2019年5月29日

リベリア 1

リベリア。


1820年、アメリカで解放された奴隷88人がニューヨーク港から船で西アフリカへ帰還し、国を築いた。
憲法や政治形態はアメリカに倣い、国名は「自由」を意味する「liberty」から「リベリア」となった。
1847年独立。
アフリカではエチオピアに次いで二番目に早く独立した歴史ある国、の割に知名度低い。
アメリカからの多大な援助があったにもかかわらず、腐敗政治、クーデター、内戦などによって経済は悪化の一途をたどった。
隣国のシエラレオネはイギリスによって、そしてリベリアはアメリカによって、奴隷制度を終焉させて自立へと導かれたわけだが、両国ともにアフリカでも特に貧しい、最貧国のひとつ。

公用語は英語。
コンセントはマルチタイプで、日本の電化製品もそのまま使える。

通貨はリベリアドルだが、USドルも流通している。
ホテルやスーパーではUSドルで料金表示される。

国境の街で1泊。




村を歩いている時も、この写真を撮っている時も、遠方から「チンチョーン!」と聞こえてくる。







宿は現地の人にしかわからないような場所にあり、人に聞いて案内してもらった。


電気は夜間のみ、水道はなくバケツ水。
料金を聞いてみたら、
「US$30」
冗談だよね?
大マジらしい。
もちろんWi-Fiなし、エアコンなし、冷蔵庫なし、朝食なし。
典型的なアフリカの不便な宿で、US$30!?
値引き交渉してみたが、電気を起こすジェネレーターの燃料をシエラレオネ側から取り寄せており、その燃料代がバカ高いので値引きはできない、リベリアではUS$30は決して高くはない、ときっぱり言われた。
この国もメチャクチャだな。
シエラレオネの宿代は西アフリカでは比較的リーズナブルだったので油断していた、ここに来て強烈なパンチを食らった。

この日も風がなく、庭で座って電気がつくのをじっと待つ。
電気は18時からと言われたが、アフリカ人の言うことを真に受けてはいけない。
宿のオーナーの息子がジェネレーターを発動させるのに手間取っているようだ。
父権的というのだろうか、オーナーは何をするにもいちいち大声で息子を呼びつけてやらせ、小間使いのように従えている。

とにかく暑くて暑くて、何もする気になれず、庭でオーナーと話をした。
リベリア人の英語も相当なクセがある。
最低限のやり取りはできるのでフランス語よりは楽だが。
特にここのオーナーの英語は、日本語でたとえるなら津軽弁並みで、今まで聞いたことのない独特のアクセント。
発音だけでなく単語のチョイスや言い回しも奇妙で、ついていけない。
しかし彼は自分の英語が相手に伝わっているはずだと思いこんで疑わず、かまわずしゃべり続ける。
逆に、僕の英語は彼に全然伝わらない。
彼にとっては僕の英語が津軽弁なのかもしれない。
僕が何か言うたびに彼は「あ?」と聞き返す。
中国や東南アジアでも日々「あ?」と言われたっけ。
僕は相手の言うことが聞き取れなくても絶対「あ?」なんて言わない。

19時半、ようやく電気がついた。
速攻で部屋に行き、扇風機を全開フルパワー。
水浴びをして、ベッドに横たわり、ようやくリラックス。
やっぱこういう時間は必要だな。
前日は悪夢の一夜だったこともあり、目を閉じるとそのまま深い眠りに落ちた。

翌朝、6時に電気が止まった。
扇風機が止まると同時に耐え難い暑さとなり、すみやかに荷物をまとめて出発した。



道路はきれいに舗装されている。
アップダウンも緩い。
国境から首都モンロビアまで130kmあるが、これならいける。

交通量は少ないが、時々通過する車やバイクがもれなくきっちりクラクションを鳴らしてくる。
いつまでも成長しない痴呆どもめ。

所々に休憩所があるのはありがたい。

所々に検問があるのはありがたくない。
「どこから来た? どこへ行く? モンロビア? モンロビアのどこだ? ホテル名は? ホテルの住所は?」
だからさ、いいかげんノートに記入っていうのを卒業してさ、ちょっとは頭使って効率化簡略化してくれないかな。
偉そうに尋問してくるけど、この不毛な質疑にウンザリしているこっちの気持ちを考えたことがあるだろうか。

「What's your purpose?」(おまえの目的は何だ?)
「What's your mission?」(おまえの任務は何だ?)
「What are you doing here?」(おまえはここで何をしている?)
検問だけでなくその辺の人からもよくされる質問。
初対面でこういった不躾な質問をしてくるのもアフリカならでは。
僕なんかどこからどう見たって旅行者なんだけど、かれらには旅行という概念が希薄のようだ。
アフリカの人は、旅行したいという願望もないのだろうか。
明確な用事や職務でもなければよその場所へ行ったりしないのだろうか。
かつて人類はアフリカから別大陸へ移動したことから人種の多様化が始まった。
しかし現在、大先輩であるアフリカ人は移動をやめてひとつの場所にとどまり、よそからやってきた後輩を不思議そうな目で見つめる。

「以前は日本人のボランティアをよく見たけど最近はすっかりいなくなった、なぜだ?」
という質問もされた。
さあ、撤退したんじゃないすかね。



日の丸が描かれた看板もよく見るが、それよりも圧倒的に「USAID」と書かれた看板が多い。
今はアメリカも撤退したっぽいけど。



いろいろ不便は多いけど、やはり英語が通じるというのはいい。
田舎街で買い物するにもやり取りに困らないし、会話もできる。



シエラレオネ以来、毎日雨が降る。
こう暑いと、いっそずぶ濡れになって身体を冷やしたいし、自転車にこびりついた泥も流したいところだ。




Danane, Côte d'Ivoire

22071km