2018年5月28日

イラン高原 7

向かい風。
前日までほぼ無風で穏やかな日が続いていたのに、ちょうど出発日から向かい風。
イランよ、そんなに僕を引き止めたいのか。

マシュハドの都市部を抜けると牧草地帯。

路肩に停車していたトラックのドライバーが僕に手を振ってきた。
見おぼえのある白人、と思ったらトルクメニスタン大使館で出会ったオランダ人だった。



彼はこの、1980年製メルセデスのキャンピングカーで大陸横断をしている。
車の中で茶菓子をごちそうになり、小一時間話をした。

オランダから日本へ行き、日本から貨物船で太平洋を越えて、南北アメリカ大陸を縦断する。
彼はまだビザ待機中で、人里離れたところでキャンプ生活をしている。





通りすがりのドライバーからキウイをいただいた。


風はますます強くなってきた。
思いっきり真向かいから吹き付けて来やがる。
なんて憎ったらしい。

峠の少し手前に現れた小さな街。
消防署の前に、荷物を積んだ自転車が停まっているのが見えた。
おそらくここで1泊するつもりなのだろう。
よし、僕も便乗してみよう。



消防署の中に入ってみると、スイス人の女性がいた。
スイスからモンゴルへ向かっている。

彼女は建物内の一室に泊まり、僕は敷地内にテントを張らせてもらうよう頼んだら許可をもらえた。



シャワーも浴びて、洗濯もできて、申し分ない。

スパゲティをゆでて食べ始めた時に、消防隊員が晩飯を差し入れてくれた。


さすがに食べきれない、これは朝飯にまわすことにした。
しかしなんていい人たちなのだろう。

その後、風は予想をはるかに上回るほど猛烈に荒れまくった。
いやー、野宿しなくてよかった。
道路下のトンネルでも、このレベルの風だったらメチャクチャにされていただろう。

翌朝、けっこう登ったと思ったけど標高たった1000mの峠。


イラン最後の峠。
これを下ったら高原走行は終了。
その後はしばらく平地が続く。

下り途中、スイス人に抜かれた。


はえーな。
僕と同年代ぐらいか、あるいは年上に見えたけど。







標高300mまで下って、国境の街サラフスに到着。
明日、国境を越える。

イランリアル。





Sarakhs, Iran

3282km



2018年5月27日

トルクメニスタンビザ取得 in マシュハド

申請から11日目。
どうせ今日もダメなんだろ、と若干ふてくされながら大使館へ行ってみたらもらえた!

受け取りは通常16時、混雑していなければ12時。
土曜日は忙しいから16時だろうとバリに言われたが、朝9時に行ったらその場ですぐつくってくれた。
他の旅人から、顔写真とパスポートコピーがさらにもう1枚必要だと聞いていたが、僕は支払いだけですんだ。

必要なもの
・パスポート
・US$55(2010年以降のきれいな50ドル紙幣と5ドル紙幣)

折り目がある紙幣はダメ。
破れ、汚れ、落書きなどがある紙幣もダメ。
きれいな状態でも2010年以前の紙幣はダメ。
20ドル紙幣とか10ドル紙幣など他の紙幣の組み合わせもダメ。
モンゴルで出会った日本人からそのことを聞いていたので、だいぶ前から用意し、折れたりしないように大事に保存しておいた。
僕のは2013年製のほぼ新札といっていい状態で、係員は入念にチェックしていたが無事パス。

条件をすべてクリアして、11日も待たせておいて、取得できるのは5日間のトランジットビザのみ。
陸路旅行でトランジットとは何ぞや?
理解に苦しむがオーバーランダーたちは皆同じ、5日間でトルクメニスタンを突っ切らなければならない。

5月24~28日の滞在で指定していたが、今日はもう26日。
申請した指定日は変更できないという話も聞いていたが、さすがに今から出発して28日までに出国するのは不可能なので、変更できた。
イランビザを延長したので急ぐ理由はない、5月29日~6月2日の5日間で指定しなおした。

近年、中央アジアはビザフリー化が進んでいる。
以前はビザが必要だったカザフスタンとウズベキスタンは不要になった。
タジキスタンはオンラインで簡単にビザ取得できるようになった。
残るトルクメニスタンだけがいまだ閉鎖的。
昔の旅人情報を読むと、これでもいくらかマシになってきた感はあるが。
閉鎖的、厳格にするのはいいが、可なら可、不可なら不可、パパっと迅速に処理してもらいたいものだ。
まったく、人の時間を何だと思っているのか。

