2019年5月13日

ギニアビサウ(ケボ) → ギニア(ボケ) 国境越え

一時舗装路が復活したが、国境の手前23kmほどのケボから再び未舗装。

Google Mapsでは黄線で描かれた主要道路なのだが。

曲がる場所がどうもわからず、人に聞いたらこっちだと言う。

道???

民家の裏庭みたいなところをオジャマして進む。

人に会うたびに確認してみるが、この道であってるらしい。

道というより、川が流れた跡?

上半身素っ裸の女性もチラホラ。

幸い、こんな辺鄙なところにも井戸のある村がある。

しかも、できたばかりの新しい井戸。
どこの国の援助だろう?
ポンプには鍵がかかっており、勝手に汲むことはできない。
子供たちがやって来て汲んでくれた。



ギニアビサウ側の国境に到着。
ゴザの上に数人が寝転がっている。
とても国境には見えなかったのでそのまま通過してしまいそうだったが、寝転がってるやつに呼び止められた。

ちゃんとスタンプを持っている。
でもインクがもう枯れているようで、補充インクをチビチビ垂らす。
スタンプするのにどんだけ時間かけるんだよ。
そして渾身を込めて押されたスタンプも、結局かすれていた。

それからスタンプの上に日付を書こうとするが、ペンのインクも枯れていて、何度も重ね書きする。
あまりに不憫だったので、僕は日本製のジェルインクペンを貸してあげた。
いや不憫というより、こいつら寝そべっているのに僕だけ立ったまま待たされて、とっとと終わらせろやという気持ちだった。

ひとり、「マニー、マニー」と言う者がいる。
賄賂要求のつもりだろうか、そんな弱々しくじゃなくてもっと高圧的に言ってくれないとそれっぽくないぞ。
それにしても、英語話せないくせに「マニー」だけは誰でも知ってるんだな。

出国完了。
しばし緩衝地帯。
距離と位置は確認するの忘れた。

ギニア側の国境。

ここは国境だがイミグレーションはなく、パスポートチェックもなく、スタンプも押されない。

国境警備がユルユルなのは平和な証なのかもしれない。
ただ、僕が払ったビザ代1万3000円の行方が気になる。
ぜひ有効に使ってほしいものだ。


視界が開けていない細い道で子供と遭遇すると、「ウギャー!」と大声で泣きわめいて逃げていく。
怖がらせちゃってごめんよ。
でも面白いからもっと怖がらせてやろうかというイタズラ心が出てきちゃったりもする。
女の子より男の子の方がずっと臆病で、プライドも何もないのか、顔をクシャクシャにして泣きながら親に助けを求めて絶叫する。


ギニアには独自通貨がある。
最初に現れた村で食料を買ってみたが、CFAでも買えた。
後で聞いた話によると、この村で両替ができるらしい。


渡し船で川の対岸へ。

ガーナ人やインド人など、多国籍労働者と話をして盛り上がった。

かれらに両替してもらって、ギニアフランを入手できた。
そしてなんと、渡し船代はかれらが払ってくれた。
かたじけない。


ビザ代1万3000円も払ってるんだから、橋ぐらいつくっといてよ。


対岸にインド人労働者の宿舎があり、そこで泊めてもらうことになった。

かれらのうちの二人はアムリトサル出身。
アムリトサルはパキスタンに近く、有名なワガー国境があり、シク教の本拠地。
その界隈のことはよくおぼえているので話をしたら、とても喜んでくれた。

インド料理!

まさかこんなところでインド料理を堪能できるなんて。
調理はここの使用人であるギニア人の女性。
味は完璧にインド。
砂糖をドカドカ投下したチャイ、たまらん。

これがディナーだと思ったら、夜になってまた食事。
断るわけもない。

おいしいんだけど、やはりカレーが僕には辛すぎる。
食欲はあるのに、辛さのため一人前でギブアップ。

この宿舎は、電気が通っており、扇風機もあり、水道はないがポリタンクに大量の水が用意されており、不便はない。
インド人たちはとても話しやすく、どこまでも僕に親切にしてくれた。

しかしこの時点でまだ入国スタンプをもらっていないという、変な状況。

翌朝、数km進んだキソマヤという村でイミグレーションが現れた。

国境から20km。
Google MapsにはKisoumayaと書かれている。
ビザを確認され、スタンプをもらって、入国手続き完了。


ギニアビサウとギニアの違いなんて一般的にはまったく知られていないだろうが、ギニアビサウは旧ポルトガル領でポルトガル語、ギニアは旧フランス領でフランス語。
1958年独立。
面積は本州よりやや大きく、人口1200万人。


また言葉が変わり、子供たちは僕を「ボテ」と呼ぶ。
フランス語ではないと思う、何語かわからないが、手を叩きながら「ボーテ! ボーテ!」と大合唱する。
意味はどうせまた「白」かな?


ビザ代1万3000円も払ってるんだから、舗装ぐらいしといてよ。


足踏み式ポンプの井戸は効率良さそうだ。

突然の来訪者に最初は不審の目で見られたが、カメラを向けたら照れ笑いを見せた。


ギニアの子供たちは警戒心が強く、遠くから「ボーテ! ボーテ!」と囃し立てるだけで、至近距離にはなかなか来ない。
この写真はズームで撮った。

僕の方から近づこうとすると、蜘蛛の子を散らさんばかりに逃げていく。
国境を越えただけで変わるもんだ。

木陰のない道、もう暑くて暑くて。

ギニアには所々で検問がある。
何を警戒してんだよ。

検問所に売店があり、金を惜しまずドリンクを買い込んで一気飲み。

水だけだとどうもパワーが出なくて、やっぱ冷えた炭酸をグビグビ飲んで、日陰で長めに休まないと、もたない。
軍人たちが僕に興味を持っていろいろ話しかけてきた。

お世話になったインド人とまた遭遇。

かれらは仕事を終えて宿舎に戻るところだった。

最初の街、ボケに到着。
ギニア人の主要移動手段はバイクで、バイクのクラクションが鳴りやまない。

ATMあり。
ただし一度の引き出し限度額がたった30万フラン(3597円)。
最高額紙幣が2万フラン(239円)、かさばってしょうがない。

宿は少なく、物価も高い。
暑さにへこたれ、宿探しも大変で、街の風景は撮っていない。

気の利かないボロ宿をなんとか見つけた。
最安のシングルで30万フラン(3597円)。
狂ってる。

Wi-Fiなし。
唯一評価すべき点は、エアコンがついていることだった。
でも電気がつくのは夜間のみで、日の出とほぼ同時にすべての電気が落ちた。

最後の村で汲んだ井戸水、なぜか変色。

汲んだ時は透明だったはずだが。

スーパーで、ボコボコにへこんだニセコーラ。

1万3000フラン(155円)。
飲んでみると、炭酸が完全に抜けていた。
誇張ではなく、本当に無炭酸飲料。
どんだけ年月が経ったらこんななるのか。
賞味期限はどこにも書かれていなかった。

ひっどい国だな。
ビザ代が高い国ほどひどい国、という新たな法則を発見してしまったかもしれない。

レストランもなかなかなく、道端の謎料理にトライしてみた。

ジャガイモを煮たシチューだと思って食べてみたら・・・

マンゴーじゃねえか!
いくらマンゴー好きの僕でも、これはいただけない。
そのまま食べられるマンゴーをどうして煮てしまったのか?
それに、この日は昼飯もマンゴーだったんだぞ。

店にいた娘たち、やけになついてきたので許してあげよう。


Conakry, Guinea