国際的にはモルドバ領とされているがモルドバ政府の支配が及んでおらず、独立国家として機能している。
入国
キシナウの中心地から南東へ約60kmの国境。
まずモルドバ側の検問があるが、チェックを受けるのは沿ドニエストル側から来た者のみで、沿ドニエストルへ向かう者はスルー。
モルドバにとってはこの先も自国領なので、パスポートチェックも出国スタンプもなし。
すぐ先に沿ドニエストルのイミグレーションがある。
モルドバ人またはドニエストル人は車から降りもせずにIDカードを見せるだけで通れるようだが、第三国者はパスポートコントロールへ。
「Ryo Asaji?」
「Yes.」
「Today come back?」
「Yes.」
係員とのやりとりは以上。
パスポートにスタンプはされず、個人情報と出国日時がプリントされた紙をもらう。
滞在は最大45日。
宿泊施設に予約した日数を入国時に申し出る。
以前は原則として日帰りで、宿泊するなら役所で届け出る必要があったらしいが、現在はイミグレーションで申し出て、出国期限をプリントしてもらうだけでいい。
https://tiraspol-hostel.com/about/getting-in-out/
イミレーションの建物から出ると、また適当な荷物チェックをされて、入国完了。
またキリル文字。
住民構成は、モルドバ人3割、ウクライナ人3割、ロシア人3割。
モルドバではソ連末期にキリル文字からラテン文字に変更したが、ここでは依然としてルーマニア語もキリル文字を使用している。
ドニエストル川の東側と書いたが、このベンデルという街だけは西側も沿ドニエストル領となっている。
ドニエストル川を越えて東側へ。
首都ティラスポリ。
18世紀にロシア帝国が西の国境を防衛する目的でロシア人やウクライナ人をドニエストル川の東側に移住させたため、モルドバの他の地域に比べてここはロシア人の割合が大きい。
ソ連末期にモルドバが独立の動きを見せ、同族であるルーマニアとの連携を強めたことに対してドニエストル川東側のロシア人が反発し、1990年に沿ドニエストル共和国として独立を宣言した。
1992年、沿ドニエストルの独立を認めないモルドバと戦争になり、沿ドニエストルが勝利した。
なぜこの国は国際社会から承認されないのか?
よくわからない。
武力によって征服して勝手に独立宣言してつくられた国などいくらでもあるだろう。
沿ドニエストルはロシアのバックアップによって独立し、現在も軍事的にも経済的にもロシアの支援がある。
そのロシアですら、承認していない。
もしここを承認したら、アブハジアとか南オセチアとか、ロシアにとって独立してほしくない国が動き出すからなのかもしれないが、大国はそれぐらいのダブルスタンダードはいつもやってることだろう。
沿ドニエストルとしては、承認されないからといって独立国家をやめるはずもなく、前進もせず後退もせず膠着状態のまま、それでも人々は生活していく。
生まれてきた子供に「この国は世界から存在を認められていないんだよ」と教えるのは少々さびしい。
久しぶりに地元民から話しかけられた。
やはり外国人はめずらしいのか、日本人だと答えると驚いていた。
それから、別の通りすがりの人がロシア語訛りの英語で「Welcome to Dniester!」と言ってくれた。
また、小学生の男の子たちが小声で「キタイ(中国人)」と言ってクスクス笑っていた。
この子は日本人かそれともキタイか、いずれにしてもここにはアジア人はいないはず・・・
ロシア人の多いこの地は以前から経済的に成功していたようで、モルドバより街並みがきれいだ。
SHERIFFという企業の一強なのか、やたらと目につく。
巨大なスーパーだが中はガランとしいて殺風景。
品ぞろえは豊富ではない。
物価はモルドバよりはるかに安い。
チョコチップクッキーはなかった。
独自の通貨もある。
プラスチックのコインがあると聞いて、両替所をまわってみたのだが、どこもかしこも「ない」と言う。
このスーパーにも両替所があり、ようやく見つけた!
五角形のプラスチックコイン、これはレアでしょう。
ギターが弾けそう。
計4種類のプラスチックコインがあるが、同額の紙幣がメインで流通しているので、あまり出回っていないようだ。
日本車も参入してたのか。
マーケットもある。
出国
入国時とは違うルートで。
まず沿ドニエストル側のイミグレーションで、入国時にもらった紙を渡す。
係員に「Good Luck!」と言われて出国完了。
すぐ先にモルドバの検問があり、ここではパスポートをチェックされる。
どこから来てどこへ行くのかという質問に答えて、再入国完了。
ドニエストルルーブル。
Braila, Romania
8759km