宿に戻ると、バリは我が事のように喜んでくれた。
無邪気なじいさんだ。

余ったリアルをドルに戻さなければならない。

イラン入国当時の闇レートは、
US$1=5万3000リアル。
イスファハーンにいた頃は、
US$=5万5000リアル。
今は、
US$1=6万3000リアル。

今イランに入国した人はとてもお得だと思う。
今リアルをドルに戻す僕は愚かというほかない。
でもなんだかんだでマシュハドで散財したので、それほど莫大な額を残さずにすんだ。

バリに両替してもらった。
彼は計算が苦手なのか、支払いの時もいつも僕に計算をまかせて、渡した紙幣を確認もせずにポケットにしまいこむ。
「日本人は正直だから信頼する」と。
そりゃチョロまかしなんかしませんよ。

最後の晩餐。


明日、ここを発つ。
国境まで200kmあるので2日かけて行き、29日の朝にトルクメニスタン入国予定。


Mashhad, Iran



2018年5月25日

マシュハド 2

昨日、トルクメニスタン大使館に行ったがやはり2~3日後にまた来るようにと言われた。
2~3日後と言われても金曜日は休みなので最短でも土曜日。
土曜日もダメだったら日曜日は休みなので次の可能性は月曜日。

大使館にいる係員に何を言っても何を聞いてもムダ。
おそらくどこかでパスポート情報を照会中で、コンピュータ上でOKサインが出ない限り係員にはどうすることもできない、という状況なのだと思う。
トルクメニスタンビザが最悪と言われる所以がだんだんわかってきた。

周りの人には口に出して言わないようにしているが、ここでは思い切って言ってしまおう。

ヒマだ!!!

天気は連日快晴。
でもマシュハドで街歩きしても何もおもしろくない。
宿で一日中ディスプレイを見つめているだけ。
廃人になりかけている。

バリが見かねて、日帰りツアーを組んでくれた。
新たにやってきた香港人と一緒に。

市街から40kmほど、キャンという村。


ラダックを彷彿させる景観。































これでUS$20という割高ツアー。
しかも途中のチャイやランチは自ら注文したわけでもないのに、別料金でその都度徴収された。
しかもバリもその息子も飲食したのに、全額僕と香港人で負担したっぽい。
事前の説明もなく、自分の意志とは無関係に追加料金を請求されると、なんだかアフリカを思い出してしまって、信頼関係が崩れる。
気持ちここをよく去りたいので、文句を言うのはこらえた。
なんにしても、僕はこの手のツアーで満足できたためしがないので、向いてないのだと思う。

明日、またトルクメニスタン大使館に行ってみる。
さんざん待たされた挙句にビザがもらえないというケースもあるようなので、最悪の事態に備えてあらゆるプランを練っておく。


Mashhad, Iran



2018年5月22日

イランビザ(アライバルビザ)延長 in マシュハド

トルクメニスタン大使館、2~3日後にまた来るようにとのこと。

ガッカリ。

僕のイラン滞在許可は5月24日まで。
2日後の24日にトルクメニスタンビザをもらえたとしても、国境まで200kmあるので間に合わない。
しかも本当に2~3日後にもらえるという確証もない。

そんなわけで、イランビザ延長。

マシュハドのパスポートオフィスには英語を話せない人が多いようなので、バリがペルシャ語でレターを書いてくれた。
これこれの事情でビザを延長させてくださいという内容。


宿からパスポートオフィスまで6km。
ちょうどバリもその近くで用事があるので一緒に行こう、と。
近所のヒマそうなおじさんにいくらか払って、車で連れて行ってもらった。

マシュハドに来た翌日、外出する時は長ズボンを履くようにとバリから注意されたので、僕はそれを守っている。
パスポートオフィスなどでもラフな格好は望ましくなく、上下とも長袖で行った。

パスポートオフィス


受付時間
土~水 7:00~13:30
これはラマダン中の受付時間、通常はこれより1時間遅いらしい。

必要なもの
・パスポート
・パスポートコピー (顔写真ページ2枚、入国スタンプページ2枚)
・34万5000リアル

コピー屋はパスポートオフィスの近くにある。
Eビザの場合、入国時にもらったビザ情報が書かれた紙も一応持っておいた方がいい。

敷地内はスマホ持ち込み禁止、受付で預ける。
入口の受付の男性は英語を話せて、親切に教えてくれた。

1.
「FORM」の窓口で申請用紙をもらう。
ペルシャ語表記なので、英語を話せる受付係員に記入してもらう。

2.
建物内、奥に座っている係員に向かう行列に並ぶ。
列は男女別になっている。
並んでいる人たちのパスポートをチラ見したらアフガニスタン人とかイラク人とか、あと中央アジアっぽい顔つきの人もいた。
僕はここで1時間待った。
係員は英語がまったく話せない人だったので、バリが書いてくれたレターを見せた。
係員は申請用紙にペルシャ語で何やら書き、ペルシャ語で僕に何か言ったがわからなかったので、受付に戻って英語が話せる係員に聞いた。
この申請用紙を持って銀行へ行けとのこと。

