る、グリズリー。
道路から30mほどの近さ。
親子。
顔つきも体格も毛色も、ブラックベアとはまったく違う。
日本語ではハイイログマというが、灰色ではなく、茶色と白を混ぜたような薄茶色で、思ってたより薄い毛色。
ある程度離れるとバスは停まったが、レンジャーの車はまだついてくる。
「写真撮ってもいいかな?」
「ノー。300ヤード(274m)離れるまでは止まっちゃダメだ。あの丘の上ぐらいが300ヤードかな。」
言われた通りその丘の上まで行き、後ろを振り返ると、もう影も形も見えなくなっていた。
残念。
ぼちぼち目的地のワンダーレイクに近づいてきた。
いや目的はデナリを見ることで、デナリにもだいぶ接近してきたはずだが、天気が悪くてどこにあるのやら、まったく見えやしない。
この日のキャンプ地ユニット14に突入。
またしても道路の眼下で、見晴らしが良すぎる。
しかも低木が生い茂り、容易には立ち入れない。
川もない。
ビジターセンターで申請した時にこういった詳細情報ももらえたらよかったのだが、大ざっぱな地図を見せられただけで、大ざっぱに見当をつけることしかできなかった。
なんとか草木の低い場所を見つけて、強引に踏み入る。
そのままじゃ無理なので、荷物を外して、自転車、荷物、荷物、と3回にわけて少しずつ運ぶ。
自然保護の観点からすると、わざわざ草木を踏み潰すよりは、道路際のちょっとしたスペースにテントを張った方がずっといい。
道路から何m離れたかわからないが、木の陰に隠すようにテントを張った。
また夕方から雨。
このキャンプ地からもデナリが見えるはずなのだが。
3日目の朝。
テントの窓を開けると、ドンヨリ。
ダメだこりゃ。
また自転車、荷物、荷物、と3回に分けて道路に運んでいく。
ようやく運び終わった頃、不意に晴れ上がった。
完全ではないものの、そのドッシリとした存在感に息を呑む。
「デナリ」は先住民アサバスカンの言葉で「偉大なるもの」を意味する。
以前の名称「マッキンリー」は第25代大統領の名前で、特にこの地と関係はなかったらしい。
地元では「デナリ」の名で親しまれ、オバマ政権時に正式名称を「デナリ」に変更した。
標高はそれほど高くないものの、個体としてのインパクトは独立峰ならでは。
高緯度に位置するため極寒でかつ気圧が低く、その厳しさがここまで伝わってくるようだ。
植村直己が1970年に初の単独登頂を果たし、さらに1984年に初の冬季登頂を果たし、その下山中に行方不明となった。
晴れたのも束の間。
まもなく、また厚い雲に覆われてしまった。
しばらく様子をうかがったが、雲は増大する一方。
再び晴れ上がる見込みはなさそうだ。
旅程は確定してしまっているので、天気待ちでもう1泊というわけにもいかない。
食料も余裕がない。
天気予報はまったく当てにならない。
出発前に複数の予報サイトを見たが、どれもバラバラで、何を信じていいのかわからなかった。
でも全体的にこの日は晴れると予測したサイトが多かった気がしたが。
デナリが見れないのなら、これ以上進んでワンダーレイクとやらまで行く意味もなく、ここで引き返すことにした。
またバスが停まって、グリズリーが出たから気をつけて、と言う。
気をつけてと言われたって、僕はワクワクしてしょうがない。
足早に進むと、、、いた!
やはりバスが停まっていたが、今度は十分距離が離れていたせいか僕に何も言ってこなかったので、立ち止まってゆっくり見つめた。
バスが去った後も、しばらくひとりで見入ってしまった。
親子で行動をともにし、厳しくもやさしい表情に、母なる自然を感じた。
晴れていたら、向こうの谷間にデナリが見えるはずなのだが。
と、写真を撮っていたら、よく見たらさっき通ったばかりのふもとでグリズリーが道路を横断しているではないか。
道路工事の人たち、どう見ても300ヤード離れてないよね。
あんな近くで見てみたいものだ。
思えば、西アフリカでの僕はグリズリーのような存在だった。
行く先々で大注目され、容赦のない視線を注がれ、遠方から囃し立てられからかわれ、振り向かせようとして手を叩き、でも怖いから近づこうとはしない、こちらから近づこうとすると全力で逃げていく。
もしグリズリーが人間に対してストレスを感じているとしたら、僕にはその気持がよくわかる。
居住者・来訪者の関係が逆ではあるが。
3日目のキャンプは初日と同じユニット9だが、違う河原にテントを張った。
本当に不安定な天気で、この写真を撮った直前も直後も雨が降った。
4日目。
もう帰るだけだが、この先の道も容易ではないことがわかっている。
帰り道、後ろを振り返ると、
デナリ!
