アルヘシラス。
パコ・デ・ルシアの出身地。
ヨーロッパらしからぬ街。
統一感あるデザインや歴史ある旧市街といったものは皆無。
無骨な集合住宅がひしめく。
ムスリムが多く、アラビア文字もよく目につく。
移民を多く受け入れている国とはまた違った意味で、ヨーロッパ感がない。
ここはモロッコ行きのフェリーが出ている街のひとつで、旅行店の前を通るとアラブ系の人が「ニイハオ! チケット! チケット!」とからんでくる。
うん、ヨーロッパっぽくない。
湾の対岸にジブラルタルが見える。
ジブラルタルには安宿がないので、アルヘシラスから日帰りで行ってみる。
直線距離だと8kmほどだろうか。
素直に海に沿って道をつくってくれればいい話なのだが、いい道がない。
高速ルートで国境まで22km。
自転車歩行者ルートはバッカみたいに遠回りさせられて、35km。
これは往復で丸一日かかると見て、日の出と同時に出発。
一般道はただ遠回りなだけでなく、そこそこ険しい山道。
意地悪だなー。
ジブラルタルはイギリス領。
ポルトガルと同じくスペインも8世紀からイスラムに支配されたが、レコンキスタを果たして1479年スペイン王国として独立。
大航海時代は中南米を主な植民地とし、北アフリカからフランス、ベルギー、オランダまでも領有し、フィリピンやグアムなどの太平洋の島々まで股にかけ、「太陽の没することなき帝国」として君臨した。
18世紀始めにスペインの王位継承をめぐってイギリス、オーストリア、オランダと戦争になり、イギリス率いる海軍がジブラルタルを攻め込んで占領した。
以来、300年にわたってジブラルタルはスペインに返還されることなく、現在もイギリス領となっている。
ジブラルタルの面積はわずか6.5k㎡。
イギリスがこの狭小な土地をあくまで手放さないのは、地中海の出入口を監視する上できわめて重要な軍事的要衝だからだ。
他ならぬオフショアバランサーのイギリスならなおさらだ。
一方、スペインは地中海を越えたモロッコ北東部にあるセウタを領有している。
スペインはイギリスに対してジブラルタル返還を求めているが、それならセウタをモロッコに返還すべきだと言われる。
世界中どこでも、領土問題はダブルスタンダートもお構いなしのエゴのぶつけ合いだ。
イミグレーションがあり、車も歩行者もたくさん。
でもパスポートチェックは一瞬チラ見するだけでノースタンプ、スムーズに流れる。
頼めばスタンプをもらえるという話を聞いたが、あまりに人が多すぎて言える空気ではなかった。
イギリスなのに右側通行!
国際空港があるが、土地が狭すぎるので滑走路と一般道が交差している。
目の前を飛行機が滑走するのを見てみたかったが、帰りの時間も考えるとそんな待つ余裕はない。
イギリスらしくない、スクーターが異様に多い。
ジブラルタルロックの最高標高は426m。
ケーブルカーなら一瞬、£15(2217円)。
ここまで来たら自分の足で登ってやるさ。
しかし自力で行くにも、入場料(入山料?)で€6とられる。
ジブラルタル海峡の向こうにアフリカ大陸。
思ってた以上に近い。
西の対岸にはアルヘシラス。
滑走路と一般道が交差しているのがよく見える。
下るのはあっという間。
メインストリートはすごい人。
イギリス領だからといってイギリス系ばかりが住んでいるわけではない。
むしろ英語よりスペイン語の方がよく聞こえてくる。
渋めのバーガーキング。
ジブラルタルは独自の通貨がある(イギリスポンドと同レート)が、入手せず。
おそらくユーロで支払える店もあるとは思うが、1セントも使うことなく出国。
出国は、地元サイクリストに倣って、自転車から降りることすらせず、乗ったままパスポートを片手で持って、イミグレーション通過。
係員はチラ見すらしなかった。
こんなの初めて。
イミグレーションがある国境としては、ここは世界一ゆるいかもしれない。
また険しい道を戻って、往復86km。
ジブラルタルロックを登ることより、そこに行くまでの往復の方が長いし大変。
宿に戻ったのは17時。
今日は祝日。
何の祝日なのかはどうでもいい、また店が閉まっている。
事前に情報を得て買いだめしておいたので大丈夫だったが、やっぱヒヤヒヤするな。
Hostel Puerto Algecirasに滞在。
ドミトリー1泊€12。
広々としていて、居心地よく、スタッフも親切、客層も良い。
各ベッドにカーテンがあり、各ベッドにコンセントも照明もある。
寝返りをうってもギシギシ音が鳴らないので、思う存分寝返りまくる。
日本人旅行者と出会った。
日本人と会うのはプラハ以来、3ヶ月ぶりか。
3ヶ月ぶりに日本語を話した。
春休みで旅行中の女子大生で、僕とまったく同じmont-bellのレインウエアを着ていた。
Algeciras, Spain
15994km