入国してすぐの街オタチ。
キリル文字からラテン文字に変わった。
看板も標識も、見てスッと入ってくる。
キリスト教国だが、中高年の女性は皆スカーフをかぶっている。
先ほど渡った国境の橋、手前がモルドバで向こうがウクライナ。
モルドバは、民族的にも言語的にも西隣りのルーマニアと変わりない。
現在のルーマニアとモルドバを含むモルダビア公国が中世に成立し、16世紀にオスマン帝国の属国となった。
たびたび繰り返されたロシアvsオスマンの露土戦争の結果、1812年にロシア帝国がモルダビア公国を割譲し、一部をベッサラビア(後のモルドバ)と称して併合した。
1918年にベッサラビアはルーマニア王国の一部となったが、1940年にモルダビアとしてソ連の一部となった。
1991年、ソ連の崩壊にともなってモルドバ共和国として独立。
要するにここも、ロシアと西側がぶつかり合い、領土を奪い合ってきた東西の境界。
ルーマニアはEU加盟国だがモルドバは非加盟。
中身が同じなら合併してしまえばいいのにと思うが、国際的には分離独立はけっこうだが併合はけしからんという風潮がある。
面積は九州よりやや小さい。
人口は355万人。
国境を越えても相変わらずのアップダウン、相変わらずのひどい道。
もはや未舗装。
早くもモルドバの経済力の弱さを肌で実感。
村にはあちこちに井戸が。
お、整備された!
ドニエストル川岸の街ソロカ、対岸はウクライナ。
ソロカは都市ではないが、そこそこの街。
でもまともなスーパーがなく、売店レベルのミニマーケットばかり。
品ぞろえは乏しく、食材はあまり選べない。
チョコチップクッキーもない。
異様に物価が高い。
GSの売店で紙コップのコーヒー(小)が15レイ(100円)。
日本のコンビニのコーヒーの方がおいしいしサイズも大きい。
コーラ1.5Lが20レイ(134円)前後。
ウクライナでは80円ぐらいだった気がする。
フリヴニャの下落で物価が下がっているウクライナと比較してはいけないのかもしれないが、今回旅した国の中でも一番高い印象。
ちなみに、モルドバは一人当たりGDPがヨーロッパで最低、ヨーロッパ最貧国と言われている。
イラン以来、久々の橋の下キャンプ。
ウクライナに比べてモルドバは森林が少ない。
農場がずっと続き、寝場所を見つけるのに困っていた時、ちょうどいい橋が現れてくれた。
橋の下というのは、人目につきにくいし、屋根と壁に守られるし、大雨が降った時の脅威さえ除けば、なかなか快適である。
コカコーラは高いので、ニセコーラ。
これは13レイ(87円)。
イランのザムザムコーラとキルギスコーラと同じ味。
首都キシナウまでの道路はきれいに舗装されていて走りやすかった。
Chisinau, Moldova
8375km
2018年9月28日
ウクライナ(モヒリーウポジーリシキー) → モルドバ(オタチ) 国境越え
朝の気温、4℃。
ウクライナ人たちはすでにコートやジャケットを着ている。
まだ9月だが、僕も長袖を着た。
ひどい道。
整備されていたのはキエフとリヴィウを結ぶハイウェイだけだったか。
このガタガタ道じゃ下り坂でもスピードが乗らない。
もう少し早ければ一面に輝くヒマワリが見れたのかも。
その代わりリンゴの収穫期。
ウクライナフリヴニャ。
国境の街の手前の森でキャンプし、翌朝国境越え。
ウクライナ側
車での越境は制限されているのか、車のゲート前には大型トラックだけが並び、乗用車はなかった。
歩行者は多いようだが、第三国者は僕だけで、あとは皆ウクライナ人とモルドバ人ばかり。
物資を運んでいるわけではなく、軽装で、パスポートではなくIDカードを見せるだけで行き来している。
僕は荷物チェックを受けた。
バッグを開けてチラッと見ただけで「もういいよ」と、きわめてやる気のない形式的なものだった。
国境をなすドニエストル川を越えてモルドバへ。
ふつう、国境での撮影は御法度。
ヘタすると逮捕されることもありえるが、何となくゆるい感じだったので橋の上から撮ってしまった。
モルドバ側
他の人たちがIDカードでスイスイと流れる中、僕だけ少し時間をとられた。
係員はルーマニア語(?)で質問してきた。
「Do you speak English?」と聞いたら、キッパリ「No!」と言われた。
日本人旅行者にルーマニア語が通じるわけなかろう、ロシアや中国でさえ国境係員は英語を話せたのに。