晴れてる。
昨日のキャンプ地、今頃デナリがはっきりと見えてるんだろうな。
今さら戻ることもできない。
悔しい~。
天気。
こればっかりはどうしようもない。
夏のデナリの晴天率は20%らしい。
アンカレッジからここへ向かう道中できれいに見えたデナリは、その20%だったのだ。
とにかく腹が減ってしょうがない。
晩飯は1食の分量をはっきり決めているが、パンとか菓子とかは、あればあるだけ食べようとしてしまうので、多めに買ったつもりでも4日目にはわずかしか残っていなかった。
チューブ式のイチゴジャムを重宝した。
休憩するたびにこれをチューチュー吸って糖分補給。
4日目の午前中に空になった。
食料は限られているが、水は豊富にある。
生水は飲んではいけないというルールもあったが、これは長年の経験とカンで、飲める水かどうかは自分で判断できる。
午後は雷雨。
5mmほどの雹が身体に打ち付ける。
あと少しで終わるのに、簡単には終わらせてくれないのね。
16時、ビジターセンターに帰還。
走行距離はたいしたことなかったが、4日間フル稼働だったな。
天気はちょっと残念だったけど、シャトルバスでもなくキャンプ場でもなく、生身で体ひとつで、この大自然と向き合えた経験は宝物だ。
Fairbanks, Alaska, USA
23265km
2019年6月22日
デナリ国立公園 1
まずはビジターセンターで情報収集。
パークスハイウェイから国立公園内を西へ、148kmほどのパークロードがある。
起点から24kmのサベージ川以降は環境保護のため一般車の通行は制限されており、多くの人はシャトルバスを利用する。
自転車は通行可。
僕は終点近くのワンダーレイクまでの往復を3泊4日の旅程で行く。
パークロード沿いにいくつかのキャンプ場があるが、予約が必要。
(キャンプ場の予約はビジターセンターより手前のライリークリークで)
今はハイシーズンで、いきなり今日明日の予約を入れようとしても無理のようだ。
そもそも自分のペースでちょうどよさそうな場所にキャンプ場がないし、3泊とも野宿で行く。
野宿するにはパーミットが必要。
バックカントリーパーミット
キャンプ場以外の場所でキャンプするためのパーミット。
①DVDを見る。
日本語字幕もあり。
公園内での厳しいルールや安全の心得などが紹介されている。
②日取りと場所を決める
公園内は数十のエリア(ユニット)に区分けされており、どの日にどのユニットでキャンプするかをこの時点で決めなければならない。
ユニットも人数制限があり、ホワイトボードに現在の状況が書かれているので空きを見つけて選ぶ。
③申請用紙に記入
基本的な個人情報から、服の色やテントの色など、細かい質問に答えていく。
④誓約書にサイン
日本語の誓約書を用意してくれる。
20項目ほどのルールのおさらいをしてチェックしていき、サインする。
⑤パーミットタグをもらう
パーミットを得た証明としてテント用タグと自転車用タグをもらい、キャンプ時にそれぞれ取り付ける。
⑥ベア缶と呼ばれる食料保管ボックスの携行が義務付けられており、それを借りて完了。
パーミットは無料。
国立公園入園料も無料。
食費がクソ高くつく分、こういう経費を無料にできるのはありがたい。
公園内に店はなく、携帯の電波も入らない。
いざ出陣。
ウィリアムの家を出たのが遅かったのもあり、ここでの情報収集やパーミット取得に時間がかかってしまったのもあり、出陣したのはもう昼近くになっていた。
ビジターセンター周辺では、僕の自転車を見て多くの人が話しかけてくれた。
自転車旅行はポピュラーでめずらしくないはずだが、荷物の多さを見て長旅しているとわかるのか、励ましの言葉をかけてくれた。
ちょっと、いやかなり、見くびっていた。
初っぱなから長い長い登りで、標高1000mを越える峠。
その後もおよそ900~1300mほどの範囲でアップダウンがえんえん続くことになる。