3.
銀行


銀行はパスポートオフィスから400m。
番号札を取って待つが、数字もペルシャ文字なので自信ない。
バリが用事を終えて戻ってきて、ここでも助けてくれた。
34万5000リアル(908円)払って、領収書をもらう。

4.
パスポートオフィスに戻り、また「FORM」の窓口で領収書を見せて、よくわからない紙をもらう。

5.
建物内の窓口9~11のいずれかでパスポートと書類をそろえて渡す。

6.
呼ばれたら、パスポートを受け取って、完了。

これで15日間の延長に成功。
所要2時間半。

忙しくない時期だったのか何なのかわからないが、僕は特別扱いされたっぽい。
通常はもっと面倒な書類を作成して(他の人たちは顔写真を貼ってファイルにまとめていた)、窓口の向こうのデスクにはパスポートとファイルが山積みになっていて、パスポートはホールドされて翌日受け取れるらしい。
マシュハドでビザ延長したという日本人の情報を読んでみても、そんな感じだった。
所要2時間半でも十分ストレスフルだが、僕は相当ラッキーだったようだ。

ともあれ、明確にわかったこと。
・アライバルビザでも延長できる。
・イスラエル渡航歴があっても延長できる。
・ビザ期限の2日前でも延長できる。

もちろんビザ状況は流動的だし、こちらの態度や服装が悪いと係員の対応も変わるかもしれない。

ノーマルビザの場合、30日の延長を複数回できるらしい。
アライバルビザは15日の延長1回のみ。

ちなみに、1日オーバーステイした場合の罰金はビザ延長料金と同額らしいので、1日超過ぐらいだったらわざわざビザ延長しない方がいい。
それ以上の超過にどんな罰則があるのかは知らない。
罰金では済まないペナルティがある可能性もあるのでこういうリスクは避けたい。

2時間半、バリと運転手のおじさんは待ってくれていた。
僕は運転手に最初の言い値より多く払い、バリにもチップをはずんだ。
バリの助けがなかったらもっと苦戦していたと思う。

今日トルクメニスタンビザをもらえなかったのは悔しいが、ビザ延長をこなせたことでひとつ肩の荷が下りた。




Mashhad, Iran



2018年5月21日

マシュハド 1

マシュハドでは安宿の選択肢があまりなく、長期旅行者はここに集まる。


ドミトリー1泊US$10。
リアルで支払うと1泊62万リアル(1634円)と非常に割高。





オーナーのバリじいさんはとてもわかりやすい英語を話し、いつも礼儀正しく丁寧に客をもてなしてくれる紳士だ。
ホテルでもなくホステルでもなく、「HOMESTAY」と名付けているところにも彼の人柄が表れている。
実際ここは彼の家で、奥さんと娘さんもここで生活している。

ビザ情報に精通していて、相談すれば丁寧にアドバイスしてくれる。
しかもトルクメニスタン大使館まで750mという好立地。

僕のアライバルビザは延長できるだろうかと聞いてみたら、「その時はペルシャ語でレターを書いてあげよう」と言ってくれて、頼もしい人だ。

また日本人びいきで、あいさつ程度の日本語を話せる。
ドイツ語とフランス語も話せる。





テヘランで出会い、イスファハーンで再会した香港人のロンと、またもや再会した。
マシュハドに到着する日時も宿もお互い知らせていなかったのに、まったく同じ日に同じ宿でバッタリ。

マシュハド唯一の見どころである聖地イマーム・レザー廟に行こうと誘われた。
僕は気が進まなかったが(だって短パンだから)、一緒に行くことにした。



入口のゲートで警備員が立っていた時点で僕は帰りたくなった。
ここはムスリムが巡礼に来る聖地であり、外国人はまずゲートで止められる。
短パンをズリ下げて、スネが少しでも隠れるようにした。
ふつうのモスクでも入らないように自粛しているのに、こんな由緒ある聖地に短パンで来てしまって本当に申し訳ない。

ちなみにトルクメニスタン大使館に行った時は、上下とも長袖のインナーを着ていった。
でも大使館員は僕の服装などまったく気にしていない様子だった。

いろいろ質問された後、英語を話せる人が来て、その人についていくという条件で入場が許可された。
非ムスリムは立入禁止というわけではなく、ガイド付きのちょっとした見学ツアーという形で歓迎されるようだ。

カメラやライターその他危険物の持ち込みは禁止。
スマホの持ち込みは可、ガイドが許可した時のみスマホでの撮影可。
敷地は広大で美しく、制限がなければ皆撮りまくると思う。