でも国境で聞かれることなんてたいてい決まってるから、これから向かう街や国の名前をいくつか言ったらすんなりスタンプをもらえた。
荷物チェックはなし。
90日以内の滞在であればビザ不要。
国境を越えてすぐATM、両替所あり。
携帯ショップもあったが、小国だしGSの売店でWi-Fiが飛んでいるようなので、SIMは購入せず。
Soroca, Moldova
8220km
ウクライナ人たちはすでにコートやジャケットを着ている。
まだ9月だが、僕も長袖を着た。
ひどい道。
整備されていたのはキエフとリヴィウを結ぶハイウェイだけだったか。
このガタガタ道じゃ下り坂でもスピードが乗らない。
もう少し早ければ一面に輝くヒマワリが見れたのかも。
その代わりリンゴの収穫期。
ウクライナフリヴニャ。
国境の街の手前の森でキャンプし、翌朝国境越え。
ウクライナ側
車での越境は制限されているのか、車のゲート前には大型トラックだけが並び、乗用車はなかった。
歩行者は多いようだが、第三国者は僕だけで、あとは皆ウクライナ人とモルドバ人ばかり。
物資を運んでいるわけではなく、軽装で、パスポートではなくIDカードを見せるだけで行き来している。
僕は荷物チェックを受けた。
バッグを開けてチラッと見ただけで「もういいよ」と、きわめてやる気のない形式的なものだった。
国境をなすドニエストル川を越えてモルドバへ。
ふつう、国境での撮影は御法度。
ヘタすると逮捕されることもありえるが、何となくゆるい感じだったので橋の上から撮ってしまった。
モルドバ側
他の人たちがIDカードでスイスイと流れる中、僕だけ少し時間をとられた。
係員はルーマニア語(?)で質問してきた。
「Do you speak English?」と聞いたら、キッパリ「No!」と言われた。
日本人旅行者にルーマニア語が通じるわけなかろう、ロシアや中国でさえ国境係員は英語を話せたのに。
でも国境で聞かれることなんてたいてい決まってるから、これから向かう街や国の名前をいくつか言ったらすんなりスタンプをもらえた。
荷物チェックはなし。
90日以内の滞在であればビザ不要。
国境を越えてすぐATM、両替所あり。
携帯ショップもあったが、小国だしGSの売店でWi-Fiが飛んでいるようなので、SIMは購入せず。
Soroca, Moldova
8220km
2018年9月25日
ヴィーンヌィツャ
朝のリヴィウ。
テルノピリ。
向かい風&アップダウン。
路肩も未舗装になり、車道も狭くデコボコになってきた。
悪条件というのはそうすぐには終わらない。
しばらくこんな感じで行くのだろう。
でもこれぐらいはたいしたことじゃない。
それに、ウクライナ人はクラクションを鳴らさない。
えらい。
ヨーロッパおよびその他の白人文化圏では、おいしいチョコチップクッキーが安く売っている。
朝飯にもなるし昼飯にもなるしおやつにもなる、大好物。
コーヒーとの相性も抜群。
ヨーロッパおよびその他の白人文化圏に突入したら必ずチョコチップクッキーを常備するようにしている。
アジアにはチョコチップクッキーを食べる文化がない。
あってもチンケなやつか、輸入物でバカ高いのしかない。
ノイジーなドミトリーに疲れ、キャンプでホッと気を休める。
たまにはぜいたく。
街から離れたところでも、GSにモーテルが併設されていたりするので、ウクライナでは泊まる場所に困ることはない。
このクオリティで1泊400フリヴニャ(1598円)、安い。
ウクライナの宿はどこもWi-Fiは良好。
GSに併設されている売店でもちゃんとWi-Fiが飛んでる。
だからSIMの10GBはとても使い切れない(ミニマムが10GBなのでそれ以下は売ってなかった)。
夜、雨が降った。
ホテルに泊まって正解だった。
乾燥した中央アジアと違い、ウクライナに入ってから、主に夕方から夜間だが、時々雨が降る。
恵まれた気候のおかげで、旧ソ連の中ではウクライナは農業大国。
ロシアがあくまでウクライナを傘下にしておこうとするのは、黒海の他に農業生産力という理由もある。
ヴィーンヌィツャ。
奇妙なデザインの教会。
外国人らしき人はほぼいない。
観光地のように飾った感じはなく、素のままの街。
「SWEET HOSTEL」に滞在。
各ベッドに照明とコンセントあり。
ロッカーもちゃんとしてる。
まだ新しいのか、すごくきれい。
ウクライナのホステルはコンロがないところも多いが、ここはすべてそろってる。
早くもスープスパゲティに飽き飽きしてたので、久々にオムライス!
