2018年6月18日

タクフォン



イスラム色が弱くても、女性のガードはやはり堅い。
道端でフルーツを買って、「写真撮らせて」と言うと女性は嫌がって隠れてしまい、結局男だけの写真になってしまう。


イスラム圏で女性が撮影を拒む明確な理由って何だろう?
コーランにそんなこと書いてあるわけないし、女性同士とか家族同士ならふつうに撮影してる。
相手が見知らぬ男だからか、でも会話はしてくれても撮影だけはNGな理由がわからない。
宗教は関係ないのかな。









峠を越えようとしたが、水と食料が足りない気がして途中で引き返し、タクフォンというふもとの村まで下った。
もういっそここで泊まってしまおうか、ホテルはないけど何とかならないものか、村人に聞いてみたら家に泊めさせてくれた。



いきなりやってきた外国人を躊躇なく迎え入れてくれた。
家は広く、庭で野菜を育てていたり木に果物が成っていたり、子供は5~6人、いやもっといるかもしれない。



わざわざ僕のためにナンを焼いてくれた。


自家製焼き立てナンの威力。

しかし、まるで我が子のように僕をもてなしてくれたこのお母さんが僕と同い年であるという現実に少々かなり動揺を隠しきれないでいる。



長男のナシムジョン、22歳。


すっかり忘れていたが、まだラマダン中。
ナシムジョンは僕に食べ物や飲み物を勧めても、自分は一切口にしない。
ゆるい中央アジアでも、断食している人は決して少なくはないようだ。

彼は仕事はせず、ずっと家にいる。
仕事をしているのはお父さんだけ、この大家族を一体どうやって養っているのか。



タクフォンは人口100人ほどの小村。
その辺を歩いている人はだいたい知り合い。
ナシムジョンは人と出くわすたびに立ち止まって話をする。
何を話しているのかはさっぱりわからない。

タジキスタンの人口は870万人、80%がタジク語を話す。
中央アジアの言語はどこも似たようなものと思いきや、他の中央アジア諸国の言語がトルコ語系であるのに対して、タジク語はペルシャ語系。
タジキスタンはイランと隣接していないので不思議に思えるが、ペルシャ帝国時代は現在のイランからアフガニスタン、タジキスタンにかけてペルシャの領土であったので、この3国には言語に共通性がある。
文字は他の中央アジア諸国と同様、キリル文字。
旧ソ連だったので、多くの人がロシア語も話す。

ディナー。








なんだかんだで3泊もしてしまった。




Dushanbe, Tajikistan