流暢な英語を話すここの聖職者たちも、日本人だと答えただけで目を輝かせる。
日本のヒーターはグレートだ、車もグレートだ、ハヤオ・ミヤザキもグレートだ、と。
僕自身は何もしていないのに絶賛されまくって変な気分になる。



通りすがりの巡礼者のおじさんから「ニホンジン?」と声をかけられた。
80~90年代に日本に15年住んでいたという、流暢な日本語を話す人だった。
「オレの日本語はどうだ? まだ忘れないよ。」
「こっちの人は日本人じゃないが、あんたは日本人だなって、見てわかったよ。」
「オレは毎晩トルコのビール飲んでるけど、アサヒスーパードライが恋しいよ。」
「東京じゃよく六本木に行ってナンパしたぜ。」
などなど、隣に奥さんいたのだが日本語わからないのをいいことに、ぶっちゃけてくれた。
「テヘランの空港近くに住んでるんだ。テヘランに来たらウチに泊まりに来な。」
と言ってくれた。
こんな人の家に泊まれたら楽しそうだが、残念。
「歳はいくつだ? なんで結婚しない? ひとりはよくないよ。イランの女はどうだ? 結婚しなよ。」
と、くどくど言いながら去っていった。

翌日。
ラマダンが始まった。
この日になって初めて知って、愕然とした。

パキスタン以来、僕にとって2度目のラマダン。
ラマダンとは、イスラム暦(太陰暦)の毎年9月に1ヶ月間おこなわれる断食。
日中は飲食禁止、喫煙や性行為も禁止。
日没後は解禁。

イスラム教徒は世界で16億人いるといわれている。
世界の人口の5人に1人が現在断食中ということである。
ただし、幼児、妊婦、病人、旅行者にはその義務はない。

ビザ待ちでしばらくここに滞在しなければならないというのに、ラマダンか。
日中はレストランはすべて閉まっている。
スーパーで食料を買うことはできるが、旅行者でも外でおおっぴらに飲食するのはよろしくないので、宿でこっそりと食べる。

幸い、ケーキ屋が開いていた。


宿では、トルクメニスタンから来た日本人も何人かいて、情報交換できた。

サイクリストもいた。
ロンドンから日本へ向かうアイルランド人。


キャンピングカーで旅しているスイス人一家。


こんな小さな子供2人も連れて、これからトルクメニスタンに行くという。
子供が生まれる前は車でアフリカ一周したこともあるという、たくましい夫婦。

オーダーすれば、US$5でディナーをつくってくれる。

これは独特のねっとり感ですごくおいしい。




いや、すごくうまい。
レストランのメニューにはこんなものない、まるで別物じゃないか。
こんなにガツガツモリモリむさぼったのはイランでは初めてかもしれない。



バリと娘さん。


昼はケーキ屋に行くのが日課になった。


宿の近くにアウトドアショップが何軒かあり、OD缶を買った。
カセットコンロはバリに譲った。
とても喜んでくれて、ライスプディングをつくってくれたり、ディナーを無料にしてくれたりした。
律儀な人だ。



ケーキに飽きたらフルーツ。


僕はここのディナーがすっかり好きになり、毎晩オーダーするようになった。



白いのはヤギのミルクでつくったヨーグルト。



ノンアルコールビールというものを初めて飲んだ。
ふつうのビールとの違いは僕にはわからない。

ネバネバした食感のものが多いというのは興味深い。
我々日本人もネバネバ大好きだ。



バリは他の旅行者に言う。
「多すぎて残してしまっても気にしないで。リョウが全部食べてくれるから、ハハハ。」

旅を始めて3ヶ月。
推定で体重10kgぐらいは落ちた。
お腹ぺったんこ。
こんなすばらしい家庭料理出されたらそりゃスイッチ入りますよ。

また失敗してしまった。
リアルがだいぶ余ってしまった。
宿代もリアルで払い、買い物もたくさんしたけど、それでも余る。
思ってた以上にイランでは金を使わなかった。
イランでトルクメニスタンの通貨マナトは入手できないそうなので、ドルに戻すしかない。
ドルからリアルに両替するのは歓迎されるが、この不安定で貧弱な通貨リアルをドルに両替するのは非常にレートが悪い。
けっこうな大損になりそうだ。
つくづく僕はお金のやりくりがヘタだ。

明日、トルクメニスタン大使館に行ってみる。
通常は受け取りは16時だが、今は忙しくないので12時に受け取れる、と今日去っていったイギリス人が言っていた。
僕もうまくもらえれば、明日の昼には出発する。


Mashhad, Iran