起点から24kmのサベージ川で舗装道路は終了、これより先は未舗装となる。
路面の質は悪くないが、未舗装よりアップダウンの影響の方がはるかに大きい。
サベージ川から一般車の通行が制限され、すれ違う車はほとんどシャトルバス。
このシャトルバスが、けっこうな頻度で行き交う。
路面は中央の方が踏みならされているのでなるべく中央寄りを進みたいのだが、バスが来るたびに端に避けてやらなければならない。
バスは僕に砂埃を食らわせないよう、また安全のためか、減速したり場合によっては停止してくれたりする。
やさしいな。
でもやはりこの大自然で車のエンジン音は不快なものだ。
環境保護というなら電気化すればいいのに。
テクラニカ川からセーブル峠までが、パークロードで最も長い登りと思われる。
セーブル峠(標高1300m)。
標高は腕時計による計測なので正確ではない。
この時、20時。
キャンプ予定地はまだまだ先だ。
カリブー。
ようやく、この日のキャンプ地ユニット9のエリアに突入。
路上にユニットナンバーの標識はなく、無料でもらえる地図にも表記されていないので、ビジターセンターでユニットの地図の写真を撮っておく。
やっかいなことにルール上、キャンプ地は道路から0.5マイル(804m)以上離れたところで、かつ道路上からテントが見えてはならない。
どうしてこんなルールがあるのかと聞いたら、ここを訪れる人は素のままの自然を見に来ているので、テントが目に入ってしまうと景観を損ねるのだという。
それに大半のキャンパーはハイキングをしており、道路からはるか離れた山陰にテントを張る。
少数派のサイクリストは考慮されていない。
時々サイクリストを見かけるが、全員軽装備。
フル装備で来ている愚か者は僕以外いない。
荷物満載の自転車で道路から800m離れることがどれだけ大変なことか。
そして道路は崖の上につくられており、ユニット9はその眼下。
見晴らしが良すぎてどこにテントを張ろうが見えてしまう。
狙い目は、河原しかない。
川をしばらくジグザグ下っていって、一応死角になるであろう場所にテントを張った。
この時、22時。
スタートが遅かったとはいえ、こんなにオーバーワークしたことは今までなかった。
もうシャトルバスも運行してない、どうせ誰にも見られない。
クマ対策の観点からすると、視界の開けた広い場所にテントを張るべしと教わった。
でも道路から見えないようにするには、視界の開けていない狭い場所に張らざるをえない。
このふたつは両立できない。
テントの周辺もカリブーの足跡がいっぱい。
フンもいっぱい。
シカ系のフンはどれも団子状になるのね。
河原キャンプは久しぶり。
近くに無限の水が流れているというのはキャンプする上で何かと便利なものだ。
食料、ゴミ、歯磨き粉などはベア缶に入れて、テントから100ヤード(91m)離す。
テント、ベア缶、炊事場は互いに100ヤード(91m)離さなければならない。
DVDでも言っていたが、重要なのはクマの思考回路の中でテントと食料を結びつけさせないこと。
一度でもテントの中で食料を発見したら、そのクマは一生涯「テント=食料」と思考し、テントを襲い続ける。
自分を守るためだけでなく、後の被害者もつくらないようにしなければならない。
クマはとにかく鼻がきく。
1.5km先の匂いも嗅ぎつけるという。
これだけ脅されたら、さすがに怖い。
調理中はしょっちゅう後ろを振り返り、テント内にいる時はちょっと物音や鳴き声が聞こえただけでも外の様子をうかがってしまう。
でも疲れ切った身。
怖いのは起きているときだけで、眠りに落ちてしまえばぐっすり熟睡。
現在、日の出3:30、日没0:30。
日没後も、本当に日没したのかと疑うほど明るい。
冬には極夜となり、1日の大半が闇夜となる。
こういった環境で、動物たちはどういった時間感覚をもって1日のサイクルをとらえるのだろう?