やっぱ米はいい。
キッチンのある宿では、パスタより米にしていこうかな。
1泊170フリヴニャ(679円)。
相場と比べたら高めだが、それでも激安。
ちなみに、最安の宿は95フリヴニャ(379円)だった。
街の中心部近くにあるので立地も良い。
ここまでちゃんとしたところはなかなかない、優等生的なホステルと言っていい。
めずらしく、流暢な英語を話すウクライナ人の客が来た。
日本の伝統文化、刀とか侍に興味を持つウクライナ人はけっこう多く、彼ナザールはペラペラと長時間にわたって、いかに自分が日本文化が好きかを語ってくれた。
ふだん、走行中も宿泊中も、ウクライナ人から話しかけられることはほとんどない。
社交的な民族ではないのかと思いきや、意外とそうでもない。
キエフの自転車屋の店主とかこのナザールは、とてもフレンドリーで紳士的で、止められないほどおしゃべりだ。
他の人が話しかけてこないのは英語を話せないという言語の壁なのか、いやヨーロッパは全体的にこんなもんだったかな。
いやそれよりも、僕ももっと現地の言葉を学んで人と話さないと、たまにこうやって不意に親しくなっても、この国でどういう旅をしてきたかうまく話せなかったりする、反省。
雨のため、連泊。
いい宿だし、休息がてら3泊した。
Vinnytsia, Ukreine
8041km
テルノピリ。
向かい風&アップダウン。
路肩も未舗装になり、車道も狭くデコボコになってきた。
悪条件というのはそうすぐには終わらない。
しばらくこんな感じで行くのだろう。
でもこれぐらいはたいしたことじゃない。
それに、ウクライナ人はクラクションを鳴らさない。
えらい。
ヨーロッパおよびその他の白人文化圏では、おいしいチョコチップクッキーが安く売っている。
朝飯にもなるし昼飯にもなるしおやつにもなる、大好物。
コーヒーとの相性も抜群。
ヨーロッパおよびその他の白人文化圏に突入したら必ずチョコチップクッキーを常備するようにしている。
アジアにはチョコチップクッキーを食べる文化がない。
あってもチンケなやつか、輸入物でバカ高いのしかない。
ノイジーなドミトリーに疲れ、キャンプでホッと気を休める。
たまにはぜいたく。
街から離れたところでも、GSにモーテルが併設されていたりするので、ウクライナでは泊まる場所に困ることはない。
このクオリティで1泊400フリヴニャ(1598円)、安い。
ウクライナの宿はどこもWi-Fiは良好。
GSに併設されている売店でもちゃんとWi-Fiが飛んでる。
だからSIMの10GBはとても使い切れない(ミニマムが10GBなのでそれ以下は売ってなかった)。
夜、雨が降った。
ホテルに泊まって正解だった。
乾燥した中央アジアと違い、ウクライナに入ってから、主に夕方から夜間だが、時々雨が降る。
恵まれた気候のおかげで、旧ソ連の中ではウクライナは農業大国。
ロシアがあくまでウクライナを傘下にしておこうとするのは、黒海の他に農業生産力という理由もある。
ヴィーンヌィツャ。
奇妙なデザインの教会。
外国人らしき人はほぼいない。
観光地のように飾った感じはなく、素のままの街。
「SWEET HOSTEL」に滞在。
各ベッドに照明とコンセントあり。
ロッカーもちゃんとしてる。
まだ新しいのか、すごくきれい。
ウクライナのホステルはコンロがないところも多いが、ここはすべてそろってる。
早くもスープスパゲティに飽き飽きしてたので、久々にオムライス!
やっぱ米はいい。
キッチンのある宿では、パスタより米にしていこうかな。
1泊170フリヴニャ(679円)。
相場と比べたら高めだが、それでも激安。
ちなみに、最安の宿は95フリヴニャ(379円)だった。
街の中心部近くにあるので立地も良い。
ここまでちゃんとしたところはなかなかない、優等生的なホステルと言っていい。
めずらしく、流暢な英語を話すウクライナ人の客が来た。
日本の伝統文化、刀とか侍に興味を持つウクライナ人はけっこう多く、彼ナザールはペラペラと長時間にわたって、いかに自分が日本文化が好きかを語ってくれた。
ふだん、走行中も宿泊中も、ウクライナ人から話しかけられることはほとんどない。
社交的な民族ではないのかと思いきや、意外とそうでもない。
キエフの自転車屋の店主とかこのナザールは、とてもフレンドリーで紳士的で、止められないほどおしゃべりだ。
他の人が話しかけてこないのは英語を話せないという言語の壁なのか、いやヨーロッパは全体的にこんなもんだったかな。
いやそれよりも、僕ももっと現地の言葉を学んで人と話さないと、たまにこうやって不意に親しくなっても、この国でどういう旅をしてきたかうまく話せなかったりする、反省。
雨のため、連泊。
いい宿だし、休息がてら3泊した。
Vinnytsia, Ukreine
8041km