川の対岸、アフガニスタンの村が見えてきた。
全域で最高レベルの退避勧告が出されているアフガニスタン。
旅行者が立ち入れるような状況ではないらしい。
でも対岸に見える農村は平穏そのもの。
川幅は、狭いところだと100m以下。
サッカーをする少年たちの声も聞こえる。
「インドとの交易ルートを死守しようとするイギリス vs 南下して勢力を拡大しようとするロシア」
アフガニスタンはこの二大国がぶつかる緩衝地帯となり、侵攻を許しては抵抗し、を繰り返してきた。
イギリスがインドから手を引いた後は、アメリカがインド洋に進出してソ連の南下を阻止すべく睨みを利かせてきた。
1979年のイラン革命は、隣国のアフガニスタンにも大きなインパクトを与え、イスラム政権の樹立へと駆り立てた。
ソ連は、その影響が自国のイスラム圏に飛び火して分離独立運動を引き起こすと懸念し、アフガニスタンに侵攻した。
ソ連軍の侵攻は、アフガニスタンのイスラム過激派に火をつけ、オサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダを生み出した。
このアルカイダをバックアップしたのが、アメリカのレーガン政権。
敵の敵は味方ということで、ソ連と戦う者であればテロ組織であれゲリラであれ支援するのがアメリカ。
アルカイダはアメリカ製の武器でソ連と戦い、勝利した。
ソ連崩壊後、反政府軍のタリバンが頭角を現し、みるみる勢力を拡大してアフガニスタンの国土の大半を実効支配するに至った。
2001年9.11テロ後。
ブッシュ政権はテロの主犯をビン・ラディンと断定し、身柄の引き渡しを要求したがタリバンはこれを拒否、アメリカはアフガニスタンに侵攻した。
タリバンは崩壊し、新政権樹立。
オバマ政権時にアメリカ軍撤退。
しかしタリバンは息を吹き返し、イラク戦争が生み出したISも戦乱に加わった。
IS壊滅後の現在も、政府軍とタリバンの衝突が続いている。
自転車に付けているアクセサリーやお守りに興味を持って「ちょうだい」と言ってくる。
そんな目で見つめたって、あげないよ。
このエリアは道はそれほど険しくなく、舗装箇所もそこそこある。
Khorog, Tajikistan
5029km