クマも人間と同じ時間帯に寝てくれればキャンプ中に襲われる心配もないのだが。
僕は今もし時計を失ったら、今が昼なのか夜なのか、いつ寝ていつ起きるべきなのか、よくわからなくなりそうだ。
真偽は確認していないが、ウィリアムの話によると、過去にデナリ国立公園でクマに殺された人間はひとりだけ、その人は写真を撮るために不用意にクマに接近しすぎて殺された。
それぐらい無謀なことをしない限り殺られる可能性は低い、と自分を安心させておく。
Nenana, Alaska, USA
23171km
2019年6月17日
グレンハイウェイ ~ パークスハイウェイ
朝、いきなり道を間違えて往復13kmほどムダに走ってしまった。
夏の極地方のいいところは、日没を気にしなくていいことだ。
日没は23~0時、朝のスタートが遅れようが、どんなにのんびり進もうが、暗闇走行する心配はない。
グレンハイウェイ。
13年前は最初からハイウェイの路肩を走った記憶があるが、今は禁止されていて、歩行者自転車用の側道がつくられている。
お!?
走行開始初日にして、さっそくのお出まし。
しかも自転車道、僕の進行方向50mほど。
まだ若いのかな、サイズ小さめのブラックベア。
クマはハイウェイの方へ向かおうとしたが、車がバンバン走っている。
引き返して、フェンスの隙間を見つけて森へと消えていった。
こんなところへ出てきてしまって、怖かっただろうね。
新品のチューブで走り出したのに、さっそくパンク。
夏の極地方の嫌なところは、すさまじき蚊の猛襲。
パンク修理するにも、まずは虫除けスプレーしないと全身ボコボコにやられる。
服の上からも刺すし、頭も刺す。
アラスカからカナダにかけて、蚊との壮絶なバトルが繰り広げられる。
自転車道というのは、そのままずっと続いてくれるのならこの上なく快適なものだが、今まで毎度毎度裏切られてきた。
街中へ入ると、複雑なローカルロードへと導かれる。
標識があるうちはいいが、いつの間にか標識もなくなり、どっちへ進めばいいのやら惑わされ、ついに自転車道自体も消失。
結局ハイウェイへ。
都市圏を完全に抜けたら、ハイウェイは自転車通行可になるようだ。
他にルートはないのでここを走る以外ない。
時折街が現れ、スーパーやマクドナルドがちらほら見えたりしたが、次第に人口希薄になっていった。
この日のWARMSHOWERSのホストは、神父さん。
この辺りは、人口希薄な割に教会が数多くある。
信心深い人が多いようだ。
腹ペコで疲れきって、すぐにメシ食って休みたいところだったが、7~8人が集まって聖書の読み合わせみたいなのをやっており、僕も参加させられた。
ひとりの女性が、スマホを僕に手渡して見せた。
聖書アプリの日本語版で、「今ここを読んでるから」と教えてくれた。
どうもご丁寧に。
僕は宗教には少し関心があるし、聖書はちゃんと読んだことはないがキリスト教のエッセンスは何となくわかっているつもりだ。
でもそれはあくまで客観的に、他の宗教や文化や世界観と比較する上であって、本気でキリスト教を信じて他の価値観を認めず盲信的になっている人たちとは議論できない。
神父は進化論をきっぱりと否定し、この世のすべては神が創造し神によってデザインされていると断言した。
眠い。
それからひとりの男性が肩の痛みを訴えており、皆で彼の肩に手を当てて祈った。
これで治ると本気で信じているようだ。
キリスト教ってこんなシャーマンみたいなこともやるの?
神父の奥さんはとても世話好きな人で、手作りパン、手作りジャム、ピーナッツバターを僕に持たせた。
これは実にありがたい。
寝場所は教会の地下。
Wi-Fiこそないが、トイレ、シャワーなど必要なものは完備されている。
もう22時近くになっていただろうか、神父はギリギリまでジーザスの教えを僕に説き続けた。
寝させて。
ここでは宗教はビジネス、布教は営業、としか思えなかった。
パークスハイウェイ。
晴天に恵まれ、広い道路、完璧に調整された自転車をこぐ。
こんなに気持ちいいものはない。
はるか前方にデナリがそびえる。
北米最高峰(標高6190m)。
以前は「マッキンリー」と呼ばれていたが、2015年から「デナリ」が正式名称となった。
トラッパークリークのキャンプ場で1泊。
北米の人口希薄地帯では、小さな街や村は「~クリーク」(意味は「小川」)と名付けられていることが多く、GS、モーテル、キャンプ場、レストラン、売店が一箇所にまとめられているサービスエリアとなっている。
キャンプ場はUS$20が相場。
13年前はWi-Fiなんてなかったが、今はキャンプ場全域でWi-Fiが拾える。
ニューテント。
いきなりチャックが壊れた。
高いだけの粗悪品を買ってしまったようだ。
金だけたっぷりふんだくってあらゆるものが粗悪、というのはつい最近まで西アフリカで体験してきたことでトラウマになっていたが、北米でもこんなことがあるのか。
全体的にちゃっちいつくりで、耐水性も怪しい。
これからガッツリキャンプ生活が始まるというのに。
これは買い直しだな。
自炊は、今後スープスパゲティより米の比率を増やしたい。
米を食べたい。
米に合うおかずを調理しやすいよう、アンカレッジでフライパンを買った。
シャワーを浴びようとしたら、コイン投入式で、なんと12分US$4。
4ドル分のコインを投入しないと稼働しないようになっている。
血も涙もねえ。
シャワーなんて3分で終わらせるから、1ドルでも稼働するようにしてくれ。
シャワーがこんなに高くつくととわかっていたら、キャンプ場はやめて野宿を選んでいた。
少しずつデナリが近づき、輪郭も色合いもはっきりしてきた。
天気の不安定なアラスカで、連日デナリを拝めるなんてラッキーだ。
ムース。
これもサイズ小さめ、角も小さい。
でも野生動物との遭遇はやはりドキドキするものだ。
デナリビューポイント。
ドライバーたちはこのビューポイントで止まって写真を撮るが、僕はここよりも見晴らしの良い場所をいくつも見つけて路上で眺められる、サイクリストの特権。
トラッパークリークの先は150kmの無補給地帯。
アップダウンもややきつく、2日の行程で。
野宿。
食料の管理には細心の注意を払う。
天気崩れた。
白夜においては昼夜の寒暖差はそれほどでもないが、晴天時と曇天時の寒暖差は激しい。
少し標高が上がったせいもあるが、日中10~12℃。
キャントウェルのキャンプ場。
「ようこそ人間たち」
片田舎のキャンプ場にも、アメリカンサイズの巨大キャンピングカーがずらりと並ぶ。
こんなモンスターを個人で所有できる経済力と土地の広さ、改めてすごい。
中はマンションの一室のよう、すべてがそろった家同等の生活空間となっている。
13年前は、どうしてキャンプ場にバスが停まっているのだろう、としばらく首をかしげていた。
北米では、一般にキャンピングカーは「RV」(Recreational Vehicle)と呼ばれる。
ご存知と思うが、「キャンピングカー」は和製英語なので通じない。
キャンプ場は「RV PARK」。
RV PARKはRV専用というわけではなく、テントサイトもある。
日本人のイメージだと、キャンプといったらテントだが、ここではキャンプといえば圧倒的大多数がRV、テントはごく少数。
退職後の老夫婦が巨大なRVでドライブしながらキャンプ生活を楽しむ。
日本では考えられないことだが、ここではふつうの老後のライフスタイルだ。
ちなみにここのキャンプ場はシャワーは無料だった。
天気は下り坂と思いきや、また晴れた。
気持ちいい。
写真は撮れなかったが、キツネやウサギが道路を横断するのを見た。
デナリ国立公園への拠点となる街。
また曇った。
ホテル、キャンプ場、スーパー、アウトドアショップ、レストラン、ギフトショップなどがここに集中している。
デナリ国立公園に向けてスーパーで食料を買い込んだが、まあ物価の高いこと。
タマネギ一玉US$2もする。
数日分の食料をまとめ買いしたら、目が飛び出すような額になる。
でもガマンできず、アイスを買ってしまった。
US$4.95。
ボリュームは日本で売ってるこの手のアイスの1.5倍以上はある。
奥までぎっしり詰め込んでくれている。
奇しくもリベリアのスーパーで買ったあのガッカリアイスとまったく同じ値段。
この街の裏の森の中に、WARMSHOWERS宅がある。
ホストのウィリアムは、この家でひとりで暮らしている。
いかにもアメリカンな人柄で、初対面なのにあたかも長年の友人であるかのように親しげに話してくれる。
容赦のない早口英語でも、波長の合う人とはスムーズに会話ができる。
初めての弓矢体験。
意外に簡単に命中させることができて楽しい。
夜、そろそろ眠たくなてきた頃、ウィリアムが「ピザ食べたいか?」と聞いてきた。
「いや、さっき晩飯食べたからお腹一杯だよ。」
「タダだぞ。」
「タダ!?」
「隣のピザ屋からいつもタダでもらってるんだ。」
「そういうことならぜひ!」
「Are you hungy?」
「Yes I'm hungry!」
彼はものの1分で焼き立てピザを持ってきてくれた。
「全部食べていいぞ。」
やったー!!!
晩飯食べた後にピザ1枚軽くたいらげた。
収縮していた僕の胃袋、ぼちぼち本来の容量に戻りつつあるようだ。
※西アフリカビザ情報追記
「コートジボワールビザ in ビサウ」の投稿で、ガーナビザを取得するにはコートジボワールの90日マルチビザが必要と書いたが、現在それが無効になってしまったとの情報。
コートジボワールのガーナ大使館でガーナビザを取得するには、原則としてコートジボワールに居住する者にしかその資格が認められない。
今までは、旅行者ならコートジボワールの90日マルチビザを提示すれば居住者と同等の効力を持つとされていたが、それが認可されなくなってしまった。
なのでガーナに行きたければ、その辺のコートジボワール人と仲良くなってその人の家に住んでいることにしてもらうか、あるいは国境に行ってアライバルビザを試みるか、それでもダメなら他の国のガーナ大使館に行って模索するしかない。
僕は途中で気が変わって西アフリカはコートジボワールで終わらせてしまったが、もし続行するつもりだったら大変なことになっていたことだろう。
結局断念してどのみちコートジボワールで終了になっていた気がしてならない。
Denali, Alaska, USA
22806km
夏の極地方のいいところは、日没を気にしなくていいことだ。
日没は23~0時、朝のスタートが遅れようが、どんなにのんびり進もうが、暗闇走行する心配はない。
グレンハイウェイ。
13年前は最初からハイウェイの路肩を走った記憶があるが、今は禁止されていて、歩行者自転車用の側道がつくられている。
お!?
走行開始初日にして、さっそくのお出まし。
しかも自転車道、僕の進行方向50mほど。
まだ若いのかな、サイズ小さめのブラックベア。
クマはハイウェイの方へ向かおうとしたが、車がバンバン走っている。
引き返して、フェンスの隙間を見つけて森へと消えていった。
こんなところへ出てきてしまって、怖かっただろうね。
新品のチューブで走り出したのに、さっそくパンク。
夏の極地方の嫌なところは、すさまじき蚊の猛襲。
パンク修理するにも、まずは虫除けスプレーしないと全身ボコボコにやられる。
服の上からも刺すし、頭も刺す。
アラスカからカナダにかけて、蚊との壮絶なバトルが繰り広げられる。
自転車道というのは、そのままずっと続いてくれるのならこの上なく快適なものだが、今まで毎度毎度裏切られてきた。
街中へ入ると、複雑なローカルロードへと導かれる。
標識があるうちはいいが、いつの間にか標識もなくなり、どっちへ進めばいいのやら惑わされ、ついに自転車道自体も消失。
結局ハイウェイへ。
都市圏を完全に抜けたら、ハイウェイは自転車通行可になるようだ。
他にルートはないのでここを走る以外ない。
時折街が現れ、スーパーやマクドナルドがちらほら見えたりしたが、次第に人口希薄になっていった。
この日のWARMSHOWERSのホストは、神父さん。
この辺りは、人口希薄な割に教会が数多くある。
信心深い人が多いようだ。
腹ペコで疲れきって、すぐにメシ食って休みたいところだったが、7~8人が集まって聖書の読み合わせみたいなのをやっており、僕も参加させられた。
ひとりの女性が、スマホを僕に手渡して見せた。
聖書アプリの日本語版で、「今ここを読んでるから」と教えてくれた。
どうもご丁寧に。
僕は宗教には少し関心があるし、聖書はちゃんと読んだことはないがキリスト教のエッセンスは何となくわかっているつもりだ。
でもそれはあくまで客観的に、他の宗教や文化や世界観と比較する上であって、本気でキリスト教を信じて他の価値観を認めず盲信的になっている人たちとは議論できない。
神父は進化論をきっぱりと否定し、この世のすべては神が創造し神によってデザインされていると断言した。
眠い。
それからひとりの男性が肩の痛みを訴えており、皆で彼の肩に手を当てて祈った。
これで治ると本気で信じているようだ。
キリスト教ってこんなシャーマンみたいなこともやるの?
神父の奥さんはとても世話好きな人で、手作りパン、手作りジャム、ピーナッツバターを僕に持たせた。
これは実にありがたい。
寝場所は教会の地下。
Wi-Fiこそないが、トイレ、シャワーなど必要なものは完備されている。
もう22時近くになっていただろうか、神父はギリギリまでジーザスの教えを僕に説き続けた。
寝させて。
ここでは宗教はビジネス、布教は営業、としか思えなかった。
パークスハイウェイ。
晴天に恵まれ、広い道路、完璧に調整された自転車をこぐ。
こんなに気持ちいいものはない。
はるか前方にデナリがそびえる。
北米最高峰(標高6190m)。
以前は「マッキンリー」と呼ばれていたが、2015年から「デナリ」が正式名称となった。
トラッパークリークのキャンプ場で1泊。
北米の人口希薄地帯では、小さな街や村は「~クリーク」(意味は「小川」)と名付けられていることが多く、GS、モーテル、キャンプ場、レストラン、売店が一箇所にまとめられているサービスエリアとなっている。
キャンプ場はUS$20が相場。
13年前はWi-Fiなんてなかったが、今はキャンプ場全域でWi-Fiが拾える。
ニューテント。
いきなりチャックが壊れた。
高いだけの粗悪品を買ってしまったようだ。
金だけたっぷりふんだくってあらゆるものが粗悪、というのはつい最近まで西アフリカで体験してきたことでトラウマになっていたが、北米でもこんなことがあるのか。
全体的にちゃっちいつくりで、耐水性も怪しい。
これからガッツリキャンプ生活が始まるというのに。
これは買い直しだな。
自炊は、今後スープスパゲティより米の比率を増やしたい。
米を食べたい。
米に合うおかずを調理しやすいよう、アンカレッジでフライパンを買った。
シャワーを浴びようとしたら、コイン投入式で、なんと12分US$4。
4ドル分のコインを投入しないと稼働しないようになっている。
血も涙もねえ。
シャワーなんて3分で終わらせるから、1ドルでも稼働するようにしてくれ。
シャワーがこんなに高くつくととわかっていたら、キャンプ場はやめて野宿を選んでいた。
少しずつデナリが近づき、輪郭も色合いもはっきりしてきた。
天気の不安定なアラスカで、連日デナリを拝めるなんてラッキーだ。
ムース。
これもサイズ小さめ、角も小さい。
でも野生動物との遭遇はやはりドキドキするものだ。
デナリビューポイント。
ドライバーたちはこのビューポイントで止まって写真を撮るが、僕はここよりも見晴らしの良い場所をいくつも見つけて路上で眺められる、サイクリストの特権。
トラッパークリークの先は150kmの無補給地帯。
アップダウンもややきつく、2日の行程で。
野宿。
食料の管理には細心の注意を払う。
天気崩れた。
白夜においては昼夜の寒暖差はそれほどでもないが、晴天時と曇天時の寒暖差は激しい。
少し標高が上がったせいもあるが、日中10~12℃。
キャントウェルのキャンプ場。
「ようこそ人間たち」
片田舎のキャンプ場にも、アメリカンサイズの巨大キャンピングカーがずらりと並ぶ。
こんなモンスターを個人で所有できる経済力と土地の広さ、改めてすごい。
中はマンションの一室のよう、すべてがそろった家同等の生活空間となっている。
13年前は、どうしてキャンプ場にバスが停まっているのだろう、としばらく首をかしげていた。
北米では、一般にキャンピングカーは「RV」(Recreational Vehicle)と呼ばれる。
ご存知と思うが、「キャンピングカー」は和製英語なので通じない。
キャンプ場は「RV PARK」。
RV PARKはRV専用というわけではなく、テントサイトもある。
日本人のイメージだと、キャンプといったらテントだが、ここではキャンプといえば圧倒的大多数がRV、テントはごく少数。
退職後の老夫婦が巨大なRVでドライブしながらキャンプ生活を楽しむ。
日本では考えられないことだが、ここではふつうの老後のライフスタイルだ。
ちなみにここのキャンプ場はシャワーは無料だった。
天気は下り坂と思いきや、また晴れた。
気持ちいい。
写真は撮れなかったが、キツネやウサギが道路を横断するのを見た。
デナリ国立公園への拠点となる街。
また曇った。
ホテル、キャンプ場、スーパー、アウトドアショップ、レストラン、ギフトショップなどがここに集中している。
デナリ国立公園に向けてスーパーで食料を買い込んだが、まあ物価の高いこと。
タマネギ一玉US$2もする。
数日分の食料をまとめ買いしたら、目が飛び出すような額になる。
でもガマンできず、アイスを買ってしまった。
US$4.95。
ボリュームは日本で売ってるこの手のアイスの1.5倍以上はある。
奥までぎっしり詰め込んでくれている。
奇しくもリベリアのスーパーで買ったあのガッカリアイスとまったく同じ値段。
この街の裏の森の中に、WARMSHOWERS宅がある。
ホストのウィリアムは、この家でひとりで暮らしている。
いかにもアメリカンな人柄で、初対面なのにあたかも長年の友人であるかのように親しげに話してくれる。
容赦のない早口英語でも、波長の合う人とはスムーズに会話ができる。
初めての弓矢体験。
意外に簡単に命中させることができて楽しい。
夜、そろそろ眠たくなてきた頃、ウィリアムが「ピザ食べたいか?」と聞いてきた。
「いや、さっき晩飯食べたからお腹一杯だよ。」
「タダだぞ。」
「タダ!?」
「隣のピザ屋からいつもタダでもらってるんだ。」
「そういうことならぜひ!」
「Are you hungy?」
「Yes I'm hungry!」
彼はものの1分で焼き立てピザを持ってきてくれた。
「全部食べていいぞ。」
やったー!!!
晩飯食べた後にピザ1枚軽くたいらげた。
収縮していた僕の胃袋、ぼちぼち本来の容量に戻りつつあるようだ。
※西アフリカビザ情報追記
「コートジボワールビザ in ビサウ」の投稿で、ガーナビザを取得するにはコートジボワールの90日マルチビザが必要と書いたが、現在それが無効になってしまったとの情報。
コートジボワールのガーナ大使館でガーナビザを取得するには、原則としてコートジボワールに居住する者にしかその資格が認められない。
今までは、旅行者ならコートジボワールの90日マルチビザを提示すれば居住者と同等の効力を持つとされていたが、それが認可されなくなってしまった。
なのでガーナに行きたければ、その辺のコートジボワール人と仲良くなってその人の家に住んでいることにしてもらうか、あるいは国境に行ってアライバルビザを試みるか、それでもダメなら他の国のガーナ大使館に行って模索するしかない。
僕は途中で気が変わって西アフリカはコートジボワールで終わらせてしまったが、もし続行するつもりだったら大変なことになっていたことだろう。
結局断念してどのみちコートジボワールで終了になっていた気がしてならない。
Denali, Alaska, USA
22806km
場所:
アメリカ合衆国 アラスカ州
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